何かが進む
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「よろしかったのでしょうか」
あの吸血鬼の背中を見ながら、バーテンダーはそう言った。
「いいのか、というのは俺たちは絶対にアインを殺さない、てやつ?」
「そうです」
少し不満そうに言うこいつは気が付いていないのだろう。
正直吸血鬼――アインを殺すことは、どんなに頑張ってもデメリットの方が多い。
そのデメリットが僅かなら、ギルメンの好きにもさせることができたのだが、将来この国の国王になる人物に睨まれるのは、相当痛い。
その上、第六感が囁いたのだ。あの吸血鬼を殺すことは、むしろあの男の手のひらで踊らされる羽目になる、と。
正直、ラファエルもアインもどちらも強いが、ラファエルはそこが知れているのに対し、アインはどんなにやつの手札を知ったところで勝てる気がしない。あの男は、幼い頃からあまたの視線を潜り抜けてきた……そんな雰囲気があるのに対し、ラファエルは命の危機にあったことがない。
そういうところでも、圧倒的に経験不足が否めない。
「まあ、やるべきことがあるように見える。それが終わるまでは死ねない感じだった。――だが、そのやるべきことが終わればすぐさま死ぬらしい。
結局、ギルドメンバーを寄せ集めたところで、アインを殺すどころか、大怪我さえも負わせられないだろうね。向こうが死ぬ、と言っているんだ。その約束を守ってくれるのを願うしかないだろう。
それに、吸血鬼は天使をただプライドが高い無能な奴、と言っているが、そう言うやつも大概プライドが高い。いざとなれば、ラファエルを引き合いに出せばいい」
そんなことをしなくとも、こちらが言い出す前に死にそうだが、という事は言わないでおく。
「それに、どんなにやつが悪人でも、その力が必要なのは変わりあるまい」
「……ゲームのラスボスである、魔王を倒すために、ですか」
「ああ。アインがいないと、勝つのは難しい。何度やり直したことか」
正直、無理ゲー過ぎてクリアできたとは発狂したくらいだ。
「なんで、あんなに強いのでしょうか」
「そりゃあ、魔王だからさ。魔王は圧倒的な力を持つのが定石だろう?」
どこのゲームでも、小説でもそう。圧倒的な力を持つ者を、努力でねじ伏せるからこそ、人気が出るのだ。ラスボスは強力な力を持てば持つほどいい。主人公が輝くから。
この世界ではラスボスは魔王だが、真のラスボスはアインだ。あいつさえ死ねば全てが丸く収まる。世界の敵は消え去り、平和が訪れる。
「向こうがのんきに恋愛を楽しんでいる間に、こちらはこちらで準備をしておこう。どうせ、今の時点では、ヒロインも攻略対象もこの世界の危機に気が付いていない」
気づくのは、ゲームの中盤くらいだろう。今気づいているのは、俺達とアインのみ。
「ところで、ステラに忍ばせることは成功したのか?」
「いえ、今回も失敗です」
「まあ、まったく。少しでも不安要素を潰しておきたいのに、ゲームにはない国があるなんてな……。スパイを放ってもすぐさま察知され、結局何も情報を取ることができない」
本当に何なんだろうな、ステラという国は。
確か、ゲームではあそこはただの原っぱだったはずだ。まあ、普通に考えて一つの国が建つくらいの広大な土地が開いているのもおかしな話ではあるか。
もしあそこに、どこかの国が建っていたのなら、その国を滅ぼした国がそこを領有する筈だし……。
過去の歴史がゲームでは明かされていない分、そういう不自然な部分も多かった。まあ、恋愛シュミレーションゲームだし、そういうところはあまり作りこまれなかったのだろう。
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Side Unidentified
久しい兄弟の来訪に喜びつつ、疲れているらしいその様子に幾何かの同情心が生まれた。
妻の紅茶で心を癒されて欲しいと思う。
「あれから数年が経った訳なんだが、どうなんだ、調子は?」
「まだまだだ。やらなきゃいけないことが多すぎる。これじゃあ、いつまで経っても準備が終わらない」
溜息を吐きつつ、丁寧な所作ではあるものの、疲れが見えるその動作に、やることがいかに目白押しかを物語っている。
「何かできることがあるならしたいが……。俺にできることがあれば、何でも言ってくれ」
「少しは、誰かにやってもらわなきゃいけない。――自国のことぐらい、自国のことで何とかしたらいいのに」
やけくそに言う彼の言葉ももっともだが、皆が皆そういう有能ばかりではないだろう。
「きちんと、寝ろよ?」
「さすがに寝る時間も惜しい。チーズルはどうしようもなさそうだから潰して、オケディアは革命で生まれ変わらせた。リセーアスにいる奴らもすべて追い出し、ロースタスも何とかする。――ええっと後は……?九星を完璧にしたり、より強化もしなければね。後は変な情報ギルドもあるし、それについても今後対応しなければいけないし……」
「やること多いな。――じゃあ、ロースタスについては任せろ。とりあえず、イーストフールに潜入し、セオドアの学園にそこの第二王子を編入させる。いくらかは費用を負担してほしいが……」
「構わない。いくらかかってもいいから、イーストフールの第二王子をセオドアに連れてきて欲しい。最悪誘拐でもいい」
「任せろ。何が何でもセオドアに連れてくる」
毅然と言い放ったその言葉に対し、俺は安心させるように好戦的な笑みを浮かべて見せる。
「お前に任せなきゃいけないところはお前に任せるが、それ以外は俺がやる」
「頼む」
切実な声色だった。