一握りの希望
Side Miria
私はあの時の事が未だに頭から離れない。ある意味トラウマにもなっている出来事だ。会合では何でもない風に振舞ったが、実際は物凄く心配している。それどころかこの二年は気が狂いそうだった。仕事の多忙さで何とか正気だった感じだ。01もラースもまだあの出来事を乗り越えれてはいない。勿論、私も――。
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――6年前
「01!!」
ラース――まだこの時は05――が叫んだ。私は頭が真っ白になって、指先一つ動かせなかった。血溜まりの中で、虚空をただ見つめる01が、左胸にナイフを生やして横たわっているなんて、嘘だ。この鉄の匂いも、何で何でと叫ぶ少女の声も、この喉の痛みも。01を抱きしめた感覚も、血の滑る感覚も。二人分の涙も絶対――
「ああ、ああああああああ!!!!!!」
――嘘に決まってる。
呆然としながらも、タイミング悪くここにいないララ姉――まだ04――の繋ぎとなれるよう、震える手で虚空を見つめる01の治癒をする。ラースは01を横抱きにし、自分の部屋を目指している。そこが最も安心できる場所だからだ。一緒にいた3人の参謀には、01にこんなことをした犯人たちを捜させていた。
「一緒に風呂に入ろう。少し体が冷えてる。それに、血が付いたまま、ってのも嫌だろ?なんせ、01は潔癖症なンだからさ」
「ええ、そうね。ええ、それがいいわ……」
01を風呂に入れたが、身動き一つしなかった。瞬きはしているし、心臓も動いている。体が冷えてるって言っても精々指先程度だし、息もしている。死んではいないのだ、そう、体はまだ。
「俺たち彼岸の魔族は、あれだけじゃ死なない。だが、心は違う。幾ら強い力を持っていようが、幾ら人間や此岸の魔族と生態が違っていても、心まで強いと決まった訳じゃないンだ。
それなのに何故、人間は分かろうとしない?魔族は人間と同じなンだろ?魔族は此岸の魔族と彼岸の魔族、その両方を指すンだ。
どんなに数が少なかろうが、強い力を持っていようが、俺たちは、悪口言われれば悲しくなるし、褒められれば嬉しくなる。
そして――傷つけられたら痛いンだ」
「ええ、なのに、それなのに!!どうして01が傷つけられなきゃいけなかったの?!」
その彼は今、ベッドの上で眠っている。ラースが気絶させたのだ。いつまでも寝ないから。
「01は一番幼いからなァ……。それに彼岸の魔族が物珍しく映ったのかもな。どちらにせよ、胸糞悪ィ。魔族を……彼岸の魔族を魔族と思わないなンてなァ……!」
ラースの強く握りしめた手のひらからは血が流れていた。
ラースは、吸血鬼である01と同じく彼岸の魔族だ。彼は鬼人で、種族的にキレやすい。だが、今ラースがキレているのは、彼が鬼人だからだけではないだろう。
「03!05!01の容体は!!??」
ノア兄――まだこの時は06――が必死の形相で駆け付けてくる。
「体は元気だが、心は元気じゃない。多分何なんかしらの精神障害が出る筈だ。後は、一応03が治癒したとはいえ、04に診て貰った方がいい」
「心臓にナイフが突き立てられたって――!」
「彼岸の魔族はあれじゃ死なない。持ってる力が強すぎて半ば世界の理から逸脱してンだ。
鬼の場合は角を折って柊のついた刀で首を切らないと死なないが、吸血鬼の場合も細かく決まっているンだ。
銀の杭を心臓に打ち込み、その上から高純度の聖水を掛けなければ死なない。今回は、心臓にナイフを突き立てられただけで、何の手順もないしな」
ラースが丁寧に説明してくれる。その間にノア兄は落ち着いてきたのか、いつものポーカーフェイスに戻っていた。
「……だから全く慌てなかったのね」
「死なないと、分かっていたからな。でも死なないだけだ。当然痛いし、そのままだと体調も悪くなる。それに、こういう時は、俺がしっかりしなきゃな……」
「……」
「――二人共、今日はもう休みなさい。酷い顔をしているから。心のケアをしなくちゃならないのは、二人だって同じだよ」
重くなった空気を振り払うように言ったノア兄に、強制的に休まされた。その後、01は失声症と対人恐怖症を患っていた。
私は、今でもあの出来事を忘れることができない。私の記憶に深く突き刺さり、しつこくこびりつく恐怖は、誰にも拭い去ることはできない。
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Side 01
「何故そんなに苦しそうなんだ?」
「殿下?」
「……」
――こわい。
「教えろ。お前を苦しめているものをな」
「……」
――またきずつけられる。こわい……!
「……体中の傷が原因か?」
「――!!」
体がビクッと震えた。
――どうしてわかったの?
僕は、王太子を見上げた。
「あの傷は暗殺者の戦いではできない。そもそも誰も見たことのない“鮮血の死神”だ。見たこともないのに傷をつけることはできない。それにあの時、衰弱していた筈なのに――強かった。つまりそういうことでしょう、殿下?」
――このひと、やだ。
「貴様にしては上出来じゃないか。一体どうしたんだ?」
「貶さないでください!」
「フッ。まあ、これで“絶対零度の司令官”の意図が分かった。してやられたな!別に弱点を晒している訳じゃない。ただ絶対に安全だと分かる所に預けているだけだ。セオドアの王族が可哀想な暗殺者の子供に無体を強いたら、民衆の反感を買うからな」
06は二兎追う者は二兎とも得るタイプだ。ただの傍から見たら何気ない一手に全てを掛けていたりする。そうして自分の目的を全て達成する人だ。僕がセオドアに行くことは未来視で見ていたのだろう。そこから自分の望む未来を選び取った。恐らくまだある――。
「アルフレッド。兎に角視界に入らないようにしろ。トラウマがあるらしい」
「し、しかし……!」
――なんでわかったの?
僕は、王太子をじっと見つめながら首を傾げる。
「俺は何があってもお前の味方でいてやる。あいつもお前の味方。解るか?」
――こわい……。
「お前のトラウマは知らん。だが、俺もあいつもお前を傷付けない。それは、お前の所有者である俺が許可しない。いいな」
そう言って、僕を本当に気遣っているのか、王太子は手を伸ばしかけてすぐに引っ込める。そして立ち去ろうとしていた。
――ま「って!」
僕は慌てて思いっきり手を伸ばした。手は王太子にかすりもしなかった。
だが、驚いたように王太子は振り向く。記憶にない声が聞こえて僕は、少なからず動揺する。
「今……」
――え?
僕は今、声を出した?