表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春霞の足跡  作者: 豆内もず
2話 オービット
8/30

8 どっちなんだこの人は

 細く荒い道を抜けると、鉄の柵で仕切られた展望台が姿を現した。

 景色を説明する看板や、年季の入った木のベンチが設置されており、懐中電灯の光以外の灯りは見られない。人工物から遠ざかった山頂付近において、人の手が入った展望台は異質さを放っていた。

「この時間だと、街のほうの灯りも少ないか」

「なんだか遠くに来た気分になりますね」

「たしかに。ここならかすみさんのお友達も見つかるかもね」

 憲吾は辺りを見回しながら慎重に足を進め、空間を区切る鉄の柵を握った。遮るものが無いこともあってか、吹き込む風は鋭く冷たい。

 柵の先には底が見えないほどの闇が広がっており、砂糖をまき散らしたような街の光が、遠くからきらきらと輝きを返している。

 先ほどまで聞こえていた虫の声は聞こえなくなっていた。聞こえるのは風が木々を揺らす音だけ。


 ロマンチックな言葉の一つでも吐きたくなるようなこの場所で、誰かが飛び降り自殺をしたり、心霊現象が起こったりしているという。それを思い出した途端、憲吾には取り囲む環境全てが奇怪なものに思えてきた。

 展望台の端まで身を動かしたかすみは、愉快そうに声を漏らした。

「わあ高い。ここから落ちたら大変ですね」

「大変どころじゃなさそうだけど」

「飛び降りが多発しているという噂も、眉唾ではないのかもしれません」

「だったらもっと早く閉鎖されていると思うよ」

「おや、意外と冷静。驚かせようと思ったのに」

「冷静を装うことに全神経を集中させてるからね」

「ふふっ。幽霊相手に虚勢を張ってどうするんですか?」

 ふわふわと身を浮かせ、かすみは憲吾に並んで夜空を見上げた。

「それにしても、さすがは元デートスポットだけあって、夜空が綺麗です。まるでミルキーウェイ。星が金平糖みたいにきらきらと光っていて、とってもおいしそうですね」

「星はたくさんあるけど、かすみさんの同業者はいないね。何か思い出せそう?」

「特に何も……。というか私は業者じゃありませんよ」

 星空を眺めてむくれる幽霊は、ロマンチックさも恐ろしさも醸し出さない。環境の恐ろしさも、無邪気な好奇心の前では影を潜める。暢気な彼女に合わせ、憲吾も空を眺めた。

「見てください! アークトゥルスですよ!」

「アー……?」

「アークトゥルス、うしかい座の一等星です。あそこにオレンジ色の星が見えませんか?」

 憲吾はかすみが指差した先に目を向けた。数多の星がちりばめられた空に、彼女の言葉通り、周りの星よりも少し明るいオレンジ色の光が煌々と輝いていた。

 うしかい座なんていう星座があるのか。間抜けな思考を浮かべ、憲吾は言葉を返す。

「ああ、見えた見えた」

「そこからすこーし右下に下がっていくと、白い星がありますよね? あれがおとめ座のスピカです」

「スピカ……。あ、おとめ座はわかるよ」

 憲吾はかすみの指の先を追い続ける。かすみの言葉は続く。

「そして、スピカからつつーっと上に上がると、しし座のデネボラ。今の三つの星を線で結んで作った三角形を、春の大三角っていうんです。長時間車に揺られた甲斐がありましたね。街中じゃここまではっきりとは見えませんから」

「かすみさんはあんまり揺れてなかったけど」

「ロマンチックゼロ男ですね君は。誰がこんな場所で冷静なツッコみをするんですか?」

 そう言いながらも、かすみは楽しそうにくるくると指を動かして星の解説を続けた。

 音のない景色、子守歌のように穏やかな声、まるでプラネタリウムに来たみたいだ。憲吾の目はデネボラを捉えることが出来なかったが、三角形のなんぞやよりも彼女の知識量に興味が移ってしまう。

 彼はゆっくりと左隣に視線を向けた。

「かすみさんって、記憶喪失の割に天体の知識はあるんだね」

 空に向いていたかすみの指が、彼女自身の頭に向けられた。

「そういえば……そうですね。なんだかふっと頭に浮かんできたんです」

「学芸員さんみたいだったよ」

「ふふっ。生前の私は、お星さまを眺めることが好きな、ロマンチックな美少女だったのかもしれません」

 勝手に納得した様子で、かすみは嬉しそうにぽんと手を叩いた。

 もちろん言葉は通じるし、憲吾が大学に馴染めていないことを理解できる程度には空気を読むことも出来る。そういった感覚だけならまだしも、純粋な知識量でも憲吾よりも上だと思われる。ただ本人は記憶喪失だと言う。

 彼女という器から、パーソナルな部分だけが抜け落ちているようだった。おかげでこの一週間、ドクターの力を借りてもなお、ヒントらしいヒントは全く浮かび上がらず、しっぽすら掴めていない。

