可哀想な伯爵令嬢
「何? ブランチェッタ侯爵令嬢がシルビアに会いに来ただと? 一体何の用だ!」
ガーランド伯爵は突然の来訪者に驚き、腹を立てた。
ブランチェッタ侯爵令嬢ロクサーヌは、最近の王都で悪辣令嬢と呼ばれている女性だ。
王太子やその側近である高位貴族令息たちに愚かにもすり寄っていた子爵令嬢を呼び出し、自らの手で打ちのめしたらしい。
その子爵令嬢は、そのままブランチェッタ侯爵令嬢付きの侍女になったとか。
さらに学園を退学させられたという話も聞く。
問題の子爵令嬢が表舞台に立つことはもうないだろう。
王太子たちへアプローチした女性を退けたことから、彼女の狙いは王太子との婚約ではないかとも噂されている。
確かに家格だけでいえば、ブランチェッタ侯爵令嬢が王太子の婚約者になっていてもおかしくはなかった。
それでも今そうなっていないのは彼女の素行不良があるからだ。
さらに噂では王太子と縁を結ぶために自らの婚約を破談に追い込んだとか。その相手はその後一切、社交界に顔を見せないまま……。
とにかく恐ろしい上に凶悪な悪辣令嬢、それがロクサーヌ・ブランチェッタ侯爵令嬢なのだ。
「そんな女が何故、シルビアなんかに?」
シルビア・ガーランドは、伯爵の前妻の娘だ。
前妻は数年前に亡くなっており、今は既に後妻を迎えているし、シルビアの『一つ年下』の妹である伯爵と後妻の娘も居る。
そう、伯爵はかつて妻が居ながら愛人を作り、その愛人に子供を生ませていたのだ。
伯爵と前妻の仲は悪く、そういった事情もあり、シルビアはガーランド伯爵家にとって忌むべき存在と成り果てていた。
「チッ、一体何が目的なんだ? だが、要らぬ腹は探られたくない。シルビアにはそれなりの格好をさせておけよ」
シルビアは伯爵家で冷遇されている。
家では使用人のように扱われているだけでなく、その使用人たちからさえ仕事を押し付けられていた。
そんな娘が噂の悪辣令嬢に目を付けられているなんて。伯爵はそう思う。
そうして、ブランチェッタ侯爵令嬢ロクサーヌがガーランド伯爵家にやってきた。
「あら、ごきげんよう、ガーランド伯爵。用があるのは貴方の娘のシルビア嬢だけなのだけど?」
出迎えに姿を見せた伯爵に、ロクサーヌは首を傾げる。
彼女の後ろには無表情なピンクブロンドの髪の侍女と、仕事に不慣れそうな侍女が控えていた。
「……一体シルビアに何の用があって?」
「ふふ、すぐ済みますわ。ご心配なく。では、シルビア嬢を呼んでくださいな」
「呼ぶ?」
「ええ、屋敷に入れてくれる様子ではないから? 呼んでいただければ、そのまま彼女を連れ出してしまうわ」
「連れ出す……などと、いや、応接室へお越しください、ブランチェッタ嬢。すぐにシルビアに向かわせます」
「そ。早くしてね」
「……ええ」
伯爵は偉そうな彼女の態度に『小娘が』と苛立ち、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
彼女自身は、ただの令嬢だ。
まだ婚約者も定まらない、家を出る身の娘。
伯爵がそこまでへりくだる必要はないとも思うが、下手をしてブランチェッタ侯爵まで出てきては困る。
応接室に悪辣令嬢を待たせて前妻の見窄らしい娘、シルビアを向かわせた。
そうして、本当に時間を置かずに。
「用件は済みました。お嬢様はお帰りになられます」
「は、はい……? 早いですな、それに顔色が優れないようですが、シルビアが何か?」
来た時と違って、まるきり態度の異なるロクサーヌがそこに居た。
自らの口で喋らず、怯えたような態度で、伯爵とのやり取りを侍女に任せている。
(何だ? 娘とどんなやり取りをしたら、あの偉そうな小娘がこうなる? どうも様子がおかしい)
「何も」
ピシャリとピンクブロンドの髪の侍女は言い切った。
