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6.一週間後

 日が傾きかけていることを、西向きの窓から強く差した陽の光が教えた。


「あなたはきっと、もう戻っていらっしゃらないのですね」


 シャドーストライプの入った黒いジャケットを広げて、クレアはそう言った。古賀はその袖に腕を通し、「女の勘かな?」と微笑みかけた。


「あなたは結局、ご自分のことを教えて下さいませんでしたから」彼女は顔を伏せる。「お郷を聴けば『とても遠いところ』、お名前を聞けば『バンプフィルド・カリューと()()()()()()』……。万事その調子」


「では一つ、私のことを教えよう。私は、博打が好きだ。賭場で胴元の仕切るようなものじゃなく、相手と私、一対一のね。どうだい。賭けるかね? 私がここに帰って来るかどうか。帰って来れば、私の勝ち、来なければ、君の勝ち」


「でしたら、私が勝った時には、私の両親をここへ帰して下さい。それと、金貨。皮袋に一杯の」


 古賀はクレアの頬に触れて、それから髪を撫でた。彼女にはそれが、思いつく限りの無理難題なのだ。


 玄関を出る古賀を見送る時、クレアは古賀の肩に腕を回し、キスをした。唇の離れる瞬間に名残惜しさを感じながら、古賀はジャケットの裾を翻し、歩き出した。


「あの!」とクレアが声を上げた。「あなたが賭けに勝ったら?」


「もう一度、キスしてくれ」


 それと分かる速度で暮れていく夕陽に背中を晒して、古賀は口笛を吹いた。もうすぐ日が沈む。


 ここから先は、悪党の時間だ。





 ◇


 ◇


 ◇




 その屋敷は漁村の外れ、ちょうど一週間前に古賀たちが拉致された自警団のアジトから、そう遠くない位置に大きく門を構えていた。広さといえば、村の中心の狭い土地に設けられた領主の館の倍くらいある。


 バルトリ商会の頭取、ロドリーゴ・バルトリは元々、メルクリウス選帝侯国最大の海運都市であるミネルヴァ伯領と、大穀倉地帯に囲まれたマルス伯領の間を行き来していた行商人である。


 一介の行商人に過ぎなかった彼が、一体どうやってそもそもの元手を作ったのか、その手法は世間に聞こえていない。が、とにかく彼は、その2つの主要都市と、その間にある集落や小都市での交易で、一代にして莫大な財をなした。


 彼が看板を上げるのは、マルスかミネルヴァか、行商人界隈では一時その話題で持ちきりとなったが、意外にも、最初に店を構えたのはマルス伯領の外れにある小さな農村だった。


 彼はまず、領主に対して多額の寄贈をするところから始める。


────まず、与えよ────


『ルカの福音書』第6章にあるこの言葉は、詐欺師にとって最も重要な教えである。


 人に施した者は、奪うことを疑われないという意味だ。


 そうして信用を勝ち取ったロドリーゴは、市場を徐々に独占しながら、今度は領主に多額の貸付けを行う。金の力で領主の発言権を奪い、暴力を背景とした市場の独占を急速に進めた。


 そのような手法を、彼はいくつもの集落や小都市で繰り返していた。


「そうして出来上がったのが、この立派な門扉とお屋敷だ」と古賀は説明した。


「立派な悪党だ」と久遠が満足そうに呟く。


「そいつを叩きのめすのは、さぞ爽快だろう」と後堂も深く頷いた。

 

「騙すなら、相手は悪党に限る。彼らは自分が騙す側だと思っているから、自分が騙されたと気付くのが遅い」古賀はそう言うと、まるで親切で善良な人のように、にこやかな表情で門番の元へ歩いて行った。




 ◇


 ◇


 ◇




「おお……」


 応接室に通されると、古賀は感嘆の声を漏らした。牛革のソファがある。脚や骨組みに使われている木材はマホガニーだろう。


 当然といえば当然のことだが、この世界のあらゆる技術が、自分の元いた世界と同じ足並みで発展すると考えるべきではない。それどころか、ある分野では未知の技術を持っていると考えた方がいい。元いた世界の歴史では、ソファの原型となる肘掛の長椅子が登場したのが17世紀とも18世紀とも言われている。しかし、この街の街道は踏み固められただけで敷石も敷かれていないし、何より15世紀頃には生産されていたという銃が無い。かと思えば、この街には簡素ではあるが水洗のトイレがあった。上下水道が整備されている。


