欲望
「何とか倒せたぞ!」
「やったー!」
学生たちが喜んでいる。魔物を自分の手で殺せたから、当然と言えば当然なのだろう。
今は、魔物を倒す練習をしている。実力的には普通に倒せる魔物を連れてきて、各自で倒させている。野生動物の親が、子に狩りの仕方を教えているような感じだが、ラース兄さんは、こういう方法で、魔物の倒し方を学んだんだろう。
狼に似ているが、それに似ても似つかぬ禍々しい気配。だが、僕たちにとってみれば、涙が出るほど懐かしい雰囲気……。それが魔物だ。形は狼に限らず多種多様で、強さもまちまち。
彼岸でも命を落としかねない程の強力な魔物もいれば、人間の子供でも簡単に倒すことができるものまで……。
ラース兄さん曰く、魔物は美味しいらしいのだが、それを笑顔で言ってのけるのはラース兄さん以外に僕は見たことがない。なんというか、雰囲気が禍々しく、嫌悪感を催すのだ。そんなものを食べたいとは、とてもじゃないが思わない。
「アイツ、肉付きすごいいいな。食いたい」
「ラース兄さん?」
「しかも狼ってめっちゃうまいからなァ。久しぶりに……」
「ラース兄さん??」
また言ってる。前にラース兄さんに騙されて食べた魔物は、確かに美味しかった。普通の野生動物と比べて。
「魔物を食べる、てこれ以上言わないで。まだ聞かれていないからよかったものの……」
「え、上手いだろ」
「人間食べた鬼人に、人間は美味しい、て言われて引かない自信ある?――僕はその場で殺した。次に吸血鬼も食べてみたい、て言われたから」
「それは鬼人じゃなくて鬼だろ……。――まァ、確かに引くな」
ラース兄さんは、あまり納得していないようではあったが、とりあえず魔物を目の前に涎を垂らすことはなくなった。
――あの学生は、ようやく一匹倒せたことに喜んでいるのに……。隣の鬼人はそれを食べることしか考えていないなんて……。
願わくは、ラース兄さんのあの呟きが誰の耳に入っていないことを願う。多分、いつ魔物を食わされるかわかったもんじゃない、と怯えられるだろう。それをするのは、九星相手だから、彼らにとっては問題ないが。
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「うう……」
「大丈夫ですか?」
「はい……」
女学生が蹲っているのを発見した。青い顔で口元を抑えている様子に、少し同情する。
魔物の雰囲気は独特だ。ラース兄さんが普通ではないだけで、そもそも食べようなんて考えは頭に過らない。魔物は、持つ魔力が異質だ。魔障から生まれているのだ。当然。持つ魔力は魔障に決まっている。
そしてその魔障は人間にとっては毒に等しい。だから、体が魔物に対し、拒絶反応を示すことがある。
何度も魔物と相対していれば、慣れて吐き気もおさまるが、最初の内は厳しい所もあるだろう。
「魔物と距離を保ちます。歩けますか?」
頭を横に振られたので、迷わず膝裏に腕を通す。背中をもう一本の腕で支え、抱きかかえる。女子生徒は熱も出たのか、顔が赤くなっている。
「魔物と距離を置いたので、暫くすれば吐き気は収まるでしょう」
「あ、ありがとう……」
「いえ、礼には及びません。どうせ、ラース兄さ……先生は周りを気遣えないので」
何とも言えない表情をした彼女を置き、僕は授業に戻った。
その様子をマティアス様に見られているということに気が付かずに。
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「臨時教師でよかった!これが年単位であるンじゃ、気が狂うぜ」
相変わらず、細かな作業に慣れないラース兄さんに、内心失笑が抑えられない。
「気が狂う前に僕がステラに強制送還する。流石に、半身から離された彼岸の面倒を見る余裕はない」
「え?学生なんてものは暇だろ、お前にとっては」
「僕は、それ以外にも仕事があるの。ノア兄さんともよく連絡を取り合っている。ラース兄さんが思うより、僕はずっと多忙なんです」
