冷たい婚約者と暖かい恋人
Side Glinda
ハロルド様は、幼い頃から婚約者である私に、最初はあまり興味を抱いてはいらっしゃらなかった。
私たちは、互いの家の結びつきを強くするための、いわば政略結婚。私は幸運にも、ハロルド様に一目惚れした。
きりっとした涼やかな目元、すっと高い鼻筋に、薄い唇。もう既にかけていた眼鏡が、彼を更に知的に見せていた。
私の容姿は、父譲りのつり目と厚い唇、母譲りの高い鼻筋。よく人から褒めそやされることが多い顔だ。
私が微笑めば、年頃の男の子たちは、みんな顔を真っ赤にした。だからこそ、初対面で興味ない、という反応をされたのは、初めてだったのだ。
「ハロルド様、今日のドレスはいかがですか?」
「……また新しいドレスを買ったのか」
私は新しいドレスの感想を聞いたのに、返されたのはそんな言葉だった。
「そんな、つれないことを言わないでくださいませ」
「……はあ、浪費をやめろ。俺は、浪費家が嫌いだ」
まるで、無駄なことばかりしている、と言われているようで、あまりいい気はしなかった。
「これは浪費じゃありませんわ。わたくしには、必要なんですの」
「……とんだ戯言だな」
ハロルド様に、婚約者として意識してほしいだけなのに、そう冷たく言い捨てられた。
私は、そのまま私に背を向けて去っていくハロルド様を、ただ見ていることしかできなかった。
両親は、婚約者から無碍に扱われる私のことを、慰めてくれた。私の欲しいドレスもまた買ってくれた。ハロルド様も、こうだったらいいのに。
パーティーの時に、パートナーになってくれるし、最初のダンスももちろんハロルド様とだ。婚約者として、最低限のことはしてくれる。最低限だけ。
でも、学園に入学すれば、寮生活となるため、もっとハロルド様と時間を過ごせる、そう思っていたのだ。
「ハロルド様、一緒に――」
「悪い。今日は予定があって忙しい」
「ハロルド様、今日は――」
「今すぐ王城に行かなければならない。前々から話していたと思うが」
「ハロルド様、お昼を――」
「マティアス殿下と共に取る予定だ」
来る日も来る日もハロルド様に断られ続ける。それなのに、平民ごときが、ハロルド様と仲良さそうに談笑している。公爵令嬢の上、婚約者である私が、ほとんどハロルド様と過ごせていないのに。
「ハロルド様、こういうジャンルの小説も、挑戦してみてはどうでしょう!?」
「ああ、いいな。だが――これは、高位貴族と平民の禁断の恋がテーマの小説だろう?」
「――ハッ、そんな意図はありません!気づきませんでした……」
ピンク髪の女が、ハロルド様と話している。私は、ずっと会話らしい会話をしたことがなかったというのに……!
憎い。たかが平民の癖に、この私を差し置いて、人の婚約者に色目を使うなんて……!
だから私は、ガブリエルに言ってあげたの。”貴女の大切な婚約者に、色目を使っている平民女がいるの。貴女――その平民から舐められているのよ。どう?許せるかしら?”と。
そうしたら、面白いくらいに思い通りにいってしまって、つい笑いを抑えるので一杯だったわ……。
でも、あの女はやっぱり使えない。流石、生徒会に入れなかっただけはあるわ。階段から突き落とすにしても、人気のない所に呼び出して、黙って突き落とせば上手くいったのに。
途中であの女ほどではないにしても、ハロルド様と仲がよさそうな平民男に助けられるんですもの。
あの女、ハロルド様だけに飽き足らず、別の男にも粉をかけ、更にジェシカ様にも取り入って……。
本当に、どこからどこまでも邪魔で面倒だわ……!
取り巻きに命じて、あの平民女に嫌がらせをしたのに、一切傷ついた様子はない。どこまで仕事ができないの!!それとも、あの女が異常に図太いだけ?
でも、あの女の頭上で、雑巾のしぼり汁が入ったバケツをひっくり返してやった、と聞いたのに、そのすぐに生徒会室に現れたあの女は、全く濡れていなかった。つまり、失敗したという事。本当に、役に立たない。
嫌がらせの一つや二つ、まともにできない訳!?あの女への嫌がらせが失敗する度に、ハロルド様からの視線はどんどん冷たくなる。踏んだり蹴ったりよ!
