高速道路を歩いていると内閣総理大臣の車に乗せてもらった夢
気がついたら、どこかの道の上に突っ立っていた。道といっても、黒いアスファルトで固められた地面と、真新しい白線がひかれている道路だ。車線の間には、薄汚れた白いガードレールがある。
脇には、俺の身長の3倍はある高い壁がそそり立っていて、さらに上には、深い緑色の先細りした葉を持つ木が、わずかに見えている。こそこそと小刻みに揺れる葉っぱの様子を見ていると、まるで木のほうが、俺を覗いている感じがした。
周りから得られる情報は、これだけしかない。白と黒しかない道路、灰色の壁、壁の上からわずかに見える緑、殺風景という他ないだろう。そしてこの道路は、前方の地平線まで果てしなく続いていた。
できるだけの考えを巡らせて、俺は今、高速道路のような場所にいるのだと推測した。なぜ、俺がそんな所に徒歩でいるのかは全く不明だし、どうやってここまで来たのか、それすらも覚えていない。だけど、じっと待っていても、何の打開策にもならない気もする。
とにかく、俺は歩きはじめることにした。
人がギリギリ入るぐらいのスペースの路肩を、気持ち、大足で歩いていく。時折、俺の横をスピードにのった車たちが、風を切り裂く音とともに通り抜けていった。車線が1つしかないせいもあるが、けっこうすれすれの距離感だ。ドライバーも俺を意に介する様子はなく、車はあっという間に地平線を越えて消え去ってしまう。
トラックやバスなどのデカい車両が来たときは、もう音でわかるから、接触事故にならないよう脇の壁にへばりついてやり過ごすようにした。通過したあとで黒く淀んだ排気ガスを吹き付けられると、暗に『邪魔だ』と言われているみたいだった。
しばらく歩いていると、黒い半円が地平線の彼方から現れた。近づいてみると、どうやらトンネルらしい。不思議なことに、このトンネルの周辺に山などはまったく無く、ただ筒状に伸びた穴が、道路の途中から続いているのだ。なんだこのトンネル、意味あるのか?
入り口までたどり着くと、ナトリウムランプのギラギラした黄色光が目に飛び込んできた。外より明るいかもしれないその光に、俺は目を細めながら中へと進んでいく。
そのトンネルの長いこと、長いこと。いくら歩いても出口がまったく見えやしない。いったいあと何キロ続いているのか、想像するのも嫌になる。
道中あまりに暇だったので、意味もなく、スキップしたり、全力疾走したり、くるくる回りながら進んだりしていた。トンネルの中で大きく響く足音は、歩き方によって様々な変化を生み出していたが、そんなものはすぐに飽きてしまう。なによりもこの、絶え間なく続く、ギラギラの黄色の光がきつい。頭が痛くなりそうだ!
遥か遠方から、外の美しい白色の光が見えた時には、思わず歓喜の声をあげてしまった。一刻も早くこの黄色地獄から抜け出そうと、俺は自然と駆け足になる。
出口がわかってしまえば、それからは早いものである。俺はあっけなくトンネルを抜け、外の世界へと戻っていった。中にいるときはあんなに退屈な思いをしたが、達成感みたいなものは出てこなかった。
振り返ると、『トンネル:長さ5キロ』と記された看板が見えた。
たった5キロだったのか、そうか。車に乗っていたら、これぐらいの距離のトンネルは、ストレスも何も感じずにただ通り過ぎていたんだろうな。
そんな雑感を浮かべつつ、俺は改めて前に向かって歩きはじめた。
トンネルから出てしばらくすると、いつの間にか道路は片側2車線になっていた。路肩も広くなり、俺は幾分余裕をもって歩くことができるようになった。
一方で、だんだんと車の交通量は多くなり、速度も増していた。時々、弾丸のように駆け抜けていく鉄の塊があって、俺は思わず委縮してしまい、壁のほうに身を寄せるようになった。
「おーい、そこの君、何をしているのだね?」
不意に、後ろのほうから声をかけられた。俺は最初、警察かと思い、気まずそうに振り返った。ところが、後方の路肩に停車していたのは、パトカーのイメージとは真逆の、キラキラと光を反射する真っ赤なボディを持ったスポーツカーだったのだ。運転手の壮年の男性は、俺に向かって手を振っている。
「ああ、えっと、すみません。ちょっと都合があって、高速道路を歩いていまして」
俺はまったく意味不明な返答をした。
「ほう、珍しいね、今どき高速道路を歩く人なんて、目的地はどこかな?」
「あー、えー……」
言葉に詰まってしまった。当然だ。俺がなんで高速道路を歩いているのか、目的地はどこなのか、自分自身でもわかっていないのだから。
「ふむ、まあ聞かないでおこう。私はサービスエリアを経由しながら、東京まで行こうと思っているのだが、良ければ途中まで、乗っていかないかね?」
「え、いいんですか?」
「かまわんよ、話し相手も欲しかったところだし」
特に警戒もせずに、俺はそのまま助手席に座らせてもらうことにした。彼は話し相手が欲しいと言っていたが、俺も心の底では、一人きりの不毛な旅路に嫌気がさしていたのかもしれない。
スポーツカーで走る高速道路の光景は、圧巻だった。徒歩の時からさんざん見慣れてきた殺風景な景色も、あまりのスピード感に全く別のものに見える。
「どうだね、この車は?」
「いやー、さすがに、速いですね」
あまりに淡白な返答になってしまったので、俺は他に話題を見つけようと、運転する彼のほうを見た。彼はこの真っ赤でド派手な車体からは想像できないような、スーツ姿のフォーマルな印象の人物だった。顔つきも精悍で、髪や眉などもきちっと整えられている。いったいどういう仕事をしているのだろう。行政関係だろうか?
