5.脱出
古賀、後堂、久遠の3人を荷台に乗せた馬車は、三十分くらいの道のりを走ると、一度止まった。外で何か揉め事があったみたいだった。
かすかに声が聞こえる。
どうやら、古賀たちを捕らえた連中が、騎士の格好をしていることに対して苦情が訴えられているようだった。とすれば、相手は領主の手の者だろう。
つまり、ならず者の寄せ集めに過ぎないブルーノの手勢(自称:自警団)が、騎士を装うことは道義に反するということだろう。
昨夜真っ先に逃げ出したというブルーノの顔を、後堂はよく覚えていないようだったが、文脈から考えて、騎士もどきの長をしていたのがブルーノと考えて間違いなさそうだった。
ブルーノは領主の部下に対し、「自警団は、領主の承認を得てこの街の治安維持を預かっているのであって、騎士に準ずる武装をすることは理に反しない」というような意味の反論をし、それ以上の追及はなかったようだ。
おそらくその前後には、商人ロドリーゴが領主に供出した金の話が加わっていることだろう。
それからまたしばらく馬車に揺られると、一人の騎士もどきが幌を開けて、3人は引きずるように馬車を下された。
そこは森の中だった。どうやらロドリーゴの屋敷ではないようだが、そう遠くはあるまい。
彼らが目を覚ました倉庫より少しマシという程度の掘っ建て小屋の扉を開けると、中には地下に続く階段があった。
命令されるまま階段を降りた先は、彼らのアジトになっているようだった。壁やテーブルにいくつもの蝋燭が火を灯しており、想像していたよりは随分明るかった。
壁際に、手負いの男が2人寝そべって、パイプのようなものを咥えている。部屋は煙っていた。この地域のタバコかとも思ったが次の瞬間、古賀は別の可能性に思い至った。
奥の方には鉄格子がはめられており、広さから見る限り、必要に応じて5、6人程度までなら快適に監禁しておけるようだった。
どう見ても公的な施設ではない。
3人は地下牢まで通されると、粗末な木椅子に座らされた。どれだけ身じろぎをしても、尻にしっくりとくる場所がない。
騎士もどきの長は、兜を脱ぐと、恭しく礼をした。身体に対して顔が大きく、不細工とまでは言えないが、お世辞にもハンサムではない。そのくせ態度が嫌に気取っていて気に入らなかった。
「手荒な歓迎になって済まないな。これ以上手荒な真似は、こちらとしてもしたくない。だが、この街に来たお客人には、この街のルールってもんを知ってもらわなくちゃいけない」
古賀は他の2人に、「ここは自分に任せてくれ」という意味の目配せをしたが、後堂が真っ先に立ち上がって、手を縛られたままブルーノの手下の一人を蹴り飛ばした所を見ると、彼のアイコンタクトは伝わっていないらしかった。
「糞ったれ!」「ぶっ殺してやる!」自警団の連中は口々に後堂を罵ったが、結局彼を取り押さえて足を縛るのに5人を要した。
「いやあ、すまないね、ブルーノさん。彼の短気には我々も手を焼いているんだ」と古賀が切り出した。「それにしてもいい鎧だ。胸当の細工がいい」
「ほう、俺を知っているのか。では、俺の親父がどういう人物かも、知っているんだろうな」とブルーノは得意げに古賀を見下した。
「もちろん。この街の物流を一手に取り仕切っている大商人、ロドリーゴ・バルトリと言えば、この界隈で知らぬ者の無いやり手だ」
と、このあたりでようやく、後堂と久遠は古賀に何らかの意図があることを察したらしく、黙ってことの成り行きを見守る姿勢を見せた。
「では、その息子である俺に逆らうヤツがどうなるかも?」
「もちろん。だが貴方は、我々がそこらの商人やこの街を行き来する凡百の旅人とは違う事にもお気付きのことと思うが如何かな?」
「俺の手下に手を出したそこの大男は、随分上等な服を着ていたな。俺の街でこそこそと、何をやっている」