 古賀はそれを思うと、やはり自分たちがいるのは、これまでとは別の世界なのだと改めて自覚した。


 古賀はソファに座り、他の2人を後ろに立たせた(事前の打合せでは、そのことを後堂と久遠に納得させるのに、結構な時間を割いた)。


「なかなかの部屋だ」と後堂が言った。


「期待出来る」と久遠も呟く。


 細工の細かい陶器の大皿や壺、金縁の額に入った絵画、天鵞絨(びろうど)の絨毯、そうしたものからは、財力で相手を威圧しようという意図が透ける。


「私語は慎みたまえ」と古賀は2人をたしなめた。


 もっとも警戒すべきことは通信技術だと、一週間前、古賀はブルーノに言った。それは自分たちにも当てはまることだ。この街の夜を照らす魔石とかいう街灯のように、ここには古賀たちにとっても未知の技術が存在することを忘れてはならない。


 まして、ここはこの街で一番金を持っている人物の根城だ。市井の生活水準を当てはめて考えるべきではない。


 しばらくそこで待たされると、荷物が運び込まれた。幅1メートル、高さ奥行き30センチほどの木箱が3つ。中身だけで1つにつき45キロくらいの重さがある。


 古賀はそれを運んだ2人の人夫に礼を言うと、銀貨一枚ずつのチップを渡した。これはチップとしてはかなり高額だったらしい。2人の人夫は顔を見合わせて顔を綻ばせると、代わる代わる、「また、いつでも仰せ付け下さい」というような意味のことを言って、部屋を去って行った。


 もうしばらくすると、使用人らしき女が部屋に入って来て、古賀たちを案内した。背が高く、胸の大きい女で、端的に言えば美人だった。おそらくロドリーゴの秘書と愛人を兼ねている。


「居室へご案内致します」と女は言った。「主人が初めてお会いになる方を、居室へお招きするのは、大変珍しいことです」


「それは光栄です」と、古賀は恭しく返した。


 大理石の敷かれた床に革靴の底を鳴らして案内のまま通された部屋には、きらびやかな装飾がひしめいていた。


 130平方メートルくらいか、と古賀はすぐに目算した。ホテルのスイートルームと同じくらいの広さだ。その正面、金細工とルビーやサファイア、アメシストといった宝石でこれでもかと装飾をされた椅子に、金糸銀糸の刺繍が入ったジュストコールを羽織った男が腰掛けている。


 丸々と太って、頬のたるんだ、醜い男だ。その厚ぼったい手には、どの指にも指輪がはめられている。


 バルトリ商会の頭取、ロドリーゴ・バルトリである。


「遠いところを、ご苦労でしたな」と男は言って、向かいのソファに座るよう促した。べたべたと貼りつくような口調である。


 ふと、部屋の右手奥に気配を感じて、古賀は視線だけをそちらに向けた。天蓋付きのベッドに、女の気配がある。おそらく娼婦か愛人の一人だ。商談には影響しない。


「いえ。それにしても、すごいお部屋だ。これだけのものを揃えるのは、簡単なことではないでしょう」古賀はそう言って、部屋をゆっくりと見回した。大きなシャンデリアのある天井には、真っ赤な大輪の花が描かれている。古賀の口元に笑みが漏れた。芥子の花だ。「しかも、ユーモアがある」


 それを聞くと、ロドリーゴは顔をくしゃくしゃにして笑った。「分かるかね。これは結構。鋭い御仁だ」


 芥子は、阿片(アヘン)の原料である。ブルーノのアジトで2人の怪我人が吸っていたのも、商会からブルーノが横流しした阿片だ。


 一介の行商人に過ぎなかったロドリーゴが、この地方で指折りの大商人にまでのし上がり、にも関わらずその手法が世間に知られていなかった訳は、彼の扱う商品が、社会の裏側で取引されるべきものだったからだ。