その時、気がついた。この顔、どこかで見たことがある。それも、テレビで何度もだ。この人は、もしかしたら……。
「どうしたのかね?」
俺の様子を見て、彼のほうから声をかけてきた。
「も、もしかして、あなたは……総理大臣じゃありませんか?」
「はっはっは、ようやく気づいたんだね」
かなり勇気を振り絞って言ったつもりだったが、彼はあっさりとそれを認めてしまった。
「この車は私専用でね、特注品さ」
「あ、そ、そうなんですか!」
そりゃあ特注品でしょう、内閣総理大臣なんだもの。フランクな態度を崩さない総理とは対照的に、俺は狼狽していた。総理相手にどんな会話をすればいいのかなんて、まるで見当がつかない。おまけに、専用車にただ乗りさせてもらっているなんて……。
「そう身構えなくてもいいよ。私はただ、誰かに独り言を聞いてもらいたくてね、それで声をかけたんだ」
「ひ、独り言?」
「ああ、そうさ、楽にしていてくれ」
お言葉に甘えさせてもらって、俺は座席に背を預けると、大きく息を吐いた。
「……ずいぶん良くなったなあ、この国の道路は」
総理は、静かに語り始めた。
「昔は、このあたりには道すら無かった。もちろんカーナビなんて便利な物も無かったし、地図やコンパスを使ったとしても、目的地にたどり着くのは大変だった。だから、道に迷う人が多くいたんだ」
喋りながらも、総理はスポーツカーの速度を落とさず走行している。前方から現れる車の群れを、スイスイと縫うように追い越していく。
「でも、そうやって迷う人たちがいるからこそ、安全に通れる道筋が、次第にわかってくるんだ。その中で最も安全で効率的なものが、やがて道路へと変わっていく。私はね、総理になるまでに、数多くの人たちに新しい道路を探してもらった。私はその拓かれた道を、全力で駆け抜けていった、ただそれだけのことなのだよ」
「い、いや、そんなことは……。総理のお力も十分にあってのことですよ」
さすがに気まずくなって、たどたどしくお世辞を述べた。総理は前方を注視しながら、眉一つ動かさず話を続ける。
「私にも、足の速さや全力で走り続ける体力には、自信があったけどね、でもそれだけじゃ、どうにもならない部分もあるのさ、特に人間社会においてはね」
「は、はあ……」
「でも今はもう、時代が変わっている。ごらん、目の前の道を、地面はアスファルトでしっかりと固められて、基準となる白い線が引かれ、脇には頑丈な壁もある。数キロメートル走るごとに、道案内をしてくれる看板まで出てくる。ほとんど、迷う要素のない道と言えるね」
「確かに、今はこういう道路ばかりになってますね」
庶民の回答を総理がどれだけ受け入れてくれるか心配だったが、総理は、小さくうなずいてくれた。
「道が変わったのだから、当然私たちも、変わらざるを得なかった。なるべく安全で効率的な道を探し出し、目的地まで無事にたどり着けるかを競う時代じゃなくなったんだ。今はもう、その道は誰もが知っている。だから差をつけるためには、どれだけ速いスピードで走り抜けられるか、それにかかっているのだよ」
「では、このスポーツカーは……」
「そう、だから特注品なのさ。なるべく早く目的地にたどり着くための、ただそれだけのもの……おっと!」
総理が、急にハンドルを右に切った。ジェットコースターに負けず劣らずのスリルで、俺の体は左に振らされた。その際にウインドウガラスへと、側頭部をしたたかに打ってしまったが、痛みは無かった。
「申し訳ない、事故があってね。怪我はないかな?」
「あ……はい、大丈夫です」
サイドミラーで後ろを見てみると、総理と同じようなスポーツカーが、事故を起こして大破し、炎上していた。炎の奥から黒い煙が、まるで亡霊のようにおどろおどろしく噴き出している。
「誰も迷わなくなった代わりに、ああいう事故が増えたね。本当に」
「……そうなんですか?」
総理が重苦しい表情で、話を続けた。
「どれほどスピードを上げても、操縦する本人が乗りこなせなければ、駄目なんだ。速ければ速いほど、操縦を誤れば、あのような取り返しのつかない大事故が起こる。……明日は、我が身かも知れない」
俺はふと、運転席のスピードメーターの表示を見てみた。デジタルの数字で、『202』と表示されており、しばらく見ていても、一桁台の数字がわずかに増減するだけだった。総理は常に、こんな速度で高速道路を走っているのだろうか。
「君のような人が、うらやましくなることがある」
「えっ?」
総理から発せられた意外な言葉に、俺はたじろいだ。
