元婚約者の話
Side Harold
「お待ちくださいませ、ハロルド様」
その声に、俺は凍り付く。
前に浮気が原因で婚約解消をし、生徒会役員をクビになった女の声。
「話すことは何もない。――アイン、行くぞ」
「はい、ハロルド様」
俺は、あまり会話したくない相手というのもあり、すぐさまグリンダ――オストワルトに背を向けた。
「お待ちくださいませ!話がありますわ!」
「俺にはない。見たとおり、俺の相手はこいつだ。お前ごときにかまけて、ないがしろにする訳にもいかない」
俺の未来の上司であり、この国の王太子であり、友人の男が殊更に気に入っている相手なのだ。
丁重に扱わねば、夜道に注意する羽目になるだろう。
「な、な、な……!その方は、男性ではありませんか!ハロルド様には相応しくありませんわ!」
「そうか?俺はこいつをエスコートできることを、光栄に思っているが?」
なかなか綺麗な男だ。それに、運動神経がかなりいいからか、下手な令嬢よりも踊りやすい。
しかも、女役に回っているのに不満一つ漏らさない。同じ魔族であるラファエルでは、こうはいかなかっただろう。
「でもその方は平民ではありませんか!」
「お前には、そう見えるのだな」
アインの出自は、孤児だと誤魔化しているだけだろう。
そもそも所作が綺麗すぎる。カーティスはともかく、ルーデウスやサティ、ラファエルは気づいていない。あとは、ウィリアムズ兄弟もか。あの二人はカーティスにしょっちゅう絡みに行くためか、アインのことを詳しく観察したことがなさそうだ。
それに、価値観も人間のそれとは、かなり違うところがある。本物の孤児であるラファエルは、かなり感性が人間寄りだったが。
一つ一つのマナーに、いくつか誤りがあるものの、気になるほどでもない。
更に、アインは貴族になることを嫌がっていた。
つまるところ、他国でそれなり以上の身分の持ち主の可能性がある。
これは、全て俺の憶測であり、外れている可能性があるが、その可能性を全く疑わないのは、相手を平民だと、見下しているからだろう。
「そのような平民では、貴方の評価を下げるだけですわ。私ならきっと……」
「別にアインといても、俺の評価は下がらない様だぞ?」
「な……!」
「周囲の声をよく聞いてみろ。俺の評価を下げているのは――お前だ」
俺が現実を突きつけると、オストワルトは狼狽し始めた。
「確かにそうですわ……」
「今更、昔の婚約者に縋るなんて、みっともないですわ」
「昔の婚約者に縋られるなんて、アムステルダム様が可哀想だ」
そんな声が、ちらほらと聞こえてくるのが、オストワルトにも聞こえたのだろう。
「そんな訳ない……!そんな訳!だって私は……!」
「もう目の前に出てくるな」
俺はオストワルトに、そう冷たく言い捨てると、アインと共にその場から去った。
「とてもお美しいお二人ですもの。そういう仲になっても……ねえ?」
「でも、アムステルダム様もアイン様も男性ですわよ?」
「そんなもの、真実の愛の前では、どうでもいいですわ」
俺は、三人組の令嬢のそばを通り抜けた時、そんな会話が聞こえてきた。
俺はアインを見ると、アインはそんな会話など、聞こえていなかったようだった。
「アイン……悪いな」
「いえ……僕が平民なのは事実ですし、今更なことですよ」
「いや……」
アインは、俺がオストワルトの暴言について、謝っているのだと感じたそうだが、その発言が寄り、周囲の勘違いを加速させる。
俺は、マティアス様から、マティアス様が殊更に大事にしているアインを任されたことに対し、それを光栄に思っているだけな上、それをオストワルトに言っただけだ。
それはアインも理解しているらしいのだが、オストワルトを始め、周囲の人間は勘違いをしているらしい。
それに、俺はアムステルダム家の一人息子であり、俺が子を設けるのは義務だ。
その義務を果たせない相手と一緒になることはないのだが……。
「!!」
俺は寒気がした。一体なぜ……と思いながら会場全体を観察する。
「どうしましたか?」
アインは、俺の異変に対し、不思議に思っているが、それどころではない。
「マティ様がこちらを見ていますね。行きますか?」
「ああ……」
俺は、気もそぞろに返事をするとアインは、分かりました、と言い、俺を伴って歩き始めた。
俺は、マティアス様の元へと向かいアインと一緒に歩きながら、ふとマティアス様の方を見ると、背筋がぞっとした。
そこには、笑いながら嫉妬で怒り狂っているマティアス様がいた。
一体俺が何をしたというのだろうか……。そもそも、俺は男を好きになる趣味はない上、アインだって俺のことが好きな訳がない。
なのになぜ、あんなに嫉妬しているのだろうか……。
それに気が付かないアインもアインだ。アインのその態度が、マティアス様を不安にさせているのではなかろうか。
ジェシカ嬢という、立派な婚約者がいながらすることではないが、ジェシカ嬢はマティアス様に気持ちがないように見える。
だからなのか、マティアス様の恋を一番に応援しているのがジェシカ嬢のような気がする。
ただ、マティアス様は王太子だ。子を設ける義務がある筈なのだが……。
俺の腕を掴むアインは、服の上からではわからないが、かなり筋肉質だ。元々軍人な上、王族の専属護衛を務めるのだから、当然かもしれない。
「さて、ハロルド。あとで話をしようか――二人きりで」
開口一番に言われた言葉を、俺は死刑宣告のように聞こえた。




