7.あくまで世間話の一環として
「誤解の無いよう、申しおかねばなりますまい」と前置きをして、ロドリーゴは話し始めた。顎の両側を挟むようにぶら下がった頬の肉が、それに伴って不規則に揺れた。「儂には、一国の王になろうなどというつもりはない。もっとも、それが儲けのために必要ならそうするでしょう。しかし儂にはどうも、そうは思われない。特に、あちらもこちらも権力争いに忙しい、このような世の中では」
「でしょうね。戦争は、実際に争うより武器を売る方が儲かる」
「左様。人にはそれぞれの役割というものがある。愛だの善だのについて考えることは、司教様の仕事でしょう。領民の生活だの、隣国との小競り合いだのという問題は、貴族様がお考えになればよろしい。
儂は商人だ。欲しい人に欲しいものを売る。それが商人の役割なのです」そう言うと、ロドリーゴは古賀の眼を覗き込んだ。「そう考えた時に、一つ分からんことがある。すなわち、カリュー卿、貴方の役割とは何なのか。貴方は、モスキート・コースト国から王命で遣わされた外交官だと仰る。外交官の役割は外交だ。他国との友好な交易関係を築くことは、外交官の重要な仕事でしょう。だがそれは、あくまで国家同士の大枠の合意に基づいて行われることであるはずだ。儂の耳に入る限り、貴方がたは、まだ周辺の有力都市であるミネルヴァやマルス、それどころか、この漁村の領主ともお会いになってはおられない。その前に、儂のような一商人にお会いになる理由をお聞かせ願いたいですな」
「もっともな疑問と存じます。お答えするなら、これが私のやり方だということです。その国に、交易に足る産業が無ければ合意の意味がない。ですから、私はまず現地の商人と話すことが最も重要と考えています。
ただ、そう、もう一つ申し上げるなら、その道中で懐を暖めたいと考えるのは何も商人だけではないということです」
古賀がそう言ってロドリーゴの眼を覗き込むと、その瞳の奥で、欲望の炎がゆらりと揺れるのが見えた。
「つまり、貴方がたのお持ちになった、3つの木箱の話ですかな」
「いかにも」そう言って、古賀は手のひらを上に向けて「例のものを」と合図した。
久遠がその手のひらに、小さなポリ袋を乗せた。
透明なポリ袋の中にあるのは、白色の粉末状結晶である。およそ20グラム程度。古賀は久遠から受け取ったそれを、そのままロドリーゴに手渡した。
「よもや小麦粉では御座いますまいな」ロドリーゴは薄笑いを浮かべた。
「だとすれば、この街の人たちは、パンを食べるために、その重さの30倍以上の金貨を支払わなければならない」
古賀の言葉に、ロドリーゴはその袋の中の結晶をまじまじと眺めた。
「この、ちっぽけな粉に、金の30倍の価値が?」
「それが、芥子の実を原料にしていると話せば、どういうものかご想像頂けるでしょう」
ロドリーゴは脂肪の厚く被さった目蓋をあらん限りに広げて、噛み付かんばかりに古賀を睨んだ。どうやら、その価値が伝わったようだ。
「阿片から作られた薬……」
「ジアセチルモルヒネ。我々の国では一般的に、それが登場した際の商品名『ヘロイン』という名で呼ばれています。阿片の薬効は、その中に10パーセントほど含まれるアルカロイドという有機化合物に由来します。その中でも主要なアルカロイドであるモルヒネを、さらに合成して薬効を高めたもの、と、ご理解頂ければよろしい。一回に大麦1粒程度の量を、そのまま鼻から吸うとか、炙って吸うとかいった用法で用いられます」
前の世界では、ヘロインの最もポピュラーな使い方が静脈注射だったことを古賀は知っていたが、それについて説明はしなかった。この世界には注射器がないことを確認していたためである。
「貴方がたのお国では、そんなものを、当たり前に売り買い出来るのか」
「いえいえ、まさか」と古賀はとぼけた顔で嘯いた。「これは、我々の艦艇が、洋上で拿捕した密輸船から押収したものです。本日お持ちした3つの木箱はその中の、ほんの一部に過ぎません。全く、困ったものです。このような違法薬物が横行しては、我が国の治安に関わる。
私は今日、この周辺界隈の商習慣や、物価、貨幣価値などのお話をお伺いに参りました。そのついでに、1つご忠告を申し上げようということです。『こういう薬が出回っておりますから、ご注意下さい』と。確かに申し上げましたよ。あくまで、世間話の一環として」
「なるほど。呆れた方だ。確かにお伺いしましたよ。『世間話の一環として』ね。せっかくのご忠告も、現物がなければ上手く伝わらない。そういうことですな」ロドリーゴがその時に見せた表情は、まともな神経の持ち主ならば、直視に耐えぬ醜悪な笑顔だった。
「それで、ものはご相談ですが」と古賀は切り出した。「我々は王命でこの地に参りましたが、何せ元々交流の無い土地に先駆けとして参った都合、ここで通用する通貨というものを持ち合わせておりません。つきましては、いくらか都合して頂けると助かるのですが」
そう申し出た古賀の態度はもちろん、金を無心する者がとるべきものではなかった。
古賀扮するバンプフィルド・ムーア・カリューは、あくまでこの押収した麻薬を、参考品として渡したに過ぎず、またロドリーゴ・バルトリは、遠路はるばるやって来た異国の外交官に、善意で金を都合するのに過ぎない。
つまり、帳簿に残らないということである。