「お嬢様はお帰りになられます。邪魔をしないように、ガーランド伯爵」
「チッ……侍女風情が偉そうに」
様子がおかしいロクサーヌたちを見送り、伯爵はシルビアに何があったのか問い詰めることにした。
しかし、伯爵が屋敷の中に戻ると。
「きゃああ!」
「今の声は!?」
伯爵のもう一人の娘の声だ。そして、その部屋の方。
慌てて伯爵が駆けつけると、そこには。
「あ、お、お父様! シルビアお義姉様が!」
「あら、まだそんな口が聞けるのねぇ? ホント、躾がなっていないこと」
「ぎゃあ!」
「な……」
伯爵は目を疑った。
大人しく控え目で、伯爵の家族どころか使用人たちからさえ下に見られていたシルビアは、あろうことか怯えられ、妹を跪かせるばかりか、その手を踏み付けている。
「おま、お前、シルビア? 何を、一体何をしている!? その足をどけないか!」
伯爵はシルビアの肩を掴み、振り向かせる。
そのままの勢いでその頬を叩いてやろうとさえした。だが。
「ふふ……」
「ひっ!?」
シルビアは今まで見たことがないような邪悪な微笑みを浮かべていた。
伯爵は思わずその手を引いてしまう。
「し、シルビア……?」
「このガーランド伯爵家は元々お母様のもの。お父様? 貴方、たかが入婿でしょう。ガーランド伯爵を正式に継ぐのはこの私、シルビア・ガーランドよ。さっきね、ブランチェッタ侯爵家が私の後見人になってくれると言ってくれたわ。ええ、ブランチェッタ嬢本人にね? 正式に契約も交わしたの」
「な、なぁ……!?」
伯爵は驚愕する。シルビアの言う通りなのだ。
伯爵は入婿であり、本来の身分は伯爵代理。
シルビアが成人するまでの後見人として、伯爵を名乗っているに過ぎない。
それでも今までは、たかが小娘に過ぎないシルビアなどどうとでも出来ると思っていた。
(なのに……侯爵家がシルビアの後見人に!?)
「私に何かあれば、ブランチェッタ家が黙っていないそうよ? ふふ、伯爵代理? そういうことなの、分かったかしらぁ?」
シルビアは今まで見たことがないような微笑みを浮かべる。
その胸元には見たこともない大きな宝石のペンダントをしていた。
「シルビア、その宝石のペンダントは……」
「ああ、これ? ロクサーヌ様からいただいたの、このシルビア・ガーランドがね。侯爵令嬢からの直接の贈り物だというのに、この小娘が奪おうとしたものだから」
「ぎゃう!!」
シルビアは伯爵の娘の手をまた踏み躙る。
「痛い、お父様、助けてぇ……」
「ぐ、し、シルビア」
「今日からこの家は私がルールよ」
ピシャリと伯爵の言葉を遮るシルビア。
「全員、路頭に迷いたくなかったら一切の反抗をやめなさい? ただ私に従うの。それがこれからの貴方たちの運命。逆らえばどうなるか……ふふ、ふふふふ、あははははは!!」
悪魔のように笑うシルビア。
どこか様子がおかしい。
彼女は、本当に大人しかったあのシルビアなのか。
「う、あ……」
伯爵はその場にへたり込み、変わってしまったシルビアを見上げることしか出来なかった。
それからガーランド伯爵家では苛烈な制裁と報復の日々が始まった。
これまでシルビア・ガーランドが晒されてきた理不尽や横暴のすべてが暴かれ、それに見合った倍の制裁が下される。
伯爵代理でしかなかった伯爵と後妻、その娘は徹底的に痛めつけられ、使用人扱いで家事をさせられた挙句に領地へ押し込められてしまった。
「ふふふふ」
変わってしまったシルビア・ガーランド伯爵令嬢。
そんな彼女が、成人前に正式にガーランド伯爵位を継ぐことになった。
ロクサーヌが現れてから、たった一ヶ月程度の出来事だ。
そうしてシルビアは一人、伯爵の執務室に座って呟いた。
「ああ、楽しかった。飽きたから、そろそろ貴方の身体を返してあげるわね、シルビア・ガーランド」