 通り過ぎていった違和感を払い、憲吾は静かに笑みを零した。

「ロマンチックな美少女は多分、星を見ておいしそうなんて言わないと思うよ」

「とびきり美しい景色を、とびきりキュートな幽霊ちゃんと堪能しているのに、再三の冷淡なツッコミは野暮ですよ。ロマンチックな言葉の一つでも囁いてみてはどうですか? 成仏するかもしれませんよ?」

「かすみさんと違って俺はシャイなの。勘弁してよ」

「確かに。ここでそんなことが出来るんなら、燻ぶった大学生活を送っていませんよね」

「いやいや、まだまだ巻き返しが利く時期だから」

 二人はからかいあう様に笑みを浮かべ、柵に背を向けた。足をすすめてきた道は、ただただ深い闇に包まれている。

 相も変わらず宙を泳ぐ幽霊を除けば心霊現象の類は見られないし、彼女の様子に変化は見られない。これではただのデートスポット探訪。かすみの記憶の断片など見つからないだろう。

 幽霊を連れているということで、根付く霊障も警戒をしているのだろうか。人見知りな幽霊、それはそれでちょっと面白い。いっそう気が抜けた憲吾は、柵をなぞるようにカメラを展望台の奥に向けた。

「とりあえず写真だけでも撮っておこう。何か映ってくれればお土産にもなるんだけど――」

「ストップ。シャッターは切らない方がいいですよ」

「えっ」

「そっちの方から人の気配を感じますから」

 かすみの言葉で、憲吾は構えたカメラを下ろした。役割を忘れていた冷汗が、わずかばかり憲吾の背中を伝い始める。


「け、気配? 急に雰囲気出すのやめてよ」

「いや、ここに来た時からずっと感じてたんですよね。この展望台には、確実に私たち以外の誰かがいます。言うタイミングを逃したというか何というか」

「逃し過ぎだよ! 呑気に星の話なんてしてる場合じゃなかったじゃん!」

「せっかく憲吾君の緊張を和らげてあげたのに、酷い言われようです」

「緩急で逆に緊張感が増したんだけど……」

 動きを極端に抑えながら、憲吾は喉を鳴らした。

 灯りがなく目視では全容を掴めないが、カメラを向けていた方角にはおそらく展望台の縁が続いている。展望台の構造上、憲吾たちのいる場所を通らないと奥には進めないはずだ。

 となると、かすみが感じた気配は、彼らが来る前からそこにあったことになるのだが、駐車場には他の車なんて無かった。深夜に登山客がいるような場所でもない。

 こんな山奥かつ夜中に、誰もいないはずの場所から気配を感じるだなんて、怪異に他ならないじゃないか。憲吾はゆっくりと隣に小さな声を向けた。

「どうする? 声をかけてみる?」

「ええー……。本当に幽霊だったら怖いじゃないですか」

「幽霊が何言ってんのさ。とりあえずドクターに連絡を」

 憲吾は震える手に力を込め、携帯電話をポケットから取り出した。ぼんやりと光った画面には、圏外の文字が浮かんでいる。

 肝心な時に役に立たないオカルトマニアめ。いや、これに関しては携帯電話を責めるべきか。

 憲吾はドクターへの悪態を心に浮かべた後、意を決してかすみの言う気配の元に懐中電灯の光を向けた。


 暗闇に薄い光が道を作る。その光は五メートルほど先で物体に反射し、ぼんやりと像を映し出す。

 光の先で座り込む人影。憲吾は漏れそうになった声をぐっと喉元に留めた。身体中全ての毛が逆立つような寒気が、彼の手元を揺らす。

 光に照らされた人影は、呆然と憲吾達の方を向いた。反射して光る瞳の鋭さに、彼は慌てて目線を逸らせた。

 姿を完全に認識してしまった。そして確実に目が合ってしまった。背中を丸めて座っている女性のシルエット、二つに結ばれた髪と口元には鈍い赤色、全体的にどんよりとした空気感。

 血にまみれた女の幽霊。そんな一文が憲吾の脳内を走ったが、彼は人影にもう一度目を向ける。

 人影は慌てて立ち上がり、装飾の多いスカートをふりふりと揺らした。目じりの下がった大きな瞳が、くりんと憲吾たちに向けられた。

「びーっくりしたぁ。お兄さん達、こんなところでなにしてんの?」

「お、同じ言葉を返したい気分なんですが……」

「ごめん。眩しいからライト下げてぇ」

「えっ、あ、はい」

 憲吾はあっけに取られたまま、光を彼女の肩口まで下げた。淡い懐中電灯の光が、彼女の全容を徐々に明るくしていった。

 先客は憲吾より頭ひとつ分小柄な女性だった。

 二つに結った黒く長い髪は所々赤いメッシュで彩られ、顔つきは濃い化粧のせいか、どこか洋風人形を彷彿とさせた。ピンと尖った耳には所狭しとピアスが付けられ、赤色のリップは血でも啜ったのかと思わせられるほど色濃い。

 血に塗れていない、ただただ赤色を多く携えた派手な女性。憲吾は彼女の周りにも光を向けたが、他の何かがいる様子はない。

 ――人間か、幽霊か、どっちなんだこの人は。どっちにしろ怖いが。憲吾は言葉を奪われたまま頭を回転させた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