魔王太子の苦難
Side Shigure
父上が臥せっている部屋のふすまを静かに開ける。そこには、教則にもたれかかる父上がいた。
「父上、気分はいかがでしょうか」
「ああ……。大丈夫だ」
「然様で。――未だ、月も論文も見つかっておりません。そして――彼も」
「佐倉の家は、煩くて敵わん。だが、佐倉の家に先祖返りが誕生したのは、何かの運命だったりするかもな」
父上のその言葉に、冗談でなく顔が引きつる。
「ご冗談を。どうせ、半身でない彼岸同士、上手くいく訳がありません。ましてや、二人とも吸血鬼なのですよ?」
「そうだったな。上手くいく訳がない」
朗らかに笑う父上だが、ふと心配そうな表情を見せた。
「私の最も心配しているのは、月影だ。あの婚約は、次月影が帰ってきて、離宮で暮らすとき、解消するのだろう?」
「はい、そのつもりです。少なくとも――突きを置いて消えた彼は、もはや信用なりません」
「はは、彼は魔王太子に嫌われたようだな」
僕はバツが悪い顔をしつつ、話を変えることにした。
「父上……もう」
「ああ……あまり長くは持たないだろうな」
「…………あと如何ほどで」
「持って5年。少なくとも――3年だろうな」
「それを避ける方法は」
「ある訳がないだろう。むしろあったら、先人たちがとうの昔に実行している」
その言葉に、僕は沈黙せざるを得なかった。
父上は、とても優秀な魔王だった。それこそ――僕がまだ、即位するのに躊躇うくらいには。
「御影は、相変わらずか?」
「ええ。相も変わらずに、ちょっかいかけてきた貴族令息を拳で返り討ちにしております」
「それはそれは。――全く、御影はお転婆だ」
「お転婆など、可愛らしい言葉で表現しないでくださいよ。あのじゃじゃ馬は、また蘇芳と喧嘩をしましたよ」
「月影のことでか?」
「はい……」
三男である蘇芳は、末弟の月影をあまりよく思っていない。兄弟間での対応に大きな格差がある。
そして蘇芳や三女である梓、七男である翠雨は特に酷い。
それ以外にも理由はあるが、月が気弱な性格になった。別に、父上も同腹の兄姉である雪影、御影そして、彼ら三人の生みの親である雨影母上は、気弱とは正反対の性格をしている。
むしろ、皇家で気弱な性格をしているのは、月しかいない。
逆に月に好意的なのは、僕、長女の梅、次男の雪に次女の御影、そして八男の琥珀だ。
後はほとんど無関心だろう。流石に、月影が他の兄弟に泣かされていたら、止めるくらいはするけれど。
「まだ、下の子供は手がかかるな」
「琥珀もとっくに成人しているのに……兄弟で何やってるんだか」
「そう言ってやるな。あの子たちも、複雑なのだろうさ」
「でも、やっていいことと悪いことがあります。それに、成人済みが幼い子供に寄って集ってみっともない」
僕は大きなため息を吐く。正直、御影が起こる気持ちもわかる。だからこそ、御影を強く叱る気にはなれないのだ。まあいつも叱れないけれど。
雪がいつも叱ってくれているし、あの時も喧嘩両成敗でしばらく氷漬けだったから、僕はそれに甘えさせてもらってる。
「まあ、可哀想、と言って鳥籠に閉じ込めておくのも、私は違うと思うけどな」
「……」
突然の言葉に、思わず押し黙ってしまう。
「月影も立派な彼岸だ。当然、自衛はできるさ」
「でも、それは今の話であって――」
「今の話だからだ。時雨、今月影が帰ってきた時、風月宮にまた閉じ込めないか?あの子の意見も何も聞かずに」
「それは……」
恐らく、ではない、絶対に、する。むしろ、そういう計画もあるくらいだ。
「あの子はもう強い。それを琥珀以外誰もわかっていない」
「……僕の中では、いつまでも可愛い弟です」
「だからわかっていない」
言うことを聞かない子供に言い聞かせるように、父上は言った。
「月影は、彼岸で始祖だ。吸血鬼ではあるものの、久遠の誰よりも強い存在。時代が時代なら、月影が魔王太子だ。――そんな月影を、可愛いから、と言う理由でまた閉じ込めるのか?要はもういない。天夜だってそうだ。なのに、月影は昔のままなのか?」
「それが、あの子の――」
「ため、じゃないだろう?彼岸だからな、半身が必要だ。それに、可愛い子には旅をさせよ、とよく言うじゃないか。もう、自分の意志で何も決めれない子供じゃない。――月影は、外の世界を知っている。なら、それなりに経験を積んでいる筈だ。信じてやれ」
信じてやれ。その言葉が、深く胸に刺さる。
――そうか、僕、月のためとか言って、月を全く信じていなかったんだ。
「父上。僕、月を信じてみることにします。そうですね、月は小さくて、可愛くて、気弱で、誰かが引っ張らないと何もできないような子だった。でも、月は僕の知らないところで成長している。もう、僕の知っている月は、いないんですね」
「なかなか性根は変えられん。だが、経験は行動を変える。――みんな、小さい月影について争うから、争う。それに、月影が自分のことで兄弟が喧嘩漬けなのは、自分を責めそうだ」
その情景が鮮やかに思い浮かぶ。思わず苦笑してしまった。
「そうですね。御影に釘を刺しておきます。――父上、ありがとうございました」
「こういう会話も、いいな。これが、もっと続けばいいのだが」
父上の瞳が、寂しそうに揺れる。僕も、少ししんみりとした気持ちになったが、気持ちを切り替えて、父上を元気づけるように言う。
「……できる限り、会話をしましょう。僕はまだ、父上に聞きたいことがあるので」
「そうか。それは嬉しいな。次は、弟か妹を連れてきなさい。――梅も気負っているようだし、梅がいいかもな」
「伝えておきます」
梅も、僕と同じく気負っている所がある。雪と御影は、御影のやらかしに雪が起こるという感じで、ストレスが発散されてそうだ。いや、雪は差し引きゼロかな?