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春霞の足跡  作者: 豆内もず
2話 オービット
11/30

11 幽霊なのにご飯を食べるの?

 カーテンを開けると、心地よい日差しが舞い込んでくる。

 憲吾は日差しに目を細め、大きく身体を伸ばした。春眠暁を覚えずとはいうが、四月が終わっても朝には眠気が付き物だ。かすみの声がなければ、きっとまだ夢の中に居続けていただろう。

 今日の講義が終われば、大型連休がやってくる。予定もないのに休暇だけ与えられても、持て余すことこの上ない。憲吾は全身の空気を吐き出し、テーブルの方に視線を移した。

 視線の先には、テーブルを囲んで談笑する幽霊二人。その片割れは、憲吾と目を合わせてぴょんと浮き上がった。

「けんけん、寝癖すごっ! 気を抜きすぎじゃない?」

「気を抜きすぎも何も、ここ、俺んちだよ。賃貸だけど……。というか、何でこの部屋は幽霊人口のほうが多いの? 不動産屋はいわくつきとは言ってなかったのに」

「キュートな幽霊に囲まれている状況をいわくつきと表現するとは、贅沢モノですね君は」

「贅沢も何も、こういうのって、一般的には憑りつかれてるっていうんだよ」

 憲吾は跳ねた髪を整えながらカーペットに腰を据えた。起きて間もない思考のまま、憲吾は幽霊たちに視線を向ける。

 もはや日常生活の一部となった幽霊一号。そして、数日前に友達になった幽霊二号。どういう状況だこれは。憲吾はカップに注いだインスタントコーヒーを、ゆっくりと口に含んだ。


 由吊山に行ってから数日が経過した今朝。目を覚ました憲吾の前には、山の幽霊、二重十和がいた。

「けんけんとかすみんが来ないから、来ちゃった!」という恐ろしい言葉を放った幽霊に驚愕したのが数分前の出来事。朝の光を浴びたとて、これが現実だということしかはっきりしない。


 ぼんやりとした意識に鳥のさえずりが聞こえてくる。惚けたままの憲吾に向け、十和は眉間にしわを寄せた。

「テンション低ぅ!」

「朝だからね」

「もう! 二人が全然来てくれないから、わざわざ山から降りてきたのに、この扱いは酷いぜ! もっともてなしてよぉ」

 アポもなく突っ込んできたくせによく言ってくれる。憲吾は腕を組んで首を傾げた。

「そういえば、どうやって来たの?」

「十和ちゃんはぷかぷか浮かんで来たよー」

「いや、移動の仕方を聞きたいんじゃなくて……」

 相槌のように流れたかすみの笑い声に合わせ、憲吾は諦めて手の甲に頬を置いた。

 幽霊は何かしらの未練があって、その場に留まるもの。かすみが例外なだけで、それが幽霊の一般常識だと憲吾は思っていた。

 だからこそどうやってここまで来たのかを知りたかったわけだが、彼女からその情報が出てくる気配はない。そもそも道理を知ったところで、安息の六畳半がお化け屋敷になっているという事実が変わるわけではない。

 憲吾は思考を切り替えるため頭を振った。

「俺今から大学に行くから、相手するのはその後になっちゃうけど良い?」

  憲吾の言葉で、十和はぱっと笑顔を咲かせた。

「大学⁉︎ 楽しそう! 十和も行く!」

「えっ? 来るの?」

「逆に家で待機して何をしろって話なんだがー」

「それもそうなんだけど、着いて来てもらっても友達っぽいことは出来そうにないからなぁ」

 憲吾はもう一度頬に手を置いた。

 わざわざ山から下りてきた彼女を、退屈な講義に同伴させるなんて気が引けてしまう。いっそ講義を休むのも手なのか?

