悪辣令嬢は自由に生きる
「あれ、ガーランド女伯爵……? どうして悪辣令嬢の取巻きなんか」
「いや、ブランチェッタ家の後援を受けて爵位を取り戻したそうだから……」
二ヶ月ほど休学していた悪辣令嬢ロクサーヌ・ブランチェッタが学園へ復帰した。
以前から存在感のあった彼女だが、今日は久しぶりに見た姿だけでなく、その取巻きにも注目がいく。
若く、学生でありながら女伯爵となったシルビア・ガーランド。
家族から虐待を受けていたが、家を出て離籍すると噂の侯爵令嬢リリーナ・マルシェ。
以前、学園の名だたる高位貴族令息たちにやたらと絡んでいた愚かな子爵令嬢。
学園の生徒たちが初めて見る、ピンクブロンドの髪の無表情な少女。
見た目の良さだけでなく、何かと噂のあった者たちだ。
とてつもない存在感を放っている。
彼女たちが揃っているだけで、これから何か事件が起きるのではないか、そう思わざるをえない。
学園に来て、ただ生活しているだけでも彼女たちは目を惹く。
それでいて噂の悪辣令嬢ロクサーヌが中心に居るため、話しかけるに話しかけられなかった。
ただ、近くに居て彼女たちのやり取りを盗み聞きしたり、或いは遠巻きに彼女たちを眺めては噂話をするばかり。
「リリーナ様、侯爵家を出たそうだけど学園には在籍されたままなのね?」
「ブランチェッタ家の、ロクサーヌ様付きの侍女になったという噂だけど……」
「侯爵令嬢が同格の侯爵令嬢付きの侍女なんて、と思っていたけれど。むしろ伯爵家以下の家に奉公へ出るより、よほど恵まれているわね」
「ああいう家庭の事情だったのですもの。それに見て、リリーナ様のあの笑顔。以前よりよほど明るいわ」
「そうね。以前の彼女は近寄りがたい雰囲気だったけれど、ブランチェッタ家に移って解放されたみたいね」
「……今の彼女ならお近付きになりたいものだけど」
しかし、リリーナ・マルシェが一緒に居るのはロクサーヌ・ブランチェッタ。
噂の悪辣令嬢なのである。
とても近付く勇気が持てない。
「シルビア様もまぁ、随分と変わられたわね」
「ええ、彼女は今やガーランド女伯爵ですもの。身分としては令嬢に過ぎないロクサーヌ様より上とも言えるけれど……」
「ガーランド伯爵家は寄親をブランチェッタ家と定めたのでしょう? それでは逆らえないでしょう。それにご本人の様子から、あれはロクサーヌ様と何かあったのじゃない?」
「……そうね。あれは嫌々、ロクサーヌ様に従っている様子じゃないわ」
シルビアもリリーナも身分や立場があってもロクサーヌに敬意を抱いている様子だった。
悪辣令嬢の噂は学園ではかなり広まっている。
ロクサーヌ自身も態度を改めた様子はない。
休学中、淑女教育をやり直していたなんて噂もあったが、見る限り休学前から変わった様子もない。
それでもシルビアやリリーナのような人物には慕われている。
ということは、彼女は身内には優しいのだろうか。
貴族である以上、敵に容赦がないことだけでは一概に悪とは言えない。
それに加えて懐に入れた者には優しいというなら、むしろロクサーヌの身内になる方が得とも言える。
「あちらの子爵令嬢は一時期、殿下たちにやたらと絡んでいた方じゃない?」
「確かにそうね。いつの間にか見なくなっていたけれど、退学したワケじゃなかったのね」
「どうしてあのグループと一緒に? 彼女はあまり楽しくはなさそうだけど」
「侯爵令嬢二人に若き女伯爵よ? あんなグループで子爵令嬢の立場なんかあってないようなものじゃない」
「そうね、それに彼女って特に優秀なんて話もなかったわよね」
「ええ、一時期話題になっていたから知っているけど、そのはずよ。むしろ、何か優秀な面があるなら殿下たちの関心を得たのも納得だったのだけど」
ロクサーヌたちを遠巻きに見ながら噂話はどこまでも続く。
「もしかして彼女、ロクサーヌ様に喧嘩を売りに行ったんじゃない?」
「……あり得るかも。彼女、おかしな言動ばかりしていたものね。落ち着きがないっていうか。注意をされても聞く耳持たないような人だったのだけど」
「あの調子でロクサーヌ様に絡みに行って返り討ち? ふふ、こう言っては何だけど、いい気味ね」
話題は無表情な少女に向かう。
「あちらの方はロクサーヌ様の侍女かしら?」
「そうみたいね。可愛らしい見た目ではあるのだけど……」
「表情が死んでいるわね。あの方だけなら噂の悪辣令嬢の侍女と納得してしまうわ」
「でも、リリーナ様とシルビア様がねぇ」
そうして、学生たちの話題の中心はロクサーヌたちである日々が続いた。
そんなある日の午後、ランチの時間でいつものようにロクサーヌたちのグループが、ロクサーヌを中心にして他愛もない日常会話を楽しんでいたところ。
「ロクサーヌ・ブランチェッタ侯爵令嬢。妙なアピールはやめてくれないか」
ロクサーヌたちのグループに、別のグループが話し掛けていた。
