悪党たちは懲りない
メルクリウス選帝侯国第三都市プロメテウス。
ここがマルス、ミネルヴァに次ぐ大領地になったのは、つい昨年のことである。驚くべきことに、それまで小さな漁村でしかなかったプロメテウスが、このような規模の大都市へと変貌するのに要した時間は、わずか3年半だという。
選帝侯国内外から、多額の開発投資マネーが集中した背景には、何らかのペテンが介在したのではないかという黒い噂を孕みながらも、マルスとミネルヴァを結ぶ街道の途上にあり、また南の大陸、魔界との交易ルートとなる内海、マイヤ海に接するこの都市は、一大貿易都市として栄えることとなる。
開発の障害となったのは、海に面して急傾斜の土地だったが、ウルカヌスのドワーフが宅地造成を請負い、実に1500名の技術者が派遣され、わずか1年でこの大規模造成に目処をつけたという。
メルクリウス選帝侯の直轄領であるノルド大森林からは、大量の木材が供給され、主に建材として利用された。
居住区が拡大したことにより、大量の市民が流入、元々、人間に限らず、エルフ、ドワーフ、獣人といった異種族が通行する土地柄もあって、それぞれの種族が持つ文化や、特産品が持ち寄られ、「知恵ある獣はプロメテウスに集う」だとか、「プロメテウスで手に入らぬものは、帝国のどこでも手に入らない」などと言われるほど、種族間の垣根のない多種族都市となった。
ある日の暮れ方のことである。
3人の男が、埠頭から、名残惜しそうに沈んでいく夕陽を眺めていた。
1人は分厚い体躯をした大男である。「しかし、あのシミったれた港町が、こうなるとはな」と感慨深そうに呟く。
「またまた。ここの開発に噛もうとした地上げ屋をブチのめして、逆に金を奪った野盗の話は有名だよ」とからかうように言ったのは、背の低い丸顔の青年だ。
2人の間には、中肉中背というよりは少しひょろりと背の高い、目鼻立ちの秀でた優男が涼しい笑いを口元に浮かべている。「私の小耳に挟んだ話では、ドワーフが受けとるはずだった請負金を着服した公証人の屋敷に空き巣が入って、金庫から何から、根こそぎやられたということだが」
大男が鼻で笑った。「それを言うなら、ここの開発を裏で仕切ってたペテン師の噂の方が有名だろう。それに比べりゃ、空き巣も野盗も、ガキのイタズラみてえなもんだ」
彼らは声を殺して、くっくっと笑った。まるで申し合わせたような黒い背広の肩が揺れた。
「さて……」と思い立ったように、優男がその内ポケットから紙束を取り出した。「コイツがただの紙切れに見えるまで、我ながら随分時間がかかったものだ」
「俺もだ」「僕も」と2人が続いて、同じように紙束を取り出した。
不意に後ろから、女の声が聞こえた。「クロフォード卿! ヘンリー・クロフォード!」少々、剣呑な感じのする響きだ。
振り返ると、そこには数人の女が腕を組んだり、腰に手をあてたりしてこちらを睨んでいる。
「私の前ではヴィクトル・ルスティグだったはずだけどね」と女の1人が罵声に近い声色で言う。
「私にはグレガー・マクレガーと名乗った」「じゃあ、バンプフィルド・カリューってのは誰でしょうね」
大男が痛快そうに笑った。「ほら、修羅場だぞ。行ってこい」
「こういう場面をいかに丸く収めるか、これが腕の見せ所だ」と笑って踵を返すと、様々な偽名で呼ばれたその優男は、紙束の帯を指先で切った。そして、その肩をかすめて吹き抜けていく風に乗せて、紙束を後ろ手に放った。
「これは見ものだぜ」大男は贔屓の球団の試合前みたいな調子で言う。
小さな青年はその顔を覗き込んだ。「ゴドーさんの方は大丈夫なの?」
青年は、大男が複数のエルフの女性と関係を持っていることを知っている。
「エルフってのは、一夫多妻制だ。何せ男が少ねえからな。どうだクオン。羨ましいか?」
