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春霞の足跡  作者: 豆内もず
3話 ペリヘリオン

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19/30

19 仕方なくですよ、仕方なく

「というわけで、私のことを知っている幽霊さんを探してここに辿り着いたんですよ」

 雨音を背景に、かすみは淡々と状況を説明し終えた。薄暗いことに加え、口元が扇子で覆われていたため、歩の表情の変化は捉えられない。

 彼女は「あいわかった」という言葉と共にあっさりと頷きを返し、いとも簡単に状況を咀嚼したようだった。

 音もなく閉じられた扇子が、くるりと宙を泳ぐ。歩の口角が上がる。

「こんな場所にまで足を運んでもらって悪いが、君のことは知らないね」

「そうですか……」

 かすみは口を尖らせて肩を落とした。湧き上がった期待を、僅か一文で封殺されてしまうとは。かすみ同様沈みかけた憲吾の思考を、歩の声が引き上げた。

「とはいえ、君たちにとって有益な情報なら有している自負はあるよ」

「本当ですか!?」

「ああ、本当だとも。聞きたいかい?」

「はい! 些細なことでもいいので、教えてください」

 幾多の心霊スポットを経て辿り着いた糸口。どうせなら、ここで諸々進展してしまえ。憲吾はすがるような目を歩に向ける。

 それが期待通りの反応だったようで、歩は意地の悪い笑みを返した。

「その前に。診察台の下にあるものを出してくれ」

「……診察台?」

 記憶の一端を語り出すのかと思いきや、そういった様子でもない。彼女はただただ、部屋の奥にある診察台に指を差している。

 憲吾は首を傾げながら立ち上がり、診察台の下を覗き込んだ。閑散とする空間に、ぽつりと取り残された厚めの木板が一枚。憲吾はそれを引きずり出し、デスクに置いた。

「なんですか、これ?」

「将棋盤ですね。裏にマスがあるはずですよ」

 木の板を裏返すと、そこにはかすみの言葉通り、縦横を九マスずつに分割する直線が引かれていた。憲吾は思わず息を飲んだ。

 たしか小学生の頃、学童保育の場で目にした記憶がある。とてつもない実力差でねじ伏せられて以来、触ることすらしなくなったっけ。憲吾はそんなことを思い出しながら、将棋盤に被さった埃を払った。

「なんでこんなところに将棋盤が……?」

「言っただろう? ここは僕の所有地ではないんだ。理由なんて知らない。さあ、次は引き出しの一番下を開いてごらん」

 歩の声に促され、憲吾はデスクの引き出しを開けた。こちらにも医療器具や書類などは見られず、古びた巾着だけが忘れられたように置かれている。

 ――なんだよ、人を雑用係みたいに扱いやがって。

 この場で肉体を有しているのは憲吾だけであり、小間使いのような扱いはやむを得ないのである。そう理解しつつも、彼は抵抗のように溜息を吐き出し、将棋盤の上に巾着を置いた。

 中身を開けずともわかる。これは将棋駒だろう。それがわかったからといって、急に話の矛先を変えられてしまったことは解決していない。

 憲吾は元いた椅子に再び腰掛け、将棋盤に指を向けた。

「それのどこが有益な情報なんですか?」

「関係ないよ」

「はあ?」

 だったらなぜわざわざこんなものを用意させたんだ。憲吾は眉をしかめて歩を見た。

 視線を当てられた彼女は「おお、怖い」とわざとらしく声を漏らし、将棋盤の線を扇子の先でなぞった。

「僕は意地の悪い性格でね。情報をくれてやるからには、それ相応の対価を求める」

「……対価?」

「将棋で勝負しようじゃないか。二人で力を合わせてもいい。何回挑んできてもいい。僕に勝つことが出来れば、褒美として知恵を貸そう。どうだい?」

「それだけでいいんですか?」

「もちろん。二言は無いよ」

 憲吾は胸を撫で下ろした。

 幽霊が対価などと言い出すものだから、寿命でも吸い取られるのかと一瞬肝が冷えたが、どうやら杞憂だったようだ。

 しかしながら、相手は相変わらず得体の知れない存在。力量の差すらわからない勝負にのるべきではない気がする。

 諸々の不安がこもった視線を向けられるよりも前に、かすみが声を上げた。

「面白そうですね。やりましょう憲吾くん!」

「えっ? 大丈夫?」

「なにがですか?」

「俺、駒の動かし方もわかんないよ」

「それは私も同じです。でも、他に手がかりがない以上、ここを逃すわけにはいかないでしょう?」

「まあそうだけど……」

 嬉々として語るかすみの興味は、もうすでに盤上へと向けられていた。新しいおもちゃを見つけたような彼女の顔つきを見て、憲吾は小首を傾げる。

「まさかとは思うけど、状況に便乗して将棋を覚えようとしてる?」

「そんなわけないじゃ無いですかぁ。仕方なくですよ、仕方なく」

 もはや彼女は憲吾の方に視線を向けることもしない。きらきらと輝く瞳は、ただただ盤上を照らしている。

「絶対に嘘じゃん!」

 憲吾は身を大きく乗り出してかすみに人差し指を向けた。

 あろうことかこの幽霊は、調査の一環と称して、新しい趣味を発掘しようとしているようだ。

 しかしながら、かすみの言うこともまた事実。ここを逃せば次の機会がいつやってくるかもわからない。

 一秒にも満たない僅かな時間、情報を咀嚼した憲吾は、諦めたように息を吐いた。

「……わかったよ。やる、やってやろう!」

「くくっ。どうやら君たちの主導権はかすみの方にあるようだね」

「それなりに気にしてるんで言わないでください。それより、絶対に勝つんで約束を忘れないでくださいよ」

「ああ、もちろんだとも。楽しみにしているよ」

 愉快そうに身を丸める歩を手で払い、憲吾は踵を返す。出会って数分の幽霊にまで関係性を見抜かれてしまった恥ずかしさはさておき、一刻も早く状況を整理しなければならないと憲吾は思った。

「ほら、かすみさん。一旦帰るよ」

「えー! せっかくだから一局――」

「どうせ暗くて見えないでしょ。作戦会議も兼ねて一旦退散だよ」

 憲吾はぶつぶつと苦言を呈し続けるかすみを無視し、雨森診療所を後にする。窓から抜け目に入った空は、先程よりも暗くなっていて、雨も弱くなっていた。

 ――まずは傍から見たら盗人にしか見えないこの侵入経路を、どうにかしないといけないな。

 憲吾は人目を避けるように身を縮こませながら、傘もささずに自宅へと帰った。

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