憧れの人
Side Rudeus
王宮にはたくさんの本がある。政治に関するものや、農業に関するもの、そして魔術に関する本もある。
僕は、家にいるのが嫌だ。伯爵夫人にあまりよく思われていないからだ。
何故かというと――それは僕が伯爵夫人にとっては不義の子だから。父上が年若いメイドに手を出して生まれたのが僕だ。
僕の本当の母さんは病気で三ヶ月前に死んだ。
父上は僕が孤児になったので、僕を伯爵家に引き取ったのだ。
そこから地獄は始まった。母さんと暮らしていたころは、貧しいながらも幸せだったのだ。しかしここは、厳しい教育に失敗すると飛んでくる拳。使用人はそういう目にあっている僕を見てクスクス笑っているし、僕を引き取った父上は無干渉を貫いている。僕には兄がいるらしいが、とても忙しいらしく、会ったことはない。
そんな状況の家に一秒でも長くいたくなかった。だから僕は、毎日ここにきている。王弟のシリルさんは、僕が怪我をしていても何も言わないでくれる。僕の怪我の手当てをして、新しく入った魔導書を見せてくれるのだ。
僕はこういう空間が好きだった。だから今日も王宮の図書館に行く。
「流石に受け取れないよ」
「いいです。僕は内容をもう覚えたので」
「いや、でもこれ中には貴重なものも混ざってない?」
「ただの日記じゃないですか」
「確かにただの日記だけど、書いた人が重要なんだ」
「どうせ、嘘も今では再現不可能なことも多く書かれていますよ」
シリルさんが誰かと話している。少し困っているようだ。
「シリルさん、どうしたのですか?」
「あ、ああルーデウス君!君からも言ってくれないかい?この子、貴重な本を僕に渡す、と言うんだ」
黒髪の少年が、かなり高そうな本を一冊持っている。それをシリルさんに譲ろう、と言って聞かないのだろう。
「べつにいいのではないでしょうか?」
「ルーデウス君まで!」
「僕はここで受け取ってくれなければ、この本たちを捨てることになります。その方がもっともったいないでしょう?」
「それはそうだけど……」
どうやら、何冊か貴書があって、それを譲り受けるのがどうも気が引けるらしい。
「では、これはどうですか?その本を貰うのではなく、買い取るのです」
「いい案だね。採用するよ」
「別にこの本にそこまでの価値はないのですが……。受け取ってくれるのなら、それで」
そう言うと、黒髪の少年は、更に何もない空間から本を取り出した。全部で7冊。
「対価は後で部屋に届けさせるよ。ありがとう、アイン君」
「僕もいらないものが処分できたのでいいです。この本は、本当は捨てようと思ってのですが、マティアス様がシリルさんに売った方がいい、というので……」
「ああ、マティも売った方がいい、と言ったんだね……」
流石マティ、よくわかってる、と言ったシリルさんは、嬉々として本をパラパラめくり始めた。
「ところでシリルさん、こちらの方は……?」
僕がシリルさんにそう問うと、黒髪の少年がこう答えた。
「僕の名前はアインです。先日、マティアス様の専属護衛に任命されました」
そう言い、礼をした。あまり貴族としての教育を受けていない僕でもわかる、綺麗なお辞儀だった。僕は咄嗟に礼を返してしまった。
「ぼ、僕はルーデウス・ディ・ソルセルリー、です」
「アイン君、ルーデウス君はちょっと対人恐怖症気味なんだ。アイン君よりは酷くないけれど、アイン君より対象は広いんだ」
「了解しました」
「対人恐怖症……?」
黒髪の少年――アインさんはきりっとした雰囲気で、格好いい。人に対しての対応がさっぱりしてそうな雰囲気だ。だからこそ、アインさんが対人恐怖症であることが信じられなかった。
「アイン君、言ってもいいかい?」
「あまり言いふらさないのであれば」
「そこは大丈夫だと思う。ルーデウス君はそんな子じゃないから」
「い、言いません」
僕は、ここぞとばかりに言った。信じてもらえるかどうかは定かではないが、自分の意思表明をしたかったのだ。
「アイン君は、大柄な男性がとても苦手なんだ。今、少しはマシになっているんだっけ?」
「硬直し、過呼吸も引き起こしますがそれだけです」
「全然それだけじゃないけどね?仕事とか今までどうしてたの……」
涼しい顔でとんでもないことを言うアインさんにシリルさんは引いていた。
「意識を切り替えれば何とか」
「なんかその後が怖そうだから聞かないでおくね?」
「た、例えばシモンズ卿は苦手ですか?」
「そのアルフ相手に気絶してたことあったよね?」
「視界の外から急に現れるのは、正直に言って無理です」
アインさんの顔がわかりやすく苦くなった。本当に無理だったのだろう。
「アイン君が僕のところにきているのは、アイン君の主人であるマティがアルフと会ってるからでしょう?本当に、大変だね」
僕と同じく、アインさんもここを逃げ場としているのか。なんだか、似てる。
「ルーデウス君。アイン君は、何故か貴族のマナーを同世代の子より知ってるから、教えてもらうといいよ。家でもあんまり教育受けれていないでしょう?」
「そ、そうですね……」
「僕でよければ。しかし、僕が知っているのは他国のマナーなので、セオドアの物とは違うところがあるかもしれません」
それで十分だ。僕は貴族のマナーをあまりにも知らなすぎるから。
「アイン。用事は終わったぞ」
「了解しました」
王太子殿下が中に入ってきて、アインさんを呼んだ。アインさんはそのまま王太子殿下に連れられ、図書館から出て行った。
「おやおや。わざわざお出迎えですか」
シリルさんがすごくにやにやしている。気になって、じっと顔を見つめていると、シリルさんがこう続けた。
「ルーデウス君。マティはアイン君のことが好きなんだよ。本人の口から直接聞いた訳ではないけれどね。少しでも良く見られようとしている。
けれど、アイン君はそういうのに鈍感そうだからなぁ……」
「もしかして、アインさんが王太子殿下の専属護衛に選ばれたのって……」
「ああ、それは関係ないよ。もしそうだとしたら、兄上が許さないだろうしね。ただ単にアイン君が強すぎるだけだよ。コネなんかじゃあない。
――ああ、あとアイン君は君より年下な孤児だよ」
「え、えええええええ?!」
今日一番驚いたのは、アインさんが年下で貴族ではないという事だった。