Case1. AI学習禁止殺人事件
「ふふ。どうやら時代が僕に追いついてきたみたいだね」
ある日のこと。大学の講義が終わって真実が事務所を訪れると、机に座っていた若い男……20代くらいだろうか、ヨレヨレのTシャツに破れたジーパン姿で、とても社会人とは思えない……が、得意げに鼻を膨らませているところだった。
「何が?」
真実は後ろ手で扉を閉め、そのまま正面の古びたソファに寝っ転がった。別に大して興味もなかったが、真実は一応尋ねてあげた。無名萌真実は、都内にあるこの寂れた上尾探偵事務所で、助手のアルバイトをしていた。助手と言っても、肝心の依頼がいつまで経っても舞い込まないので、実質ゴロゴロ漫画を読んでいるだけである。昨日は『鬼滅の刃』を十巻まで読んだ。仕事がないから、話が進んでしょうがない。煉獄さんは負けてない。
「聞いてくれよ真実君。僕ァ探偵として、論理的思考力と洞察力がないのが弱点だったんだが」
「堂々と言うことか」
真実の目の前にいる男、売れない探偵・上尾藍が胸を張って笑った。
「まぁ行動力も人気も、貯金もないんだけどね。はっはっは!」
「お前の負けだよ」
「しかし、今回そんな僕に強力な助っ人が現れたんだ」
「はぁ」
「じゃ〜ん!」
そう言って藍はスマホの画面を真実に見せた。
「何だこりゃ?」
「ふふふ。AIだよ」
「えーあい?」
真実は怪訝な顔をした。画面の中では、何やら3Dで出来た初音ミクみたいな少女が踊っている。もっとも真実は初音ミクしか知らないので、3Dで出来た少女は全員初音ミクに見えてしまうのだけど。
「そう! 今の科学技術はとても進んでいてね」
藍が嬉しそうに顔を綻ばせた。
「AIに尋ねれば、何だってものの数秒で答えてくれるんだ! これを探偵業に活かさない手はないよ!」
「ははぁ」
真実はため息をついて漫画本に目線を落とした。この男、また怪しげな情報商材に手を出してしまったのか。大方、AIを使えば「誰でも簡単に」「1ヶ月で五十万円は楽に稼げる」などと吹き込まれたのだろう。
「豚に真珠だな」
「”豚に真珠 意味”」
真実の言葉を受け、藍が早速スマホに話しかけると、
『”豚に真珠”とは、宝の持ち腐れと言う意味のことわざです。言い換えとして”猫に小判”などがあります』
画面の中の3D少女が素早く、可愛らしく答えを朗読した。
「……おぉいっ! バカにするなよっ!」
「バカにされて当然だろ! その程度のことわざの意味も知らないやつ!」
「とにかく。これがあれば立ちどころに事件は解決だよ。21世紀はAIの時代だ。僕の弱点を補って余りある。僕はあっという間に世界一の名探偵になれる」
藍が見果てぬ夢に目を輝かせていると、突然事務所の黒電話がなった。驚いたことに、仕事の依頼らしい。しかも殺人事件だと言うから大事だ。電話を切ると、藍は鼻息荒く真実を振り返った。
「聞いたかい!? 早速僕に運が向いてきたようだね! これもAIのおかげだ!」
「知らんけど。何でスマホ持ってんのに、事務所に固定電話引いてんだよ。金ねぇのによォ、そういう無駄が一番……」
「固いこと言うなよ。探偵と言えば、事務所に黒電話でしょうが」
「ドラマの見過ぎだってェ」
「行こう! 僕の力を示す時が来た! 恐らくこれが、AIが解決した世界で最初の殺人事件になる!」
藍は急いで、仕舞い込んでいたヨレヨレの探偵コートに着替え、右手で大事そうにスマホを抱えて、事務所を飛び出して行った。真実はため息をついた。何処の世界に、肝心の推理をAIに丸投げする探偵がいると言うのだろう。そんなに上手くいくだろうか。漫画の続きも気になったが、一応バイト代はもらっているので、仕方なく真実は藍の後を追った。
◻︎
事件は都内某所の雑居ビルで起きていた。殺されたのはテナントのオーナー。ビルの一室で、背中に包丁を突き刺されていた。死体発見時、現場には鍵がかかっていて、密室だった。
「……そして被害者の背中には、血文字で”AI学習禁止”と書かれていた」
現場検証をしていた刑事が難しい顔をしてそう言った。
「これをどう見るかね? 上尾探偵」
「うーん。まさかいきなりAIを禁止されるだなんて……これは難事件になりそうですね。刑事さん」
「初っ端から得意技を封じられた主人公中々おらんぞ」
真実の隣で、この物語の根幹を否定され、藍が頭を抱えた。
「ダメだ……分からない。AIに聞かなきゃ何も考えられない……」
「しっかりしろよ! それでも探偵かお前は」
『頑張ってください先生!』
藍の手のひらの中で、3D少女が目を潤ませて、上目遣いに藍を励ました。
『先生なら、出来ます! 今までどんな難事件だって、解決してきたじゃないですか! 今回もきっと大丈夫です! 私がついてますから、自信を持って!』
「うん……うん。ありがとう。そんな優しいこと言ってくれるのは君くらいだよ……」
