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4.筋肉の嵐

「たらふく喰いたい。適当でいいからごっそり持って来てくれ」店に着くなり後堂は店主にそう告げた。


 テーブルに並んだ料理は主に焼いた魚と茹でた貝類だったが、火を通した少しの野菜が添えられていた。


 酒はビールしか選択肢が無いようだった。あまりガラのいい店ではない。漁村だからだろうか。海の男と見える屈強な男たちが狭い店内にひしめいて、大声で笑ったり喚いたりしている。内緒話をするのにうってつけとは言えないが、盗み聞きも難しかろうと思われた。


 後堂は陶器のジョッキをあおって喉を鳴らして飲み干してから、さも旨そうに「ブアァッ……!」と唸り、「美味くはねえな」と言い放った。彼も幸い、大柄な彼の身体が収まる服を手に入れたらしいが、シャツの襟元からは、厚い胸板に咽ぶ悲鳴が聴こえてきそうだった。


「でも、魚の塩焼きは美味い」


「まあ、難を言うなら……」と古賀が言いかけると、その先は3人とも同意した。「箸が欲しい」


「せめてフォークとかさあ」と久遠が漏らす。


「例えば、ヨーロッパでは14から15世紀くらいになってからようやく食卓にスプーンやナイフが登場する。フォークは11世紀ころのイタリアに一時登場したがあまり普及しなかった。貴族はさておき、庶民は手掴みか、硬いパンを皿代わりにして、最後はそれごと食べるのが普通だった」古賀は記憶を辿りながらそう言った。


「お前は歴史学者か」と後堂が横槍を入れる。


「こういう知識も、この世界に溶け込むには役立つだろ?」と古賀は得意げに言った。以前、文化人類学の教授が横領した研究費を騙し取る際に、雑談からボロが出ないよう仕入れた知識の一つだった。


「まあいい。それで?」と後堂はその大きな体躯に似合わぬ小声で言った。「俺が振る舞う料理に見合う情報を、本当にお前らは持ってるのか?」


「君が昨晩ブチのめした相手について、あたりが付いてる」と古賀は言った。「君がそれを知りたいかどうかはさておき、一般的な価値観から言えば、自分が誰と喧嘩しているのか知ることは重要だ」


 後堂は腕を組んで唸った。「まあ、一理ある」そして、次に久遠の方へ目を向けた。「で、お前は?」


「古賀さんは、昨日早くも女の子を引っ掛けてる」久遠は胸を張った。


「そうか。最低だな。まあ、情報として有用かどうかで言えば、クソ以下だ」


「私は別に、その子を騙したわけじゃないぞ」と古賀は抗弁した。「私はカモと女性は区別する。彼女から金をむしるつもりはない」


「女ってのは、自分の貞操を財産の一種だと考える。お前はその意味において、その娘の財産を騙し取ってる」


 古賀は唸った。「なるほど。驚いたことに、一瞬納得しかけたが、私は彼女らにその財産相応の満足を提供している」


「まあいい。で? 俺のブチのめしたチンピラどもが何だって?」


「この界隈の大商人ロドリーゴの一人息子、ブルーノの手下、あるいは本人もいたかもしれない。彼らは自警団を自称して、この街の経済を牛耳ってる」


「ヤっといて良かったんじゃねえか」


「それは価値観によるな。私なら、厄介ごとになるのは御免だ」


「確かに、他と比べて身なりのいいのが一人いた」


「殴ったのか?」


「いの一番に逃げたよ。他のとやり合ってる間にな」


「なんか、喧嘩して来たって感じしないね」と久遠が言った。古賀もそれには同意した。


 後堂はしれっとした顔をしているが、古賀が確認した限りでも、相手は5、6人いたはずだ。無傷で済むものなのか。


「あんなチンピラのパンチなんざ一発も当たらねえよ」と後堂は当たり前のように言った。「そもそも、しっかりブチのめしたと言えるのは最初の2人くらいのもんだ。そこまでちゃんと戦ったのはな。他のは尻尾巻いて逃げ出しやがった。その内の一人なんて、俺がとっ捕まえて『服脱げ』っつったら、ケツを掘られるもんと勘違いして四つん這いになりやがった。覚悟を決めたような顔してな」


