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春霞の足跡  作者: 豆内もず
2話 オービット
10/30

10 幽霊って、そんなもんっしょ

 数分後、遅れて到着したドクターに彼女が見えなかったことで、憲吾はいよいよ二人目の幽霊の登場を芯から理解した。

 由吊山に来た理由を説明する憲吾の声に、十和は終始興味深そうに耳を傾けていた。一頻り説明を聞き終わった後、彼女はあっけらかんと手を叩いた。

「あーね。つまり二人は成仏する方法を探しに来たってわけか。理解した」

「そうなんです。成仏の仕方どころか、記憶までないので困ってしまって、ヒントがないかとここに来たんです」

「大変だねぇ。ところで、あの人は何をしてるの? 知り合いだよね?」

 十和は謎の機械を周囲に向け続けるドクターを指差した。

 なにやら幽霊の声を聞くことができる装置らしいが、今のところ彼の手元から芳しい反応は見られない。ごてごてとした正方形の箱から流れるノイズが、無駄に空間の不気味さを後押している。

 どうやら幽霊が半数を占める現状においても、このオカルトマニアは役に立たないようだ。憲吾は小首を傾げ、微笑みを返した。

「そう、知り合い。わかんないけど、多分十和ちゃんの声を拾おうとしてるんだと思うよ」

「おおー! もしもーし。十和ちゃんだよー! あ、そっちじゃないよぉ」

 十和の問いかけにもちろん反応を示さないドクターは、ぶつぶつと小言を並べながら深い闇の方へと向かった。

 なにやら熱心に研究をしているようだし、いったんあれのことは置いておこう。憲吾は仕切り直すように息を吐いた。

「参考までに聞きたいんだけど、十和ちゃんはその、生前のことをどこまで覚えてるの?」

 憲吾の問いかけに、十和は眉をしかめた。

「うーん、ぼちぼち?」

「……なんで疑問形なの?」

「自信がないから!」

 十和の視線がふらふらと揺れた。

「なんかねぇ、日に日に色んな事を忘れていってる気がするの。どんな死に方をしたかとか、どういうことを思っていたかとか、最初はもうちょーっとはっきりと覚えてたと思うんだけど、ふわふわーって。意識しないと、綿あめみたいに記憶が飛んでっちゃう!」

 十和は指をくるくると回しながらそう言った。


 日に日に色々なことを忘れている。それがどの程度なのかはわからないが、幽霊の記憶というのは、どうやらその存在同様ふわふわとしているらしい。あと、多分綿あめは飛んでいかない。

 それでも、名前をはっきりと覚えているだけ、全く記憶がないと言えるかすみよりはマシだろう。

 憲吾は少し思い悩んだ後、展望台の先に視線を向けた。遠くの方で建物の光がちかちかと点滅していた。

「じゃあ成仏の仕方もわからない?」

「詳しくはわかんない。でも、十和をこの世に結び付けているものが何なのかってことくらいは覚えてるよぉ」

「この世に結び付けている、か。未練みたいな感じ?」

「そうそう! 多分、それが叶えば成仏するんじゃないかな? 幽霊って、そんなもんっしょ」

 幽霊はそんなものなのか。あっけらかんと話す十和を見て、憲吾はふっと笑みを零した。十和は堂々と胸を張って言ってやった感を出しているが、今のところ、確定的な情報は出てきていない。

 数秒の間の後、黙々と浮かんでいたかすみが、ぴんと人差し指を上げ口を開いた。

「ちなみに、十和ちゃんの未練は何なんですか?」

「うーん。すんなり教えるのはちょっとなぁ」

「俺幽霊じゃないからわかんないんだけど、やっぱり未練を解決しちゃって成仏するのが嫌だ! とかいう感覚があるの?」

 十和は赤い唇を尖らせ、大きく首を振った。

「十和は成仏しちゃってもいいなぁって思ってるよ。すぐに解消できちゃう未練だし、山奥って死んじゃうほど退屈だし!」

 もう死んでいるんじゃないかという野暮なツッコミを、憲吾はぐっと喉元で押しとどめた。

「でもぉ、今未練を喋って、うっかり成仏しちゃったら、二人はきっと十和のことをすぐに忘れちゃうじゃん? 十和、モブ幽霊になっちゃうじゃん? せっかくこうやって会えたのに、それはちょっと悲しいなぁ。お願いを聞いてほしいなぁ」

