5.ぼくのかんがえたさいきょうのモンスター
ゴドーの手下たちの中でも野盗連合の本部ともいえる(もっとも、そのように明確な組織が編成されているわけではないが)ゴドーの手勢数十人は、エルフの領分であるノルド大森林の林縁に野営を構えていた。
エルフの領地にちょっかいを出したウエスタの城塞が、地図から消えたのが3年前。それ以来、人間の軍団は、この森に足を踏み入れることを徹底して避けていた。野盗の一団が身を隠すにはうってつけである。
だがそこに、エルフの里から使いが来て、「ある魔族の娘がこの野営に向かっている」という話を聞かされると、野盗たちは浮き足だった。
エルフが来たからでも、魔族が来るからでもない。
ゴドーの元にエルフが訪れることは珍しいことではなかった。キトラ・ゴドーという男は、おそらく大陸で唯一、エルフと友好かつ対等な関係を築いた人間である。このことは、彼自身の圧倒的な腕っ節と並んで、並いる荒くれ者どもを従える彼の求心力を一層強固にしていた。
また、彼の元を訪れるエルフたちはたびたび、魔族の中でもとりわけ好戦的で強力な『ベリト公爵』を、ゴドーが討ったという話を、まるで一編の英雄譚のように語った。
これもゴドーの手下たちの間では語り草で、手下たちの羨望の眼差しを集めると共に、もはや野盗連合に恐るるものなしという、彼らの結束の支柱となっていた。
ではなぜ彼らが浮き足立っているかというと、その魔族の娘が迫っているという話を聞いた途端に、これまでいかなる場面でも泰然として動じなかった首領のキトラ・ゴドーが、目に見えて動揺し始めたからである。
「あの御頭が、あれだけ恐れる魔族とは……」
周囲の枝葉を被せて擬装した天幕の中、彼らはゴドーの耳目を盗んで、噂した。
ちょっとやそっと、力が強いとか、火を吹くくらいで我らの御頭は動じまい。
「ひょっとして、山より大きいのでは……」
「バカ。それならとっくに気付くだろ。それに、俺らの御頭は、相手が山よりデカけりゃ膝を狙って結局やっちまう。
思うにな、疫病を撒き散らすんじゃないか。御頭といっても、病気にゃ勝てん」
「お前、御頭の何を見てきたんだ。俺ぁ、あの人が、病気はおろか、風邪をひくのだって見たことがねえ。あの人ぁ腑からデキが違うんだぜ。疫病ごときにビビるかよ」
「冥界から、死者の霊を呼び出すネクロマンサーってのがいるらしい。それじゃねえのか?」
「『死霊の森』での御頭を知らねえのか? 魔術師の墓を知らずに足蹴にしたんで、周りの連中がそれと教えたら、『そりゃ悪いことをした』とか言いながら、結局酔っ払ってその墓に小便ぶっかけてたんだぜ。死霊ごとき屁でもねえわ」
その中で一人、「いや、どれも違うな」と明確な答えを持つような態度で進み出た者がいた。野盗どもの中ではとりわけ、勘が鋭く頭がキレると一目置かれる男である。「ありゃ、女だぜ」
「そりゃそうだろ。『娘』っつってんだから」
「バカ、そういう意味じゃねえ。『御頭の女』ってことだ。色恋沙汰だよ」
「あ? あぁ……そういう……え? 魔族の女を?」
「俺たちの御頭だぜ? 多少力が強かろうが、ちょっとばかし口から火ぃ吹こうが、出るとこさえ出てりゃお構いなしだろ」
「やべぇな御頭。ハンパねえ。けど、だったらなおさら、なんで狼狽るんだ?」
「そりゃ、俺たちの御頭だ。エルフの女だって、少なく見積もっても2、3人は喰ってるだろ。それが魔族の女に知れたわけだ」
「ああ……それは……修羅場だな」
頷きながら唸る野盗たちの天幕をめくり、「おい、何やってる」と声をかけたのは、他ならぬ野盗連合の首魁、キトラ・ゴドーだった。
「あ、いや……これは」と慌てる手下たちの間を縫って、ゴドーは彼らがテーブルの上に広げていた1枚の紙を拾い上げ、天井から吊るしたランタンの光に照らした。そこには、下手くそな女のイラストに、文字が書き込まれている。
『まぞくの女』
・大きさ:ふつう(逆に)
・力:つよい 岩をわるくらい?
・口から火をふく(氷も)
・体からどくが出る えき病も?
