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春霞の足跡  作者: 豆内もず
1話 アフィリオン
4/30

4 黙々と浮いているよりはマシでしょう?

 香草を炙ったような独特な香りが暗い廊下を泳ぐ。黒塗りの重々しい押し戸には、明朝体で『オカルト研究会』という文字が書かれた木札がぶら下がっていた。

「オカルト研究会……。幽霊の私が言うのもなんですけど、物凄く胡散臭いですね」

 憲吾の後ろを陣取ったかすみが、怪訝な顔をして囁いた。今のところ憲吾にしか姿も声も認識されないはずなのに、何故か彼女はこそこそと言葉を並べ続ける。

「ここに成仏のヒントがあるんでしょうか?」

「わからないけど、少なくとも俺より詳しい人はいると思うよ」

「中から同族が出てきたらどうしましょう。もしや、幽霊同士の縄張り争いが勃発したり……」

「え、怖っ。その可能性は想定してなかったわ」

 身を引く憲吾に反し、かすみは顎に手を当て、扉を凝視し始める。


 午前の講義時間が終わり、文化部棟にはぽつりぽつりと人影の往来が見られる。二十もの部やサークルの部室が犇めく三階建ての建物の中で、最上階の隅っこに追いやられたオカルト研究会の扉は一際異質な空気を醸し出していた。

 廊下を照らす蛍光灯も、何故かこの部室前だけは点いていないし、名前もわからない虫が蜘蛛の巣に引っかかっている姿が、不気味さを後押ししている。扉の奥には人の気配もない。

 憲吾は返したくなった踵にぐっと力を込め、淀んだ空気を吸い込んだ。


 幽霊とはなんたるかを探るべく、彼らはオカルト研究会の部室を訪れた。研究会とやらの活動内容がどんなものなのかはわかっていなかったが、ネーミング的に一番目的と合致していそうなのがここだった。

 憲吾の頭には、オカルト研究会について教えてくれた教授の顔つきが浮かんだ。内に秘める嫌悪を全て詰め込んだあの顔と同等に、目の前の扉は彼の不安を助長させる。

 新歓、サークル、華やかな大学生生活。憲吾にはこのドアノブを握ることが、憧れのそれらを手放すことと同義に思えた。諦めと覚悟を込め、彼は大きく息を吐き出す。

「かすみさん。先に中を見てきてくれないかな? 扉とか簡単に潜れるでしょ?」

「えっ」

「本当にかすみさんのお仲間さんが出てきたら嫌だし」

 せめて心の準備だけはしておきたいという気持ちを知ってか知らずか、かすみはやれやれと首を左右に振った。

「私は確かに幽霊です。憲吾君の言う通り、こんな扉くらいすすすすーっとすり抜けられます。ただ、それじゃあまりに風情がないですよ」

「風情が必要なの?」

「もちろん! この扉のおどろおどろしさ、醸し出されるアングラな雰囲気、中に何があるかわからないドキドキ感。お化け屋敷みたいで楽しみじゃないですか? せっかくなら二人一緒に味わいましょう」

「お化けが言う台詞じゃないよ」

 憲吾は諦めを深め、しぶしぶドアノブに手を置いた。見た目よりもひんやりとした感覚が、彼の身をさらに縮こまらせる。彼が勢いのままドアノブを右に回し軽く押すと、あっさりと部屋の全容が姿を現した。


 思ったより綺麗な部屋だなという感想とともに、憲吾の警戒心は一瞬にして解けた。

 十畳ほどの空間の両端には、分厚い本がぎっちりと詰まった本棚が配置され、奥にはぽつんと無機質なデスクが一つ佇んでいる。

 灰色のカーテンがわずかに光を遮っているものの、全体的に暖色でまとまっており、本の一冊一冊が丁寧に配置され、隅々まで人の手が加えられている様子が見られた。

 かすみが期待していたアトラクティブな空気など、室内には存在しなかった。ゆっくりと室内を物色した二人は同時に首を傾げる。

「誰もいない……」

「いやいや、ツッコミどころはそこじゃないですよ」

「ツッコミどころ? かすみさんがそれを言うの?」

「幽霊にだってその権利はあるでしょう!」

 思ったよりも整頓された内装に納得がいかないのか、かすみは粗を探すように部屋中を隅から隅まで物色し始める。

 くるくると室内を泳ぐ彼女の姿は、ここにある何よりもオカルトめいていた。

「なんですかここは。オカルトを研究しているのに、なんで髑髏や水晶の一つもないんですか? 私のドキドキを返してください!」

「誰に対して言ってるの?」

「この世界に対してですよ」

「かすみさんってつくづく幽霊っぽくないよね」

「ぽいかぽくないかは、せめて他の幽霊さんを見てから判断してください」

 浮遊するかすみに合わせて視線を泳がせた憲吾は、本棚の方へと足を進めた。宇宙の歴史、民俗学、文化人類学。憲吾の瞳がさらりと背表紙をなぞる。

 落ち着いた反応を見せているが、憲吾にとってもこの状況は予想外だった。オカルトを研究しているというくらいなのだから、本の一冊からして不気味であるものだろうという虚像は、この数秒であっけなく崩れていった。