「なに、市場調査だよ。この街が、『我が国』にとって交易が可能かどうかを見て回っている」
「魚以外に何かあったか?」とブルーノは鼻で笑った。
「商人一人が牛耳るのに丁度いいサイズの市場と、それを見事に回しているやり手の商人、それから優秀な実働部隊がいる」
優秀な実働部隊という古賀のおべっかに、ブルーノは多少気を良くしたらしかった。
「俺は有能な人間は嫌いじゃない。だが、身元の分からん人間とは、親父も取引をしないだろう」
「今は身元を証明するものが無い。だが、我が国の技術の一端をお見せすることは出来る。貴方がこの縄を解いてくれればね」と古賀は口元に微笑を浮かべた。
「俺は、あんたをこの場でひん剥いて、その技術の一端とやらを拝むことも出来るわけだが」
「そのやり方が、お互いの取引にとって有効だと思うならそうすればいい。貴方やお父上がそうであるように、私にも心証というものがある。別に取引はこの街でしなければならないわけではない」
ブルーノはしばらく考えた後、部下に命じて古賀の縄を解かせた。
古賀は手を握ったり開いたりしてその感覚を確かめるようにしてから、懐に手を入れ、そこから紙束を取り出した。それは、全て同じ印刷のされた紙束であり、表面を見れば右側に文化人と思しき人物の肖像、左右の上部にはローマ数字で「10000」、左の上下中央には「日本銀行券 壱万円」と記載がある。
「それは、私の国で通貨として流通しているものだ。この国で換金することは出来ないがね。
目を凝らして見てくれ。精巧な曲線模様が刷り込まれている。貴方の目が他の人より良ければ、ごく微細な文字が印字されているのも見えるかもしれない。次は光に照らしてみようか。表面の──そう、肖像画のある方だ──左下に、金属箔に刻まれた模様が光の角度で変わって見えるだろう。それから中央、肖像の透かしが見えるかね……」
ブルーノは目を丸くして、それを光に透かしたり、目を近付けて食い入るようにしながら見入った。古賀が見せたのは、かつての世界でマフィアのボスからちょろまかした札束である。
「他のものとも見比べてみたまえ。寸分違わず、同じ模様、同じ肖像、同じ文字が刷り込まれているはずだ。私の持つものが偽物でなければね。違うのは、その券に割り振られた通し番号のみだ」
ブルーノは古賀に言われるがまま、紙幣の一枚一枚を見比べる。彼の手下たちも、そのただ事でない雰囲気に息を呑んでその様子を見守った。
「君のように聡明な男なら……」と古賀はここで二人称を変える。立場を逆転させるためだ。「君のように聡明な男なら、よもや我が国の進歩的な技術が印刷技術のみに及ぶものとは思うまい。
当然、その先のこと、つまり、今目の当たりにしている印刷技術、そしてその基盤たる圧倒的な国力──例を挙げるならば、その国では貴金属硬貨の磨耗による減価に対応する為、債務証書そのもの(君が今手にしている『紙幣』のことだ)が、通貨として流通するほど経済が活発で、成熟している。そしてそうした経済は、もちろん軍事、取り分け兵器の開発や戦艦の建造、訓練と戦闘だけを生業とするプロパーの職業軍人の育成にも注がれる──そういう国力を持つ国家の役人とその従者、そして護衛を、君は地下牢に監禁しようとしていることにも、考えが及ぶものと期待している」
ブルーノの顔から一瞬血の気が引くのを古賀は見逃さなかったが、ブルーノはすぐに元の意気を取り戻して、「俺には、ここであんたを始末するという選択肢もある」と虚勢を張った。
古賀は腰に提げた皮袋から、一つの機器を取り出して電源を入れると、その液晶画面を操作し、音量を最大にした。そこから流れるのは、彼のスマートフォンに録音された、ロシア語の教材である。古賀はその教材のリズムに合わせ、ロシア語で適当な言葉を並べた。
「Идиот был пойман(バカが、引っかかった)」
