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親に愛されない娘

 ブランチェッタ侯爵令嬢ロクサーヌの悪評は広く知れ渡っている。

 最近では、ようやくそのことを反省でもしたのか。

 彼女は学園を休学して一ヶ月ほど、王都にある邸宅で淑女教育を受け直しているという。


 外での評判とは真逆で、まるで大人しい、おどおどした態度を教師の前で取っていたと噂されている。

 今までの評価とはあまりにも違うその噂をまともに信じる者は居なかった。

 それこそブランチェッタ家が秘匿する禁術で『魂の入れ替わり』でもして別人にならない限り。


 だからこそ、またロクサーヌが表舞台に立った時の態度が変わっていたら、それは入れ替わった別人だろう。

 そんな風に囁かれた。


 そんなロクサーヌが表舞台から姿を消していた一ヶ月の間、新たに話題になった出来事といえばガーランド伯爵家のお家騒動だ。

 伯爵位を正式に有していた女主人が亡くなり、女主人の入婿だった彼女の夫君が伯爵代理となっていた。

 しかし、長く伯爵代理は後妻とその連れ子を優遇し、正当な次代伯爵であるシルビア・ガーランドを虐げていた。


 虐げられていた彼女は、なんとブランチェッタ侯爵家を後見人とし、実父に反旗を翻したのだ。

 そうして、あっという間に彼女は伯爵位を奪い、学生でありながらもガーランド女伯爵となった。


 貴族社会では、そんな風に日々、様々な出来事が起こる。

 話題に事欠かないブランチェッタ侯爵家以外の家でも同じことだ。



「……私も噂の悪辣令嬢みたいに自由に生きられたらな」


 自室で一人、そう呟いたのはリリーナ・マルシェ侯爵令嬢だ。

 しかし、それも名ばかりで彼女は家での立場は最悪だった。


 リリーナには父親と二人の兄が居る。

 母親はリリーナを産んだ後、すぐに亡くなってしまった。

 そのことが彼女の人生を暗いものに変えたのだ。


 リリーナの父親は妻を愛していたし、二人の兄は母親のことが大好きだった。

 愛され、望まれて生まれてくるはずが、リリーナは『母親を殺して生まれた悪魔』と憎まれることになった。

 最低限以下の環境で、家族から憎まれながら彼女は今まで生きてきた。


 暗く塞ぎ込みがちな彼女は、他家と交流することもなく、かろうじて学園に通うことになっても誰も近寄らない。

 侯爵令嬢でありながら、家の支援がほとんどない彼女は周囲からも見下されていた。


 それでも彼女が特に学園などで貶められないのは、家格もさることながら同年代に噂の悪辣令嬢ロクサーヌが居たからだ。


 何か良くない事件が起きた時、濡れ衣を着せられるのはリリーナではなくロクサーヌだった。

 加えてロクサーヌは気まぐれなのか、計算なのか、いじめを受けていた男爵令嬢を救ってみせたことがある。


 その後、いじめを行っていた者たちは地獄を見る羽目になり、彼女の目的が『救済』というよりも、合法的な他者の迫害ではないかという話になったのだが。


 とにかく、悪女と呼ばれるには目立つロクサーヌが同年代に居るため、リリーナがいくらみくびられがちな環境や性格をしていても、標的にはなりづらかったのだ。


 リリーナをいじめていれば、かつてロクサーヌの目に付いた者たちのようなことにもなりかねない。

 そういった事情もあり、リリーナは今まで寂しくはあるものの、どうにか平穏な学園生活を送っていた。

 だが、それにも終わりがやってくる。


「……お父様、リリーナです」


 リリーナは父親に呼び出されて、彼の執務室へ来た。

 父親に呼び出される時は決まって理不尽な怒りと憎しみをぶつけられる。

 そのことが分かっていても、いつか家族が自分を見てくれるのではないか、愛してくれるのではないかと願ってしまうリリーナ。


(そんなこと、あり得ないのにね……)