周囲に飛ばした蝙蝠から情報を抜き取り、それを精査して、マティアス様やノア兄さんに届ける。更に、僕が動くべき時には動かなければいけない。
蝙蝠を操るだけでも、疲れるのに、更に膨大な情報から必要な情報を抽出しなければならない。それを数時間に一回はしないといけない。その間、マティアス様の護衛の業務にあたれないため、蝙蝠で危険がないかを確認しながら情報を整理する。
情報と言ってもピンからキリまである。例えば、昨日花屋の店先に飾ってある花が売れた、というどうでもいい情報から、ステラの近隣の小国家がステラに攻め入ろうとしている情報まである。
その上、どうでもいい情報でも、重大な事実につながっている可能性も否めない。花屋の花が売れたという情報から、セオドアの王族暗殺計画が立てられていたのを知り、マティアス様に報告したことがある。
そう言う事があったため、情報の精査もかなり神経を使う。ある程度睡眠時間が確保されていないとこの作業が甘くなるため、避けたいことではあった。
「そういうモンなのか。じゃ、また明日」
「はい、また明日。今度は家具を壊さないでください」
「もう壊さねェよ!!」
そう言って、最初ここに来たときは、椅子に座ろうと椅子に手をかけただけで椅子を粉砕していた。
その次の日には、寝ようとしたらベッドの柱を折ってしまった。
その次の日には、酒を飲もうとして、瓶を捻りつぶしていた。
よくこれだけ壊しておいて、もう二度としないとはどの口が言うか。
「家族との団欒の時間はもういいのか?」
「はい。気を使っていただき、ありがとうございます」
ラース兄さんと話している間、マティアス様は僕たちの少し前を歩いてもらっていた。僕が礼を述べると、一瞬だが、マティアス様はフッと柔らかい微笑みを見せてくれる。
普段は尊大、という言葉が似合う笑みを浮かべ、相手を圧倒しているマティアス様だが、柔らかい微笑みは全てを包み込んでくれる包容力があるように感じられる。これが、年上の余裕なのだろう。
ずっと近くで過ごしていく内に、マティアス様はどんどん格好良くなられていく。僕が全く成長しないのと対照的で、それを実感する度に、自分が幼く見えてしまう。
「血、飲むか?」
「いいんですか?!」
「ああ。俺がいいと言うんだ。何を口答えしている?」
「すみません!」
思いついたように言うマティアス様に、驚いてしまった。マティアス様の血は美味しい。今までに飲んだことがなく、そしてこの先これ以上の美味な血など存在しないとはっきりわかる極上の味だ。
普段、部屋が分けられているため、部屋の前でそれぞれ別の扉を開けるが、今日は同じ扉を開いた。
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Side Matthias
正直に言おう。嫉妬した。
アインが、なかなか俺に見せてくれない笑顔で話しているのだ。アインは俺のものだ。そう言って回りたい衝動を必死に抑える。
そう言ってしまえば、確実にアインを困らせてしまう。それは、俺の本意ではない。
ようやく別れて俺の元に歩きよってくる。俺は、できるだけ優しさを意識しながら問いかける。
そうするのは、昔アインがアルフレッドに驚いて俺に紅茶を零してしまったとき、できるだけアインをビビらせないように優しく話しかけ笑って見せたら、アインは少し俺に見惚れていた。
あれは俺の思い違いではない。実際、少し顔が赤くなっていた。
その時、アインはあの俺の微笑みが好きなのだと知った。普段からする必要はないが、こうやって、時々不意を突くようにしてやると、アインの視線を独り占めで来ているような感じがして気持ちがいい。かなり策略的だが、それはアインに気づかれなければそれでいい。
更に畳みかけるように俺はアインに効果覿面の誘いをする。
部屋に連れ込んで、誘い以外のことをするつもりはない。だが、血は吸ってもらう。その少しの間だけでも、アインは九星のことを忘れるだろう。
そういう薄暗い欲望をひた隠しにしながら、俺の部屋のドアを開いた。