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6.嘘つきたちの三重唱

 息を切らす女の高い声と共に、ベッドの軋む音が部屋中に響き渡る。


 まだ陽は高い。


「おい、やめろ。はしゃぐんじゃない。埃が立つだろ」古賀はうんざりしながら少女を叱り付けた。


 マルス直轄領を出て街道沿いに真っ直ぐ東へ、交易で栄えるヤヌスという街で、この日取った宿は、この界隈でも一等高級だった。こちらの世界には珍しい、柔らかなベッドマットの上で、マルス伯領姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフは長い栗色の髪を振り乱しながら飛び跳ねまくっていた。


「ここには口うるさい侍女も、堅苦しい教師もいない! そういう時の私は、もう誰にも止められんぞ!」


「つまみ出すぞ」


「やってみろ! 何度でも戻って来てやる!」


「あまり調子に乗るべきじゃない。マルスの役人に貴方を突き出して、自分は親切で善良な人間だと信じ込ませることなど、私にとっては利口な犬に芸を仕込むより簡単なことだ」


 古賀がそう言うと、ヒルデガルドは得意げに笑って、ベッドに座った。


「へー。だったらそうすればいいものを。なぜそうせずに、私をそばに置いておる。言ってやろうか? 理由は2つだ。

 1つは、お前の言ったようなことは、お前にとって不可能ではないが、望ましくはないからだ。悪人は憲兵を欺くことが出来るかもしれんが、すすんで会いたいとは思うまい。もう1つは、私が可愛いからだ」


「そう信じるならそれで構わんが、私が私の言葉で貴方の問いに答えるならば、理由は1つ。単に貴方がしつこいからだ」


「ふふっ、嘘つきめ」ヒルデガルドは古賀の頬をつつく。


 古賀はその手を払った。「やめろ。馴れ馴れしくするな」


「それで? カリオストロ卿、そろそろ教えてくれても良いのではないか? 卿の正体と、その目的を」


「何度も言うがね、それはそもそも無い話だ。貴方は戦を止めるため、自分をマルス直轄領から連れ出し、嘘のつき方を教えろと言った。まあ、それも別に同意したわけじゃないが。

 いずれにせよ、私の正体だの目的だの、そんなものは貴方に教える義務も必要もない」


 古賀は一時の間、行動を共にしていた2人の悪党を懐かしく思った。片方は粗野で、片方は軽薄だったが、少なくともベッドの上で飛び跳ねたりはしなかったし、こまっしゃくれた口調で自分勝手な屁理屈をこねることもなかった。


 古賀が、ふう、とため息をついて、目を細めた瞬間、ドアが控えめな調子でノックされた。


「失礼します。お客様宛に、お便りが届いておりますが……」


 古賀は笑顔を作り直し、若い男の職員から封書を受けとった。所々が土や草の汁で薄汚れた、折れやシワのある封書である。


 その送り主が、古賀には一目で分かる。部屋の真ん中にある椅子にかけると、古賀はペーパーカッターで封書を開け、中の便箋を眺めた。と、その途端に顔をしかめる。「待て待て待て……」


「どうした、カリオストロ卿?」と声をかけられ、古賀はハッと便箋をたたみ、胸ポケットにしまった。それから少し考えを巡らし、やがて口を開いた。


「ミネルヴァが、大規模侵攻を開始する」


「何? 馬鹿な。一体どこから……」一瞬唖然と口をあけたヒルデガルドが、その直後はたと気付いたように尋ねた。「海か?」


「違うな。街道を直進、最短経路で攻め込むつもりだ」と古賀は答えた。


「どういうことだ。領地境界には『ヴェスタ回廊』があるのだぞ。マルスとミネルヴァの決定的な会戦を何年にもわたって阻み続けた天然の要害だ」


「いや、『天然の要害』というのには語弊がある。ヴェスタ回廊は確かに、ノルド大森林とオルクス湖に挟まれ、大軍を通すには細くすぼまっているが、部隊の一部をノルド森林内に通せば、行軍は可能だ。物理的にはね。

