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春霞の足跡  作者: 豆内もず
3話 ペリヘリオン
23/30

23 ああもうにぶい!

「そういえば、十和ちゃんに会ったよ」

 帰り道。診療所から少し離れたタイミングで、ぽつりと憲吾は呟いた。荷物になってしまった傘を揺らしながら、彼は視線をかすみに向ける。

 ぷかぷかと浮かぶ幽霊は、不思議そうに首を傾げた。

「十和ちゃん? 十和ちゃんって、あの十和ちゃんですか?」

「それ以外にどの十和ちゃんがいるのさ」

 憲吾はかすみが不在だった時に起こった出来事を話し始める。

 ドクターの調査により十和が生きているとわかったこと。実際に十和に会いに行ったこと。そして、彼女が憲吾を覚えていなかったこと。

 静かに話を聞いていたかすみは、憲吾の話の切れ目に合わせて頬を膨らませた。

「なんで私がいない内にサクサクっと話を進めちゃうんですか! 私も十和ちゃんに会いたかったのに!」

 幽霊から意外な反応が返ってくる。かすみの性格を考えればこの反応も理解できるが、最初に言及するポイントはそこではないはずだ。

 憲吾は半開きになった口に力を入れた。

「驚かないの?」

「驚く? なににです?」

「だって、成仏したはずの十和ちゃんが生きていたんだよ。普通驚く──」

「ああ。薄々そんな気がしていましたから」

 言葉の終わりを待たず、かすみが口を開いた。憲吾にとって衝撃的な事実は、彼女には刺さらなかったらしい。

 そんな気がしていた? どこにそんな要素があったんだ? というか、そういう情報はちゃんと共有してくれればいいのに。

 不平不満を込めた彼の視線をかわすように、かすみはひらひらと手のひらを振った。

「怖い顔をしないでください。私もちょうどその話をしようと思っていたんですよ。良いタイミングですから、私からもご報告をしましょう」

 かすみは右手の人差し指をこめかみに添えた。

「実はこの数日間、歩さんのことをこっそりと調べていたんです」

「え? いつの間に?」

「今日だってそうですよ。私がただただ負け続るだけの日々を過ごしていると思っていたんですか?」

「うん、正直ね」

 間も無くそう答えた憲吾の頭を、かすみの腕が通り抜ける。

「もう! 君は建前をいうものをもう少し覚えてください! そんなわけがないでしょう!」

 憲吾はヘラヘラと笑いながら、何度も正拳突きを繰り出すかすみの腕を払った。

 歩と将棋を指すかたわら、どうやら彼女は歩の内情を探っていたようだ。日中ほとんどの時間を共にする憲吾も気付かないように。

 この場合、本来からかいを向けられるべきは、ただただ負け続ける様を眺めていただけだった憲吾の方であることに、彼はまだ気づいていない。

 一通り拳を貫通させ満足したのか、かすみは「話が逸れました」と一言言葉を挟み、人差し指を立てた。

「憲吾君は、天野レインという方をご存じですか?」

「あまのれいん? 知らないなぁ」

「マジですか……。超有名な女優さんですよ。外部との交流を遮断されているんですか君は」

「テレビは見ない主義だから」

「全然カッコよくないですからね。ほら、画像を調べてみてください」

 憲吾は携帯電話を取り出して検索画面を開いた。数文字打ち込んだだけで、天野レインという検索候補が上がってくる。


 天野レインは、アイドルグループ『リクオリア』の元メンバーである。グループ解散後、連続ドラマで主役を演じたことをきっかけに、爆発的な人気を獲得する。出演作品は軒並みヒット、昨年度のCM出演本数でも二位に食い込むなど、今後のさらなる活躍も期待される若手女優。しかし、現在は活動を休止している。


