14 真面目な話をしちゃおっかなぁ
わからないことが増えても腹は減るし、遊び続けたい欲があっても疲労は着実に蓄積される。こういった瞬間だけは、幽霊のことを羨ましいなんて思ってしまう。
そんなことを思い浮かべながら、クレープを黙々と胃袋に押し込んだ憲吾は、大きく身体を伸ばした。
「さすがにちょっと疲れたね。やり残しはまた後日にして、今日はそろそろ帰ろうか」
「そうですね。人も増えてきましたし」
時刻は二十一時過ぎ。翌日からの大型連休に向けてか、街の賑わいも加速している。アルコールを存分に摂取したであろう大学生が、声を上げながら夜の街へと消えていく。
二人が視線を向けると、流れゆく人々を眺めながら、十和は何かを噛み締める様に首を横に振った。
「十和、三人で由吊山に行きたいなぁ」
「山に? 今から?」
「うん! 今すぐに! ……だめ?」
小首を傾げる十和に合わせ、憲吾は時計を見て首を傾げた。
時間的に山に向かう公共交通機関はもう機能していないだろうし、そもそも商店街のように思いつきで立ち寄れるような場所ではない。
幽霊たちとは違い、憲吾には浮いて向かうという選択肢がない。
前回はドクターに運んでもらったからどうにかなったが、自力で向かえば到着前に朝日が昇ってしまうだろう。タクシーなんて料金を考えるだけでゾッとしてしまう。
憲吾は時計を見つめたまま言葉を返した。
「山に行くのは明日にして、今夜はうちに泊まれば? バスも動いて無いだろうし……。あっ、口説いてるとか、そういう変な意味じゃないからね!」
「えぇー。十和的には口説きもウェルカムなのにぃ」
十和は愉快そうに微笑んだ後、大きく息を吸い込んでから言葉を続けた。
「お友達になってっていう十和のお願いを、二人がちゃんと叶えてくれたから、お礼に十和の未練のお話をしてあげようと思って。本題は早いほうが良いでしょー?」
憲吾は目を丸くして十和に視線を戻した。
「その話は、山じゃないと出来ないの?」
「山じゃないとエンジンがかかんないなぁ」
「マジか……。今日じゃないとダメ?」
「うーん。ひょっとしたら、明日には気が変わっちゃうかもなぁ。十和ちゃんはクレープも待てないダメダメガールなのでぇ」
揶揄うような視線を向けられた憲吾は、大急ぎで電話帳からドクターの番号を探し、流れのまま発信ボタンを押した。
一日を共に過ごしただけで条件が満たされるとは、予想外の早さであるが、事の進展は早いに越したことはない。
話が聞けるのであれば、気が変わる前に由吊山に向かいたいところではある。しかし、問題はその移動手段なのである。
夜の喧騒にまぎれ、無機質な発信音が響く。待てど暮らせどドクターが電話に出ることはなかった。
——本当に、肝心なところで役に立たない自称天才め。
不安そうな瞳が十和から憲吾に向けられる。当てが外れ狼狽える憲吾の耳元で、かすみの声が泳ぐ。
「どうします? 歩いて行きますか?」
「さすがにそれはなぁ……。というか、歩くのは俺だけでしょ」
憲吾は心音に耳を傾けながら深呼吸を繰り返し、きゅっと携帯電話を握る手に力を込めた。
歩きではなくタクシーより安価。憲吾の頭に採用したくない代替案が浮かぶ。
「出来れば使いたくなかったけど……仕方ない。よし、二人とも付いて来て」
憲吾は勢いよく足を進め始める。かすみと十和は顔を見合わせた後、ふわふわと憲吾の後に続いた。
零時ちょうどの由吊山の駐車場には、他の車は見られなかった。よろよろと駐車場に辿り着いた軽自動車が、恐る恐る白線をなぞる。
車が停車すると同時に、車内に張り付いていた緊張感が、一気に闇に溶けていった。
「はぁ、緊張した」
憲吾はじっとりと汗が滲んだハンドルから手を離し、抜け殻のように息を吐いた。
