Case12. 最終回殺人事件
「ふふ。これだけあれば、しばらくは安泰だろうね」
ある日のこと。真実が事務所のソファに寝っ転がって『鋼の錬金術師』を読んでいると、藍が机に座って、ひとり嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「何が?」
話が進まないので、真実は仕方なく尋ねてあげた。尋ねておいて、頭は漫画の方に集中している。返事は碌に聞いてない。『ありえない』なんて事はありえない。
「だからこれだけストックがあれば、しばらく遊んで暮らせるって話だよ。ノーベル文学賞もまず間違いないだろうし……」
「ありえねーだろ。現実を見ろ」
「でもでも、ここまでネタを絞り出すのは結構大変だったんだから……この苦労をみんなに知って欲しい。密着カメラで、僕らの過酷な創作現場に迫ろうよ」
「ポケモンやってるだけじゃねーかよ」
「ポケモン以外もやってるよ。モンハンとか」
「余計ダメじゃねーか」
真実が冷たくあしらっていると、黒電話が鳴った。
「来た来た!」
藍が嬉しそうに受話器に飛び付いた。藍の……というより和音の評判を聞きつけてか、このところ心なしか依頼が増えて来ている。真実にとっては由々しき事態だった。忙しいのは結構だが、あんまり忙し過ぎると、いつまで経っても漫画を最後まで読み終われない。
「はい、はい……え?」
すると突然、藍の顔色が変わった。何だか様子がおかしい。
「打ち切り……ですか?」
藍が受話器を取り落とした。そのまま膝から崩れ落ち、小刻みに震え始める。机の上の原稿用紙が風で捲れた。冷蔵庫の無機質なブゥー……ン、という音が部屋に響き渡る。窓の外をトラックがゆっくりと駆け抜けて行った。
真実はというと、全然気づいていなかった。漫画の世界に夢中だった。たっぷり時間をかけ、『鋼の錬金術師』を最後まで読み終えると、辺りはすっかり暗くなっていた。
真実は深く息を漏らした。さすがに体が疲れていたが、それでも良い物語に浸った充実感の方が勝った。何という有意義な一日だっただろう。満足感と高揚感に包まれ、さぁ帰ろうかと腰を上げる。そこでようやく、彼女は部屋の隅で蹲っている藍に気がついた。
「何やってんだお前?」
「…………」
「……え? 泣いてんの?」
「……打ち切りだって」
「は?」
いつの間にか電気が消えている。暗がりの中、藍が声を震わせた。
「だから打ち切りなんだって。僕ら! この物語!」
「ふーん……」
「ふーん、って!」
藍が顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃになって、ふやけた猿みたいになっている。
「なんでそんな冷静なの!? もっと驚こうよ!」
「ンでも……人気がなかったら、そりゃ打ち切られるだろ。仕方ねぇよ」
「でも……でも! ありえないよ!」
「それに物語って、いつか終わるモンだろ。終わり損ねた駄作だっていっぱいあるけど。正直最近、AIも関係なくなって来てるしさ」
「…………」
「読者だって色々忙しいんだよ。ネタが無いのにいつまでもダラダラ続けられても困るって」
「……嫌だ」
「は?」
「嫌だ。終わらない」
「…………」
「引き延ばす」
「引き延ばす、ったって……」
「引き延ばす! 僕らの戦いはこれからだ! まだまだ終わらないから!」
そう泣き叫び、藍が事務所を飛び出して行った。真実はため息を吐いた。なんて往生際の悪い、情けない大人なんだろう。このまま放っておくと碌なことにならないのは目に見えている。真実は仕方なく彼の後を追った。
◻︎
「オイ待てって。どこ行くんだよ?」
「作者のとこ!」
「作者ぁ?」
藍が向かっていたのは、この物語の、作者の家だった。だが目的地に着いたとき、作者はすでに死んでいた。机に突っ伏したまま、胸にナイフを刺され殺されていた。殺人事件だった。
「……そして被害者の背中には、血文字で『Z-A』と書かれていた」
「『Z-A』?」
『何かの暗号でしょうか?』
「確かに……今までで一番ミステリーっぽいな」
大勢の警察関係者が忙しなく現場を行き来している。真実と和音が首を捻る横で、藍はしかしそれどころでは無いらしく、ひとり頭を抱えていた。
「そんな……!? 作者が死んじゃったら、この物語はどうなるんだよ!?」
「それこそAIが生成するんじゃないの? 知らんけど」
『出来なくも無いですね』
「なんだ。じゃあ大丈夫か」
藍がすぐさま涙を引っ込めた。
「びっくりしたぁ。本当に終わったかと思った」
「や、元々第一話で、短編で終わるはずだったんだよ。そこから毎回のように終わってたろ。せっかく終わったものを、無理やり再開してたんだ。どっかの続編みたいに」