 短い文章を見ただけで、憲吾は愕然とした。かすみの言葉通り、超がつくほどの有名人を憲吾は知らなかったのだ。

 画像を開くと、弾けるような笑顔の女性が画面いっぱいに表示される。

 名前は知らないが顔だけは知っていた、なんてこともない。正真正銘初見の女優。しかし、憲吾は彼女の顔にどこか既視感を覚えた。

 画像を拡大し、憲吾は首を傾げた。

「どこかで見たことがあるような……」

「どこか、どころか数分前に会っているはずですよ」

 数分前。その言葉だけで憲吾の脳はあっさりと答えを導き出した。

 溌剌としたこの姿は、憲吾の知っている彼女とは少し違う。それでも、両者の風貌を知っていれば、彼女たちが同一人物であることは一目瞭然だった。

 憲吾は急いで顔を上げる。なぜか勝ち誇った顔つきを浮かべるかすみの姿がそこにはあった。

「これ、歩さん⁉︎」

「そうです! 天野レイン、本名は雨森歩。幽霊の私が気付かないのはまだしも、君が気付かないというのはどういう事なんですか?」

「いや、まあ、受験とかそういうのもあったし……」

 憲吾はしっかりと肩を落とし、再び画像に視線を注いだ。メディア露出の量を考えれば、受験などさして言い訳にもなりやしない。

 落ち込む憲吾を気にすることなく、かすみは言葉を並べ始める。

「その子、今無期限活動休止中なんですよ。原因は公表されていませんが、調べたところ入院中だとか」

「入院? 療養中ってこと?」

「おそらく。そして、実際に入院している姿をこの目で見てきました。病室の様子からして、長い間目を覚ましていないといったところでしょうか」

 驚いた。幽霊って探偵に向いてるんだ。のんきにそんなことを考えた憲吾だったが、ここでようやくかすみの言葉の意図を理解した。

「ということは、生きてるの?」

「はい。なので、十和ちゃんもひょっとしたらと思っていたんです」

「なるほどね」

 憲吾は足を進めながら思考を曇天に潜らせた。

 十和同様、歩もまだこの世に肉体を有している存在。眠っている本体から抜け出した、意識の塊。これは幽霊というよりは、生霊というやつに近いのではないだろうか。となれば、当然かすみも……。

 憲吾の足が水たまりを弾く。彼の眼前で、結った長い髪がふわりと揺れる。

「とはいえ、私たちのやることは変わりません。まずは歩さんを倒して情報を吐かせて、彼女の未練を晴らしましょう」

「……うん。そうだね」

 憲吾ははっとして前を向いた。未練を解消すれば成仏できるというのは十和で立証済みなのである。かすみの言う通り、やることは変わらないし、事態がマイナスに働くこともない。

 気にかかることは増えたが、とりあえずは目の前の事象を解決しなければ話にならない。

 憲吾は大きく息を吸い込んだ。

「というかびっくりしたよ。かすみさん、本当に遊んでいただけじゃなかったんだね」

「むー! せっせと情報を集めていた功労者に、労いもなくそんな言葉を吐くんですか?」

「冗談だってば。ありがとね」

 よくよく考えれば、感謝するのもおかしな話ではあるが。頬を膨らませるかすみに静かに笑みを返し、憲吾は携帯電話をポケットにしまい込んだ。


 程なくして彼らはアパートに到着した。湿った音を鳴らし、憲吾は階段を登る。最後の段に足をかけたところで、かすみが思い出したように声を上げた。

「そういえば、憲吾くんにはお姉さんがいるんですね」

「いるにはいるけど……」

 なんだ。がっつりと盗み聞きをしていたのか。つっこんでやりたいが、モメるのは本意では無い。

 憲吾はふうと息を吐いて、ポケットから鍵を取り出した。

 扉を開ける。住み始めて数ヶ月経過した六畳半は、未だ殺風景を維持している。

 さて、なんと言葉を続けるべきか。汗と雨が滲むシャツを洗濯籠に放り込み、憲吾はリビングに腰掛けた。言葉を待つように、かすみが正面に鎮座する。

「さっき話していた通り、俺は顔どころか名前さえも知らないし、交流もないよ。姉と呼んでいいのかもわからない」

 憲吾の言葉を聞いて、かすみはムッとした表情を浮かべた。

「なんで今まで黙ってたんですか?」

「聞かれてないし、言うほどのことでも無いかなと思って」

「それ、かなり重要な情報ですよね」

「えっ」

 かすみは眉を八の字に曲げ、人差し指で自身を指さした。憲吾の顔には困惑が張り付き続ける。

「わたしわたし」

「かすみさんがどうしたの?」

「ああもうにぶい! でもそのピュアさは非常にグッドなので捨てないでくださいね!」

 かすみはふんすと鼻から息を出し、憲吾との距離を詰めた。

「ほら、そのお姉さんが私だという可能性があるじゃないですか! 憲吾くんだけに私が見える理由って、それが原因だったりしません?」

 静寂が空間に満ちていく。しばらくしてようやく意味を理解したのか、憲吾は「あー……」という声を漏らし納得した表情を作った。

「生き別れた姉が、かすみさん?」

「あくまで仮説ですが、その線で探ってみる価値はあると思うんですよ」

 再び静寂が流れる。生き別れた弟の元に現れた、記憶喪失の姉の幽霊。なるほどなるほど。見える理由としては申し分ない。

 憲吾は情報達を懸命に咀嚼し、それらを一気に飲み込んだ。

「ほほう。それはそれは」

 結果として、よくわからない言葉だけが憲吾の口から漏れてくる。

 憲吾はどう言う顔をしていればいいかわからなくなり、ぱたんと身体をフローリングに預けた。

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