・悪りょうをしょうかんしてたたかう
「何だこりゃ。『ぼくのかんがえたさいきょうのモンスター』か? お前ら何歳だよ」呆れ顔で言ってから、ゴドーははたと気付いて、ああ、と頷いた。
「いや、魔族の女ってのがどんなもんか……」と手下の1人が恐る恐る言う。
「そういうことか。いや、どれも違うな。ここに書いてあるようなこととは、全く別の次元の厄介さだ。とにかくタチが悪い」
(やはり、そういうことか)と野盗たちは息を呑んだ。
「そういう女と、色恋沙汰を……」
ゴドーはその看過出来ない誤解を一心に否定した。
「いや、マジでそれは違うからな。それだけは天地がひっくり返ってもねえよ」
(これはつまり、そういうことだな……)と野盗たちは再び息を呑んだ。
その時である。暮れかけた空の薄闇を裂いて、高い女の声が、森の木々の間を高らかに響き渡った。
「ゴドー! おい! ゴドー! どこだ? お前、ちゃんと家に住め! 見つけにくいだろ!」
「来やがった……」ゴドーは深いため息をついて、渋々といったていで天幕から顔を出した。
女にしてはやや大柄で、特に胸が大きく、その割に童顔な彼女の頭には、渦を巻く2本の角が生えている。
その女、サキュバス族の戦士アグラット・バット・マハラト(愛称はアグ)は、天幕の入り口にゴドーの顔を見つけると、頭上に大きく手を振って、地面をえぐるような足取りで駆け寄って来た。
「いた! おい! 何でこんなところに住んでいる! エルフの里に住めばいいのに! 私はな、お前を結構探したぞ! どこを見ても木しかないから、自分が迷子になっているのか、なっていないのかもよく分からなかった!」
「そうか。それはご苦労だった。で? 何しに来た」ゴドーは頭を低くして天幕の入り口をくぐりながら、心底うんざりして、唾を吐くように言った。背後で手下たちが息を殺して耳を澄ます気配がする。
「お前に会いに来たに決まってるだろ! それよりな、私はお前を探すために大分頑張った。だから、腹が空いている。飯を食おう」
「お前な、ほんの少しでいいから、相手の都合ってもんを考えろ。『もしかして、相手はもうご飯を食べたかしら』とかよ」
「なんだ、もうご飯を食べたのか? だったら私にも何かくれ。私は腹が減っているわけだから」
「いや、だからよ、『もしかして、急にこんなことを言ったら相手のご迷惑じゃないかしら』とか思わねえのかよ」
アグはそれを聞くと、声を上げて笑った。「お前は、変なヤツだな! お前が飯を食ったとか、ご迷惑とか、そういうことは、私のお腹がペコペコだってこととは全然関係ないだろ。私のお腹がいっぱいになるのはな、私が飯を食った時だけだ」
「だから、知らねえんだってマジで」ゴドーは大きく口をあけて天を仰いだ。
アグはそれを見ると、ははーん、と何かに勘付いたように笑みを浮かべた。
「お前、そうやって焦らすことで、私がご飯をもっと美味しく食べられるように工夫しているな? なかなかにくい演出だが、やり過ぎは逆効果だぞ? もう私は仰向けにひっくり返って駄々をこねる寸前だ。そのくらい腹が減っている」
ゴドーはその場にしゃがみ込むと、天幕から遠巻きにこちらをうかがっている手下の1人に、「おい、なんか食わしてやってくれ。時間の無駄だ」と声をかけた。
「つまりだな、私はお前に会いに来たってわけだ」地べたに胡座をかいて、山で狩った鹿肉の塩茹でを頬張りながら、アグは言った。
焚き火の炎が彼女の顔を照らして揺れた。
「いや、全然『つまり』になってねえんだよ。俺が聞いてんのは、何の用で会いに来たのかってことだ」ゴドーが眉を寄せると、手下の1人が口を挟んだ。
「御頭、そんな邪険にすることないじゃないですか。なんていうか、愛嬌があって可愛いでしょ」
アグはそれを聞くと、自分のツノをなぞって指をくるくるとやった。
「お前、なかなか見どころのあるやつだな。そうか、私は可愛いか」
「おい、あんまり調子に乗らすんじゃねえ」と部下をいさめるゴドーに、アグは眉尻を下げてぼやいた。
「最近な、エルフの村のみんなが、忙しそうに難しい話ばかりしているので、私はつまらんのだ。私はずっと、リズと遊んでいた。リズは可愛いな。いつまで経っても小さいままだ」
「アイツは、エルフの中でも特別ゆっくり育つらしい」とゴドーは言った。
