琥珀の旅日記 3
さて、報告するか。
俺は、筆を手に取り、報告書を作成する。
まだこの国を全て見回っていないため、少しだけだ。
明日は、貧民街をのぞいてみよう。もしかしたら、姉上の半身も見つかるかもしれないし、月影の半身もいるかもしれない。
あのお騒がせな二人が、さっさと身を固めてくれさえすれば、色々と安心なのだが。
そんな考えが頭に浮かび、消える。
――月影はともかく、御影姉上は、ストッパーが増えるだけでやらかしは止まらないんじゃないか?
あの暴れ馬が、半身を見つけたからって止まる訳がない。
けど、確実に雪影兄上の苦労はなくなるだろうな、と思いつく。
雪影兄上は、もうちょっと伴侶との時間があった方がいい。
第二魔王子妃である玉響様は、本当に人格者だし、あの姉弟を見ても変わらず雪影兄上に愛を向けているから、かなり信用できる。
雪影兄上は確かに美形だけど周囲を惑わすほどじゃないんだよな……。妹と弟があれだからかもしれんが。
となると、いくら美形で生まれたとて、いいことだけじゃないんだな、と思う。
御影姉上はとんでもなくモテまくるし、月影は変態おじさんに大人気だ。特に金華の当主である白柊には特に。
金華って、本当に変態しかいない。一番ましで天使趣味の奴がいるくらいだ。
悪魔が天使にって……。
それはともかく、やはりこの国の違法奴隷はなんとしてでも救いたい。
あの可哀想な感じが、月影とどうしてもダブるのだ。
気弱で心優しい月影。俺に、守るだけの力があれば、月影はこんなにも長い間、行方不明になることはなかったのだろうか。
「あーあ、やめだやめ!!」
一人でいると、どうしても暗い思考になってしまう。俺の悪い癖だ。
まず今は、俺がやれることをしようじゃないか!俺は腐っても第八魔王子だ。そんじょそこらの奴とは、できることが段違いだ!!
俺は決意を新たに決め、時間が来るまでしっかり寝ることにした。
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クラテール貧民街未明。
俺は、目立たないように暗めの色の服を身にまとい、できるだけ顔を隠す。
雨影母上や、雪影兄上、御影姉上にそれぞれ隠密についての特訓を叩きこまれていたため、ある程度は動ける。
かといって、本職ほど動けないが。
不気味なほど静まり返るこの町に、俺は音を出さないように注意する。
ここに、奴隷はいない。こんなところに違法奴隷を置くほど馬鹿な奴はいない。……少なくとも、俺はそう信じている。
奴隷は、奴隷紋という、相手を隷属させる魔法陣を使って隷属させる。
それを破壊すればその奴隷は解放されるが、そう簡単でもない。
下手をすれば死んでしまう可能性があるのだ。俺ができることは、然るべきところに、事細かに通報すること。
決してそれ以上はしない。
俺はそう自分に言い聞かせながら、近くのぼろ屋――そもそも建物なのか?――に忍び込んだ。
中にはすっかりやせ細った男が寝こけていた。
俺は、男を起こさないように、慎重に身を隠す。
身を落ち着けてしばらくしただろうか、乱暴にこのぼろ屋に押し入ってくる複数の足音が聞こえた。
「だ、誰だ!?」
「貴様、頭が高いぞ!!」
「誰に向かってものを言っている、この下賤な民め!!」
男の声に、男たちが怒鳴り返す。すっかり、男は怯え切ってしまったようだ。
「来い!貴様に拒否権はない!!」
「な、何を……!むぐっ!?」
「つべこべ言わず、さっさとついて来い!!」
男たちは、男の口に布を乱雑に突っ込み、強引に黙らせる。
男があたふたしている間に手早く腕や脚を縛り、麻袋を被せる。
そうして、男を連れ去ろうとしたその時に、俺は姿を現した。
「はいはいちょっと待った待った」
「誰だ貴様!!」
「見られたからには生かしておけん、おい、殺すぞ!!」
「何でそんなに血気盛んなの、さ!!」
俺は、次々に襲い掛かってくる男たちに、合気道で制す。
久遠独特のこの武術に、男たちは手も足も出なかったようで、すぐに床に這いつくばることとなった。
「よし、現行犯だな、という事であとよろしく~」
俺は、虚無に向かって語り掛ける。
何をしているんだ、という懐疑な視線など気にも留めない。
「かしこまりました、琥珀様」
突然後ろから声がし、俺は内心心臓が暴れ狂った。
「……ちなみに、いつからいたの?」
「琥珀様が久遠から出発される時から我々は同行しておりますよ」
平常心を取り戻しながら、気になったことを聞けば、そんな答えが返ってきて、俺は恐怖を感じた。
彼らは御影姉上の腹心の部下――夜蝶だ。俺よりもこういうことに慣れているプロたちだ。
その中の恐らく隊長が、俺に話しかけた。
クラテールに入ったとき、変な気配に気づき、存在を認識した。
彼ら的には、俺が厄介ごとに首を突っ込んで、変な事態を起こさないように、先回りして存在を主張していたのだ。
何が怖いって?俺が久遠を出て旅をしたのがかれこれもう11年になるからだよ!!
え……エルフの里を訪れた時にもいたのか?流石にそこまではいなかったと思うのだが……。え、いたのか!?
「一度琥珀様を見失った際、より一層厳重に観察しておりました」
あ、エルフの里の時かー!あれ、部外者(俺以外)は立ち入れないもんな。
……ん、観察?
「それを人は監視と言うのでは?」
「いえ、観察です」
「……」
こういう意志の強さは、御影姉上に似てる。
俺は御影姉上に一回も勝った試しがないから、早急に諦めることに決めた。
「本国に報告いたします!」
「ご苦労」
「さて、聞こえてるか?」
俺は、夜蝶の会話を右から左に流しつつ、自分が倒したうちの一人の男に歩み寄り、頬を軽くたたく。
「うぅ……」
「聞こえてるな。まず、違法奴隷は国家間で禁止されていた筈だが?」
「……」
「前々から怪しかったんだ。姉上が忙しすぎて、なかなかクラテールまで足を延ばせなかったようだがな」
「……」
「俺が来たのが運の尽きだったな。大人しく諦めろ」
俺は、そんな言葉を吐くと、男を気絶させた。
夜蝶は、男たちを担いでいる。
「久遠に持ってくのか?」
「はい。何人か夜蝶の者を置いてきます。決して、撒かないように」
「そもそも撒ける訳ないだろ、俺が」
「いえ、どうでしょう。一度我々は琥珀様を見失いましたので」
「エルフの里には行かないから。きっと、つまんないだろうし」
「そうですか」
夜蝶の隊長は、そっけなく返しただけだった。
「明日クラテールを出る。それだけは覚えてくれ」
「了解しました」
その言葉と共に、この場に残されたのは、このぼろ屋の主と、俺だけになった。
俺は、静かにあの場所から立ち去った。




