2.悪党たちの事情
「OK。まずは、これまでの経緯をおさらいしようじゃないか」2人の男の顔を見比べながら、古賀は切り出した。
大柄な男は『後堂 貴虎』、小柄な青年は『久遠 新太』というらしい。
「私はあのロシア人のボスと、大口の商談があったために、あの書斎に通されていた。10億の商談が決まりかけた時、後堂がボスの部下と娘に連れられて、書斎に入って来た。つまり、私の10億は、後堂によって台無しにされたわけだが、それについてどう思うか、ぜひ本人の口から聞いてみたい」
「俺が指摘すべき点は2つある。10億かなんか知らんが、その金はあの時まだお前のものじゃなかった。そして、お前の商談が失敗した原因は、お前がボスの娘に手を出していて、その上名前もロクに覚えていなかったことだ。
それより、俺が引っかかるのは、天井裏にいた久遠のことだ。あの狭い書斎じゃ、連中は誤射を恐れておいそれと拳銃を撃てなかった。俺一人なら切り抜けられたってことだ。古賀がいたにしても、まあ、何とかなっただろう。あの状況じゃあ、置物の1つに数えても差し支えない。
ただ、あそこに久遠がいたことで、流れが変わった。『面倒だからみんな撃ってしまえ』って具合にな」
「それは僕の責任とは言えない。そもそも、一番最初にあの書斎にいたのは僕だ。何日も前から、天井裏にいたわけだから。何日もかけて金庫の中身を少しずつ持ち出して、あの日が最終日だったのに、後から来て話をややこしくしたのはあんた達だ」
3人は互いの主張をぶつけて睨み合ったが、やがて誰からともなくため息を吐いた。
「よそう。過ぎたことを言っても仕方がない。つまり、これまでの話を総合すると、こうだ。
後堂は地下格闘技場で八百長の指示を破った為に、面子を潰したボスの部下と娘に捕まった。久遠はあの書斎の金庫から金を盗み出そうとして潜んでいた。私は商談のためにあの書斎に通された……」
「詐欺でしょ?」と久遠が出し抜けに口を挟んだ。「自分だけ真っ当な理由であそこにいたような言い方は良くないね」
「何? お前詐欺師なのか!」後堂が声をあげる。「ただの女たらしかと思ってたぜ」
「人聞きが悪いな。私は夢と希望を売るビジネスマンだ。それに少々高額な値段を付けているに過ぎない」古賀はそう言って襟を正した。
「その調子で女も騙すわけか」後堂が呆れた調子で言った。
「騙すなんてとんでもない。その瞬間はちゃんと愛してる。愛にはいろんな形があるからね。マッチみたいに一瞬燃えてすぐ消えるような愛だって、別に偽物ってわけじゃない」
「『ちゃんと』ってどういう意味だっけ……」久遠が困惑するように漏らした。
「何にせよ、奇跡的な巡り合わせであの書斎からここにやって来た我々の、当面の問題は、外国だか異世界だか知らないが、とにかくここで通用する通貨を持っていないということだ。それさえあれば、たいがいのことは何とかなる」
「それについてだけど、気付いた?」と久遠が2人を伺うように切り出した。「言葉が通じるんだ」
そう言われて、古賀と後堂は唸った。実は、ここで目を覚ましてからずっと、妙な違和感を感じていた。それは、言語に関するものだ。
自分が喋っている言葉が、何か自分のこれまで使ってきた言語とは別のもののような感覚……。しかし、なんの齟齬もなく言葉を連ねることが出来、かつ相手の言葉も聞き取れる。
「僕たちの言葉は、この地域の言語に置き換えられている。さっき店の看板が見えたけど、字も読めるよ」久遠が大真面目な顔でそう言うと、古賀は笑った。
「もう、なんでもアリだな。一体どういう仕組みなんだ?」
「まあ、理由だの原因だのは、各々自分の納得しやすいように解釈すりゃいい。俺は『何でそうなるのかは分からないが事実そうある』と考えるのが一番納得出来る。下手な理屈を並べられるよりもな」後堂は諦めたように吐き捨てた。
「いいだろう。言葉が通じるというのは僥倖だ。まだやりようはある。手伝ってもらうぞ」と古賀が言うと、後堂が顔をしかめた。
「俺に詐欺の片棒を担げってのか?」
「それが一番手っ取り早いだろう」と古賀が言うと、後堂は鼻で笑った。
「俺にとって『手っ取り早い』ってのは、『殴って奪う』ってことだ」
「悪党じゃないか」と古賀は抗議した。
「詐欺師は悪党じゃねえのか?」後堂が眉根を寄せて古賀を睨む。
「よしなよ。いい大人がみっともない。僕はとりあえずここを出るよ。飯にありつくくらいのお金なら、スればいけるでしょ」
なんて協調性のない連中だ。古賀は呆れながら考えたが、やがて両手を広げて彼らの言い分を受け入れた。