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そんなある日、私は珍しくハロルド様から誘われたカフェで、スイーツを楽しんでいた。
「このケーキの味は、まあまあね。飾りも――及第点かしら」
「文句を言うな」
「あらやだ、ハロルド様。文句ではありませんわ」
「どうだか」
険しい表情のまま、コーヒーのみを頼んだハロルド様の顔には、不本意という心情が隠しきれていない。そもそも、隠す気もないのだろう。
「次は、ドレスを見に行きましょう!ハロルド様にも、ぜひ選んで欲しいのですわ」
「元々、カフェに行って帰るつもりだと話した筈だが?」
突然の私の言葉に、ぎろりと睨むハロルド様。それに屈さず、私は自分の意見を言った。
「いいじゃないですか。久しぶりに婚約者と出かけるのですのよ?」
「予定外の行動は嫌いだ。ここで散財する気もない。帰るぞ」
「いいじゃありませんか!少しくらい、予定から外れる日があっても!」
そのまま待たせてある馬車へと向かおうとするハロルド様に私はそう叫んだ。
「それと俺がお前のドレスを見繕う理由にはならない。――お前は普段制服で、碌にドレスに腕を通さないだろう。なら、必要ない」
「必要ですわ!」
「不要だ。そこまでドレスが欲しいなら、俺だけで帰る」
私の言葉をバッサリと切り捨て、ハロルド様は今度こそ私に背を向けた。
「ちょっと、婚約者に冷たすぎではありませんか?」
私は、ハロルド様の背中に、そう問いかける。
「……いくつクローゼットを満杯にしてきた?もう着れなくなったドレスの中には、一度も着たことがないドレスも多いらしいな?それでまだドレスが欲しいと?いい加減にしろ!!」
言葉の途中で振り返ったハロルド様は、そう私を怒鳴りつけると、そのまま歩き去ってしまった。
私は、そんな婚約者の背中を、呆然と見つめることしかできなかった。
「美しきレディ、どうしましたか?」
「私に気安く話しかけないで、平民」
突然現れた不審な男に、私は低い声で突き放した。
「しかし、泣いているレディを、オレは無視することはできません」
「あら……お上手ですわね」
私は言われるまで、涙を流していることに気が付かなかった。
「ふふ、まるでお嬢様のような口調ですね。――冷たい婚約者によってつけられた傷、俺が治して差し上げたいです……」
「あら、私は貴族令嬢ですわ。そこら辺の平民と一緒にしないでくださいませ」
「それでも、あんなことを言われれば、誰でも傷つきますよ。――お嬢様をエスコートする栄誉を、オレにください」
芝居がかったようにそう言う男に、私はつい笑ってしまう。
「あら、そんな口説き文句で私を落とせるとでも?――まあいいわ。ほら、私をエスコートしなさい」
「光栄です」
その男は、私が一目惚れしたハロルド様より整っている、という訳ではなかった。でも、ハロルド様より優しくて、気が利いた。それに、私の話を微笑みながら聞いてくれる。そんなこと、ハロルド様相手には、想像もできなかったことだった。
だから、簡単にはめられてしまったのだ。まさか、ハロルド様と婚約破棄させるために、この男は私に近づいたのだと。私はそれに気づくことができなかった。
ハロルドが冷たすぎ問題もあるが、一番は浪費癖の酷さ。多分儲かってる方の公爵だから、生活が成り立ってるくらいの。
その上、ハロルド自身、そこまで恋愛に積極的でもない。だからこそ、愛人を囲うこともしない。第二夫人も妾も作らない。ある意味誠実。
あとは、甘やかされて育ってきたから、当然性格も悪い。いいのは家柄と容姿と頭だけ。
サティを虐めていたのは、アインから聞かされていたため、ますます嫌いになったが、マティから、たまには婚約者と交流しろ、と命令され、予定に穴を作ってグリンダと一緒にデートした。
忙しいのは本当。忙しいのに、ずっと話しかけてくるグリンダを、ますます嫌いになった。
もし、グリンダが気遣いできて、浪費癖もなかったら、ハロルドとうまくいっていた可能性が高い。
ついでにハロルドがもう少しグリンダに優しかったら、グリンダもここまで浪費することもなかった。
完全に相性の問題。