 淡い青春の一ページが刻まれそうなロケーション。清楚なお嬢様が紅茶を嗜んでいても、おそらく違和感はないだろう。

 彼は適当な一冊を手に取り、紙面を空気に潜らせる。

「想像してたより綺麗な部屋だね。なんか研究内容も真面目っぽいし、なによりかすみさんのお友達もいない。ハズレかもね」

「面白くないです」

 かすみはむくれながらデスクに腰掛け、行儀悪く足を組んだ。幽霊が座標を合わせて器用に机に鎮座しているこの光景こそが、憲吾にとって面白いものだったが、彼は口を噤んで本を閉じた。

「俺たちは情報収集に来たんだから、面白さは後回しでしょ」

「もう、ユニークなのは髪色だけなんですか? このくらいの娯楽に心躍ってもらわないと、私の相手は務まりませんよ!」

「かすみさんこそ、ユニークなのは存在だけにしてよ。好奇心旺盛な幽霊とか、処理が追いつかないんだから」

「黙々と浮いているよりはマシでしょう?」

「確かにそうか——って何を論破されてるんだ俺は」

 憲吾は頬を掻いて窓際を眺める。相も変わらず人の気配がない部屋には、発生源がわからないボサノバが漏れ聞こえている。人がいないこの状況で得られそうな情報は、今のところ見当たらない。

「間が悪かったみたいだから、時間をおいてまた来ることにしようか。お腹も空いたし」

「レッツぼっち飯ですね」

 余計なお世話極まりない。憲吾は本棚に本を戻し扉のほうへ足を進めた。

「ぼっちに拍車がかかったのは、どこかのお化けにうっかり話しかけちゃったせいだからね」

「そういえば、午前中の講義の時に前のほうの女の子たちが憲吾君の方を見て言ってましたよ。独り言金髪君って」

「めちゃくちゃいじられてんじゃん!」

 ——最悪だ。憲吾はがくりと肩を落とした。

「まあまあ。そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか。なんと言っても、あなたのそばにはこのかすみちゃんがいるんですから!」

「出来れば生身の友達も欲しいんだけどなあ……」

「贅沢を言わない! ほらほら行きましょう」

 慎ましい贅沢を封じられた憲吾は、落ちた肩を揺らして扉を引いた。


「おや? もう帰るのかい?」

「うおわっ!」

 開いた扉の先に、長身の男性の姿が現れる。突如目の前に現れた白い人影に、憲吾は奇妙な声と共に勢いよく身をのけぞらせた。

「ここに用があったんだろう? 話くらいしていけばいい」

 男は飄々とした仕草で憲吾の横を通り抜け、デスクのほうへと向かっていった。憲吾は身を凍らせながらじりじりと彼の姿を目で追った。憲吾より十センチほど高い背丈を丸め、綺麗な白衣を揺らしながら進む姿は、かすみよりよっぽど幽霊に近く見える。

 男は慣れた様子で椅子に腰掛け、両肘をデスクに預けた。視線を遮るように伸びる前髪が揺れ、青白い顔が露になった。色素の薄い口があきれたように言葉を零す。

「そろそろ言葉を返してもらえるかな? 言葉のキャッチボール。コミュニケーションの初歩の初歩だ。いつまでも硬直されていては、話が進まない」

「あ、はい。すいません」

 蛇みたいだと、憲吾は真っ先に思った。邪険にされているわけではないようだが、細い三白眼が獲物に食いつかんばかりに向けられている。憲吾は自身を落ち着かせるため大きく息を吸い込んだ。

「オカルト研究会の方ですか?」

「いかにも。唯一無二の研究会員であり会長。人は皆、私のことをドクターオカルトと呼ぶ。ようこそオカルト研究会へ」

「ど、ドクター……」

 随分と役に入り込んでいるな。吹き出しそうになった息を、憲吾は必死に肺に留めた。唯一無二と彼は言った。詰まるところこの場所は、彼の聖域のような場所で、彼は一人でこの研究会を維持しているのだろう。

 猫背、血が通っていなさそうな顔色、白衣、通称ドクターオカルト。ほんの数秒で情報が渋滞し始める。情報を整理する憲吾の隣に浮かんでいたかすみは、盛大に息を吹き出した。

「くっはー! ようやく癖の強そうな人が現れてくれましたね!」

 聞こえていないことを良いことに、かすみはけらけらと笑い始めた。

「フリが利いていて非常にグッドです。まともじゃない外観で興奮を煽り、小綺麗な室内で一旦気持ちを落とさせて、癖の強い会員で笑わせる。よく出来た組み立てですね! さあ憲吾君、ドクターオカルトに言葉を返してあげてください。キャッチボール、コミュニケーションの初歩の初歩ですよ! ふふふっ」

