4.悪党たちの息遣い
「まったく、おちおち鉄も打っておられん」とドワーフで一番の武器職人、ディートリヒ・フィッシャー・ディスカウが忌々しげに唸った。
コンクリート造のウルカヌス王宮は、気温の高いこの界隈でもいつもひんやりと涼しく、国中のドワーフが涼みに来るが、この日会議室に集まったドワーフたちの顔つきは、ちょっと日陰で涼をとるといった種類のものではなかった。
「人間どもが、あっちこっちではしゃぎ回るせいで、水道の傷みが尋常でない。このままじゃあ、界隈の村という村、町という町の、便所という便所から、糞という糞が溢れ返るぞ」
「それは、地獄という地獄だねぇ……」クオンはディスカウの語法を真似て顔をしかめた。
「まったくだ。飽きもせず何年もダラダラ戦なんぞやっとるアホどもがクソに塗れる分には知ったことじゃないが、何の関係もない界隈の町や村の連中が気の毒だ。
中にはワシらの農具と引き換えに、麦や野菜を分けてくれる村もあれば、ここのドワーフの娘が嫁いだ町もある。
ほっぽらかすわけにもいくまい。補修じゃ不十分だ。補強せんといかん」
「そうなると、人手は大分割かれるね」
「そうじゃな。何せ範囲が広大だ。優先順位を決めてかからんと」ディスカウは腕を組む。
話を聞いていたプライがテーブルに図面を広げた。
「だとすれば、ミネルヴァ幹線だろう。あそこが詰まれば終わりだ」
「ミネルヴァ幹線?」とクオンが訪ねると、プライは図面を指した。地下水路の位置を示す図面のようだ。メルクリウス選帝侯国の地下に、大小の夥しい管路が走っているのが分かる。
「プロメテウスの漁村近くにある立坑から、ミネルヴァまで一直線に走っとる太い幹線だ。周辺の下水が全部ここに合流して浄水場に集まる」
「なるほど……」とクオンはうなずいた。「その件は任せるよ。ところで、ゴドーさんとルスティグ伯の動向は分かった?」
「マルスとミネルヴァの境界付近で、野盗が多発しとる。それも、旅人や行商人を襲うんじゃない。戦の後で周辺の掠奪をする兵隊を狙うんだそうだ。並の戦力じゃない」
「分かりやすいなあ」とクオンは笑う。ゴドーに違いない。
「『野盗連合』などと呼ばれて、ミネルヴァ側でもマルス側でも目を付けられとるが、討伐隊も返り討ちにあって手が付けられんのだという」
「それもう、ゴドーさんで間違いないね。あの人、意外と面倒見良いっていうか、人望あるんだよなぁ」
「あれはなかなかスカッとした男だ。一方で……」とプライはまた別の地図を広げた。メルクリウス選帝侯国全土の地図である。所々に、赤いインクで丸く印がしてある。「結論から言うと、ルスティグ伯の所在は分かっておらん。名前もまた変えておるかもしれんしの。だが、あの男のことだ。また何かを企んでおるはずだし、すでに何かが起きておるはずだとワシは考えた。それもおそらく、莫大な金に関わる何かが」
「なるほど、納得出来る」とクオンは唸った。ドワーフというのは概して楽天的で、金にも政治にも無頓着だが、決して馬鹿ではない。何せ、この世界においては最先端の工業技術を持つ種族である。
「そうした視点で見た時に、気になることがいくつかある。
1つは、ワシらがゴドー卿の仕業だと思っておる、略奪軍に対する襲撃。これ自体はゴドー卿率いる野盗連合の仕業なのかもしれん。だが、これが起こるたびに、その後方にいる親部隊に物資を売りつけにいく商人が、タイミングよく現れるということが、もう何度も起きておる。野盗の動きを知っておるとしか思えん」
「ゴドーさんとルスティグ伯が、裏でつながっている?」
「ゴドー卿の性格を考えると、あまりそうとも思えんが、襲撃の件数も3つや4つの話じゃない。場所もバラバラ。まして野盗なんちゅうもんは、商人の天敵だ。そう考えるとゴドー卿と繋がりのある人物が情報を漏らしているとしか考えられん」
クオンは腕を組んで考えた。プライの言うように、商人と野盗の間に情報を仲介する者がいるとすれば、それがヴィクトル・ルスティグ伯こと古賀の仕業であると考えるのが自然な気はする。しかし、あのゴドーが、自分がこれからどこを襲って、相手の本隊はここだなどと、こまめに連絡するだろうか。
いや、しないだろう。そして当然、古賀もそう考えるだろう。彼らは──いや、自分も含めて──元々一匹狼の悪党だ。一時は、右も左も分からない異世界に迷い込んだ成り行きから、なんだかんだと協力してきたが、それは自分たちの本質ではない。
あるいは騙し、あるいは裏切り、盗み、ぶちのめす。これが悪党という生き物の本能的な習性だ。
なるほど、とクオンは頷いて、口を開いた。「ゴドーさんの仲間の中に、内通者がいる。ルスティグ伯が紛れ込ませたか、金を掴ませたか、とにかくソイツがルスティグ伯に情報を流して、ルスティグ伯がその情報で一儲けって寸法だ」
