12 ツッコみ待ちですか?
平日の夕暮れ前、下校中の学生の姿が多く見られる駅前のロータリーには、様々な音が飛び交っている。
サラリーマンが集うには少し早い、夕方特有の若い匂い。夏を前にして気候がぐらついているのか、吹き込む風が少しの肌寒さを運ぶ。
目的のクレープ屋に辿り着いた憲吾たちを出迎えたのは、想像を絶する長蛇の列だった。列を生み出しているキッチンカーには、本日半額という垂れ幕が掛かっている。
待ち時間の相場がわからずとも、最後尾に並べばそれなりの時間を要することが容易に想像できた。
よりによって混んでいる日に当たるとは。憲吾は列から距離を取り、無人のベンチに腰掛けた。
「あれが噂のラフールらしいよ」
「えーっ! あんなにも並んでるの!? 予想外なんだが!」
列を指さし、くるくると飛び回る十和を見て、憲吾は頭を掻いた。
「今日は半額の日なんだってさ。タイミングが悪かったみたいだね。どうする? 並ぶ?」
「うーん……。どうしようかなぁ」
十和は音もなく何度も地面を踏みしめ、口を尖らせ腕を組んだ。並ぶといっても、結局女子高校生の列に突っ込むのは憲吾だけになるわけだが。
数秒の思考の後、十和は天高く指を上げた。
「予定変更! クレープは諦めるであります!」
「で、ありますか。ははっ。十和ちゃんは待てないタイプだね」
「なぁに? その子どもを見るような感じ! 十和だって本当は待てるもん! ちょーっと嫌いなだけで……。あと、時間ももったいないし!」
十和は尖らせた口を明後日の方に向け、わかりやすくへそを曲げる。面白くて揶揄いはしたものの、結果として憲吾にとってはありがたい選択になった。
憲吾は小さく息を零し、むくれる十和を宥める様に笑顔を向けた。
「じゃあ、あっちの方をぶらぶらしてみませんか?」
十和と憲吾の間をふよふよと泳いでいたかすみが、クレープ屋と反対方向を指差した。憲吾と十和は、彼女の言葉のまま視線を指の先へと向ける。
バスのロータリーや歩道橋。背の高い建物の間に、商店街の入口が見えた。見える人探しで憲吾とかすみが何度も往復している、なんとも代り映えのないスポットである。
「ぶらぶら? あっちは商店街しかないけど、十和ちゃんが楽しめる物があるかな?」
「何をするでもなく、だらだらのんびりと時間を過ごす。お友達の醍醐味じゃないですか。まあお友達のいないけ——」
「ストップ! 流れる様に交友関係をいじるの禁止ね!」
憲吾はかすみの言葉を切って立ち上がった。
——いや別に、それが友達の醍醐味だということくらい、わかっていますとも。わざわざ来た十和に、いつも通りの日常を見せるのはどうかと思っただけで。
憲吾は周りに人の気配がないことを再度確認し、こほんと息を吐いた。
「十和ちゃんはどう? それでもいい?」
「あはは。良いと思う! よし、決めた! 街ブラに変更! そうと決まればレッツゴーだー!」
あっという間に機嫌を直した十和は、いの一番に商店街の方へと向かった。
「見てけんけん! ロボットがこっちを見て挨拶してる! すごいねー! やっほー十和ちゃんだよぉ」
「そうだね」
「あっ! あっちには珍しいお洋服屋さん! うー心躍るぅ!」
「はしゃいで転ばないようにね」
浮いているから転ぶこともないだろうけど。定型文を話す人型ロボットに会釈を返し、憲吾は歩いてきた道を振り返った。
老舗の和菓子屋、コロッケがおいしい肉屋、何を売っているかも定かではないリサイクルショップ。距離で言うと十五メートルほどしか進んでいないにもかかわらず、十和はそこにある全てにリアクションを返し続けていた。
近辺に現れたショッピングモールの影響で、この商店街はお世辞にも活気があるとは言えない。
駅前くらい人がいれば自由も利かないが、ここであれば空気と会話しても何も思われないだろう。憲吾ははしゃぐ十和に視線を向けながら、隣で悠然と浮かぶ幽霊に言葉を放った。
