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春霞の足跡  作者: 豆内もず
3話 ペリヘリオン

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27/30

27 出来過ぎているね

 ぱちりと駒が鳴った。にやにやと何かを訴えるかすみの顔が視界によぎる。

 わかっている。人の褌で自信満々に土俵入りした姿が滑稽なのだろう。それでも憲吾は堂々と腕を組む。

「天野レイン、か。久々にその名前で呼ばれた気がするよ」

 興味の矛先が自身に向いていると気付いた歩は、諦めたように息を吐いた後、穏やかに微笑んだ。

「……僕の話なんて、聞いても面白くないよ?」

「この場所で一人待ち続けるなんて寂しいじゃないですか。待ち人を連れてくる手伝いをさせてください」

「放っておけばいいのに……。君は本当に不思議な子だね」

 かすみと出会っていなければ、この道を選ぶこともなかっただろう。憲吾はかすみに少し目を配り、照れくさくなって頭を掻いた。

「不思議でもなんでも無いです。俺はちょっと幽霊が見えるだけの、普通の大学生ですよ」

「うんうん。ちょっぴり友達が少ない普通の大学生さんですよね」

「うるさいなぁ」

 少しでも感謝を浮かべた自分を殴りたい。憲吾がぷいとそっぽを向くと、歩の笑みが深くなる。

「愉快な君たちがいなくなったことを想像したら、確かに寂しいかもしれないね。お言葉に甘えて、人探しの手伝いをしてもらおうか」

 歩の指先が盤面へと動いた。憲吾は指示通り駒を動かし、安堵の息を漏らす。

「歩さんが待っている人って、誰なんですか?」

「わからない」

 憲吾は手に持った駒を落としそうになった。誰を待っているのかがわからない。それはもう困ったどころの騒ぎじゃない。沼に軽率に踏み込んでしまったのではないかという疑念が、憲吾の頭をよぎる。

 剽軽な動きが愉快だったのか、歩はくつくつと笑みをこぼした。

「おっと。これはさっきのわからないとは少し違うよ。忘れているわけじゃなくて、本当に知らないんだ」

「……どういうことでしょう?」

「直接の友人じゃないからね。……少し昔の話をしてもいいかな?」

 憲吾が頷きを返すと、歩はパタパタと扇子を仰ぎ始めた。

「元々この診療所は、僕の祖父が営んでいたんだよ。身体を悪くして辞めてしまったけれどね」

「そういえば、本名は雨森歩さんらしいですね」

「そうだよ。小さい頃はよくここの患者さんに遊び相手をしてもらっていたね。将棋もその時に覚えた。……とまあ思い入れがある診療所だったから、閉業して人が離れていくのが寂しくてね。そこからは僕が使わせてもらっていたよ」

 十和の時とは違い、ぎこちない動きで駒が動く。懐かしそうに診療所を見渡した歩は、盤面に矢倉を組んでいく。

「歩さんはお医者さんもしていたんですか?」

「いいや。隠れ家のようなものさ。ほら、僕って意外と有名人だから、人の目を避けたいことも多かったんだ。憲吾は気付いていなかったようだけれど」

「そ、そんなことは無いですよ! 最初から! 最初から気付いていましたって!」

 歩は揶揄うような視線を憲吾に向けた。憲吾は急に恥ずかしくなって、大急ぎで駒を動かした。

 スーパー有名人天野レイン。この診療所は、彼女が身を隠すために使っていた場所らしい。四年も経過しているのに手も付けられていなかった背景には、彼女が起因していたようだ。

 歩は動かなくなった掛け時計の方に目を向け、ぼんやりと言葉を並べる。

「僕が元々アイドルグループに属していたことは知っているかい?」

「はい。たしか……リクオリア?」

「その通り。よく調べたね」

 調べてきたのはかすみだが。当の本人は、細めた目を憲吾に向けている。こんな時にも揶揄う気持ちを忘れないとは。きっかけを作ったのは自分自身であることを理解している憲吾は、盤面に目を注ぐふりをして二人の顔色を追い続ける。