それは王太子とその側近たちのグループだ。
「あら、王太子殿下。ごきげんよう。突然どうされました? 妙なアピールとは?」
ロクサーヌは急に因縁を付けられたことにも動じずに返す。
それでいて、その視線は王太子ではなくそばに居る子爵令嬢に向けられた。
子爵令嬢はロクサーヌへ向けて首を横に振る。
「そちらはフィリス・マクダレン子爵令嬢だな。以前まで我々の周りを嗅ぎ回っていた令嬢だ。あれらの行動はブランチェッタ嬢の差し金だったというワケだ」
ロクサーヌは『ああ、そうなるのかしら?』などと呑気な台詞を吐きながら、紅茶のカップを優雅に口元に運ぶ。
マクダレン子爵令嬢は王太子の言葉に顔面蒼白になり、首を横に振っていた。
「とにかく、やめてくれないか? ブランチェッタ嬢」
「何をでございましょう、殿下」
「決まっているだろう? 私とブランチェッタ嬢が縁を結ぶことはない。キミの今までの素行を分かっているのなら当然だろう? 私たちが婚約することはあり得ないし、私がキミを妻に迎えることなどない!」
王太子がそう宣言し、周囲がざわめく。
側近たちはそんな王太子を特に諌めることはなかった。
「私と殿下が婚約ですか? 聞いておりませんが。そんな話が上がっているのかしら」
「白々しいな、ブランチェッタ嬢。キミの最近の噂から分かりきったことだ。今更、淑女教育をやり直しているだとか。ガーランド女伯爵や、マルシェ侯爵令嬢など、立場の弱かった彼女たちの弱みに付け入り、懐柔して、さも人望があるように振る舞って。そんなことを今更したって私の婚約者になることなど出来ない。今日はそれを言いに来たんだ。そしてキミのくだらない茶番に彼女たちを巻き込むのはやめたまえ」
王太子はそう言い切る。
側近たちは、うんうんと頷いて同調し、そしてロクサーヌを睨み付けた。
「……ふぅん」
ロクサーヌは侍女に視線を向けた。
「らしいわよ、アリア。貴方、こんな思い込み爆発男と結ばれたかったの?」
「…………」
アリアは無表情のままだ。
「おい、今私のことを何と言った? 不敬だろう!」
ロクサーヌは王太子の言葉には取り合わず、たった一言を返す。
「私、婚約していますわよ」
「は?」
王太子は一瞬、言われている意味が分からなかった。
「王太子と婚約? バカバカしくてよ。既に別の男性と婚約していますのに」
「それは……! 確か、破談になったという話だろう!」
「なっていませんわ。ああ、以前、婚約解消した伯爵令息のことでしたら、そちらではありませんわ。その伯爵令息とは別の方と既に婚約しております」
「な……」
「幸い、ブランチェッタ家を継ぐのはお兄様がおりますから。私、嫁いで家を出ますの。王太子と婚約や結婚なんて無駄なことをしている暇、ありませんわ」
「む、無駄……」
王太子はロクサーヌの言葉に動揺する。
「う、嘘だろう。悪辣令嬢に新たな婚約なんて」
「嘘なんか吐いてどうしますの? 実際、卒業すればすぐに嫁ぎますので、私の言葉が真実であることなどすぐに分かりますわ」
「し、しかし、年頃の高位貴族令息の誰と縁付いたとも聞いていないぞ……!」
「それはそうでしょう。私が嫁ぐお相手は平民ですもの」
「平民!?」
王太子一行だけでなく、周囲の人々も驚愕する。
あのロクサーヌ・ブランチェッタが、悪辣令嬢が王族でもなければ、公爵家でも侯爵家でもない。
それどころか貴族でさえない平民に嫁ぐなんて。
「ど、どこの誰だ!?」
「何故そこまで殿下に話さねばならないのでしょう? そもそも、ありもしない言い掛かりを付けてきたことをまず謝罪していただけます? 婚約者の居る身の私に対して、随分と失礼な言葉でしたわ。王太子殿下、思い込みで人を糾弾するなどと王族にあるまじき行為ですわよ。まして私が? 貴方と婚約? お断りですわ、そんなの!」
「うぐ……」
王太子は自分の失言を悟り、恥ずかしさと屈辱で真っ赤に表情を変えた。
「確かに王家からブランチェッタ家にそのような打診がありましたわ。あくまで王家から、ね?」
「……! やはり!」
「でも、それはキッパリ断りましたの。王太子殿下との婚約なんて絶対にお断りです、ってね」
「な……!」
王太子は、さらに真っ赤になってロクサーヌに怒鳴る。
「キミは! 私との、王太子との婚約を断ってまで、わざわざ平民に嫁ぐのか!?」
「ええ、その通りですわ」
「〜〜〜〜!!」
「で、殿下……」
赤っ恥をかかされた。もちろん、それは王太子の自業自得であり、自爆なのだが。
婚約する相手が一人もおらず、その挙句に平民に嫁ぐことが決まったなら、それはロクサーヌの凋落と言えた。
しかし、王家からの婚約の打診を、それも王太子との縁談を断ってまで嫁ぐとなると話が変わってくる。
あの悪辣令嬢ロクサーヌが、まさか純粋な愛の道を選んだのか。貴族であるすべてを捨てて?