リズというのは、スノッリ辺境伯を治めるエルフの王オーベロンと、その側室の間に生まれた娘で、どういうわけか親元を離れ、辺境伯領の片隅、セレスの集落で育てられていた。
エルフは長寿として知られるが、それは森の中の時間がゆっくりと進むからなのだそうである。
中でもエルフの王、オーベロンの血族であり、特別な魔法の才を持って生まれたリズは、それに輪をかけてゆっくりと成長し、ゆくゆくは飛び抜けて賢く、強いエルフに育つのだそうだ。
「だが、大人たちがリズを隠してしまった。なんでも、戦が近付くと、リズが狙われるかもしれんそうだ。人間というのはバカだな。あんな小さな女の子は戦の勝ち負けには全然関係ないのに、それが分からんようだ」
「ああ、そうだな……」と相槌を打ちながら、ゴドーは考えた。
リズは重篤な外傷も一晩で完治させる、エルフの中でも稀有な治癒魔法の才能を持っている。これが軍事利用出来るとすれば、途方もない価値があるはずだ。
マルスとミネルヴァの一方、あるいは両方が、リズの存在を知れば、場合によっては死に物狂いでその強奪に走るだろう。
この先大規模な会戦があるとすれば、戦場はノルド大森林に接する平野である。リズのいたセレスの集落から、馬を飛ばせば2日とかからぬ距離だ。
「戦が終わらねえ限り、リズは、人間どもが自分を拐いに来る恐怖に怯え続けることになる」ゴドーは独り言のように呟いた。
「何? そうなのか? それではリズがかわいそうだ。よし。だったら私が言ってこよう」とアグが立ち上がろうとするのを、ゴドーは上から押さえつけた。
「いや、待て。こういうもんには、向き不向きがある。お前が話して状況が改善する場面もあれば、悪化する場面もあるだろう──まあ、大体は悪化するだろうが──。とにかく、お前には別の役割を頼みたい」
「つまり、協力して、リズを守るわけだな?」自分がいかにやる気に溢れているかを表現するようにアグが言うと、ゴドーはそれを鼻で笑った。
「俺は悪党だ。誰かを守ったり、助けたりはしねえ。ただ気に入らねえヤツをぶちのめしながら生きてきた。今回もそうするだけだ」
この台詞に、野盗たちは喝采をあげ、また気炎を吐いた。
「俺たちの戦は、マルスやミネルヴァみてえに屁っ放り腰でダラダラやるような腰抜けの戦じゃねえ!」
「嵐のように襲い、嵐のように奪い、嵐のように去っていく! 一夜の暴風雨だ!」
「どっちもやっちまえば、メルクリウス選帝侯国の覇者は俺たちじゃねえのか?」
「お前、貴族や王様になりてぇのか? 俺ぁゴメンだね。襲って奪って手に入れた金ぁ、一晩で遊び尽くすのさ。そいつが悪党の粋ってヤツだぜ!」
ゴドーはおもむろに立ち上がると、手下どもに向かって話し始めた。
「俺は、『野盗連合』なんて自分で名乗った覚えもねえし、別にてめえらの王様になったつもりもねえ。そこら中の悪党をぶちのめして歩くうちに、そういう奴らがどういうわけか寄り集まってきただけだ。
俺は喧嘩屋だ。ぶちのめして奪う。それが俺の生き方だ。そして、ぶちのめすなら、相手は悪党に限る。爽快感が違うからな。
マルスだのミネルヴァだのって連中は、テメエらが選帝侯になりてえがために、そこいらの村や町を焼いて回る悪党だ。しかもこの界隈で一二を争う強者ときた。
俺ぁ気になるぜ。俺とソイツらぁ一体どっちが強えんだ?
マルスと俺のどっちがっつう話じゃねえ。ミネルヴァと俺がって話でも。マルスとミネルヴァと俺が、ごちゃ混ぜになってやり合った暁に、最後に立ってるのは誰か。俺はそいつを確かめに行く。
ついて来てえ奴ぁついて来い。覚悟のねえ奴ぁ裸足で逃げ出せ。こいつはデケえ喧嘩になるぜ」
それを受け、野盗どもは一層の気勢で鬨の声をあげた。
「野郎ども! 武器を執れ!」と誰かが発し、それに答えて野盗どもは矛や戦斧を掲げる。
それを眺めて、思わず、いや、今行くわけじゃねえから、と言いかけたが、ゴドーははたと思い直した。
「そうだな。やるなら今だ。アグ、ルサルカのところに飛べるか?」
アグは胸を張る。「当たり前だ。だが、何をしに?」
「俺の知り合いが、おそらくまた、鬱陶しい小細工の準備をしていることだろう。それが整う前に、敵の軍隊をおびき寄せるのさ」
「それを、ルサルカが?」
「ああ、地獄への招待状を書いてもらう。俺は学がねえからな。アイツの方が、字はきれいだ」