「そこにハルという女がいてね。グループの解散と共に、彼女は芸能の仕事から身を引いていたんだが、その後も何かにつけてここに遊びにきていたんだ。他のメンバーとは連絡も取り合わなかったけれど、彼女とは解散した後の方が色濃い時間を過ごした気がするよ」

 憲吾はわかりやすく頭を傾けた。芸能に詳しくない憲吾は、もちろん『ハル』という人物について知らない。

 話の流れを考えれば真っ先に思いつく待ち人は彼女である。しかし、歩は誰かはわからないと高らかに宣言していたではないか。傾きに合わせ、眉のしわも深くなる。

 歩は手番でもないのに扇子で盤を指した。

「ハルともよく指したよ」

「将棋をですか?」

「ああ。でもハルはとびきり負けず嫌いでね。何回やっても勝てないとわかって、代理を立てようとしていたんだ」

「僕らと同じですね」

「奇しくもね」

 憲吾と歩はそろって笑った。厳密に言うと負けず嫌いな部分はかすみと近いが、それを言ってかすみが憤る未来が見えたので、憲吾は口を噤んだ。

 ぎこちなく盤面が進む。少しずつ室内が薄暗くなってくる。しばらくの間を空けて、歩はふっと息を漏らした。

「でもね、ハルの代役がここに来ることは叶わなかったんだ」

「え、そうなんですか?」

「その子が来る前に、僕がこうなってしまったから。……完璧な代理人を仕上げたと、勢いよく語っていたハルの姿が頭から離れなくてね。その子と一局指してみたかったなというのが、僕の未練さ。こんなことになるくらいなら、生前にちゃんと会いに行っておくべきだったね」

 歩は目を細めて窓の外を見た。差し込む日と僅かな木々の先が見えるだけで、遠くの景色は見えない窓。姿を見たこともない誰かがやってくることを、歩はあの景色に願っていたのだろう。

 憲吾は息を一つ吐いて手番を処理した。この世にまだ身体があるということを、きっと歩は知らない。まだ見ぬその人に実際に会う事だって、叶う願いなのである。だからこそ、この幽霊は早く成仏させてやらねばならない。

「そのハルさんって人に話を聞けば、わかるんじゃないですか?」

「ハルが今どこで何をしているか、僕は知らない。僕がこうなってからは、ここに来ていないしね」

「そう、ですか」

 憲吾は深く頭を落とした。となれば、まずはハルさんとやらを探すことから道は始まる。もう芸能界を引退した元アイドルの消息など、追えるものなのだろうか。

 しばらく無言のまま、盤面だけが形成されていく。終始劣勢の駒たちが、震えながら終わりの時間を待っている。彼らを救う手段は、今の憲吾にない。

「ハルさんが立てた代理さんは、どんな方なんですか?」

 将棋盤を淡々と眺めていたかすみが、助け船のように口を開いた。

「外に出られない理由がある女の子だと言っていたよ」

「他の特徴は?」

「ないね。文句はハルに言ってくれ。どこにいるかわかれば、の話だが」

 優雅に笑う歩に反し、かすみは険しい顔で室内を徘徊し始めた。外に出られない理由がある女の子という情報など、あってもなくても変わらない。近道がないのであれば、着実に目の前の道を進み続けるしかない。