「……どこの誰だ。その平民というのは」
「聞いてどうされますの?」
「把握しておくべきだからだ。それにキミは分かっているのか? いくらブランチェッタ家の令嬢とはいえ、平民に嫁いだ娘をいつまでも庇うほどブランチェッタ侯爵は甘くない。キミはすべてを失うし、これから貴族たちを見上げて生きるしかなくなるんだぞ」
もし、ロクサーヌがこれまでの生活を捨てられないのなら最早、王家に嫁ぐしか道はない。
既に王家から打診があったと周知されたからだ。
故にここでの発言は、これからの彼女の人生を決める。
「承知の上ですわよ」
「……それほどまでか。そんなに平民に、いや、平民が相手なのに嫁ぎたいのか」
あのロクサーヌ・ブランチェッタが。
あの悪辣令嬢が。
政略ではなく、愛の道を選んだ。
王太子は、どこからきているのか分からない、強い衝撃を受ける。
「しかし、キミが平民に落ちぶれて、黙っている者ばかりではないと……思うが……」
悪辣令嬢が平民に落ちたなら。
報復を考える者は多く居るはずだ。
まして愛を求めて平民に嫁ぐだなんて。
その相手ごとどうなるか分からない。
「落ちぶれる? ふふ、何をおっしゃいますやら」
「……何だ?」
そこでロクサーヌはニィィッと悪辣な、凶悪な笑顔を浮かべた。
「!?」
ビクリと震えて驚く王太子と側近たち。
「先程、殿下は私の婚約者がどんな相手かと聞かれましたわね? では、お答えしておきますわ。私のお相手は……帝国のバールメント商会の会長ですわ!」
「帝国の……バールメント商会……? 会長……!?」
バールメント商会といえば、王都でも最大手の商会だ。
隣国である帝国に本店があり、かなりの王国の人々の生活に影響がある特大の商会。
下手をすれば筆頭侯爵家より王国全土に影響力を持っている。
王族でさえ本店の人間、会長ともなれば蔑ろには出来ない。
バールメント商会と諍いを起こせば、経済的な悪影響が計り知れないからだ。
また、それだけではなく。
「待て。待て待て、バールメント商会の会長、それは……!」
「ふふふふ」
「帝国皇帝の弟君を祖父に持つ者だろう、確か!?」
「ええ! その方ですわ!」
「どこが平民だ!? 皇族じゃないか!」
「あら、平民ですわよ。お祖父様は継承権を放棄しておりますし、お義父様はれっきとした平民男性。故にその子も大商会の会長といえど、平民です」
「でも、明らかに現帝国皇族とも縁があるだろう!」
「それは……企業秘密ですわ」
「ふざけるな、どうやって、いつ、そんな相手と知り合った!?」
王太子は動揺のあまり言葉遣いが荒くなっていたが、ロクサーヌは気にしない。
「偶然、侍女に雇ったこのアリアですが。偶然、アリアの地元に遊びに向かいましたところ、偶然そこでお忍びで遊びに来ておりました先方と出会うことになり、偶然、彼が抱えている問題を解決する術を私が知っていて、偶然、上手くいきましたところ、縁が結ばれた次第ですわ」
嘘だ。
絶対に偶然ではない。
誰もがそう思った。
ロクサーヌは絶対に、その相手を狙ったのだ。
しかし、どうやって?
ブランチェッタ家の情報網は帝国にまで及んでいるのか。
あらゆる意味で、ますますブランチェッタ家もロクサーヌも敵には出来なくなった。
そのことを理解し、王太子一行も学生たちも戦々恐々とする。
「さぁ、それでは。そろそろお開きとしましょう。王太子殿下、それから側近たち。気分がいいので、つまらない言い掛かりを言われたことは問題にはしませんわ。ですが……ふふ。貴方たちの望んだ女性がもし、私の『友人』たちの中に居るのなら。その時は、しっかりとこの私が見極めさせていただきますわね?」
王太子ではなく側近たちがその言葉に動揺する。
彼らには、リリーナやシルビアと婚約する予定があったが……彼女たちの状況が変化したことで有耶無耶になっていたのだ。
ロクサーヌを排除した後、改めて彼女たちと婚約の話に持っていきたかったのだが……それは決して叶わなくなった。
その場から立ち去るロクサーヌたちを見送るしかない王太子一行とその他の生徒たち。
悪辣令嬢と呼ばれた彼女は、これからも自由気ままに生きていくのだ。
「まだまだ、これからも人生を楽しめそうですわ」