「だからってこんなとこで最終回なんてひどいよ。来週こそ神回だったのに。『神回殺人事件』だったのに」
「自分で言うな。だったら最初から全力出しとけよ」
「待って! これって……」
すると突然、藍が何かに気づき目を丸くした。
「これはもしや……あの時のナイフ!?」
「どの時だよ。存在しない伏線を回収するな」
「ダメなの?」
「ダメに決まってるだろ! いいからさっさとAIに相談しろよ」
真実が半ば呆れ顔でそう言った。
「どうせどっかの田中が犯人なんだろうけど」
「いやぁ」
普段から片時もスマホを手放さない藍が、この日ばかりは何故かそうしない。
「もうちょっとじっくり考えてみようよ」
「は?」
「そんなに焦って答えを出そうとしないで……この事件にはまだ何か裏があるかもしれない」
「何言ってんだ。いつも速攻でAIに尋ねてたくせに」
「だってあんまり早く解決したら……話終わっちゃうじゃないか」
藍がポロリと本音を溢した。
「作者死亡なんて、十週は引っ張れそうなネタを、一話完結で終わっちゃもったいない」
「十週て。いい加減飽きるわ! お前は何探偵なんだ!?」
「……名探偵?」
「AI探偵だろうが! いいから貸せッ!」
「それってもしかしてタイトル回収……う、うわぁあっ!?」
真実が藍からスマホを毟り取り、和音に尋ねた。
「犯人は!?」
『田中です』
「だろうな」
『先ほど証拠も見つけました♪』
そう言って、和音が凶器に付着した指紋の拡大画像を表示する。藍が嘆いた。
「あぁ、こんな時に限って! 証拠を見つけてしまうだなんて!」
「何で悔しがってんだよ」
「これは見なかったことに……来週見つけたことにしようよ」
「何言ってんだ。ほら! 犯人を捕まえに行くぞ!」
こうして犯人が逮捕された。沈み行く夕陽を背に、藍と真実が並んでパトカーを見つめる。どこからか哀しげなBGMが流れ始めた。これは……オープニング主題歌じゃないか。初代オープニングをアレンジしてエンディングで流すとは……最終回仕様で、いつもより深く胸に染み入る。
「あぁ……事件が解決してしまった……」
「それがお前の仕事だろ」
「これで終わり? こんな呆気なく?」
藍はまだ信じられない、と言った顔で目を瞬いた。
「もうちょっと続けようよ。第2の殺人起きないの?」
「探偵が第2の殺人を望むな!」
「”まさかこの後第100の殺人が行われようとは、誰も夢にも思わなかった”……!」
「殺され過ぎだろ! いつまで引き延ばしてんねん」
「やだぁ! 終わりたくないよぉ……!」
『先生……』
ポロポロと涙を溢す藍を慰めるように、和音が優しい声を出した。
『大丈夫ですよ。最終回の後も、しれっと続ければ良いんです♪』
「そんなん聞いたことねぇよ」
『そもそも最終回が終わりだって誰が決めたんですか?』
「はぁ?」
『今世の中に求められてるのは終わらないコンテンツなんですよ。みんないつまでも、竜宮城の中で夢見ていたいんです。別にネタがなくたって続けて良いじゃないですか。内容が空っぽでも、推しキャラがいい感じにキラキラしてて、歌って踊ってればそれで満足なんですよ』
「お前……人の心とかないんか?」
『無いです』
「そうだった」
AIの慰めにならない慰めを前に、藍がとうとう慟哭し始めた。
「こんな……いきなり過ぎるよ。何の前触れもなく……!」
「終わりって大体そういうもんだろ。唐突に来るんだよ」
「こんなことになるなら……もっと色々やっときゃよかった……!」
「多分やっても後悔するし」真実が肩をすくめた。
「やらなくても後悔するし……どっちにしろ悔いは遺るんだから。だったら好きに生きた方がマシだな」
「真実君……」
やがてBGMが5周くらいしたところで、ようやく藍が泣き止んだ。
「そうだよね……うん」
藍が目を腫らしたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「うん。わがまま言ってごめん……僕が間違ってた」
「…………」
「帰って大人しく、ポケモンやるよ」
「……まさかお前、ポケモンやりたいから最終回にしようって魂胆じゃねーだろうな?」
「何の話?」
「とぼけんなよ! そんなの許されるか!」
「ちょっと待ってよ! 綺麗に終わる流れだったのに!」
「ダメだダメだ! どこが綺麗なんだよ! 唐突過ぎるわ!」
「そういうもんだって言ってたじゃないか!」
「お前のはダメだ! 好きに生き過ぎだ!」
「嫌だ! 終わる!」
「ダメだ! 引き延ばせ!」
しばらく2人はぎゃあぎゃあと言い争っていた。やがてお約束通り、藍がフラフラと夕陽に向かって走り出し、この物語は終わった。