 憲吾は諦めて大きく息を吐き出した。

「やっぱり、ハルさんに話を聞くしかないね。ハルさんって、本名はなんて――」

「あー‼︎」 

 突如響いた爆音に、憲吾と歩は身をのけぞらせた。発生源であるかすみは、目を輝かせて歩を指差している。

「なんなのかすみさん。耳が壊れるよ」

「わかった! わかりました!」

 相変わらず声が大きい。近所迷惑になるかと思ったが、幽霊に対してそんな感想は無意味だった。憲吾はずれた駒の位置を直し、耳を擦った。

「何がわかったの?」

「十和ちゃんです!」

「十和ちゃん?」

「ハルさんの代理人! 歩さんが指したいと思っている人ですよ。十和ちゃんだったりしません?」

 かすみは堂々とそう言い放って腕を組んだ。きょとんとする歩を一瞥し、憲吾はもう一度耳を擦って眉をしかめた。

「なんでそう思ったの?」

「ハッピーな結論ありきの推測です! 十和ちゃんがその人であれば、辻褄が合うんですよ。十和ちゃんもそんなことを言っていた気がしますし」

「え? 言ってたっけ?」

「言ってましたよ。心配になる記憶力ですね。もしかしたら、十和ちゃんが一緒に由吊山に行った人も、ハルさんなんじゃないですか?」

 今ある情報を纏めた結果盲目になっているのか。はたまた、憲吾には見えていない方程式があるのだろうか。どちらにせよ、かすみの言葉を飲み込むことが難しかった。

 憲吾は眉のしわを濃くした。

「それはちょっと極論じゃないかな」

「そうかもしれませんが、私の勘がびびびっと反応したんです!」

「勘……」

「それに、情報がないハルさんを当たるより、まず十和ちゃんに話をしてみるほうが良いと思いませんか?」

「そうなのかな」

 憲吾は渋い顔のまま頭を落とした。たしかに、僅かでも確率があるのであれば、そこから聴取するのが手っ取り早い。当たればラッキー、ハズレても仕方がないくらいに思っておけば、大した負担にもならないだろう。

 反論はない。そもそもかすみの勘というだけで、信頼に値する。しかしながら、見えない引っ掛かりが憲吾の顔を上げさせない。

「出来過ぎているね」

 歩の言葉で憲吾は顔を上げる。重くのしかかっていた違和感が、すっと晴れる。そう、上手くいきすぎているのである。過程を全て蹴り飛ばしたような結論をぶつけられ、憲吾はそれを咀嚼しきることが出来ていない。

 視線を向けられたかすみは、けろっとした表情を返した。

「なにがですか?」

「あまりに急な話だったから、ワンシーンスキップしてしまったのかと思ったよ。十和というのはさっきの子だろう。彼女との共通点は、そこまで多いようには思えないが、どうやってその結論に結びついたんだい?」

「ハッピーな結論ありきの推論だと言ったじゃないですか。こうだったら嬉しいな、をいっぱい詰め込んだだけの暴論ですよ。それに、勘というのは急にふっと湧いてくるものです。タイミング的に出来過ぎなように思えるかもしれませんが」

「本当にそれだけかい? 何か隠していることがあるんじゃないか?」

「停滞した空気をハッピーでぶん殴ろうとしているだけですよ。記憶喪失迷子幽霊の私に、それ以上の期待をされても困ります」

 依然としてなんてことない表情を張り続けるかすみは、舌をだしておどけてみせる。

 憲吾よりも思考力に長けているであろう二人の中に、会話以上のやり取りがあったのだろうか? じっとりとした視線がぶつかり合う。

 かすみはへらりと両手を挙げた。

「大丈夫です。私の勘は当たるんですよ。ね? 憲吾君」

「うん。まあそうだね」

 違和感の正体がわかったことですっきりしていた憲吾は、突如矢を向けられたことに驚いて駒を進めた。それは致命的な一手だったようで、歩から笑みが漏れた。

「詰みだよ」

「えー!?」

「このタイミングも、出来過ぎているね」

 歩は笑みを深め、細めた目を憲吾に向ける。憲吾は催促かと思い、急いで「まいりました」と頭を下げた。くつくつと籠った笑い声が耳に届く。

「外が暗くなってきた。今日はこの辺りにしておこうか」

「いいんですか? まだ話は終わってない感じでしたけど」

「いいさ。僕が気にすることでもないから」

 歩は扇子を開き、それで口元を覆った。何やら不穏な空気はあったが、かすみの勘を信じて十和に話をしてみるという決着で良さそうだ。

 憲吾は不思議に思いながらも、荷物を鞄に詰め込み始める。

「とりあえず、早いうちに十和ちゃんを連れてくるんで待っててください」

 憲吾は勢いよくそう言い残し、診療所を後にした。

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