「なんだか新鮮なリアクションでいいね。かすみさんとは大違いだ」
「おや? 憲吾君は初心な子がお好みでしたか。余裕のある物知りお姉さんは嫌いですか?」
「まさか。どっちも大好きだよ。かすみさんのことを余裕のある物知りお姉さんとは思ったことがないけど」
「恥ずかしくなるほど直球ですね君は」
かすみはくつくつと揶揄い返すような笑みを浮かべたあと、ゆっくりと指を上げた。
「しかしながら、目の付け所は非常にグッドです」
「目の付け所?」
「そうです。実際私は初めからロボット君を見ても驚きませんでしたし、あの服屋を珍しいとも思いませんでした。同じ幽霊なのに、差があるとは思いませんか?」
「たしかに……」
「生きていた時代の違いとか、外のものに触れる機会の違いとか、想像すればキリがありませんけどね」
かすみの言葉を聞いて、憲吾は顎に手を添え足を止めた。
現代社会では珍しくもない物を、まるで幼児のように目を輝かせて見つめる十和。単に性質の違いかと思ったが、差を生み出しているのが生前の断片なのであれば、これ以上にないヒントになるではないか。
深く入り込みそうだった憲吾の思考を、十和の声が遮った。
「おーい! けんけん、かすみん! 置いてっちゃうよー!」
「ほら、お姫様がお呼びですよ。行きましょう」
「……そうだね」
憲吾は笑顔で十和の方に手を振る。視線の先でシルバーカーに腰掛けていた老婆が、憲吾に気付いてにっこりと手を振り返した。
憲吾は穏やかな老婆に心の中で礼を述べつつ、気まずく揺れる右手をポケットに突っ込んだ。
十和もかすみも、他の人間には見えていない。未練があるまま命を落とし、この世に留まってしまった、いわゆる『幽霊』という存在。
いくら明るく振る舞っていたって、彼女たちは命を落とした結果、未練を携えて今の形に落ち着いているのだ。
——だとしたら、延長戦ともいえるこの時間は、絶対に楽しいほうが良い。余計なことを考えるのは、楽しんだ後でも遅くない。
「十和ちゃん、あそこに古いゲームセンターがあるんだけど、行ってみない?」
憲吾は十和の近くまで寄り、三軒ほど先の薄暗い空間を指差した。先程の老婆が驚いたような顔を向けていたが、憲吾はそんなこともうどうでもいいと思った。
十和は指の先をしばらく見つめた後、にっこりと笑顔を咲かせる。
「ゲームぅ? いいよ! 行きたい!」
「よし行こう。俺も入ってみたかったんだけど、今までかすみさんの許可が下りなくてさ」
「あははっ。かすみんのけちんぼー」
「なっ! 私はそんな打診を受けた覚えも拒否した覚えもありませんよ!」
憲吾はポケットに突っ込んだ右手にぐっと力を籠め、大きく一歩を踏み出した。
♢
それから数時間後。商店街を往復し終わる頃には、駅前はすっかりと様相を変えていた。連休前ということもあってか、程よくアルコールの入ったサラリーマンたちが、ご機嫌な顔を浮かべている。
彼らに負けないほど嬉々とした表情を浮かべる十和は、ぐーっと身体を伸ばした。
「初めて見るものがいっぱいあって、超楽しかったよぉ!」
「そうだね。意外と知らないお店がいっぱいあって、参考になったよ。今度友達を連れてこよ」
「ツッコみ待ちですか?」
「やかましいよ」
憲吾が空気を払うと、それに流されるようにかすみがふわりと身を浮かせた。
これだけ楽しく過ごせるのであれば、生身の友達はいなくても良いのかもしれないな。そんなことを考えた後、憲吾は自分の思考に身震いを返した。
携帯電話を眺める。時刻を確認し、憲吾は駅の方を指さした。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるわ。ここで待ってて」
「肉体に縛られているというのも考えものですね」
「ねー」
幽霊たちの小言に「言いたい放題かよ」と言葉を返し、憲吾は駅の方へと向かった。