「さっさと入れ」

「……はい」


 驚いたことに執務室の中には二人の兄たちも揃っていた。


「……お前、学園で何をした?」

「え? な、何も……」

「嘘だな」


 ピシャリとリリーナの言葉を遮る長男。


「そうだ、お前、あの悪辣令嬢に目を付けられるような真似をしたんだろうが!」

「え? え? 悪辣令嬢……ロクサーヌ様?」


 一体何のことなのか、リリーナには全く分からない。


「お前を指名して、ブランチェッタ侯爵令嬢付きの侍女として仕えるようにとブランチェッタ侯爵家が手紙を寄越してきたのだ」

「え? それは一体」

「知ったことか」


 ぐっ、と唇を噛むリリーナ。


「大方、お前が学園でブランチェッタ嬢に粗相でもしたのだろう。随分と強気な手紙を送りつけてきた。同格の侯爵家だというのに、お前のせいで我がマルシェ家はみくびられているのだ!」

「そ、そんな……」


 リリーナにはまるで心当たりがない。

 だが、この家族にそんなことを言っても。

 リリーナはもうすべてを諦めるしかなかった。


「今すぐにブランチェッタ家へ行くがいい」

「え? 今すぐですか?」

「そうだ。迎えが来ている。……悪魔め。どこまでも忌々しい」

「そんな……」

「ハッ! 噂の悪辣令嬢に拷問でもされて、そのまま死ねばいいんだ、お前なんか」


 次男の憎々しげな声を聞く。

 結局、温かい言葉の一つもかけてもらえず、家族に憎まれながらリリーナは同格のはずの侯爵令嬢に仕える侍女として送り出された。

 彼女を見送る使用人も居ない、寂しい出立だった。



 リリーナが侍女としてブランチェッタ家へ向かってから一ヶ月後。

 彼女は、ブランチェッタ家の護衛と侍女付きで、マルシェ家の屋敷に突如、帰宅した。

 手紙などは事前に送っていなかった。


「旦那様、リリーナお嬢様がご帰宅されました」

「……何? まさか、仕事を放り出して逃げ出してきたのか!」

「それは……分かりませんが」

「今すぐにアレを執務室へ呼べ!」


 侯爵はそう侍従に怒鳴りつける。

 だが、しばらく待っていてもリリーナは現れず、代わりにメイドがやってきた。


「だ、旦那様、その。リリーナお嬢様の様子がおかしいのです……」

「……どういう意味だ?」

「いえ、その、まるで別人のようで、その。言伝も預かっていますが、とても口に出来る言葉ではなく……」

「言伝だと? 私はアレに執務室に来いと言ったのだ」

「……その、リリーナお嬢様が」

「何だ」

「『用があるならば、そちらが来い』と……」

「何だと!? ふざけるな!」

「ひぃ!! リリーナお嬢様が! お嬢様がおっしゃったのです!」

「あの悪魔め、よくも! 他に何か言ったのか!? 口に出来る言葉ではないと言ったな!」

「う、それは……私の口からは。どうか、ご容赦を、旦那様」

「言え! 命令だ!」


 メイドは涙目になり震えながら、リリーナの言伝を告げる。


「『性欲に負けて抱いて妻を死なせた、妻殺しの罪人風情が』……と」

「────」


 マルシェ侯爵の怒りは限界を超え、その勢いのまま、リリーナの部屋へと向かった。


「リリーナァ! 貴様、よくも!」


 ドガァッ!


「ぎゃっ!」

「!?」


 侯爵がリリーナの部屋の前へ辿り着くと、開いていたその扉から次男の身体が吹っ飛んできた。


「は……?」

「あら、来ていたの。妻殺しの悪魔が」

「なっ……」


 一目見て、リリーナがかつての彼女とは違うと分かった。

 大人しく、今にも消えそうだった儚い娘ではない。

 堂々と立ち、かつてはなかった自信に満ち溢れた姿。

 それは、かつて生きていた頃のマルシェ侯爵夫人にも劣らないものだった。


「リリーナ……なのか?」

「気色悪い」

「!?」


 ピシャリと言い切られた。

 その言葉は確かにリリーナの口から出たものだ。


「名前で呼ばないでくださる? 妻殺しの性欲猿が」

「なっ……」

「出産の危険性も理解せず、既に男子が二人も生まれているのにさらに子を望み、挙句にそれで妻を死なせたクズ。その上、産後の肥立の悪さでの死を、生まれた娘に押し付けて、のうのうと被害者面を続けた最低の汚物。それがお前でしょ? マルシェ侯爵」