スマートフォンはもちろん通信圏外だったが、保存された音声データは電波状況と関係がないし、古賀たちの会話がどういう仕組みかこの世界の言語に翻訳されるにしても、元の世界の外国語の録音までは影響を受けないだろう。
それからブルーノを正面に見据えて、口元に冷然とした微笑をたたえたまま、諭すように言って聞かせた。
「想像力を働かせるべきだ。我が国からこの街に入っているのは、果たして我々3人だけか? 我が国の技術が印刷技術のみでないなら、この状況で当然警戒すべきは通信能力だ。このやり取りがすでに、この街に潜伏している、あるいは海上・海中に展開している我が軍に伝わっていないか? 君の心配すべきことは、そういうことではないかね? お察しの通り、今、我々のいるこの位置は捕捉されている。
君のすべきことはたった2つだ。
1つ、君の持ち得る想像力と思考力の全てを投じて、この、海の遥か向こうからやって来た外交官『バンプフィルド・ムーア・カリュー』と、君のお父上との商談を成立させること。一週間後の夕暮れ、君のお父様の屋敷へ伺おう。
2つ、それ以外の一切について、口を閉ざすこと。今日君が目にした技術、私の護衛の並外れた戦闘能力、この街に潜伏し、海上・海中に展開された我が国の軍隊、今日君が目にし、耳にしたことの一切だ」
「……縄を解け」とブルーノは部下に命じた。古賀でなく部下に話しかけたのは、そうすることで、人より上に立っているという自分のプライドを守るためだ。
しかし、「いや、結構」と古賀はそれを断った。そして久遠に声をかけると、すぐに久遠は自らその手首の緊縛を解き、唖然とする自警団の視線の中、手足をきつく縛られた後堂の縄もほどいた。
「本当はね、こんなものはいつでも解けたんだよ。さっき言ったとおり、君のすべきことはたった2つだ。
君たちにとって幸運なのは、我が国が侵略国家ではないということだ。我が国の元首は、侵略よりも、双方に利益のある経済的交流を求めている。自国民の安全や財産が侵害されない限りはね。
大事なところだ。もう一度言おう。『自国民の安全や財産が侵害されない限り』
分かるかね。この街に潜んでいる我が国民を、君たちが知らぬうちに傷つけてしまわないよう祈っているよ。この街が灰になる責任を負うには、君の背中はいささか小さすぎる」
古賀はそう言い残すと、悠然とした仕草で久遠と後堂を促し、そのまま地下室を後にした。
男たちの微かな呼吸に揺れる蝋燭の炎と、2人の怪我人が咥えたパイプの先から立ち上る煙が白く部屋を覆っていく他には、身じろぎをする者も、言葉を発する者もいなかった。
地下室には耳に痛いほどの沈黙が、怪我人が時々発する苦痛の呻きの間を埋めて、重々しく沈殿している。
3人が捕らわれていたのは、森と言っても街道からそう離れていない林縁だった。彼らをそこへ運んだ馬車は、街道から一本それた、やや狭い道をゆっくりと通ったらしい。街道を歩いて真っ直ぐに戻ると、来た時の半分くらいの時間で、街中まで戻ることが出来た。
自警団のアジトを離れるや、後堂と久遠は「誰が護衛だ」「誰が従者だ」と口々に不平を漏らしたが、高飛車だったブルーノの顔色がみるみる曇っていく様が愉快だったという感想は一致していた。
「大体、誰だよ。バンプ……ムーア……、何って?」久遠が尋ねた。
「『バンプフィルド・ムーア・カリュー』イギリスの有名な詐欺師さ」と古賀は愉快そうに笑った。
「しかしまあ、上手くやるもんだ」と後堂は呆れるのと感心するのとが半分ずつ混ざったような態度で言った。
「まだまだ、仕込みの段階だ。肝心の金を得てないしね」と言ってから、古賀は人差し指を立てて見せた。「一口乗るかい?」
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