カーティスの婚約者
僕は一人で学園の廊下を歩いていた。図書館から学生寮への帰り道。趣味と実益を兼ねた習慣の一つだ。
僕はマティ様の護衛ではあるが、四六時中ずっと一緒という訳ではない。そもそもマティ様は本来護衛がいらない程に強い。僕が殺気にあてられる時があるほどには。それと学園内は強力な結界が張られていて安全でもある。
だからこそ、単独行動が許されている。よく人払いさせて婚約者であるジェシカ様と話してらっしゃるし。
という訳で、僕は一人でサティが階段から突き落とされる場面を見つけてしまった。
「おっと」
「キャッ」
サティが階段を踏み外して落ちる。その彼女の体を、床に激突する前に受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
頷いてはいるが、顔が赤い。熱があるようには見えないが……まあ恐怖は感じてなさそうだ。
「あ、貴方!平民風情が邪魔するんじゃないわよ!」
階段の上から声がした。見ると、そこには四人の貴族令嬢がいた。
「いくら女性といえども、複数人で寄ってたかって一人を虐めるあなた方に言われたくはないですね」
「口答えするんじゃないわよ!不敬よ、不敬!平民の癖に!」
「そうよ、私たちの邪魔をするんじゃありませんわ!」
「私たちはその女を虐めていたんじゃありませんわ。人聞きの悪いことを言わないでくださいまし?」
「「そうよ、そうよ!!」」
「ア、アイン……」
令嬢たちが喚き散らすのに、怯えたような様子を見せるサティ。
「……その平民は王太子殿下の護衛なんですが」
「それでも平民は平民!変わらないわ!」
「「そうよ、そうよ!!」」
「……この件はマティ様とカーティス様に報告させていただきますね、ガブリエル・フォン・ガナーシャ侯爵令嬢」
「な、なんで私の名前を……」
サティへの嫌がらせの主犯格の令嬢の名前を僕は言う。彼女はカーティス様の婚約者だ。ちなみにガナーシャ家は、夫人がリセーアスの王族だ。マルティン家はその伝が欲しいのだ。
完全なる政略結婚。本人らの意思は関係はない。だが、マルティン家はガナーシャ家に婚約を申し込んだことを後悔しているらしい……。
確かに、カーティス様と同じ生徒会のメンバーになるのを、自分は断られたのに自分よりはるかに身分が低いサティはオファーを受けていたと知っては、嫉妬に狂うだろうな……。
「それに貴方、何様のつもりよ!!貴方だって平民でしょう!?」
「その通りよ!!」
「平民が出しゃばらないで!」
あまりにワンパターンの罵倒。こういう人種は権力に弱い。
「……。平民だから、とあまり調子に乗らない方が身のためですよ?そもそも、ただの平民が高貴な方々の護衛……それも、王太子殿下の。そんな訳、あるとお思いですか?」
「何が言いたのかしら?」
「僕はこの国では平民、というだけのことですよ」
「はあ?どういう意味よ」
全く理解できていないようで何よりである。
「そのままの意味ですが」
「なら貴方は平民!私に歯向かうなんでなんて生意気なのかしら!?」
「そうよ!自分の自己紹介を難しく言わないでくださいまし!?」
「ガブリエル様にそんな態度を取るなんて……必ず後悔させてやりますわ!!」
「これってもしや、かなりまずいのでは……」
ぎゃあぎゃあ喚く令嬢たちを尻目に、サティは何かを察したようだ。その差が、生徒会に入れるかどうかの差に直結している。
外国人の母親を持つのに、まさか自分の爵位が他国でも当たり前のように通用すると思っているのだろうか。そんな訳がない。確かに他国の貴族も丁重に扱われる。だが相手が悪い。セオドアの周りの国なんて、ほとんどがセオドアより力の強い国しかいないだろうに。
「貴方、これ以上問題を起こせばカーティス様との婚約は白紙になる、と。そう聞いたのですが、間違いだったようですね」
「な、何のことかしら?」
動揺が隠しきれていない。それも含めての警告もとっくにしてあったのだが。
「度重なる自殺未遂に、カーティス様に近寄る女性全てに恫喝、人を雇っての誘拐拉致、監禁したのちの暴行。――確かその中には自殺した女性もいたとか」
「えっ」
「そ、そんなのはデマですわ……」
「デマを自信満々に言い触らす者が、王族の警護に当たれる訳がないですよ」
少しは考えてから言葉を発してください。その言葉は一応口に出さずにいた。
「最低ですね……」
「サティ、出てますよ」
「あ」
つい口から出てしまったらしく、慌てて口を手で押さえるサティ。聞こえていないから、向こうはいきなり口を手で押さえたサティを不思議そうに見ている。
「お、覚えておきなさい、平民!さあ、貴方たちも行くわよ!」
「「「はい!」」」
「今時あんな捨て台詞吐く人がいるんですね……」
サティは彼女らが消えていった空間を呆れたように見ていた。
「助けてくれて、どうもありがとう!」
「当然のことをしたまでですよ」
「それでも、本当に助かったわ!」
「それならよかったです」
サティは満面の笑顔を浮かべて僕に礼を言った。
「あの人だったんだね、カーティス様の婚約者って……」
「あまりカーティス様は婚約者の方をよく思っていらっしゃらないので……。社交パーティー以外では、一緒にいることはないと思います」
「確かに、会ってすぐだけど私あの人苦手かな。すごい見下してくるし」
「選民思想が強い方ならざらですよ。あれなら可愛いものです」
「ひどい場合は……」
「権力を使って嵌めますね。そもそも自分の周りに平民なんか置きたくない、とか言って適当な理由で処刑します」
「うわ……」
ドン引きしているらしい。無理もない。
「ところでアイン、貴方って一体……」
「あれはハッタリですよ。爵位は貰っていませんね。その話を蹴り続けているので」
「話自体はあるんだ」
「ありますね。ちなみに受けると公爵になります。生徒の中では三番目に高い身分になりますね」
「あ、そうか。みんな貴族だけど爵位は持ってないのか」
「そういうことです」
貴族は面倒くさい。変な柵が増える。不労所得が大量に手に入るが、別に今の給料で満足している。
それに僕は人間の国で世襲制の貴族になるつもりはない。それなら名誉貴族で!と言われたが、嫌だ。平民の気楽さが、僕は好きだ。
ハッタリはハッタリのままにするつもりだが、爵位が必要な場面が出てくるだろう。それに、いい加減その話を断りづらくなってきた。元々爵位云々の話は、九星での活躍に対する報酬だ。
という訳もあり、ノア兄さん曰く、その報酬が不平等だという事は、変に勘繰られることになる。それはノア兄さんにとって不都合のようだ。理解して断り続けているが。
「なんか……貴方って意外に思い切りがいいわね」
サティはニカッと笑って言った。




