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②愛(あい)ちゃん

愛ちゃんが中林家にやってきたのは、日和が小3の秋頃でした。

日和がお風呂から出ると、ちょうど正さんが遅くに帰ってきたところでした。

正さんはニコニコしながら、日和に紙袋を差し出してきました。

紙袋はガサゴソと忙しそうに動きながら、ミャーミャー鳴き声まで聞こえてきます。

「え、猫!?」

中に入っていた子猫を抱き上げて、日和はたまらなくうれしくなりました。

二~三ヶ月くらいの子猫は、しっぽが10cmないくらいで短く、先っぽが少し

二股に分かれていて、右に左にバシンバシンとかわいく動きます。

首には鈴リボンを着けていて、猫の動きに合わせて鈴の音がチリンチリン転がり

ました。

「タイ猫っていう、外国の猫なんだぞ~~」

正さんは得意気に教えてくれました。

目は青く、体毛は薄茶、耳・足先・しっぽ・顔は濃茶で、初めて見る種類でした。

どうやら、正さんの同僚の知り合いの人が子猫のもらい手を探しているというの

を聞きつけて、喜んで引き取ってきたそうです。

久しぶりに猫が飼える、外国猫でかわいい、日和のテンションも急上昇しました。

「や~~ん、なに、猫ちゃん??」

猫の物音で、そろそろ寝るはずだった年長の日色もすっかり興奮して遊び出して

しまいました。

少し離れた祖父母達の寝室の明かりもついて、呆れながら愚痴る大さんと、それ

をなだめるヨイさんの様子も、うっすら感じられました。

正さんの子どもじみた強行突破のおかげで、タイ猫の子猫は、中林家の一員とな

りました。


次の日、早速子猫に名前をつけることになりました。

「キューピッド、なんてよくない??」

「そんなのやだ、マーガレットの方がかわいい!」

外国猫なので横文字の名前が飛び交いますが、日和も日色も譲れず、一向に決ま

りそうにありません。

「じゃんけんで決められない?

 どっちか折れないと、この子、名無しのゴンべになっちゃうわよ」

小百合さんもお手上げです。

それを見かねたヨイさんが、三人のところにやってきました。

「日和も日色も、自分で名づけないと気が済まないんだろう?」

二人は顔を見合わせて、ヨイさんの方に頷きました。

「だったら、おばあちゃんが名付け親になろう。

 そうすれば、どっちがずるいってこともないだろう?