 問題なのは、そこがスノッリ辺境伯の領地だということだ。スノッリ辺境伯領はエルフの土地、いうなれば、『権利の要害』だ。

 そこでミネルヴァは、ノルド大森林の中でも、ヴェスタ回廊を狭めて張り出している森林の一部のみに、通行許可を求める要請を出し、スノッリがこれを承諾した」


「まさか、一体どうやって……エルフたちは、これまで頑として中立の立場を違えたことがない」


「『野盗連合』だ。森林内に野盗が組織化して巣食っていることを理由に、相互の安全保障という観点から、行軍経路と戦闘地域を明確に設定して理解を得た」


「つまり、野盗を追い出す代わりに、森の一部を使わせろということか。それをエルフが承諾したと」


「そういうことになる」


「私は……」とヒルデガルドは一瞬戸惑うように目を泳がせた後で、決心を固めたものらしく、真っ直ぐに古賀を見つめた。「この情報をマルスに伝えたい。構わんか?」


「君が戻るんじゃないのか?」


「私が戻ったところで状況は変わらん。私は戦を止めたいと考えているが、それは一方的にマルスが蹂躙される形ではない。今から遣いを出せば、応戦は間に合う。

 この段となっては、敵に拮抗する大軍を派遣して前線を膠着させるより他に、領地を守る術が無い」


「いいだろう。だが、君と私の所在が割れないように、配慮してくれ。マルスの役人に追い回されるのではかなわん」


「承知した。カリオストロ卿、卿は自身を悪党だと言うが、そう言いながらも私を見捨てずにいてくれた。そして今も、本来なら私に明かすべきでない情報を明かしてくれたのだろう。感謝する」


 そう言うと、ヒルデガルドは部屋を飛び出した。


 その後で、古賀はひっそりと呟いた。「やってくれたな、後堂……」



 ◇


 ◇


 ◇



 宿の階段を駆け下りながら、ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフはほくそ笑んだ。


(んなわけあるか! バーカ!)


 フロントのカウンターでメモ紙とペンを頼むと、叩きつけるように書き下す彼女の勢いと速度に、応対したフロントの職員は呆然とした。


 用紙5枚に小さな文字でびっしりと伝達事項を書き連ねると、彼女は宿の出入り口へ向かう。そのすぐ脇に郵便箱があった。


 ──郵便物はこちらへ──


「ハハッ……」ヒルデガルドは笑う。宿に来た時、そんな箱は無かった。これはアレッサンドロ・ディ・カリオストロ(それも偽名だろう)が、マルス、ミネルヴァ両軍の勲章を盗み取った手口と一緒だ。


 聞けば呆れるほど単純な手口である。彼は両軍の宿営に紛れ込み、営舎に大きな布袋を置いただけだ。


 ──洗濯物はこちらへ。軍服が傷みますので、勲章は外さずお入れ下さい──


 これを後で回収するのだ。


(バカめ。私に密使の一人もおらぬと思うてか) 


 彼女は出入口から通りへ出ると、宿とその隣の靴屋の間の狭い通路に入った。そこには、頭からボロ布を被って、物乞いに扮した女がうずくまっている。


「これを、じい様に」ヒルデガルドは書いたメモを物乞いに扮した女に渡した。「ミネルヴァの侵攻は誠だ。諸々の情勢を見れば分かる。

 ミネルヴァのルイ・マルシャンは、例によって奇策を用いるだろうが、先に察知出来さえすれば、陸軍力の勝る我が方が圧倒的に有利だ」


 女は頷いた後で、呻くような声で囁いた。「お嬢様、やはり危険です。カリオストロなる男、領地に捕えて吐かせましょう」


「いや、あの男は、泳がせておいた方がいい。

 奴は野盗連合と繋がっておる。他にも情報が得られるはずだ。ここで捕えてしまっては、奴の情報経路が遮断されてしまう。奴を捕らえるのは、情報を吐き切ってから、ヴェスタ回廊へ向かう線上だ」