 ひゅっと息を呑んだのはその場に集まった使用人たちか、侯爵か。


「う……ぐぅ、リリーナ、お前っ」

「あら、情けないお兄様。弱い妹を虐げることしか出来ない無能のくせに、もう立ち上がれるのね?」

「ぐっ、この」

「これは何の騒ぎですか、父上! リリーナ……!?」


 そこに遅れてやってくる長男。


「ああ、揃ったわね。生まれてきたのが間違いの兄弟が」

「は?」

「お母様を死なせたのが、生まれてきた子供のせいなら、それはお前たちのせいでしょ? アンタたちが先に生まれてさえなければ、お母様は死ななかったのよ。ね? お兄様たち、今すぐ死んでいただけます? お母様を死なせた罪悪感もありませんの?」

「な、それはお前、」

「私が悪いワケないじゃない」


 ピシャリと断言し、長男の言葉を遮るリリーナ。


「生まれたばかりの赤ん坊が、母親殺し? そんなワケないでしょう。よくもまぁ、のうのうとそんな言葉を今まで吐けていたわね? 呆れて物も言えないわ、クズ共が」

「な、な、なっ……!」


 ほんの一ヶ月前のリリーナ・マルシェと同一人物とは思えない言動。

 明らかに様子がおかしい、まるで別人のような。


「ああ、これだけは言っておくわね。私はリリーナ。本物のリリーナ・マルシェよ。これ以上、貴方たちに都合のいい話に事実をすり替えないでくださる?」

「う、ぐ……」


 本当に、目の前に居る彼女が、あのリリーナなのか。疑ってしまう侯爵家の者たち。

 だが、しかし。


「それはそうと、マルシェ侯爵? 私、今日はこの家から出るつもりで来ましたの。こちら、王家が承認済みの離籍証明ですわ」

「は?」


 リリーナが取り出したのは公式の書類。

 マルシェ家からリリーナの籍を抜くためのものだ。


「な、何を言っている?」

「妻殺しと話す言葉なんて持ち合わせてないわ。私の署名はしていますので、そちらで提出していてくれますか、マルシェ侯爵閣下」

「り、リリー……」

「私、この家にはもう戻りませんので。ああ、残ったドレスは捨ててもらって構いませんわ。最低限の物は回収しましたので。ふふ、荷物が少なくて準備が楽でしたわ」

「あ……」


 言いたい言葉だけを残し、リリーナは護衛を連れて、マルシェ家を後にする。

 家族の誰もが呆然としたままリリーナを止めることが出来なかった。


 残されたのは既にリリーナの名が署名された離籍証明。

 マルシェ侯爵はその後、離籍証明を提出せず、何度もリリーナに会おうとするが彼女に会うことは出来なかった。


 その内にマルシェ家の内情はどんどん広まっていくことになる。

 亡くなった妻の遺した娘を悪魔と蔑んだ虐待家族。

 彼らは社交界でも立場を失くし、落ちぶれていくことしか出来なかった。



 そして、ブランチェッタ家では。


「どうして私を助けてくださったのですか、ロクサーヌ様」

「貴方、アリアのライバルらしいわよ? シルビアも一緒に仲良しグループを作るらしいわ」

「アリアさんの?」


 リリーナは、ピンクブロンドの髪の無表情な侍女を見る。

 相変わらず何を考えているか分からない様子だ。

 同じ侍女だがライバルと呼ばれてもリリーナには意味が分からない。

 それにガーランド女伯爵は一体何の関係があるのだろう。


 何にせよ、リリーナはロクサーヌに意識を変えてもらった。

 今の自分の方がリリーナは好きだ。

 それに『悪女』になるのも悪くない。


「ふふ、私もよく知らないけど、どうせだからコンプリートしてみたくてね」

「はぁ。意味はよく分かりませんが、これからも誠心誠意お仕えさせていただきます、ロクサーヌ様」


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まったくもってロクサーヌお嬢様の言う通り!!! 今まで出産後に母を亡くした子が『母親殺し』と呼ばれる作品を見る度に思っていたことをすべてロクサーヌ様が仰って下さいました! 出産が亡くなった理由ならそ…
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