油断大敵
あの一件以降、僕が殴られる事は無くなった。驚くべき変化だ。僕は殴られたかった訳ではないので、王太子――マティアス様に感謝していた。
加えて、僕はまだ、量を食べることはできない。野菜だけでも満腹になってしまう。よく分からない物も、あまり食べたくない。野菜にドロッとした液体が掛かっていたが、避けた。他の料理も、馴染みがなく、手を出しづらい。よって必然的に栄養が足りなくなってしまうので、マティアス様の血を飲んで凌いでいる。感謝してもしきれない。
ここまで甘えているのは、心苦しいが、不思議と忌避感はない。僕のお気に入りは、首筋から吸う血なのだが、正面からだと、抱きつくような姿勢になってしまう。
今までは、それが嫌で背後から飲むか、違う所から飲んでいたが、マティアス様には、寧ろ率先してやりたいのは、僕が彼を警戒しているからだろうか?漸く僕の中の危機感が仕事してくれたのだろうか?
それに、最近はマティアス様を見ると、あの一件の事を思い出して、動悸がする。血を吸おうとすると、赤面する。一体、僕はどうしたのだろうか。医者に掛かった方がいいのでは、と最近は思う。
「お前はあまり食べないな」
僕は、責められているように感じ、俯く。やはり、甘えすぎたのだろうか。
「幾ら血を飲んでいても、これでは痩せたままだろう?さあ、食え」
マティアス様は、僕に汁物を掬ったスプーンを差し出す。僕は、それを食べてみることにした。
「!!」
「フッ、ほら、食え。命令だ」
「~~♡」
美味しい。真面な料理は久し振りだったので、より美味しく感じるのだろうか。なんだか、マティアス様がじっと見ているが、何かおかしかったのだろうか?
それから僕は、マティアス様の手ずから食べさせて貰うのが習慣になっていた。他人に真面に甘えるのは、何時振りだったか。九星の皆には、ずっと甘える訳にもいかなかった。
いつも忙しそうで、人に構う時間など、最近では全くと言っていい程なかったし、なさそうだった。最近では話は、偶然廊下で出会った時位しかしなかった。
だから、甘えたくても甘えれない。戦友に、僕の我儘で、迷惑を掛けてはいけない。
本能的な恐怖の中、僕は無意識に癒しを求めていたのかもしれない。でも、理性がそれを止め、自覚を追いやった。
だからだろうか。自分を甘やかしてくれる存在に、僕は受け入れていた。警戒を解いてしまっていた。それがなければ、あんなことは起こりえなかったのだろうか?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
マティアス様の容姿はかなりいいのだろう。実際、蝙蝠達が、彼が貴族令嬢に言い寄られているのを見ていた。城のメイドたちが顔を赤く染めていたのを見ていた。大人たちが、彼の容姿を褒めそやしていた。
そこに、前髪で顔半分が隠れている、この国の国王を暗殺しようとした暗殺者である僕が来た。美しい王子であるマティアス様は、得体の知れない陰気な暗殺者を世話し始めた。
当然、自分より遥かに劣っている存在が、マティアス様に世話して貰っている状況は面白くなかったかもしれない。だからこそ、こんな暴挙に出たのだ。
結論から言うと、僕はどこかにある廃屋に閉じ込められた。行ったことのある場所なら、何とかなったかもしれないが、ここは知らない場所。匂いからして違う。気絶していたのも悪かった。
どこか分からなくとも、色々とやりようはあったのに。九星ーが一人、“鮮血の死神”が情けない。
僕は、男性――特に大柄な男性が苦手だ。過去のトラウマから起因するものだが、それが致命的過ぎた。前に僕を殴っていた騎士は、そこまで大柄ではなかったため、耐えられた。細身の男性はある程度は大丈夫。しかし、しっかり鍛えており、体が筋肉で覆われている者は駄目なのだ。
僕は、マティアス様への警戒が皆無だった。血が極上だったからかもしれないし、半身だったかもしれない。ひいては、今、唯一僕を甘やかしてくれる存在だからかもしれない。
だから、彼からの呼び出しに、碌に下調べせずに応じてしまったのは、誰の目から見ても、愚策だっただろう。呼び出し先には、マティアス様はおらず、代わりに屈強な騎士がいたため、僕はあっさりと意識を手放してしまったのである。我ながら、無防備だ。
僕は廃屋にぽつんと置いてある、白いベッドに手足を括りつけられていた。下手に縄を解くよりは、状況を確認した方がいい――。僕は、蝙蝠達を外に出し、視覚共有で外の様子を探った。この廃屋の中も調べたが、所々の木が腐っているらしく、崩れている所もあった。
――なんで、こんなところに?
犯人たちの意図が分からなかった。ここまで遠くに連れ出しておいて、未だに何もしていない。長い前髪がそのままなのが、いい証拠だ。
――誰か来た!




