婚約者、売ります
悪辣令嬢ロクサーヌには沢山の噂がある。
その中でも目立つものが、彼女の婚約者だった者にまつわる噂だ。
王国では婚約を結ぶのは十五歳を超えてからという法がある。
あまりに若い時に婚約を結んでも、その後に結局は上手くいかず、多くの混乱をもたらすことになった歴史があるからそのように定められた。
ブランチェッタ侯爵令嬢であるロクサーヌの縁談もその頃に結ばれた。
しかし、その頃には彼女の悪評が徐々に広まっており、同格以上との良縁を結ぶのは難しくなっていた。
そんな中で決まったのは侯爵家の支援を求める伯爵家の嫡男との縁談だ。
「お前がロクサーヌか。フン、見た目だけはいいようだが……立場を弁えろよ? お前は俺が貰ってやるんだ」
初の顔合わせでそう言ってのけたのがロクサーヌの婚約者となった伯爵令息だ。
「まぁ、ふふふ。かしこまりました」
「フン!」
その後も彼の態度はロクサーヌに対して高圧的なものが続いた。
そうして一年ほど過ぎた頃。
支援があっても元々が経済的に困窮していたような伯爵家だ。
大して持ち直すことも出来ず、また困窮し始めていた。
さらに伯爵令息は支援を受けておきながら思う。
ロクサーヌとの婚約が不満だと。
彼女を捨て置き、愛人でも囲うつもりだったが、それさえも面倒くさい。
どうにかロクサーヌとの婚約を彼に都合のいいように破棄出来ないものか。
その上でブランチェッタ家から慰謝料をせしめて金を手に入れられれば。
そう考えて企てたのが、ロクサーヌを傷物にすることだ。
婚約者の名でロクサーヌを誘い出して、金払いのいい者に売り払う。
その上で彼女が傷物になったことを責めて、侯爵家から金を得るのだ。
「ははは、我ながら良いアイデアだ」
そうして準備を進めた伯爵令息だったのだが。
「ごきけんよう、婚約者様」
「ろ、ロクサーヌ……!? 何故ここに!?」
ロクサーヌを襲わせる予定の相手に極秘裏に会おうとしていた先、その場所にはロクサーヌが既に居た。
さらに見たこともない女性がロクサーヌの対面に座っている。
「何でも私を売る予定だとか。婚約者とは売れるものなのですね?」
「な……」
バレている。何故? そう疑問に思っても伯爵令息はすぐに言葉が出てこない。
「ですので、私も婚約者を売ろうと思いましたの」
「は……?」
婚約者を売る? 婚約者とは。
伯爵令息は理解が追いつかない。
「ふぅん、そいつが? まぁ、見た目は最低限整っているね。けど生意気そうだ」
ロクサーヌの対面に座る女性が伯爵令息を値踏みする。
「な、何だ? お前は……」
「『何だ』? 『お前』? 立場を弁えるべきですわよ、婚約者様」
「な、何だと!? ロクサーヌのくせに……!」
「ふふ、まぁお元気ですこと。では、こちらが伯爵の署名入りの契約書ですわ」
「ああ、毎度あり。これでアンタの婚約者は私が買った」
「ええ、私の婚約者は貴方に売りました」
そうしてロクサーヌに差し出されたのは金の入った小袋だ。
「な!? 何を言っているんだ!?」
何か良くないことが、それもとんでもないことが進行している。
そう悟った伯爵令息はロクサーヌの下へ駆け寄ろうとするのだが。
「お前たち」
「「「ハッ!」」」
「うぎゃ! 何をする!?」
壁際に控えていた男たちに、あっさりと抑え込まれて膝を突かされる伯爵令息。
両腕をがっちりと拘束されて身動きを取ることも出来ない。
「ロクサーヌ! これは何だ!? 一体お前は何をした!?」
「ですから、婚約者を売ったのですよ。ふふ、婚約者が売れるなんて、貴方がそう企まなければ私も知りませんでした。ああ、貴方の契約相手は取引相手の貴方にこれから財力も権力もなくなるので、こちらで契約を終わらせておきましたよ。もう王都にもいらっしゃらないかと、ふふ」
「なぁ……!?」
伯爵令息の企みはロクサーヌに何もかも筒抜けだったのだ。
そして、その企みがすべて彼に返ってきている。
「ろ、ロクサーヌ……」
拘束された状態で、だらだらと冷や汗を流して震えるしか出来ない伯爵令息。
「ふふ、貴方のお値段。お小遣いとしてはまぁまぁでしたよ?」
「お、俺は……これからどうなるんだ?」
彼がロクサーヌにしようとしたこと。
それがすべて知られているのなら。
「さぁ?」
「は?」
「ふふ、安心しなよ。私はね、商人なんだけどそろそろ爵位が欲しくてさ。だからアンタを買ったのさ。アンタの家は侯爵家の支援があっても持ち直せなかったそうだが……原因はアンタら伯爵家の人間の浪費だろ? だから、その原因共を処理すりゃあ、立派な伯爵家の出来上がりって話」
伯爵令息は女性の言葉をすぐには理解出来ない。
「婚約者を売ったのですから。ですから貴方の次の婚約者が彼女ということです。伯爵には、すぐにでも領主を譲ってもらうよう手続き致しました。貴方のご両親は必要な書類を整えた後、すぐに領地に向かいましたよ。あとは、爵位を継いだ貴方と彼女がこれからの伯爵家を担っていくのです」
「……爵位」
「ええ、そうですよ、伯爵様。ふふふ」
「俺が伯爵……?」
「ま、調教が済むまで外には出られないけどね」
「……は?」
何か聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「ふふふふ」
見上げるとロクサーヌがニィィッと口元が裂けるような笑みを浮かべている。
「ひっ」
そこでようやく、伯爵令息は心の底から恐怖する。だが、もう遅い。
「貴方の部屋の窓には鉄格子が嵌められています。じっくりと時間を掛けて、心から彼女の奴隷になってくださいね? それでは元・婚約者様。また二十年後にでも、お互い生きていれば社交界でお会いしましょう」
「二十年? 鉄格子? 奴隷? ひっ……ろ、ロクサーヌ、嫌だ、嫌だ、助けてくれ! 婚約者だろ!?」
「もう売ってしまいましたから」
ロクサーヌはそう笑って立ち上がり、この場を去ろうとする。
「待て! 頼む、待ってくれ! お願いだ、ロクサーヌ!」
「ああ、元・婚約者様。そういえば」
そしてロクサーヌは首を傾げて、こう言った。
「貴方、名前は何でしたっけ?」