 憲吾の深々とした思考を、十和の言葉が遮った。

「そんなに悩むことかなぁ? 特別なことをするだけがお友達じゃないし。いいじゃん!」

 にたにたと笑いながら、十和の隣にかすみが身を移した。こそこそと言葉が交わされる。

「十和ちゃん、実はですね。憲吾君には友達がいないんです」

「えっ!? 嘘でしょ!?」

「だからきっと、友達との過ごした方、という概念が頭に存在しないんですよ」

「全部聞こえてるよ! 内緒話はもっと小さな声でやってね。幽霊なのに大っぴらなのはどうかと思うなぁ!」

 驚いた顔の十和が、じっと憲吾の方を向いた。

「けんけん、ごめんねぇ……」

「揃いも揃って失礼が過ぎる!」

 謝られることはされていない。むしろ、謝られたことで事象が無礼に昇格したと言える。

 失礼な。ちゃんと高校までは潤沢な友人に恵まれていたし、呼び出せば来てくれる連絡先もある。

 大学での友人がいないことに、それらが何の反論にもならないことを察した憲吾は、諦めて立ち上がり洗面台の方へと足を進めた。

「付いて来てもいいけど、つまんないとか言わないでよ」

「はぁーい。なるべくがんばりまぁす」

 気の抜けるような返事が投げられる。

 本当に、揃いも揃って失礼だし、お気楽だし、うっかり幽霊と話しているという現実を忘れてしまいそうになる。というか、朝は出てくるなよ幽霊なのに。

 脳内でぶつぶつと小言を並べながら、憲吾は水道の蛇口を捻った。


「大学の授業って面白いんだねぇ! 文学に心理学、種類がいっぱいで楽しい! なんだか一生分のお勉強をした気分だよぉ」

 講堂内を自由気ままに辺りを飛び回りながら十和が言った。

 二百人ほどが講義を受けられる講堂には、既に次の講義を受ける学生たちが姿を見せ始めていた。憲吾はプリント類を鞄に放り込み、定位置ともいえる右後方の席から立ち上がる。

 それに合わせ、十和は憲吾の周りをふらふらと回り始める。十和の姿も、かすみの姿同様他の人間には見えていないようだ。

 馴染みのない学生たちの間を抜け、幽霊二人に憑かれているという悪夢のような現実から目を背けるため、憲吾は早足で講義室を後にする。

「ねえねえ! 次はどんな授業? おーい! けんけーん」

「大学内では言葉を返してくれないんですよ。無視だなんて悲しいですよね。ちなみに今日の講義はこれでおしまいです」

「そうなんだぁ。じゃあここからは、十和のやりたいことに付き合ってもらってもいいの?」

「もちろん! 存分に放課後ライフを楽しみましょう! わざわざ来てくれた十和ちゃんを午後まで待たせるなんて、憲吾君は罪な男ですね」

「ねー。これは存分に楽しませてもらわねばなりませんなぁ」

 他の環境を無視した、幽霊同士の雑談が憲吾の耳元で繰り広げられる。

 反論が出来ないのを良いことに好き勝手言ってくれる。大体勝手についてくるといったのはそっちじゃないか。人前で幽霊に話しかけた結果、交友関係が絶望的になってしまった憲吾としては、彼女たちに言葉を返すわけにはいかなかった。


