情報ギルド「ペスケ・ビアンケ」
あれから特筆する出来事もないまま二週間が経過した。あれだけ煽ったのに、笑ってしまうくらいに天使と遭遇しない。
どうせ、ラース兄さんが吸血鬼と天使の確執を例えばマティアス様とかに話して、絶対に鉢合わせにならないように誘導しているのだろう。
そのことはいい。正直、天使を殺せないことにもやもやするが、どうせ今あったところで殺せはしない。
なら視界に入らない方が、精神衛生上いい。
そう思っていた。どうやら、僕は密かにあの天使に会わなければいけないようだ。本当に面倒くさい。
僕は夜、人が寝静まった時間帯を見計らい、 正体がばれないように変装をして学園の外に出た。
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学園が近くにあるからか、その近くの街はかなり賑わっている。
こんな時間だと言うのに、人が多い。まあ、時間が時間なだけに目につくのは酔っぱらいしかいないが。
「ここか」
僕は絡み酒な男どもをあしらいながら、とあるバーに赴く。
一応ここで目的の人物以外の学園関係者に出会うと不味い。少し歳のいった男性に変装しているため、声もそれに合わせ、重低音にする。
少し咳払いをしつつ、店に足を踏み入れた。
店の中は薄暗く、少し怪しい雰囲気だった。客はそこそこいるが、そのうちの数人はただ者ではない。僕を見極めるように見ているのを感じた。
僕はカウンター席の左から二番目に座り、バーのマスターらしき男にこう言った。
「ここに世界で一番珍しい酒があると聞いたものですが」
「――ありますよ。しかし、珍しいだけあって少々値段が張りますが」
「そうですか、ではそれをソーダ割で」
「かしこまりました」
「それと、レモンを浮かべてください」
「この酒は、桃の方が合いますよ」
「では、それで」
マスターは、それではこちらにどうぞ、と言い、僕を店の奥に案内した。
まさか、学園を抜け出した目的が、バーで酒を嗜むためではない。僕が訪れたバーは、バーのなりをした情報ギルドなのだ。先ほどの会話は、その情報ギルドに入るための隠語になっている。
情報を金で買うのが目的ではない。情報なんて、自分でいくらでも調べられる。僕は、ここのギルドマスターとその構成員に用があるのだ。
木製の床の一部が隠し通路の扉になっている。バーのマスターはその扉を開き、僕に中に入るように促した。
しばらく無言で歩いていると、いくつかの質素なドアの奥に豪華なつくりのドアが見えた。
「マスター。お客様がお見えです」
「入れ」
意外に若い男性の声。短い命令にバーのマスターはドアを開く。
中にいたのは、年若い青年。一つのギルドを統括する立場には見えないが、彼がギルドマスターだ。大きな部屋の奥にある、大きな執務机に腕を組んで座っていた。
「ほう?知らない顔だな?」
青年は僕の顔を見て、にやりと笑った。
「そうかな?」
「どこかで会ったのかもしれないが、本当に思い出せない。こんなのは初めてだ」
「そうか。じゃあ、これでわかるかな?」
僕は変装を解き、いつもの声を出した。
「――今のは、魔法を使っていなかったよな?」
「いつ魔法が使えなくなるかわからないからね。魔法に頼りすぎると、その魔法で打ち勝てないときにも困るから、魔法が必要ない時は基本使わないかな」
昔魔法に頼りすぎて暗殺に失敗したことがある。姿を変える魔法は、見る者の目を惑わす魔法。当然見る者が多くなればなるほど、求められる魔力量が増える。
王城なんか、一介の使用人でも多くの人間に見られる。予想以上に魔力の消費量が増えたため、魔力に頼った戦闘を行うことができなかったのだ。
「案外大したことないんだな」
「あの頃は酷かったからね。碌に休息も与えられないまま、次々指令が下った。いくら魔力量が膨大でも、回復する機会がなければどうしようもない」
「それもそうか」
本当に、マティアス様には感謝している。あの日々に終止符を打てたのだから。あのままではいけないと思っていても、行動に移すことができなかった。
「で、ここにいるのは君の主の命令?」
「それだったらあの方はきっとここに訪れる時来る筈だ。あの方はいつも、情報屋との繋がりを欲しがっておられる」
「ほう、そうだったらうちが君の主と繋がっておこうか。――っ」
「言葉はよく考えてから発した方がいい。――あなたの隠し玉っぽそうなあの天使は、僕ならその場を動かずに殺すことができる。当然、魔法も吸血鬼の力も使わずにね」
僕は一瞬で彼の背後に忍び寄り、人差し指と中指で彼の喉仏を、親指でうなじを軽く掴んだ。
「成程。そうやって、主に近づく同業者を遠ざけている訳か」
「知る必要のない情報を知り、あの方の御心が乱れるのを防ぐためだ」
「そう言って、本当は知って欲しくないだけなんじゃないか?君が原因で主も暗殺対象になってしまっているという事を」
「その暗殺者を問題なく返り討ちにしているんだよ?なら、暗殺者どもに命を狙われている、と言って不安がらせることもないじゃないか」
相手は僕の言葉に苦そうな顔をするが、何も言わなかった。
「で、そろそろ本題に入ろう。アイン、君は何のつもりでここに訪れた?」
君は絶対にここに来たくなかった筈だ、と付け加える彼に、僕は頷く。
「無駄な腹芸はなしだ。僕はこちらに無闇矢鱈と干渉して、こちらの計画の妨げにならないように言いに来た」
「成程な」
「そちらにはそちらの考えがあるのだろうが、僕の計画を邪魔する存在は、誰であっても許さない」
「それが、たとえマティアス王太子でもか?」
かなり痛いところを突いてくる。いくら計画の邪魔になろうが、マティアス様を害することが、僕にできる訳がない。
だが、やらなければならないのだ。絶対に――。
「もちろん、いくらマティアス様でも。どんな事情があろうと、計画が破綻することは許されない。癪ではあるが、神にそう誓う事もできる」
僕の命は僕のものじゃない。適切なタイミングでそれを使わなければならない。
目の前にいる男が、僕を殺そうとしていたとしても、そう簡単に殺されてやる訳にはいかないのだ。