「全然。愛する奥さんが一人いれば十分さ」
「悪党にゃもったいねえ貞操観念だ。あいつに少し分けてやれ」
「僕はあんたにも分けてあげたいよ」
眺める先で、乾いた音が響くと、2人は腹を抱えて笑った。女の1人が優男の右頬に強烈な平手打ちを叩き込んだのである。
「アレッサンドロ・ディ・カリオストロ! 私を覚えているか?」とその女は言った。
スノッリ辺境伯領客将キトラ・ゴドーと、ウルカヌス王シンタ・クオンは、その見るからに気の強い女の一撃を祝福して、紙束の帯を切り、紙吹雪のようにばら撒いた。
風に乗ってばらばらと飛ぶその紙きれには、ある世界の、ある島国の言語で、こう書かれている。
──『日本銀行券 壱万円』──
不意に風向きが変わり、紙吹雪は、口々に男を罵る女たちの頭上を舞った。
男の右頬を張った女は、彼女たちの中でも一番若く、おそらくまだ10代と思われる少女だったが、まるで彼女たちの代表のように、もう一発、今度は左の頬を腰の入ったスイングで張ると、にわかに周りの女たちも溜飲が下がったものと見え、口々に捨て台詞を吐きながら去って行った。
頬を押さえて戻ってくる詐欺師に、ゴドーとクオンは口笛を吹き、喝采を送る。
「『右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい』って言うからね。これでアンタも悪党を卒業だ」とクオンが皮肉を言うと、詐欺師は苦笑いした。
「いや、差し出してはないんだがね。もちろん、もう少し猶予があれば差し出すつもりだったが」
「そういう下らねえ嘘をつくから、女にぶっ叩かれるハメになる」ゴドーは詐欺師の左頬を指した。
「まさかこんな所に、マルス伯領姫がわざわざ足を運ぶとは。しかも、成長していて全然分からなかった。女というのは恐ろしい」
クオンが声をあげて笑った。「今まで好き勝手やってきたツケだ」
「その通り」と詐欺師は頷いた。「我々みたいなのは、どこかで自分の悪事のツケを払うことになる」
「例えば、ワケの分からねえ世界にすっ飛ばされたりな」ゴドーは苦い顔で呟いた。
「またまた。いい思いしてるクセに」とクオンが指摘すると、ゴドーはゆっくりと首を振った。
「何事も、いい面がありゃ悪い面もある。俺にとっちゃ飯だ。エルフたちの飯は美味いが、肉が足りねえ。それにな、なんかパクチーみてえなの食わしてくるんだよ。健康に良いとか言って。俺ぁアレだけはダメだ」
「ツケがショボい」
「お前はどうなんだ」とゴドーが尋ねると、クオンはうーん、と唸った。
「まあ、大変だよ王様は。ドワーフってマジで金を数えないからさ。放っといたら国庫はカツカツだ。彼らが作るものを欲しがるのは善人だけじゃないからね。
だから王様は、時々その代金を、彼らの金庫から直接取り立てに行かなくちゃいけない」
「自動支払いシステムだ」
「手動なんだよなあ」とクオンはため息をついた。
詐欺師はそうした愚痴を微笑ましそうに聞きながら、口を開いた。
「さて、本題だ。我々がここに来た時に、商売の元手を出資して下さった親切な商人ロドリーゴさんは、不幸にも獄中にお引越しされたわけだが、そのおかげで魔界にいた阿片商たちは大口の取引先を失った。
この町は、ミネルヴァやマルスといった大領地の検査を避けて、ああいった商品を運び込むには絶好の立地だからね。熱心な商人たちはこの港を使って別の客と取引する方法をずっと考えていたわけだ。
そうした動きを目ざとく察知したのが、メルクリウス選帝侯を疎ましく思う、他の選帝侯の家臣だ。
阿片商売は儲かるが、一方で治安を著しく悪化させる。だが、他所の領地でこの商売をするなら、金は儲かる、政敵は弱体化する、まさに一石二鳥というわけだな」
クオンとゴドーは、深く頷いて続きを促した。