しかし事実上は、そういう形を借りた紛れも無い危険薬物の売買であり、さらに言えば、今後ロドリーゴの持つ大量のアヘンを、より価値が高く少量で流通させられるヘロインに精製する請負契約の手付金である。
ロドリーゴはその椅子一杯に肥満した身体を大きく仰け反らせて大声で笑った。それから、「この薬の薬効というものを確認せねばなりますまい」と言うと、部屋の奥、天蓋付きのベッドを流し目に見た。その中に寝そべっているのであろう、娼婦の気配を。
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古賀たちは再び応接室で待たされた。首尾は上々である。
テーブルにはワインと、干した果物に砂糖をまぶしたものが置かれた。砂糖はこの地域ではかなり希少なものだと思われる。相当なもてなしを受けていると考えてよさそうだ。
ロドリーゴに古賀が手渡したヘロインは、久遠が持ち出した札束に紛れていた本物である。流石、阿片で身を立てた商人だけあって、彼はその価値と依存性、つまりそのビジネスの仕組みを理解していた。自分で使用するようなことはしない。
古賀は終始、言外に「話の分かる商人を探している。あなたがそうなら申し分ないが、そうでないなら他をあたる」という態度をとり続けた。つまり、今日、即金を用意する度量があるかを計るような振る舞いである。
ロドリーゴの脳裏には当然、暴力を背景に古賀たちを意に沿わすオプションも浮かんだことだろう。古賀が軍事や国家の話を持ち出したのはそれを牽制するためだ。
ここに住まう人たちは、まだ自分たちの住む世界の広さを知らない。そのことが、大商人ロドリーゴをして、古賀の背後に、圧倒的な国力を持つ遥か海の向こうの大国の姿を幻視させた。彼が無能だったのではない。ロドリーゴは十分に慎重で、それでいて豪胆だった。ただ、自分たちより遥かに文明の進んだ世界から時空を超えて、しかもよりによって詐欺師が送り込まれたのだということを想像出来なかっただけに過ぎない。
あとは……、と古賀はポケットから腕時計を取り出してそれを見た。時計は午後10時を指している。気付けば随分と長居をしたものだ。灯りをふんだんに灯して夜活動するということは、この辺りの上流階級のステータスなのかもしれない。クレアはもう、眠ったろうか。
古賀は彼女のことを考えると、優しい気持ちになった。
異国の貴族を装ったとはいえ、彼女は得体の知れない無一文に、宿と食事と、その暖かな体温を分け与えてくれた。彼女の優しさに報いねばならない。
法を破り、人を謀り、奪い取るとしても、受けた恩は返す。これが古賀の考える悪党の品格なのである。
不意に部屋の扉が開いた。
「同じ重さの金貨で如何か」付き人を従えたロドリーゴは、挨拶も前置きもなく言った。彼の部屋にいた娼婦は、生きながら天国の扉にタッチしてきたものと見える。
135キログラムの金貨。中世ヨーロッパの金貨一枚3.5グラムが日本円にして約12万円から50万円(商習慣や経済の不安定性から単純な換算は出来ないにせよ)と試算されることを踏まえれば、少なく見積もっても50億近い価値があるはずだ。
「ご冗談を。申し上げました通り、金の30倍の値がつくものですよ」と古賀は穏やかな口調で率直に言った。
ロドリーゴは皺で弛んだ顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。釣り上げは想定内だろう。
「同量の銀貨を乗せましょう。儂も、この屋敷に全ての財産を置いておるわけではない。それに、これ以上は運びきれんでしょう」
古賀は思案顔で少し間を置いてから、「馬車をつけて頂けるなら」と答えた。
「お客人をお送りしろ」とロドリーゴは秘書に命じた。
その案内に従って庭に出る時、エントランスの大きな彫像を、久遠が食い入るように見つめた。剣を掲げる女神を象った、巨大な彫像である。応接室にあった置物は、技術水準の差異を差し引いても一級品揃いと言ってよかったが、古賀にはこの彫像だけは、大きいばかりでそれほど価値のありそうなものに見えなかった。
庭には既に、金貨銀貨の詰まった木箱が荷馬車に用意されていた。古賀は荷台に乗り、木箱の蓋を開けて中の金貨を一枚手に取った。
「確かに」
「それだけで、宜しいので?」胸の大きい美人の秘書は、古賀にそう尋ねた。金貨の真贋を確かめるのに、手に取るだけでいいのかという意味だ。
「金の重さが分からない者は、商売に向いてない」古賀は秘書に微笑みかけた。
現物・現金でこの規模の取引をする時障害となるのは、そのかさと重さである。元いた世界でも、1億円の重さは約10キログラムになる。この取引では金貨と銀貨合わせて一人頭90キロをせしめた。これを運び、詐欺が露見する前に逃げ果せるには、運搬の手段が不可欠だ。
そもそも、この取引にあたって古賀の元手は、木箱を運んだ人夫にチップとして渡した銀貨2枚以外にはない。古賀が交渉で値段を釣り上げた狙いは、商談にリアリティを持たせることと、この馬車である。
50億の商談だ。馬車一両程度は端数に過ぎない。
「では、私共はこれで」そう言って馭者に合図を出すと、馭者はそのまま暗い夜道に鞭の音を響かせた。と、その時である。
「止まれ!」射抜くような低い怒鳴り声に、馬車は歩き出そうとした足をそのまま止めた。
見れば、手に手に槍を執って、鎖帷子のものものしい戦装束に身を包んだ一団が、門を抜け、屋敷に向かって列を乱さず進んで来る。
古賀は顔をしかめた。
「どういうことだ? 早すぎる」