 憲吾は早足のまま人気のない建物裏に逃げ込み、適当な段差に腰掛けた。心地よい日差しが、遠くの方の木々に降り注いでいる。午後の穏やかな陽気に反し、建物の影は薄暗い。

 全身の力を地面に預ける様に、彼はぐったりと頭を垂れる。

「疲れた……。いや、取り憑かれたの方が正しいのか……」

「あらお上手。落語家でも目指すつもりですか?」

 憲吾は隣に飛び込んできたてんとう虫を指で誘導した後、恨めしい顔でかすみを見上げた。

「だとしたらもっと上手く言うよ。というかなんで二人ともずっと喋ってるの? 講義が全く頭に入ってこなかったじゃん」

「またまた。どうせ聞く気も無かったくせに。せめてメモの一つでも取ってから苦言を呈してくださいな」

 憲吾は図星を突かれぐっと押し黙った。彼は次に十和に視線を向ける。彼女は日差し同様穏やかな表情を浮かべ、きょろきょろと辺りを見渡していた。

「十和ちゃんも、講義中は静かにって学校で習わなかったの?」

「んー覚えてないなぁ。それに、十和は授業の邪魔はしてないよぉ」

「俺の集中力はがっつり削られてたんだけど」

「だってぇ。けんけんが返事してくれないなんて、十和聞いてないもん。説明を受けてれば、十和も大人しくしてたのに。アカウンタビリティの欠如だよぉ」

 十和はふんふんと自信に満ちた笑みを浮かべ、堂々と腕を組んだ。彼女の身体をつがいのモンキチョウが通り抜けていく。

 今更幽霊にモラルを求めてどうするんだ。説明責任不足と言われれば、もうそれ以上返す言葉もない。憲吾は深いため息を影に落とし、ゆっくりと立ち上がった。

「わざわざ受講せず、二人で遊びに行けば良かったのに。退屈だったでしょ?」

「そんなことないよぉ。一般男子大学生さんがどんな生活をしているのか、十和は興味津々だから!」

「こんな普通の大学生を捕まえて、ハードルを上げてくれるじゃん」

 十和は人差し指を大きく振った。

「普通なのが良いんじゃん。まあ、ここから女に会いに行くぜ! とかいう展開ならもっと興奮するけどぉ」

「悲しいから言いたくないけど、そんな友達俺にはいないから」

「聞いているこちらが悲しくなります。無垢な幽霊たちを沈ませないでください」

「無垢な幽霊ちゃんはぴえんだよぉ」

 頭を抱える幽霊たちは、目を細めて憲吾を見た。

 なぜ幽霊が一人増えただけで、こんなにもアウェイな空気になってしまうのか。憲吾はズボンに付いた砂を払い、肩をがくっと落とした。

 一日の講義が終わった今、彼の選択肢には『帰宅』か『人探し』しか残されていない。となれば、ここからは十和の『お願い』を叶える時間に費やすのがベストだろう。

 憲吾はぐっと身体を伸ばし、大きく息を吸い込んでからぱちんと手を叩いた。

「さあ十和ちゃん。普通の大学生君は今から帰って寝るだけだよ。やりたいことがあるなら言っておかないと」

 言葉を受けた十和は、人差し指を頬に当てた。赤みが強い頬が、器用に形を変える。

「うーん。じゃあ、スイーツを見に行きたい!」

「スイーツ?」

「そう、スイーツ! さっきの授業の時、前の女の子たちが話してたんだぁ。ラフール? っていうお店! どこにあるかはわかんないんだけど」

 聞き馴染みのない単語が耳に届き、憲吾は首を傾げた。

「ラフ―ル……」

「駅前にあるクレープ屋さんですね」

「知ってるの?」

「ほら、よく女子高校生が並んでるあのお店ですよ」

 憲吾は駅前の様子を頭に思い浮かべる。その光景の中に、かすみの言葉通り、駅前で繁盛しているキッチンカーがあった。それでも、店名までは覚えていなかったが。

 賑やかな店舗前で、写真を撮る女子高校生たち。食べるのがもったいないほど煌びやかなクレープ。言葉と光景が合致した途端、別の違和感が憲吾の思考を泳ぎ始める。

「あの店か。……ん? クレープ屋? 十和ちゃんは幽霊なのにご飯を食べるの?」

「違うよぉ! 食べるのはけんけんのお仕事! 十和は目で楽しむの!」

「クレープを? 目で?」

「何ぃその顔。楽しみ方は人それぞれでしょー? 十和ちゃんおこなんだが」

 頬を膨らませる幽霊から目を逸らし、憲吾は宙を仰いだ。太陽が落ちるほうに向かっているのか、先程より広い範囲を影が覆っている。

 幽霊の考えていることはわからない。こと女性の幽霊ともなればなおさらだ。なおも頬を膨らませ続ける十和と、なぜか同じように頬を膨らませ始めたかすみに睨みを向けられ、憲吾は逃げる様に足を動かした。

「わかった。行こう。すぐ行こう!」

 女子高校生が並んでいる列に加わるなんて、出来ればしたくはないけれど、今は他人の目より幽霊の目を気にしたほうが良さそうだな。そんなことを考えながら、憲吾はのそのそと駅前へと向かった。

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