「なんと!」とドワーフたちは揃って、ただでさえ丸い目をさらに丸く見開いた。
「あんなに仲が良さそうだったのにのう……」と隣にいたディスカウが残念そうに項垂れる。
クオンは彼の肩を優しく掴んだ。「多分、ゴドーさんに大した実害はない。ちょっとした悪ふざけの範囲さ」
(僕らにとってはね)というのをクオンは喉の奥に隠した。
「うーん……価値観が分からんのう」ディスカウは眉間にシワを寄せる。
「僕たちドワーフには必要のない感覚だ。それで、気になることは、他にもあるんでしょ?」とクオンがつつくと、プライは思い出したように話しだした。
「そうそう、マルス伯領の地価が乱高下している。ワシらぁ金のことについちゃ、とんと無頓着だが、人間の連中が土地に値段をつけて売り買いしとるということくらいは知っておる。
高い金額で取引される物の価格がヒントになるんじゃないかと考えて、界隈の土地の値段を調べてみたんじゃが、マルス伯の直轄領だけが、不自然なほど上がったり下がったりしておるんだ。金や小麦の値段だって当然上がったり下がったりしておるが、マルスの土地の値動きは異常だ。何せ昨日は目玉の飛び出るような額で売っておった街道沿いの一等地が、今日は豚小屋同然の値段になっておったりする」
「……っぽいね」とクオンは呟いた。非常に古賀っぽい。彼の息遣いや足音が聞こえてくるようだ。
「そして、この地価の乱高下が始まったのとほとんど時を同じくして、マルス伯の孫娘が行方不明になっておる。歳は13とか言っておった。まあ、中くらいの大きさだろう」
ドワーフは年齢を数えない。子どもの成長具合は、身体の大きさで大雑把に把握する。
「そのことは、どう捉えるべきかな」クオンは首を傾げた。
「ワシにも分からん。ルスティグ伯は、狡賢い男だとは思うが、娘を拐うような男とまでは思わん。全く別の出来事なのかもしれんし、関連があるのかもしれんし、抜き差しならん事情があるのかもしれん」
「そのことを、マルス伯領ではどう捉えているんだろう」
「そりゃあ異様な雰囲気だ。表向きは伏せられておるのか、大っぴらにそれを話す者はおらん。だが人の口に戸は立てられんからな、一歩人目の触れん路地裏に入りゃ、そこら中の奴が噂しとる。
何でも、その娘を探しに、憲兵が町中練り歩き、家という家の戸を叩いて『中を見せろ』とやるそうだ」
「何か変な感じだ」とクオンは違和感を言い表した。マルス伯領のお姫様ともなれば、必死に探すのも頷けるし、外交上、あまり大っぴらに出来ないというのもそうなのかもしれないが、プライの口ぶりからは、単にそういう事情を推し量る以上の気味の悪さが伝わってくる。
「ワシもそう思ったんでな、色々聞いて歩いた。まあ、噂に過ぎんのだが、何でも、マルスという領地が今のような力を維持出来ておるのは、その娘のお陰だというのだ」
「13歳とかの女の子が?」
「嘘か本当か知らんがな。有り体に言やあ、『天才』なのだそうだ。
何年か前に、マルスは海戦でボロッカスに負けておる。しかも弱り目に祟り目で、その直後に大嵐があった。それでマルス海軍は壊滅的打撃を被ったわけだが、この時に、ジジイのマルス伯に代わって舵を取ったのが、その孫娘だというのだ。
マルスはそもそも港の数も少なく、優秀な船乗りが育ちにくい。その代わり陸軍力ではミネルヴァを大きく上回る。
そこで、マルスはわざと慌てて陸からの強襲をかけるような素振りでミネルヴァの警戒を誘い、微弱ではあるが海軍立て直しの時間を稼ぎ、制海権の一部を維持、貿易の経路だけは失わずに済んだ。
その娘が、まだ大人の腰の高さにも満たん大きさだった頃の話だという」
クオンは、娘の年齢が話に出るたび、プライが「それはどのくらいの大きさだ?」と聞く様子を想像して、少し愉快な気分になった。それと同時に、また別の想像が頭をよぎる。
「もしかしてその子、ルスティグ伯と渡り合おうとしてるんじゃ? あるいは、協力しようとか。なんとなく、合うような気がする。やり口というか、センスが……」
「なるほど、そういう考え方も出来るかもしれん」とプライはこめかみに指を当てて唸った。「マルス伯領に何か胡散臭い男がおることを察知して、これを追って何かをしようとしておるのかも……」
ドワーフの一同は腕を組んで、うーん、と唸った。想像の域を出ない。
「逆にミネルヴァ側は何かないの?」とクオンは気分を変えるつもりで聞いた。
「まあ、マルス側と同様に、野盗連合の襲撃がある他は、そう、プロメテウスで毎年やっておる『火祭り』ってのが、とりわけ盛大に行われるってくらいだな。何でも、今年は大漁だったそうで」
「それは良かった」とクオンは思わず頬を緩めた。長閑な話だ。