こんな暗い山道で車を運転するなら、せめてあと二時間くらい街中で練習したかった。憲吾はそんなことを考えながら、慣れない手つきでエンジンを切った。
カーシェア。事前に登録さえしておけば、いつでも車の貸し出しが可能になるシステム。
自身の運転技術に微塵も信用を置いていない憲吾であったが、夜の山への移動手段として、彼は渋々この手札を切ることを選んだ。
ヘッドライトが消え、駐車場は深い山に包まれる。後部座席に腰掛けていたかすみが、ふわりと助手席に身を移した。
「お疲れ様でした。不安がっていた割に、なかなか上手じゃないですか」
「ほんとに?」
「幽霊に相手に、話しかけたら死ぬぞという脅しをかけ続けていた事は減点対象ですが」
「えっ? 俺そんなこと言ってた?」
「けんけん緊張し過ぎてて面白かったよぉ」
今度は十和がフロントガラス近くに身を寄せそう言った。
身体半分が車外に出ているこの状況を、ホラーと言わずしてなんと言うか。憲吾は大きく息を吐いて扉を開いた。
「仕方ないでしょ。同乗者がいるプレッシャーなんて、味わったことがなかったんだから」
ルームライトが薄く車内を照らす。十和は目を丸くした後、照れくさそうに息をこぼした。
「……けんけんはやっぱり変わってるなぁ」
はるかに変わっている存在が何を言うか。憲吾は車を降り、行く道を携帯電話のライトで照らした。
「うぅー! やっぱり実家は落ち着くぅ」
展望台に着くや否や、十和は柵に寄り空を見上げて両手を上げた。憲吾たちにとって数日ぶりの展望台からは、少し形の変わった月が煌々と輝いている様が見えた。
深夜だというのに、遠くに見える街の灯りにはまだまだ活気が残っている。天文観測においては光害と捉えられるらしいが、憲吾にはそれらが生命の息吹のようにも見えた。
彼は柵に肘を乗せ、十和の方に笑みを向けた。
「実家という捉え方なんだね」
「記憶の始まりがここだからねぇ」
「やっぱり、思い入れみたいなものがあるの?」
「思い入れと言うか、思い残し? なんと言っても、十和ちゃんは幽霊なのでー」
十和は両手を下ろし、静かに息を零し俯いた。音もなく凪ぐ風が、穏やかに木々を揺らす。
天候に恵まれているのか、街明かりに負けないほど輝く星々が、彼らを見下ろしていた。
しばらくの静寂の後、十和はゆっくりと空を見上げた。
「この間いた、もう一人の男の人。十和のことを調べてるよね?」
「えっ?」
「ほら、あの変な箱を持ってた人」
思わぬ角度から飛んできた疑問に、憲吾は笑顔の形を変えた。
もう一人の男、おそらくというか間違いなくドクターのことだろう。そういえば、十和の過去についてドクターに調査を依頼していることを、彼女には話していない。
彼女の過去を黙って探ろうとしているわけじゃなくて、たまたま言い出す機会がなかっただけ。別に悪いことではないはず。
そう思いながらも、憲吾は目を逸らした。
「い、いや……。そんなことは無いと思うけど……」
「けんけんは嘘がへたっぴだなぁ。隠さなくても良いよ別に。というか、こっちから調べてもらおうと思ってたくらいなんだぁ」
「そうなの?」
「あやふやで覚えてないことも多いから、参考になると思うし、きっとこれからお話しすることの補足にもなるよぉ」
十和の言葉で憲吾はハッと視線を戻した。
「そっか。未練の話をするためにここに来たんだもんね」
「にゃはは。運転に必死で忘れちゃってたのぉ? 本末転倒なけんけんのために、ちょっとだけ真面目な話をしちゃおっかなぁ」
軽い口調ながらも、十和は真剣な顔つきで空を眺めていた。柔らかい雰囲気を纏い続けていた彼女が見せる意外な態度に、憲吾は思わず背筋を伸ばした。
真面目な話。十和の未練にまつわる話だろう。であれば、一言もこぼさない様にしなければ。
以前かすみが解説してくれた星々に視線を移し、憲吾は十和の言葉に意識を向け続ける。