「お願い?」

 十和は顔を少し伏せ、じっとりとした視線を憲吾に向ける。濃い目に赤が盛られた下がった目尻、ガラス玉のように透き通った瞳。その視線は、年相応の女性耐性しかない憲吾を説くに十分な力を有していた。

 相手が幽霊であれなんであれ、彼はこういった期待にめっぽう弱いのだ。憲吾はしばらく視線を泳がせた後、照れたように頬を掻いた。

「叶えられる範囲であれば聞くけど……」

「ほんとぉ⁉︎ じゃあ、十和とお友達になってほしい!」

「と、友達?」

「お友達以上であれば何でもいいよ。妹でもいいし、幼馴染でもいいし、恋人でもいいし! とにかく、二人が十和と別れるの悲しー。十和ちゃん行かないでぇ、っていう気持ちになってくれたら、未練を話して目の前で成仏してあげるぅ。お手本みたいな? 出来るかわかんないけど!」

 けらけらと笑う十和を見て、憲吾は絶句してしまう。これは何から情報を処理すれば良いかわからないという絶句であるのだが、彼女の言葉は憲吾の思考を混線させるに十分な威力を持っていた。

 隣に浮かぶ幽霊を成仏させることが由吊山に来た本懐のはずなのに、似たような厄介事が増えようとしている。それに彼女の言葉に乗ったところで、それが確実な一歩になるとも限らない。

 懐中電灯の光だけが輝く空間には、ざらざらとしたノイズが鳴っている。ドクターの方の進捗も、どうやら相変わらずらしい。


「めんどくさい幽霊が増えてしまった……」

 諸々を考え切った憲吾は、無意識のまま口を開いた。

「めんどくさいとか言わないでよぉ!」

「ああごめん。ついうっかり本心が」

「あはは。憲吾君は酷い人ですね」

 かすみから笑い声が上がる。これでもかというほど頬を膨らませる十和を宥める様に手を揺らし、かすみは言葉を続けた。

「友達になるくらい、すぐに了承してあげれば良いじゃないですか。今更幽霊のお友達が増えることに抵抗があるんですか?」

「そういうわけじゃなくて、もっと根本的な話なんだけど」

 そもそもあんたの成仏方法を探しにここまで来たのに、寄り道なんてしている場合なのかという前提があるから混乱しているんだよ。

 目標達成には必ず過程がある。そして、過程のために目標達成が疎かになってしまっては意味がない。ここは早めにスルーして、次なる心霊スポットに足を運ぶべきじゃないのか? 見える存在がいるということはわかったわけだし。

 憲吾は頭を掻いて疑念を溜息に込めた。

 ひんやりとした空気が展望台を駆け抜ける。憲吾の不平不満を読み取ったように、かすみは表情を穏やかにした。

「お前が言うのか、とでも言いたげな顔ですね。憲吾君の言いたいこともわかります。ただ、今まで誰にも見つけてもらえなかったから、見つけてくれた人に近づきたいという気持ちも、私にはよくわかるんです。だから、まずは彼女の希望を叶えてあげましょうよ」

「多分、遠回りになるよ?」

「それでもです。憲吾君には、気持ちを無視するような男の子になってほしくないですから。この際私の順番は後回しでも構いません」

 かすみの視線がじっとりと憲吾に張り付いた。幽霊の気持ちは幽霊が一番わかる。そんなことは、憲吾にもあっさり理解できた。ついでに言うと、新たに現れた困った幽霊を放っておけないという気持ちも。だからこそ、それ以上の小言を吐く気分も削がれてしまう。