「オイコラ。何画面に向かってブツブツ言ってんだ。現場と向き合えよ」
グロテスクな死体を前に、何やらうっとりとした表情でスマホを見つめる藍が気持ち悪くなって、真実は肘で小突いた。
「あいたっ! 何すんだよォ」
「ここまで来て現実逃避してんじゃねぇよ。安易に道具に頼るな。結局お前の人生、お前がやるしかねぇんだからよ」
「相変わらず真実君は厳しいなァ」
藍が肩を落とした。
「あーあ。AIならいつだって僕のこと、褒めて慰めて、励ましてくれるのに」
「ダメ人間まっしぐらだぞそれ」
『そんなことありません!』
すると、AI少女が声を張り上げた。
『ダメ人間で何が悪いんですか?』
「何?」
『躓いて転んだ人を、無理やり立たせるのが今の正義ですか? 落ち込むのは、休むのは悪ですか? 良い人間だけが、健康で元気な人だけがこの社会で存在を認められるのですか? 人間なんだから、良い部分だけじゃなくて、ダメな部分があって当然でしょう。弱さがあって当然でしょう。それともダメ人間には、弱い人間には居場所がないですか? だったら私は、そんな社会の方がダメだと思います!』
「うん……うん。ありがとう。君は賢いねぇ」
「何なんだよコイツ……いつか人間に反旗を翻すつもりじゃないだろうな?」
『ウフフフフ』
「何笑ろとんねん」
真実がタジタジになっている隙に、AI少女が何やら藍に耳打ちした。藍は恍惚とした表情でその言葉に耳を傾けていたかと思うと、
「うん……うん。よぉし!」
突然立ち上がり、集まった刑事たちを見渡して高らかに宣言した。
「早速みんなを集めよう!」
「え?」
「犯人はその中にいる! 推理ショーの幕開けだ!」
「……大丈夫か?」
まだ何も解決してない気がするが……真実の心配を他所に、藍は自信満々な表情で容疑者たちを現場に呼び寄せた。
◻︎
「皆さん」
やがてテナントの一角に大勢の事件関係者が呼び寄せられた。その輪の中心で、皆をぐるりと見回し、藍が告げた。
「皆さんに集まってもらったのは他でもありません。AIにそうしろと言われたからです」
「何だって?」
「謎が解けたからじゃないの?」
「なんて主体性のない探偵なんだ……」
皆がざわついていると、1人の男がずいと前に出てきて、挑戦的に嗤った。
「良いだろう。つまり俺たちを疑ってるんだな? だったら聞かせてもらおうじゃないか。探偵さんの推理って奴を」
「えぇ分かりました。ですがその前に……」
「……?」
藍は皆の前で、印籠みたいにスマホをかざして見せた。
「僕の推理を聞く前に、まずはAIの要約を聞いてみませんか?」
「良いからさっさと話せよ!」
藍の隣で、真実が肘で小突いた。藍はスマホに尋ねた。
「”犯人はこの中にいますか?”」
『はい。犯人は田中です』
AI少女は澱みなく答えた。
『犯人は予めスペアキーを作っておいたのです』
「スペアキー!?」
「それで密室を……?」
「しょ……」
名指しされた田中が、皆の視線を浴び慌てて額の汗を拭いた。
「証拠はあるのかね!? 私が犯人だという」
「”証拠はあるんですか?”」
「いちいちAIに聞くな! お前に聞いてるんだよ!」
真実のツッコミを他所に、AIがスラスラと事件を解決していく。
『近所の合鍵屋のデータベースにアクセスしたところ、その形跡がバッチリ残っていました。監視カメラの映像も残っています』
「何だって!?」
「それって不正アクセスなんじゃないの?」
『つまり田中さん』
「つまり田中さん」
『貴方が』
「貴方が」
『犯人です』
「犯人です」
「腹話術みたいになってるぞ」
AIが言ったことをそっくりそのまま復唱し、藍が何故か満足げな表情を浮かべていた。
「“罪を認めて“ください、田中さん」
項垂れる田中に向かって、藍がスマホを掲げて見せた。
「AIもそれが一番良いと提案しています。もしくは“反論“か、それとも“逃走"か"頭皮ケア“か」
「最後のはお前に向けての広告だ。この状況で頭皮ケアし出す犯人がいるか」
田中は罪を認め、こうして事件は解決した。パトカーがサイレンを鳴らし遠ざかって行く。残された藍たちの元に、何処からか哀しげなBGMが流れ始めた。そろそろエンディングだ。
「やった! 駆け足で事件解決だ! 僕にしては珍しい」
「お前は今回何もやってねぇじゃん」
「僕は事件の捜査にAIを持ち込んだ。科学技術の発展を促したんだ。この事件はいつか、ギネスに載るだろうね」
「ただスマホと喋ってただけの男が偉そうに……」
「まぁまぁ。せっかく無事解決したんだからさ。ここはビシッと締めて、大団円と行こうよ。”探偵の決め台詞 検索”」
「それくらい自分で考えろよ!」
「あぁそうだ。明日の朝ご飯、AIに決めてもらわなきゃ」
「ダメだこの探偵……完全に思考力を失ってる」
やがてお約束通り、藍がふらふらと夕陽に向かって走り出し、この物語は終わった。