 女は蹲ったまま、ヒルデガルドの瞳を見つめた。その奥行きを測るような視線に、ヒルデガルドはたじろいだ。


「いや、ほら、あの男も改心するかもしれんし? そうしたら、私の夫になる可能性も、ゼロとは言えないわけで……顔だけはいいからな」


「……そうですか」


「あっ! 偽の郵便箱にも、手紙を入れておかんとな。掌で踊っている振りをせねば。では、頼んだぞ!」と言うと、ヒルデガルドはそそくさと宿に戻って行った。



 ◇


 ◇


 ◇


 女はしばらくの間、うずくまったまま、往来の人通りが切れるのを待っていた。と、不意に頭上で窓が開いた。窓からこちらを見下ろしているのは、アレッサンドロ・ディ・カリオストロである。


 女は羽織っていたボロ布を外して、中に着たドレスを露わにした。ウェーブのかかったブロンドの髪が印象的な美しい女だ。


「路地裏に潜ませておくには勿体ない美女がいるぞ?」とカリオストロは、からかうように言った。


「貴方たちの部屋は、反対側では?」


「何、2部屋借りればいいだけだ」


「わざわざ2部屋借りて、お嬢様と同室に泊まってるわけ? 通報した方がいいかしら。また別の意味で」


「お互いがお互いを監視する関係だからね。それに君は、私がどういう女性を好むか、よく知っているはずだ」


「まさかロープでも吊るして、そこから登ってこ来いって言うんじゃないでしょうね」


「正面から堂々と入って来ればいい。別の部屋の客にしか見えんさ。彼女には急用で出かけると書き置きをしておいた。あれでなかなか用心深い。私が近くにいなければ、彼女は部屋を出ない」


 女は急ぎ足で路地裏を出ると、宿の入り口を抜けカリオストロのいた部屋へと向かった。


 ノックしたドアが開くなり、その隙間をすり抜け、カリオストロの首に腕を回して噛み付くようなキスをする。


「メモを」唇が離れた瞬間に、古賀は言った。


「見せるだけ。これはそのまま領主に渡すわ。あの子は少なくとも、もう1人密使を付けてる。私の送った情報と、もう1人の密使の情報に齟齬があれば、裏切り者が誰か一目で分かる」


「なるほど。用心深い」


「あの子をあまり舐めないことね」


「舐めてなどいないさ。何せ、土地の価格操作から、私と野盗の繋がりまで嗅ぎつけた。その上、直情的で夢見がちなおてんば姫を演じて私に取り入ろうとしている。あれは、立派な嘘つきだよ。私以上だ」


「『直情的なおてんば』まではそのままよ。念のため言っておくけど、あの子を傷付けたら、殺すわ。私はあの子が小さいころから世話をしてきた。娘みたいなものよ。

 ただ、そのせいで、少し私に似すぎちゃったみたい。貴方みたいな、悪い男にハマるのは頂けないわ」


「だとしたら、私はここで君を抱くべきじゃない」古賀がそう笑うと、女はすぐ側のベッドに彼を押し倒した。


「人間の本質は『衝動』よ。それを抑え続けて生きる人生に価値なんか無い。貴方が一番よく分かってるでしょ? 悪党」


 古賀は仰向けのまま、彼女の頬に触れた。「その通り。で? 彼女は一体どこから来た?」


「いつまで仕事の話を続ける気?」と女は顔をしかめる。


「君の緊張がほぐれるまでさ。私は、自分があまり純粋な人間だとは思わないが、女性と寝る時くらいは他意のない方がいい」


 女はため息をついた。「どこからって、マルス城塞からよ」


「君たちこそ、私をあまり舐めない方がいい」古賀は薄笑いを浮かべて彼女の瞳を覗き込む。


「質問の意図が分からないわ」平静を装う彼女の目に、狼狽の色が浮かぶのを、古賀は見逃さなかった。


「君の瞳は美しい。だが、ヒルデガルドも美しい瞳をしているね。ガラス玉のような、青い目だ。マルス伯の瞳の色はダークブラウン。母親の瞳の色が何色だろうと、ダークブラウンの虹彩を持つ親から、ブルーの虹彩が遺伝することはないんだよ。つまり、マルス伯の血縁者が、ブルーの瞳を持つことはない」