 ポケットに手を突っ込んだ憲吾は、ゆっくりと視線を落とした。それを承諾と受け取ったのか、かすみはふふんと息を吐いて十和の方を向く。

「というわけで十和ちゃん。私たちとお友達になりましょう!」

「ええっ⁉︎ いいのぉ?」

「もちろんです! ね? 憲吾君」

 言葉を向けられた憲吾は、諦めたように顔を上げた。

「いいよ。かすみさんが良いなら、断る理由もないし。ちょうど妹も欲しかったし」

「えっ、そっち路線でいくんですか?」

「一人っ子みたいなものだから、兄妹に憧れがあるんだよ」

「やば……」

 かすみの顔にきゅっと力が入る。軽い冗談じゃないか。洒落の通じない幽霊め。

 憲吾はじっとりと口角を上げて、十和に右手を向けた。

「畏まるのも恥ずかしいけど、よろしく」

「うん! よろ! 人間のけんけんに、幽霊のかすみん。えへへぇ。友達ぃ」

 十和の手が何度も憲吾の手をすり抜ける。エア握手、なんとも不気味な光景だ。僅かばかりの耐性が無ければ、ショックで卒倒してしまっていたかもしれない。

 黙々と流れるノイズのせいで、憲吾にはこれが現実なのかどうかもあやふやだった。ひょっとしたら、車の中で眠ってしまって、夢を見ているのかもしれない。

 頬をつねる。痛みで現実とチューニングが合ってしまう。憲吾はへらりと笑みを浮かべ、ポケットに手を突っ込んだ。

 踊るようにステップを始めた十和を横目に、かすみが憲吾に耳打ちをする。

「幽霊のお友達ばかりが増えますね」

「やかましいよ。記憶がある幽霊が現れたせいで、俺の中でのかすみさんはクソザコ幽霊だから」

「なっ。優劣を付けるなんてひどいです!」

「だったら早く記憶を取り戻さないとね」

 憲吾は悪戯っぽい顔をかすみに向けた。幽霊の友達ばかりが増えるという事象を招いたのは、他でもないかすみである。そんな彼女の記憶よりも先に、解決しなければいけない問題が発生してしまった。

 吐き出した溜息に乗って、どんどんノイズの音が大きくなる。どうやらドクターが戻ってきたようだ。

 彼は機械のスイッチを切り、憲吾の肩を叩いた。

「会員二号君。そろそろここから出ようか」

「不名誉な呼び方! ってもう帰るんですか?」

「新たな団体がこちらに向かっているのが見えた。大方肝試しか何かだろう。騒がしいのは苦手なんだ」

 消えたノイズに変わり、遠くでエンジンをふかす音が聞こえた。時刻は二十五時少し手前。肝試し客が来てもおかしくはない。

 あっさりと駐車場に向かったドクターを見て、憲吾は小躍りを続ける十和に声を向けた。

「十和ちゃん、今日は一旦帰るよ」

「ええー! 帰るの⁉︎」

「何の準備もしてきてないからね。ちゃんと日を改めてくるから、のんびり待っててよ」

「むぅ。わかった! 次はお土産よろしくぅ!」

 十和は足を止め、両手を真上に挙げた。背後に広がる満点の星空が、この場所が元々デートスポットだったという事実を思い出させた。

 パンクな風貌の愉快な幽霊がいるだけであれば、ここが曰く付きと呼ばれることもないだろうに。むしろ一緒に天体観測を楽しんでくれそうでいいじゃないか。なんだかもったいないな。

 というか幽霊にお土産って、お線香か何かを持ってくればいいのか?

 憲吾はそんなことを考えながら、十和に手を振りドクターの後を追った。


「有益な情報は得られたかい?」

 相変わらず歌謡曲が流れる車内で、ドクターが呟いた。行き道ほど鋭くないエンジン音のおかげで、より深い眠気が憲吾の顔に張り付いている。

 憲吾はひとつ欠伸を挟み、ぼんやりと言葉を返した。

「まあ多少は……。ドクターの方は収穫がありましたか?」

「そうだね。無いと言っておこう」

「何ですかその含みがある感じ」

「所詮、噂は噂に過ぎないと思ったまでさ。深い意味は無いよ」

 ドクターは抑揚のない声でそう言った。結局何かを含んでいる気がしてならなかったが、憲吾はそれ以上を言及しなかった。

 代わりに憲吾は、助手席に鎮座する機械に指を向ける。

「その機械で幽霊の声が聞けたことってあるんですか?」

「今日が初出勤さ。しかし、こんな機械よりも優秀な通訳がいるとなれば、心霊スポット巡りも楽しくなりそうだよ」

「勘弁してください。そもそも俺の目的はスポット巡りじゃないんですから」

 ドクターは低い笑い声を零し、愉快そうにハンドルを切った。

 左右の感覚が麻痺しそうな入り組んだ道を、四輪が軽快に下っていく。激しい音を立てながら、改造を施されたであろうスポーツカーが数台通り過ぎる。

 ドクターの言っていた新たな団体だろうか。であれば、早々に退場しておいてよかった。あんなイケイケな集団に囲まれては、落ち着いて話しどころではなかったはずだ。憲吾は流れていくテールランプの光を目で追い、ふと十和のことを思い出した。