 3人は声を揃えて笑った。


「で、その気の毒なチンピラたちから服と金を奪ったわけだ」古賀が確認すると、後堂はいかにもという風に頷いて、新しいビールのジョッキを飲み干した。


「まあ、この辺りの金の価値なんか知らねえけどな」そう言って、後堂はテーブルの上に皮袋を叩きつけた。硬貨の擦れる音が聞こえる。


「気になったことがあるんだけど」と久遠が切り出した。「ここのお勘定、足りるの?」


 すると後堂は「それについて、俺には一つ画期的なアイデアがある」と言うとテーブルに両手のひらを打ち付けて立ち上がった。


 嫌な予感しかしない。古賀が顔をしかめると、後堂は周りの客席を睨め回して高らかに声を上げた。


「野郎ども! 全員かかって来い! 俺をぶちのめしたら、ここにいる全員、俺の奢りだ! 逆に俺が最後まで立っていたら、俺と連れの分はてめえらが払え!」


 その店の客は、揃いも揃って(いずれ)劣らぬ屈強な男達である。各々椅子やテーブルをひっくり返すと、あるいは指を鳴らし、あるいは肩を回しながら詰め寄って来る。


「海の男をナメるなよ」坊主頭の水夫らしい男が後堂の襟ぐりを掴んだが、地面に深く根を張った大木のような後堂の身体は、身じろぎひとつしなかった。


「何が海の男だ。商人のボンボン相手に大人しく閉じ籠ってるような腰抜けが」薄ら笑いを浮かべながら、後堂は水夫の額に自分の額を押し当てる。


 ひっくり返ったテーブルの陰に、古賀と久遠は身を隠した。


「どうする? 僕、喧嘩とかほんと勘弁なんだけど」


「私もだ。仕方がない。小銭を稼ごう」


 そこから先は、まるで暴風雨(テンペスト)だった。


 最初に掴みかかった水夫が空中をひっくり返ったと思うと、拳を振り上げた男の脇腹に後堂の左拳が刺さる。別の男の蹴りがやすやすと掴まれ、木切れのように放り投げられると、その隙に背後から羽交い締めにしようと近付いた髭面の中年男は強烈な後ろ蹴りを喰らい、酒場の扉を破って通りまで吹き飛んだ。


 その内、興奮した傭兵崩れか何かが剣を抜き払って斬りかかったが、後堂は振り下ろされる太刀の腹を手刀で払い、顎に肘を入れると、そのまま相手は急にスイッチが切れたみたいに膝から崩れ落ちた。


「さあさあ! 参加料は銀貨一枚! この男を倒せば総取りだ!」古賀は喧騒の中、割れたジョッキの破片や壊れた椅子の木切れ、投げ飛ばされる男たちを避けながら、声を上げた。戦意の無さそうな者は賭けに誘う。「さあ、張った張った! この異国の大男を倒すのは誰か! 当てれば今夜は豚を一頭買って帰れるぞ! カミさんも上機嫌、店のツケだってチャラだ!」


 喧騒は通りの往来まで伝播した。店の前に人だかりが出来ている。しまいには、通りかかった旅人の中でも腕に覚えのありそうな獣人、ずんぐりした体躯のドワーフたちまで加わって、人垣で出来た円いリングの中を、殴る蹴るの大騒ぎになった。


 意外なことに、もっとも健闘したのは身の丈150センチにも満たないドワーフだった。顔面にしたたか拳を浴びて、床にひっくり返っても、すぐに起き上がり後堂の膝に飛び付く。一度はそのまま後堂の足元をすくって床に尻餅をつかせ、馬乗りになって殴りかかったのには通り一面ひとしおの歓声が上がったが、それも力任せに上体を起こした後堂が逆に組み伏せて、顔面に強烈な一撃を振り下ろすと、そのまま床に大の字に伸びて、数秒後に意識を取り戻し大声で笑った。


「負けた負けた! 天晴れだ!」


 通りから一層の歓声が上がり、古賀が適当に拵えた賭け券が紙吹雪のように舞った。


 店の中はもう酒場の(てい)をなしていなかった。床に垂れた鼻血が斑々(はんぱん)としみを作って、壊れた食器や調度の破片が散乱し、折れた歯が転がっているのはもはやどれが誰のものかも分からない。


 従って、戦意のある者は一人残らず叩きのめして両手の中指を突き刺すように掲げる後堂の肩を叩き、店主はこう言うのである。


「お前さんの勘定がこの馬鹿どものツケになるのは分かった。で、店の修理代は?」





 ◇


 ◇


 ◇





「飯代が浮いて、さらに儲けまで出たわけだ。俺のお陰でな」と後堂は悪びれもせず言った。


「ああ。確かに。子供の小遣い程度の額を儲けというなら、確かにそうだ」と古賀は鼻で笑った。


 店の修理代は、古賀が「参加料」あるいは「賭け金」として集めた金と、久遠が観衆からスッた金で賄われ、彼らの手元に残ったのは端金に毛の生えた程度のものだった。それなりの儲けが出れば、その金でそこら辺の住人と交渉して久遠と後堂に宿でもとってやろうと考えていたが、すっかりその気もなくなってしまった。


 結局元のボロ小屋に戻ろうという帰り道である。


「俺に賭ける奴はいなかったのか? 俺のオッズの方が高いなんてのは、落ちてる財布を拾うようなもんだ」


「私が売らなかったんだよ。売り切れてることにした」


「賭けに売り切れってあるの?」と久遠が首を傾げる。


「ないだろうね。だがみんな酒が入ってたし、興奮してた。それに試合はすでに始まっていたから、焦ってたしね」


「後堂さんが負けたらどうするつもりだったのさ」


「そもそも最後までいるつもりなんてなかった。混乱に紛れて抜け出そうと思ってたが、後堂が勝つならそれに越したことはない」古賀がそう言うと、後堂は呆れたように顔をしかめた。