 そうだなあ、家族みんなに愛されるアイドルみたいな子だから、愛ちゃん、な

んてどうだい??」

一瞬間があったものの、かわいらしい素敵な名前かも、と姉妹は納得した表情で

ヨイさんに賛同しました。

「よし、じゃあ決まりだ。

 今日からこの子は、愛ちゃんだ」

名前も無事に決まり、愛ちゃんとの生活が始まりました。


もらってきた時に着けていた鈴リボンは、早々に外されました。

音が賑やか過ぎるし、愛ちゃんも行動の邪魔になるのか、着けたがらなかったので。

愛ちゃんは人懐っこく、腕枕で一緒に寝てくれたので、最初のうちは誰と寝るか

で取り合いになったりもしました。

寝る頃に日和のところに来てくれたので共に寝ていたら、遅く帰った正さんに

ひょいっと持っていかれてしまうことも少なくありませんでした。

日和は愛ちゃんをじゃらすため、帰り道にねこじゃらしの草を何本か取って試し

てみましたが、すぐ折れちゃったり愛ちゃんがあんまりじゃれてくれな かった

りで、うまくいきません。

実際に猫を夢中になって遊ばせるには、道具や動かし方にとても工夫がいるん

だってことに気づいて、割り箸・紐・布などを組み合わせて作ったりもし ました。

愛ちゃんは、物陰からおもちゃが見え隠れするのが好きみたいですが、興味を引

き続けるには結構な気力・体力を必要としました。

パワーのあり余る姉妹達は、時として愛ちゃんを遊ばせるのに夢中になりました。

ある時、二人でタッグを組んで愛ちゃんを動き続けさせてしまい、愛ちゃんも横

になって息を切らして休んでしまいました。

猫でも疲れることってあるんだーーと発見でしたが、その場を見つけた小百合さ

んにやり過ぎたら猫だってしんどいんだからやめさない!!と、きつく 叱られ

ました。


「メス猫はね、働き者で狩りが上手なんだよ」

ヨイさんはよくそう言って、愛ちゃんを褒めていました。

愛ちゃんはその言葉通り、本当によく狩りをしてきました。

虫、とかげ、鳥、ねずみ、獲物の種類も多様です。

その残骸が家の庭先に落ちていることがあって、ある時すずめの体がまだ少し動

いていたので、弱っているのかと棒でひっくり返してみたら、うじが蠢 いてい

たのがわかって、日和はギャーーっと悲鳴を上げて逃げたことがありました。

猫というのはかわいいものか困ったものか、狩った獲物を飼い主に見せにくるこ

とがよくありました。

外から戸を開けてほしい時は鳴いて知らせてくれるのですが、変な鳴き方の時は

大抵ねずみを咥えている時であり、これから大変なことが起きるのを予 感させ

てくれます。

中林家の作りは玄関から台所にかけて土間続きで、愛ちゃんはそこに獲ってきた

ねずみを見せに持ってくるのですが、いたぶっただけでとどめを刺して いない

ことがしょっちゅうでした。

そうすると、家族総出で弱ったねずみが物陰に入り込まないように注意を払います。

そういう時に多大な力を発揮するのがヨイさんで、容赦なくねずみをを攻撃して

退治してくれます。

それはまるで、家を守る番人が冷静沈着に仕事をこなしているように見えました。

日和にとっては、ねずみも見た目が小動物なので、そういう時のヨイさんに複雑

な感情を抱かずにはいられませんでした。


愛ちゃんも大人猫になり、恋の季節を迎えました。

正さんは愛ちゃんのお見合い相手に、親戚で飼っているタイ猫のオスを指名しま

した。

親戚の許可を得た正さんは、二匹を中林家の納屋で対面させますが、あまり相性

がよくなかったのか、結局お見合いはうまくいきませんでした。

「愛ちゃんにだって、気持ちがあるのよね」

その頃少女マンガに傾倒していた日和は、マッチングしなかった愛ちゃんを、気

が進まない政略結婚に抗うヒロインに重ねていました。

しばらくいつも通りの日常が続いていたある日、愛ちゃんに会いに来てくれる猫

が現れました。

その猫は、鈴をつけたタイ猫のオスで、どうやら少し離れたおうちで飼われてい

るようでした。

「また来てるーー!!」

突然の成り行きに、中林家の家族みんなが舞い上がりました。

その子は本当に仲のよい恋猫のようで、カップルは仲睦まじくおうちデートを重

ねていました。

日和も日色も、こんなに愛らしい猫カップルを見たことがなかったので、鈴の音

で遊びに来ていることがわかると、ちょっとおいしい猫用おやつを二匹 にご馳

走したりして歓迎しました。


それから、愛ちゃんのお腹が大きくなって、出産の時期が近づいてきました。

ヨイさんは、子猫を育てる用の段ボール箱に古い衣類を敷いて、環境を整えてい

ました。