「我々は生き方が違いすぎるんだな。結構だ。各々好きにやろうじゃないか」
◇
◇
◇
小屋の穴から外の様子を伺い、人通りが切れた時を見計らって3人は小屋を出た。
「じゃあな。もう会うことはねえだろうが」捨て台詞のように吐き捨てた野蛮な大男は、肩で風を切って小路を去って行った。
考えてみれば、あれと協力してやるには、古賀の仕事は繊細すぎる。
「じゃあ、僕もこれで。せいぜい上手くやるさ」小柄な青年もそう言って、小屋と隣の石造の家屋の間に通った狭い通路に消えた。
古賀は片手を挙げてそれを見送ると、通りの様子を見渡した。石造の家屋がひしめくように並んだ通りには、街灯のようなものがぽつりぽつりと立っている。電気が通っているのか? と見回すが、その街頭の間には電線が通っていない。まさか電線を地中化するような技術は無いように見える。日が暮れる頃に一つ一つ火を灯すのだろうか。
家屋の壁は石灰岩のブロックを積み上げて作られているらしい。例えば、イタリアのソレントだとか、そういう街並みに近いが、それよりいくぶん寂れて見える。気付けば遠くから潮風の匂いがする。
街は古賀が思っていたほど大きくはないようだ。海に面して急傾斜の土地が、居住部の拡張を阻害しているのだろう。
腕時計に目をやった。3時25分を指しているが、それが正しい保証はない。古賀は腕時計を外してポケットにしまった。この街からすると明らかにオーバーテクノロジーだろう。
とにかく、情報がいる。
目を瞑って、3秒ほど、古賀は考えた。ターゲットを設定し、それに合わせた自分の人となりを作り上げる。この場所には不釣り合いな自分の出で立ちに理由をつけ、それを逆手に取る。
「よし」と呟くと、古賀は大通に向けて歩き出した。
────「何だって、こんなに高いんだ。今年は豊作だって聞いてるぞ」「流通が滞ってるんだよ。戦のせいさ」「嘘つけ。ミネルヴァとここの間じゃ戦なんて無えだろう」「直接じゃなくっても、影響ってもんが……」────
大通に出ると、そこで交わされる世間話に古賀は耳をそばだてる。
小麦を売る店先で漁夫が店主に文句をつけている。小麦の価格が高いことに対する苦情らしい。本当に言葉が通じるのだ。
通りを行く人たちは、古賀を見ると驚いたように声を潜めた。やはり身なりが目立ち過ぎるようだ。
結構。何も必要な情報を全て世間話から得ようというのではない。と、通りかかった1人の若い娘に、古賀は目をつけた。
着ているものの質、例えば麻の生地だとかは、周りの連中と比べてもそれほど上等とは言えないが、ワンピースの腰の布を寄せてプリーツにしていて、胸には赤く染めた布で作ったコサージュを留めている。派手な出で立ちとは言えないが、在るものを出来るだけよく見せようという姿勢に好感が持てた。
「失礼、お嬢さん」古賀は彼女が通りすぎて人通りのまばらになったあたりで声をかけた。「この辺りのことを伺いたいんだが」
娘(と言っても、20歳を過ぎたかどうかという女である)は、驚いたように肩をすくめて、「私ですか?」と目を丸くした。
「ああ。見ての通り、この土地の者じゃないので、事情には疎くてね。色々と、困っているんだ。助けになってくれる人を探してた。それが美人だとなお良い」
娘は顔を赤らめた。「私で、お力になれるかどうか……」
「もちろん、お礼はするつもりだ。とは言っても、あいにくこの辺りで使える通貨の持ち合わせがないので、故郷の知り合いに口利きをするとか、手持ちのものを差し上げるとか、そういう事になりそうだが……」
「まあ。それではご不便でしょう。何か事情が?」
「聡明なお嬢さんで助かる。話せることと話せないこと、それから、お嬢さんにだけは話せることがある。とりあえず、落ち着いて話が出来るような所があれば有難いんだが……」
娘は不安に顔を曇らせた。ここの水準から相対的に見れば、古賀の出で立ちは余程の金持ちに見えるだろう。だが、経済的に紳士であることと、女性に対して紳士であることとは、必ずしも一致しない。そのことは、若い女が一番よく知っている。
「ああ、何も物陰に連れ込んでいかがわしいことをしようというんじゃないんだ。失礼。配慮に欠けていた」
「いえ、まさか、そのようなことは……」娘は弁解しようとした。相手を疑ったことに引け目を感じたのだろう。
「いや、実際、気をつけた方がいい。この辺りはどうか分からないが、治安の悪いところも私は大分見てきたから」
「どちらから、いらしたんです?」
「この海の、ずうっと向こうさ」と古賀は微笑んだ。