「察するに、君は目的地がわからないのだろう、違うかい?」
「あ、そ、そうです、おっしゃる通りです。もっと言うと……なんでここに自分がいるのかすら、わからないんです」
「なんだ、なんだ。君はひょっとして迷子なのか。この高速道路で迷子だなんて、珍しい人もいたもんだ」
総理は俺を乗せてから、初めての笑顔を見せた。迷子、か。そう言われると、そんな気がしてきた。
「いや、失礼。私が時々思うのはね、目的地が無いってのは、実は素晴らしいことなんじゃないかということさ」
「え、目的地が無いのが、素晴らしい?」
「そうさ、わざわざ危ない速度で走る必要は無いし、速く走るためだけのスポーツカーに乗る必要も無い。自由な速度で、自由な乗り物で、安全に道を走ることができる。それもまた、高速道路の走り方だと思う。気に入った場所を見つけたら、そこで高速道路から降りればいい」
そこまで言うと、総理は俺のほうを一瞥して言った。
「君は徒歩だからね、そのスピードは遅いだろうけど、いろんなものを見ながら進むことができるはずさ。だからいずれ、降りるべき目的地が見つかるよ、きっと」
よもや、総理から励ましの言葉を頂くとは。俺も何か言わなくちゃと思い、ちょっとした質問を投げかけてみた。
「総理は、歩いてみたりはしないんですか?」
「引退したら、やってみたいものだね。でも、今は無理かな。今の私がすべきことは、次々と移り変わる目的地に誰よりも早く到着し、国民全員に、道を示すことなのだから」
「では、引退したら、一緒に歩きませんか? 高速道路を」
「ふっ、その時まで、極力事故を起こさないように努めるよ」
そこまで話したところで、スポーツカーのスピードが、だんだんと緩やかになってゆくのに気がついた。やがて道が二手に分かれ、分岐し始めた所で止まった。左側の道の入り口には、『サービスエリア・国際サミット』と記された看板が掲げてあった。
「どうやら、ここでお別れのようだ。私はこれからサービスエリアに入るが、どうもここには、部外者を入れちゃ駄目みたいだ、すまないね」
「いえいえ、そんな! ここまで乗せてもらっただけでも、十分ありがたいです!」
俺は降りるときにも再三、総理に感謝の言葉を述べ、再びアスファルトの道路に、自分の足で立った。足の裏には、まだ猛スピードで走るスポーツカーの振動が残っていた。サービスエリアへとゆっくり動き出す総理の車に向かっておじぎをすると、リアガラス越しに、軽く揺れる総理の手が見えた。
それから、また俺は歩き出した。なんだろう、最初に歩きはじめた時よりも、しっかりと地面をとらえて進んでいる感じがする。しばらく進むと、緩やかな上り坂が目の前に現れた。
傾斜はきつくないとはいえ、坂を上りきるまでには、けっこうな時間がかかった。頂点付近に達したところで、俺は一息ついて、後ろを振り返った。
坂の上から見た高速道路は、不思議な光景を作り出していた。緑色の山や木々を下地にして、白黒の道が縫うように、あちらこちらへ広がっている。そしてその道を、色とりどりの車たちが、止まることなく進み続けているのだ。まるで、人の毛細血管のようだった。
先ほど総理が向かっていった、サービスエリアの様子も見えた。諸外国の首脳陣と思われる方々と、笑顔で握手しながら応対している。その姿は、まさしくテレビで何度も目にしている、総理の印象そのものだった。
坂の下から吹き上げていく風の心地よさとともに、俺は不思議と、何かが腑に落ちたようなすがすがしさを感じていた。もう一度、ふうっと息を吐き、踵を返して、先に進むことにした。
坂道を越えてしばらくすると、またもや、分岐の道があった。片方は俺の故郷に近い地名が、もう片方はまったく知らない地名が記されていた。俺は軽く首を傾けて、肩を鳴らすと、自分の体の状態を確認してみた。
身をかがめ、靴を脱いで見てみる。足の裏にマメは無い。ふくらはぎや太ももの痛みも、特にない。でも、ちょっと疲れは感じるかな。それに、空にも少し赤みがかかってきたしなあ。
どちらへ進むか若干迷っていた俺だったが、一方の道の向こうに、あるものを見つけた。
そこには俺と同じように、高速道路を歩いている人がいたのだ。それがわかると、俺は自然と覚悟が決まった。
まあもう少し、冒険してみようか。
俺は靴ひもを結び直すと、未知へと続く高速道路に向かって、また歩きはじめた。
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