「貴方は、その形のいい頭に、どれだけの知識を貯め込んでいるの……」


 彼女の態度は、少なくともヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフを名乗る娘が、マルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフとの間に血縁のある本当の孫でないことを理解するのに十分なものだった。


 もちろん、虹彩の遺伝の話は、全くのでまかせである。


「さて、これが最後の質問だ」と古賀は彼女の髪を手櫛にとかした。「君は、夢のような嘘の話で、世の中がひっくり返るのを見たくはないか?」


 女は笑った。


「貴方のホラ話には夢がある。でも、1つだけ、足りないものがあるわ」


「是非、うかがいたいね」


「愛よ」


「それならあるさ。今、ここに」


「まるで足りないわ」



 ◇


 ◇


 ◇


 古賀が部屋に戻った時、マルス伯領姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフは仁王立ちで待ち構えていた。


「貴様、何をしていた」


 古賀は、彼女の視線を躱すように身を捻って、彼の背後にあるドアを振り返った。「そろそろだろう」


 彼がそう言うと、ドアはけたたましく開け放たれた。


「アレッサンドロ・カリオストロ!」そう怒鳴り込んで来たのは、つい先程まで、彼と濃密な時間を過ごしていた、ヒルデガルドの侍女である。「騙したわね」


「滅相もない。少し書類をお借りしただけさ」と古賀が懐から取り出したのは、ヒルデガルドが侍女に渡した文書である。「そして、君がそれに気付いてここへ戻って来るのを待っていた。

 手癖の悪い知人がいてね。少しノウハウを教わったんだ。彼のように道行く人のポケットから財布を拝借するのは難しいが、例えば、脱ぎ捨てたドレスの下にあった書類をすり替える程度のことは出来る。

 そして、この書類の内容と、私が設置した郵便受けに、姫様が投函したダミーのメモとを照らし合わせれば、君たちが何を隠そうとしているのかが浮かび上がるという寸法さ」


「殺すぞ、ペテン師」侍女は古賀を睨みつけてすごむ。


 まあまあ、とそれをなだめて、古賀は続けた。


「ヒルデガルド、君はまぎれもない天才だ。ミネルヴァ進軍の情報を得た途端、これだけの対策を用意し、即座にそれを書き下して侍女に持たせた。

 まあ、心配しなくとも、もう1人の密使が、これと同じものをマルス伯に届けてくれる。問題なのは、君の侍女が使命を果たせないことだ。なにせ、とても口頭で伝え切れる量じゃないい」


「貴様……!」ヒルデガルドも噛み付かんばかりに古賀を睨む。


 古賀は始めから、ヒルデガルドの侍女を抱き込んでいた。言ってしまえば二重の意味において。ヒルデガルドに自らの敗北を理解させるには十分だ。


「彼女の名誉のために言うが、彼女は決して君を裏切りはしなかった。あくまで、官憲に追われて場が荒れないよう、必要な情報を提供してくれたに過ぎない。

 もっとも、私の方に多少誤解を招く表現があったために、本来渡すべきでない情報が、私に渡ってしまったという可能性までは否定しないが」


 侍女は仰け反って天井を仰いだ。


 古賀は続ける。「君たちが結託して私を嵌めようするのは最初から分かりきったことだったからね。私がマルス直轄領に入ってから約1年間、私なりに彼女とは良い関係を築いてきたつもりだったが、結局、彼女は最後まで、私の方へは転ばなかった」


「ならば、どうするつもりだ」ヒルデガルドは語気を強める。


「話をしようじゃないか。自由と、真実についての話を」

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