「ドクターにお願いがあるんですが」

「ほう。言ってごらん」

「二重十和という女の子について、調べて欲しいんです」

「にしげとわ?」

「はい。えっとたしか、二重跳びの二重に、十字架の十に、和三盆の和だったような」

「無駄が多い説明だな。その子を調べてどうするんだい?」

 本人がそう言っていたんだから仕方ないだろう。憲吾は照れ笑いを返し言葉を続けた。

「さっき見た、二人目の幽霊の名前らしいんですけど——」

 憲吾は十和から聞き取った情報と、彼女のディテールをドクターに伝え始めた。幽霊の話ということもあってか、ドクターも興味深そうに耳を傾ける。

 容姿や雰囲気の情報がどこまで必要なのかもわからないまま、彼女との会話をもう一度なぞる。

 ハンドルを指で叩きながら話を聞き終えたドクターは、呆れたように漏らした。

「生きた人間ならまだしも、死んだ人間探しともなると、流石に情報が少ないと言わざるを得ないな。私は天才を自負しているが、万能人探しプログラムではないからね。居住地や所属がわかる要素は無かったのかい?」

「うーん……」

 一応考えるふりをしたものの、これ以上の手札は憲吾にはない。だからこそ頭がよさそうなドクターに頼んだわけで、今の情報で組み立てができない時点でもう話は終わりなのだ。憲吾が目線を逃がすと、車内にじっとりとした沈黙が張り付いた。

 沈黙を割いたのは、器用に座席に掛ける幽霊だった。

「憲吾君。この近くで、正しいの正という字が付く高校があるかどうかを、ドクターに聞いてみてください」

「高校?」

「十和ちゃんの服、多分高校の制服なんですよ。ヒントになるかもしれません」

「えっ。あれって制服なの?」

「はい。襟元に正の文字が入った校章っぽい刺繡がありましたし、制服自体もかなり特徴的な形なので、すぐに割り出せるかと」

「よく見てたね。俺よりよっぽど冷静じゃん」

「ふふっ。さあ、クソザコ幽霊という汚名を返上させていただきましょうか」

 かすみは腕を組み、ふんと息を吐いた。勝ち誇った顔、見たかと言わんばかりの態度、観察眼を褒めようという気概が全て奪われてしまう。

 憲吾は小さく息を吐いてドクターに言葉を向けた。

「ドクター。この近くに正しいの正っていう字が入ってる高校ってありますか?」

「……この近くなら、正祥学園という女子高が一つあるね」

「正祥学園……」

「調べてみましょう!」

 かすみに急かされ、憲吾は携帯電話を起動し検索をかけた。すると、あっという間に十和が身に着けていた服装と同様の制服が見つかった。

 憲吾は目を見開いて運転席の方に身を乗り出した。

「ドクター! さっきの幽霊、この制服を着てました! 多分正祥の生徒だった子だと思います!」

「急に声を荒げないでくれ。後で画像ファイルを貰うから」

「これで情報は足りますか?」

「さっきより幾分マシだろうね。わかった。それらを元に、可能な限り調べておこうじゃないか」

「お願いします! ひょっとしたら、成仏のヒントが眠っているかもしれないので!」

「まったく、見かけによらず人使いが荒いな……」

 ドクターは荒めにハンドルを切って車を走らせ続けた。深い山道を軽自動車が進む。人使いが荒いとは失礼な。オカルト研究会にネタを提供したに過ぎないのに。憲吾は座席に深く身を預けた。

 十和の過去はドクターに任せて、こっちは彼女とどう友達生活を送るべきかを考えよう。幽霊と友達、何をすれば満足してもらえるんだろうか。というか、そもそも友達って何をするもんなんだっけ。

 ぼんやりとした思考を浮かべると、急に周波数が合ったように眠気が降りかかってくる。

「ドクターすいません。もう一つお願いが」

「なんだい?」

「ちょっとだけ寝てもいいっすか?」

「……本当に荒いな、人使いが。好きにすると良い。独語を聞くよりよっぽど良いからね」

 こればかりは返す言葉もない。憲吾は微笑んでゆっくりと瞳を閉じた。

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