「悪どいやつだ」


「その儲けも、誰かさんのお陰で、店と一緒に台無しになったがね」


「でも、実際スゴいもん見たよ」古賀がヘソを曲げる一方、久遠は興奮気味で上機嫌だった。「バケモノじゃん。どうやったらあんなに強くなるわけ?」


「まあ、月並みだが、慢心しないことだな」と後堂は答えた。「俺は体格にも恵まれてたし、まあ、才能もあったろうが、それ以上にトレーニングをしてる」


「そういうレベルじゃないだろう」と古賀は呆れて言った。後堂の強さは、控えめに言っても人間離れしている。


「俺はパワーが全てとか、技さえあればとか、そういう風には考えない。俺が闘って来た中で一番力が強い奴と同じ威力で殴れるように鍛えるし、一番速かった奴と同じスピードで動けるように走り込む。そして、武道とか格闘技と名のつくものにはあらかた手を付けた」


「例えば?」と久遠が聞いた。


「お前の思い付くようなものはほとんど全てだ。空手、柔道、ボクシング、柔術、ムエタイ、レスリング、相撲、シュート、合気道、サンボ、カポエラ、ムエタイ……」


「ムエタイはさっき言った」


「ああ、そうか。武器術も使えるぞ。剣道、弓道、フェンシング、棒術、薙刀、ドイツ剣術、アーチェリーに流鏑馬……」


「ヤブサメ?」古賀は聞き慣れない言葉(といっても、ほとんど聞き流していたが)を繰り返した。


「流鏑馬。馬に乗って弓で的を射る競技だ」


「それ、いる?」久遠の素朴な疑問に、古賀も同意して首を傾げた。


「何でも経験だ。強い奴は、身体の使い方にバリエーションがある」と後堂は言ったが、馬に乗って弓を射る動作が、いつどのように役に立つのか、古賀には想像が出来なかった。


「ああ、そう、要るかどうかで思い出したんだけど、これいる?」と言って、久遠は懐から小さなビニール袋を取り出して見せた。中には小麦粉のような白い粉が入っている。


「何だそれ……」と後堂は呟いてから、はっと思い出したように声を上げた。「お前、それヘロインじゃねえか」


「あのマフィアのボスのところで札束をポケットに詰めてる時に紛れ込んだみたい。いる?」


「要らねえよ」と後堂は吐き捨てるように言った。


「前の世界じゃ、末端価格は同じ重さのプラチナの30倍以上はするけどね」と古賀は付け加えたが、やはりいらなかった。持っているだけで捕まるようなものはリスクが高すぎるし、この世界ではその価値を理解させること自体が難しい。「ただ、まあ考えようによっては使い途も……」


 そう言いかけた時には、彼らは元いた小屋のすぐ近くにまで来ていた。彼らがそこで足を止めたのは、戛々(かつかつ)たる馬蹄の音を響かせて、物々しく槍を執った騎馬の一群が、見る間に彼らを取り囲んだからである。


「酒場での騒ぎは貴様らだな!」甲冑に身を包んだ騎士の中でも、一際位が高いと見える一人がそう声を上げた。


「後堂さん、出番だよ」と久遠が言ったが、後堂は動かなかった。


「いや、無理だろ。全員得物持ってるじゃねえか」


「は?」古賀もこれには驚いて、素っ頓狂な声を上げた。何を今更。


「もう、出来ることと出来ないことの境界が分からないんだけど」と久遠が漏らす。


「俺は別に無敵の超人じゃねえからな。よしんば俺だけ切り抜けられても、お前らは殺される。それで良けりゃ闘うが」と後堂はこともなげに言った。


「うん。じゃあやめといて」


 3人は抵抗の意思がないことを、両手を挙げて示すと、騎士の長は部下に命じて、3人の腕を後ろ手に縛った。


 その部下が近付いてくる時、後堂は「立派な服を着させてもらってよかったな」と呟いた。部下は顔を背けて、それに答えなかった。


 彼らは幌付きの馬車に押し込まれ、そのまま運ばれて行った。


「まあ、こうなるよね」と馬車の中で久遠がつぶやいた。


「あれだけ暴れればな」古賀はため息を吐いた。


「で、どうする?」と久遠が言う。


「どうって、何か選択肢があるのか?」と古賀が尋ねると、久遠は得意げに微笑んだ。


「こんな縄、別にいつでも抜けられるけど」


「マジかお前」後堂が声を上げると、荷馬車の外から「大人しくしろ!」と怒鳴られた。


「例えば、牢屋に閉じ込められたような場合、その鍵を開けることも可能か?」と古賀は小声で尋ねた。


「それは僕にとって、小学校三年生の算数くらいの難易度だ」


 久遠が小学校三年生の算数を、どの程度の難易度と捉えているのかは分からなかったが、古賀はそれが簡単に出来ることの例えだと解釈した。


「だったら、このまま敵地に案内してもらおうじゃないか」と古賀は言った。「あいつはブルーノの手下なんだろ?」


「ああ。お前の見立てが正しいならな。俺の腕を縛ったのが、ケツを差出そうとしたヤツだ」


 3人は声を噛み殺して笑った。

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[良い点] マウントポジション返したあたりも現代チート [一言] 賭けが売り切れ笑う。誰かツッコめよ
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