 うるさいなと零しそうになった口を、憲吾は必死で結び続けた。愉快に飛び回るかすみにリアクションもしないところを見ると、目の前の彼にはかすみの声と姿はおそらく届いていない。

「俺は心理学科一回生の古沢憲吾って言います。すいません勝手に部屋に入ってしまって」

「かまわないよ。天才というのは常に孤独だ。時間の無駄だとわかっていても、たまには人と会話したくなることもある」

「はあ……」

「この人、今自分の事を天才って言いましたよ!」

 ちゃんと聞こえていたから繰り返さないでほしい。笑ってしまったらどうするんだ。憲吾は釘を刺すためちらりとかすみに視線を向けた。彼女は視線などどこ吹く風といった素振りで、ドクターオカルトを指さし笑い声を上げる。

「で? なぜわざわざここに来たんだい? 間違って足を踏み入れた、というわけではないだろう?」

 ドクターオカルトの声が、かすみの笑い声とぶつかりながら憲吾の耳に届いた。この二人を同時に処理するという容量を、彼の脳は持ち合わせていない。憲吾はわざとらしく一つ咳を挟み口を開いた。

 

「じゃあ単刀直入に。幽霊について教えて欲しくて」

「幽霊?」

「はい。なんというか、成仏とかそういう類のことがわかると嬉しいんですけど」

「ほう」

「さあドクターオカルトさん。腕の見せどころですよ」

 彼は立ち上がり、鼓舞するかすみをすり抜けて本棚のほうへと向かった。

「幽霊、成仏、なかなかに興味深いテーマではあるね。最古の歴史書にも黄泉の国の存在が描かれているほど、死者の世界というのは非常に歴史が深い研究材料だ。そもそも存在するのかしないのか。様々な文献にも、幽霊は怨嗟や復讐の念を強くもって描かれる事が多い。霊魂によって引き起こされた超常現象なども、オカルト研究会としては捨て置けないね」

 彼は本棚から一冊本を抜き取り、憲吾の方にそれを向けた。本を手に取った憲吾は、眉を寄せて表紙を見つめた。

「幽霊大全……。随分とストレートなタイトルですね」

「おや? 変化球なタイトルの本を御所望かな?」

「いえ大丈夫です。ありがとうございます」

 分厚い、重い。こんな厚手で興味のない本など、読むのにどれだけ時間がかかるんだろうか。ボリュームに威圧される憲吾に反し、怨嗟や復讐の念とはほど遠い顔つきのかすみは、表紙を眺めてふむふむと声を漏らしている。

「古から現在に至る、幽霊信仰文化の歴史が書かれている。ただただ幽霊について研究したいのであれば、それに目を通せばいいだろう」

 ドクターオカルトはくつくつと不気味な笑みを浮かべながらデスクのほうへと戻っていった。暖色の穏やかな空気が、彼の並べる言葉で濁り始める。

「しかしだ。わざわざこの研究室に来て、見えない誰かと会話をしていた君に対してこの本が有効かと言われれば肯定しかねるよ。この本には除霊の方法は書いていないからね」

 細く鋭い声に、憲吾はごくりと喉を鳴らした。

「何が言いたいんですか?」

「いや、単刀直入と言っていた割に随分と回りくどい言い回しをしているなと思ってね。君には何かが見えているんだろう? そしてそれをどうにかするためにここに来た。違うかい?」

「それは……」

「君は心理学を専攻していると言っていたね。だったら視線の動きにもっと気を付けたほうが良い。僕以外の何かを見ているのがバレバレだ。とはいえ、君は隠し事が得意なタイプではなさそうだが」

 うっかり虚空に視線を向けすぎたか。指摘の通り、憲吾は隠し事が得意ではなかった。現に今もかすみと目を合わせてキョトンとしてしまっている。それでも彼は、ドクターオカルトなんて呼び名が付いているとんちき相手であればごまかしきれると思っていた。

 かすみは目をぱちくりと開閉した後、ふっと息を漏らした。

「ドクターオカルト……。見た目と言動以上に厄介ですね。いいですよ憲吾君、私のことを喋っちゃいましょう!」

 かすみはドクターオカルトに向け拳を突き上げる。彼女が黙っていれば、おそらくこんなにややこしいことにはならなかっただろう。他人に見えない彼女をあしらいつつ誰かと会話をするという行動に、そもそも無理があったのだ。

 信じてもらえるわけがないから話す気などなかったが、全て白状して情報を集めたほうが何かとはかどりそうだ。憲吾は諦めを溜息に込めた。

「わかりました、ちゃんと一から話します。笑わないでくださいよ」

 憲吾は本を本棚に戻し、デスクに腰掛けるドクターオカルトに向き直った。

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