Prolog『いつかの記憶』
どこにでもある、至って普通の日記帳。
そんなノートを、彼は手に取った。
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"水無月
その日は、気分も落ち込む様な大雨でした。
風も強く、人一人すら歩いていない天候。
そんな日に、私はお母様と散歩に出掛けました。"
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「お母様、どうしてこのような天気の中出掛けるのですか?」
その少女は、傘を差している母親を見上げ、首を傾げそう言った。
「ふふ、この様な日だから出かけるのですよ、鏡華」
母親はしゃがんで微笑み、まるで天の遣いのような顔を少女に向けた。
その少女『鏡華』は、さらに分からないと言った表情で、
「晴れている、晴天の天気の日に出掛けた方が気持ちがいいと思います」
透き通る、鈴のような可愛らしい声で言った。
「私もそう思います。ですが、散歩に天気など関係ないとも思っているのです。目的なんて要らない。歩きたい時、好きな場所を歩けばいい」
母親はまた歩き出した。
少しの間、無言が続いた。
「…だとしても、今日は天気が悪すぎます。」
「ふふ、私もそう思います」
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"お母様は、本当に分からない方でした。
自分から言ったことを、自分で否定する。でも、そんなお母様も私は好きです。
数刻後、思いもよらない事が起こりました。"
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「お母様、本当に何の目的も無しに散歩をしているのですか?」少女は額に汗を浮かばせていた。
「…」
「お母様?」
しかし、母親は答えない。少女の顔が強ばっていく。
「散歩でこんなに山奥まで行くなんておかしいです。どうにかしています」
彼女達は、少し歪で暗い山道を歩いていた。
「…っ、」
「お母様っ!」
「どうしたのですか?気分が悪いのでしょうか。」
母親が突然傘を放り出し、蹲った。
風の影響で、傘がどこからへ飛んでゆく。
「ぁ…ぁ」
「お、お母様?」
バッ、と母親がいきなり鏡華の方へ向いた。
「っっ!!」
「お母様…?来ないで…!」
その声は震えていた。
「誰かっ…!誰か…!!」
少女の母親は、「怪異」へと変貌していたのだ。
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"お母様が怪異に突然変異しまったのです。私は、その後の記憶がありません。しかし、目を覚ました時には見慣れた寝所に横たわっていました。
でも、その後、お母様の姿を見ることはありませんでした。お母様は、もう──"
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彼は、そこまで読んで、その『日記帳』を燃やし尽くした。
「こんなのは、日記に記すようなものじゃ無い」