 彼が店を構えたのが、大都市ではなく農村や漁村だったわけもこれに関係している。


 芥子はこの地方に自生するものではない。マイヤ海なる選帝侯国最大の内海、これを超えて遥か南東の、彼らが『魔界』と呼ぶ地域から仕入れたものだ。


 ロドリーゴはこの魔界から仕入れた阿片で元手を作ると、次は種苗を仕入れ、これを自ら栽培しようと考えた。彼がまずマルス伯領付近の農村に土地を得たのはそのためである。しかし、南東の魔界とこの地方とでは、気候が大きく異なる。そのため、芥子の栽培は成功しなかった。


 次に彼が考えたのが、大規模な阿片の密輸だ。このプロメテウスという寂れた漁村に彼が根を下ろしたのもそのためで、各小都市にある支店などは、その目眩しに過ぎない。


「さて、お宅はこの海の向こうから来られたと言うが、一体どちらから?」とロドリーゴは尋ねた。


「マイヤ海を渡り、ネプトゥヌス地中海から大洋に出てはるか西へと進むと、そこには大陸があります。おそらくご存知ないでしょうが、その大陸にあるモスキート・コースト国というところから、ジョージ・フレデリック・アウグストゥス王の命を受けて参りました」


「大洋を渡ったと申されるか」ロドリーゴの弛んだまぶたの間から覗く黒い瞳に、疑いと期待の入り混じった複雑な光が宿った。「その上着を、お見せ頂きたい」


 古賀はジャケットを脱いでロドリーゴに手渡した。


「これは、絹のように滑らかだが、絹ではない。毛ですな。羊の」


「仰る通り。流石の目利きです」


「これほど精巧な織物は見たことがない。いや、生地もさることながら、縫製も素晴らしい。並みの職人の技では……」と言いかけたところで古賀はすかさず口を挟む。


「それは安物ではありませんが、我が国では市民が少し奮発すれば手に入るという程度のものです」


 ロドリーゴの瞼が一瞬大きく見開いたのを古賀は見逃さなかった。


「機械の性能が違う」と古賀は付け加える。この男なら、縫製技術の違いから、海運技術の違いまで連想するだろう。


「船を見せて頂くことは?」とロドリーゴは古賀の目を覗き込むようにして言った。マイヤ海の海上密輸で財をなした男なら、大洋を渡り、この内海まで人を運ぶような船を何の騒ぎも起こさず隠匿する技術は喉から手が出るほど欲しいはずだ。もっとも、そんなものがあるなら。


「残念ですが」と古賀は俯いて、さも残念そうに首を左右に振った。「我が国は示威行為を行いません。すでに圧倒的な軍事力、経済力、技術力が周辺地域に認知されているからです。そういう国家が次にすべきことは何か。兵器開発技術の秘匿と独占です」


 ロドリーゴは低く唸ってから、「なるほど。それは道理だ」と呟いた。


「それに、技術とはそれが受け入れられる土壌があって初めて意味をなすものです。我々の技術を貴方たちが再現するには、その基礎となるいくつもの技術的ハードルを超えねばならない。冶金技術、機械技術、輸送技術、そしてそれらの間を血液のように循環する経済構造、そうしたものが全て揃って初めて、我々の技術を受け入れられるスタートラインに立つ」そして古賀はロドリーゴを真っ直ぐに見据える。「これは国家を挙げてあたるべき事業です」


「つまり、一商人の手には余ると?」醜くたるんだ目蓋の間から、昏く深い光が迸った。


「ええ」古賀は物怖じもせず言った。「ただし、その元首が誰であるかは問わない。その事業に、我々が納得するだけの財をつぎ込む価値があるということが、ご理解頂ける元首であれば。例えば、あなたのような」


 ロドリーゴ・バルトリは、その言葉を咀嚼するようにもごもごと顎を動かした。


 醜い仕草だ。たるんだ皮の下に、どれだけのものを手に入れても、決して満たされない欲望が透けて見える。


「私はおそらく、あなたと同じ種類の人間です」と古賀は言った。彼の言った言葉の中で、ほとんどこれだけが、真実に近かった。




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