五月連休を過ぎた頃、姉妹が学校から帰ってくると、子猫が誕生していました。

二人は早速、愛ちゃんと子猫に会いに行きました。

子猫は一匹だけで、体の大きめな黒の子猫でした。

「かわいい~~」

二人とも、その愛らしさに心とろけます。

しかしながら、愛ちゃんは、子猫のお世話を全くしませんでした。

誕生の喜びは一瞬で、家族に不安が広がります。

「母乳が出ないのかなあ??」

いろいろ考えながら、スポイトに牛乳を含ませて子猫に与えてみますが、あまり

うまく飲むことができません。

「子猫、大丈夫かなあ?」

日和は心配でたまりませんでしたが、学校に行かなくてはならないので、弱く温

めたこたつの中に子猫を入れて、ヨイさんに様子を見てくれるようお願 いして

登校しました。

学校に来ていても、子猫のことが気になってしまって、集中できません。

下校時間になると、姉妹は急いで家に帰りました。

「子猫ちゃんは!?」

こたつの中を覗くと、子猫は隅っこで動かなくなっていました。

「おばあちゃん……」

ヨイさんも申し訳なさそうな顔をしながら、二人のことを慰めました。

「愛ちゃんも初産だったから、どうしたらいいかわからんかったのかもしれん。

 この子猫も、体が弱かったんかもしれん。

 誰も何も悪くないが、仕方がなかったんよ」

たった一日で死んでしまった、愛ちゃんの初めての子猫。

命の誕生は愛おしいだけでなく、死と隣り合わせでもあることを、日和と日色は

強く感じました。


それからしばらくすると、恋の季節が巡ってきたのか、愛ちゃんがまた懐妊しま

した。

「前よりお腹が大きい気がする。

 兄弟いるのかな?」

「今度は愛ちゃん、ママのお仕事できるかな……」

前回のことがあったので、姉妹の反応は慎重です。

「今度は二回目だし、大丈夫じゃないかねえ」

人生経験豊富なヨイさんは、どっしりと構えています。

秋の後半だったでしょうか、愛ちゃんは、今度は四匹の子猫を産みました。

白二匹、黒二匹。

愛ちゃんは、子猫達をなめて、お乳をあげて、忙しくお世話しています。

「よかったあ~~」

「今度は、心配ないね」

家族は本当に、心からほっとしました。

白い方の子猫達は、日にちが経つにつれてポイントカラーが濃くなって、タイ猫

の見た目になりました。

「タイ猫って、こんな風に色が変わってくんだね!」

家族にとっても初めての発見でした。

タイ猫二匹はもらい手がすぐに見つかり、黒猫二匹もなんとか苦労して見つけま

した。

またしばらくして、愛ちゃんは二匹のタイ猫を産み、その子達も新しい飼い主の

元へ行きました。


愛ちゃんと生活を共にする間に、日和も中学生になり、ますます忙しい生活を送

るようになっていました。

その間、大さんは病気が進行して、帰らぬ人となりました。

マイウェイだった大さんは医者嫌いを貫いて、最期はあっという間でした。

ヨイさんは気丈にふるまっていましたが、大さんが無言の帰宅をすると、声を出

して泣きつきました。

正さんは、大さんの死にまつわる膨大な手続きに追われ、気持ちの整理をする暇

もなさそうでした。

突然の代替わりで責任と自覚を強く感じたのか、正さんは人が変わったように家

のことに気を配るようになりました。


愛ちゃんは三度の出産を終えた後、しばらくは変わりがないように見えました

が、妊娠ではないのにお腹が大きくなったようで、体を動かすのもおっく うに

見え、病気の可能性が考えられました。

しかし、五人家族になった中林家に余裕はなく、またかかりつけになれるような

動物病院も近くになかったことから、愛ちゃんは徐々に体調を崩してい きました。

愛ちゃんが動くのもしんどくなってしまった時、たまたま近くの酪農家さんに獣

医さんが来ていたのを聞きつけ、無理を言って診てもらいました。

専門ではないので正確なことはわからないが、重篤そうなので鎮静剤の注射だけ

打っておく、と言って処置してくれました。

絶望的な気持ちになりながら家に連れて帰り、お気に入りのマットに寝かせ、エ

サとトイレを近くに置いて、時々なでたりして様子を見ました。

明け方、愛ちゃんは息を引き取りました。

満足なケアもしてあげられなかったけれど、最期まで、中林家で過ごしてくれま

した。

日和が小3から中3、約六年の生涯でした。

「愛ちゃんのこと大好きだったから、当分、新しい猫は飼わなくっていい」

家族の総意はそのように決まり、中林家は久しぶりに猫不在の静かな生活に戻り

ました。



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