「もちろん、彼らがちょっとした誤解から、私のところへ金を持ってきてしまう、という状況を作るのは容易いことだが、せっかくここまで発展した美しい港町だ。あの薄汚い阿片樹脂の色に染まるのは忍びない。
そこで、どうせなら彼らの金庫は綺麗に空になるべきだし、この港にそういう品物を運ぶと、物理的にも痛い目に遭うのだということを、よくご理解頂いた上でお引き取り願おうかということなんだが……」
そう言って、詐欺師は図面を広げながら、あれこれと段取りを説明した。それから、学校の裏手に秘密基地を作る少年のような笑顔の前に、人差し指を立てて見せた。
「どうかね。一口乗るかい?」
と、ゴドーとクオンが返事をする前に、彼らを呼びつけるいくつかの声が埠頭に響いた。
「クオン! お前さんがおらにゃ始まらん」と言うのは、この街の都市設計を取り仕切ったドワーフの測量技師ヘルマン・プライである。
そして、もう一人、クオンの元に駆け寄るドワーフの女は、彼の妻でありウルカヌス王妃セルピナ・ペルゴレージ・クオンだった。彼女は夫の腕を掴むと、ゴドーと詐欺師を睨んだ。「アンタら、あんまりウチの旦那を悪い遊びに誘わないどいてくれよ」
詐欺師はまるで隠し事など何もないというふうに、両の掌を広げて見せた。
一方で、ゴドーの元に駆け寄ってくるのは、魔族の女と、エルフの少女である。
「ゴドー! 私たちは退屈だぞ! 海を見るなら、なぜ私たちを誘わない!」とまるで当たり前の義務を果たさないことを責めるような口調で抗議する。
もう一人の少女がゴドーの太ももに抱きついた。「ねぇねぇ、ししょう、あのねぇ、おみせにねぇ、モモのヤツがねぇ、うってた。おいしいよ」
ゴドーは彼女の頭に手を置いてから、そのスカートの裾に目をやった。「お前、桃の汁こぼしたな? シミになってるじゃねえか」
少女はまるで不思議なものを見るように、丸い大きな目でそれを見た。「ほんとだ。ふしぎだねぇ」
「いや、不思議ではねえだろ」とため息をついてから、ゴドーは魔族の女に言った。「アグ、宿に戻ってリズのスカート洗ってやってくれよ。早く洗わねえと、桃の汁は落ちねえ。俺は少し帰りが遅くなる。明日は街で替えの服を見て回るぞ」
「私には? 私も新しい服が欲しい!」
「図々しいぞてめえ」と言いながら、ゴドーは苦笑する。「まあいい。大人しく、宿で待っていられたらな」
魔族の女アグが、何かはしゃぎながらリズの手を引いて戻って行くのを眺めながら、クオンも妻のセルピナと友人のプライを説得した。「僕にも付き合いってのがあるからさぁ」
「アンタには、夜すべきことがあるだろ?」とセルピナはクオンの頬に触れる。
隣ではプライが頷いている。「クオン、家族は大事にせにゃあならんぞ?」
「もちろんさ。けど、その『すべきこと』を、明日の昼間にするという選択肢もある。例えば、プライやディスカウが建てた、街を見下ろす宿の一番上から、海に向かって広がる街を一望しながら」
セルピナはクオンの言葉を咀嚼するように考え込んだ後で、不意に顔を真っ赤にして彼の背中を叩いた。「もう、バカだね……」
彼らの大切な人たちが去っていく背中を見送りながら、詐欺師は言った。
「いいのかね?」
「また日が昇れば、何事もなかったように世界は廻る」と泥棒が答えた。
「その頃には、何人かの悪党が街から消えて、この眺めもまた少し良くなるだろうよ」と喧嘩屋が引き継ぐ。
「結構。善き人たちは、街で静かに寝息をたてる」と詐欺師も頷いた。
「ここから先は悪党の時間だ」
何処かに引っ掛かっていたものだろうか、彼らの目の前を、一枚の紙きれがひらりと舞った。
そこに印刷された文化人と思しき肖像が、彼らに呆れた苦笑いを投げかけるように見えた。
夕陽が沈みきって、埠頭に黒く重たい闇を落としていく。
3人の悪党は月明かりに含み笑いを浮かべながら、夜の闇に溶けていった。




