麗しき主従
長年、僕は誰かの顔を見ることはできなかった。
理由は怖いからだ。一番怖かったのは、僕の顔を見た者の態度が急変したことだった。
襲われたり、罵詈雑言を言われたり。何一ついいことはなかった。
だから、僕は顔を隠すことにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「いいじゃない!ねぇ、そうは思いませんか、マティアス様?」
「ああ、確かにな」
グラッチェス様は髪を整えた僕を見て、褒めてくださった。マティアス様は、あまり表情を変えなかったけれど、その分態度を変えることはなかった。
「変、じゃないですよね?」
僕は前髪と、肩につきそうだった後ろ髪をバッサリ切った。右の横髪は三つ編みにして、しっかりと目が見える長さの前髪になった。後ろ髪は前と比べるとかなり短くなった。
「似合ってるわ。自信を持ちなさい!」
「別に変な顔はしていないだろう。何をそんなに怯える必要がある?不埒な奴は権力で追い返せばいいだろう」
「その通りですわ!私も協力します」
「あ、ありがとうございます」
僕を守ってくれるのだろう。
僕はあまり守られたことはなかった。それは、僕が守る側だったこともあるのだが、_九星が迂闊に手を出せない状況にされていたのも確かだ。新鮮な感覚で少しこそばゆい。
少し俯いていると、マティアス様は僕の頭に手を置いて言った。
「お前は俺の護衛だろう?護衛は主人を物理的に守るが、主人だって守られるだけではない。護衛を自身が持つ権力で守る必要がある。何も遠慮することはないな。高貴なる義務というやつだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
Side Matthias
アインはゲームの時、顔の半分は隠れていた。
ゲームのスチルにだって、アインの前髪の奥に隠された黒に近い緑の瞳は見たことはなかった。
アインの瞳を見たのは、俺の目の前でアインが初めて吸血衝動に陥ったときだ。
その時は紅い瞳だった。揺れ動く黒髪の間に燃えるように輝く紅が頭から離れない。
アインはかなりルート分岐に関わっているキャラだ。美形だろうなとは思っていた。実際美形だったし。
ゲームのマティアスはそのままのアインを公共の場に出すと、貴族からの顰蹙を買うだろう、ということは分かっていたが、それに対して特になにもしなかった。
実際アインは貴族にも白い目で見られることとなった。アインはなんとも思ってなかったが。
ジェシカはアインを一番嘲っていた。
あの時は、既に九星はアインを残して全滅していたのかもしれない。
実際に会ってわかった。アインにゲームのような扱いをすれば、九星がすぐ飛んでくる。
ゲームに一切出てきていないのは、そういうことだろう。
それはともかく、俺はゲームのマティアスではない。
そしてジェシカはゲームのジェシカではない。
この世界は乙女ゲーム『白愛』の世界とは離れ始めている。この変化で未来がどういう方向に変わるのか。出来ればいい方向に変わって欲しいが。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
Side Ain
周りが変わった。じっと見られている。一切の隙を許さないように。こういう感覚はあまり好きではない。
九星にいた時もこういうことはあった。
ミスすることはない。しかしミスを期待されているようであまりいい気分ではなかった。
今は余計にそうだ。失敗は許されない。
「緊張しているのか?」
僕がいつもと違っているように見えたのか、マティアス様が僕に話しかけた。
「いえ、そうではないのですが……」
「もっと気楽でいい。どうせ見ているのはお前の顔だけだ」
不適な笑みを浮かべながらマティアス様は言った。
「そんなこと……」
「王太子の地味な護衛がこんなに美形だったんだ。ついつい見たくなる」
「そういうものですか……?」
「俺を疑うのか?」
「そ、そういう訳ではないのですが……」
そう言われると黙るしかなくなる。僕は周囲を見渡して、こっそり溜め息をついた。