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3.おてんば姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフ

 昼下がりの往来は元より人通りが多かったが、給仕娘が紅茶のおかわりを注ぎに来たころには、いよいよ人と人とが肩を触れ合わせてすれ違うような混みようだった。


「嘘つきの匂いとは、また結構なご挨拶じゃありませんか」と古賀は悪びれもせず言った。


 少女は腰に手を当て、古賀を睨む。「ふん、私には、そういうものが分かるのだ」


「それは結構。まあ、お座んなさい」とテーブルの向かい側に、彼女を促す。先ほどまで、商人の紳士が座っていた席だ。


 古賀は以前から彼に、ゴドーが組織した野盗連合の動向をリークしていた。


 ミネルヴァの兵がマルス側の領地に浸透し、村や町を掠奪するたび、野盗がそれに襲いかかって、掠奪した金品はもちろん、元から彼らが持っていた物資や糧秣までもを根こそぎ掻っ攫う。


 この情報を得た商人は、遠征隊の本営に出かけて行き、前線を維持するために必要な物資を売りつけるという寸法である。


 マルス伯領民にはあるまじき売国的行為だが、商人にとって、戦の勝ち負けなどというものは天気と同じで、日傘が売れるか、雨傘が売れるかという意味での関心はあれど、自分でそれ自体をどうこうしようというようなものではない。


 同様のことは、領地の境界を挟んでミネルヴァ側でも行われていた。二領地間を最短で移動出来るノルド大森林の林道を、エルフのお咎めを受けず自由に行き来出来る人間は、この世界でゴドーしかいない。


 古賀はこうした情報を(もちろん、多少の誇張や誤魔化しを混えながら)有力な商人に提供する代わりに、商人たちの持つ情報を収集していた。この世界において、客観的で鮮度と精度の高い情報を得ようとするならば、相手は商人に限る。もっとも、彼らは自らの利益のために、しばしばというよりはより高い頻度で嘘をつくが、詐欺師である古賀は、それを見抜くことにかけては掛け値なしのプロである。


「お前は誰だ?」と少女は聞いた。


「アレッサンドロ・ディ・カリオストロ。生まれ育ちは明かせませんが、そう名乗っております」


「そういうことではない。お前は何者か、どういう人間なのかと聞いておる」


「それはまた、抽象的というか、哲学的な質問ですな。まあ、この界隈にこういう言葉があるか分かりませんが、言うならコンサルタント。つまり、相談役です。

 色々な情報を集めて、人にアドバイスをする。その報酬として、お金や情報を得たりするわけです。

 それより、お腹がお空きでしょう。何か頼みましょう」


「なぜ、お前にそのようなことが分かる」


 それは彼女がずっと、古賀の視界の端で食い物の屋台をうらめしそうに眺めていたからだったが、彼は、「貴方が私を嘘つきだと思うのと同じですよ」と答えた。「いつだって、人と人とは分かり合うことが出来ない。だからその代わり、色々と想像するんです」


 古賀は、近くにいた給仕娘を呼んで、適当な食べ物を注文した。


「お前は、私の言ったことが、ただの想像に過ぎないというのか?」


「ええ、仮にそれが、結果として当たっていたとしても。目の前で確かに見聞きしたこと以外は、断片的な情報を頼りにした想像にすぎないでしょう」


 少女は、それを聞くと鬼の首を獲ったように勝ち誇った表情で声を上げた。


「語るに落ちたな! その通り。私は確かにこの耳で聞いたのだ。ウエスタの町が陥されたのは、エルフではなくミネルヴァの仕業だとお前が言ったのをな。それは嘘だ。

 そもそもウエスタは、町そのものが更地になったわけではない。城砦だけが焼き払われたのだ。そして、エルフの一団は、ウエスタの町人に目撃されておる。

 従って、ウエスタの城塞を陥したのは、エルフだ。お前が嘘をついたということは間違いがない」


 古賀は静かに笑った。「『語るに落ちる』とは、正確な言い回しじゃないように思いますが、それはさておき、私は、ウエスタを陥したのがミネルヴァだなどとは、一言も言っていませんよ」


「貴様、この期に及んで、まだそのような嘘をつくか」と少女は噛みつくように言った。


「思い返してご覧なさい。エルフがウエスタを堕とした。『表向きはそうなっている』と私は申したのです。それは嘘ではない。真実が真実のまま伝わったなら、表向きは当然そうなる。それに『裏がある』と言ったのは、私と話していた商人です。

 そして、エルフの戦の風習が、宣戦布告を要しないのであれば、『別の者が秘密裏にウエスタを攻撃する際、その罪を被せるには丁度いい』というのも、紛れもない真実です。あくまで、そういう者がいたのだとすれば。

 仮にエルフでない誰かがウエスタを襲ったのだとすれば、『エルフたちにとっても都合の悪いことではない』というのも真実。その場合、『では誰がウエスタを襲ったのか考えねばならぬ』というのも真実。

『町を一夜で焼き払う技術があるなら、それを持つ者は今後、それをどう使うべきか』というのは、嘘・本当以前に単なる問いかけに過ぎません。お分かりですか? 私は嘘などついていないのです」


「そのような屁理屈……」と少女が眉間にシワを寄せた丁度その時、給仕娘が食事を運んできた。パンの間にソーセージとレタスを挟んだものだ。


 少女の腹が、ぐぅと音を立てた。


 両手で顔を覆う彼女に、古賀は「どうぞ、お上がんなさい」とそれをすすめた。


「金を……持っておらん」と少女は下を向いて頬を膨らます。


「私が、いたいけな少女に一食振る舞うのにも金を惜しむようなケチに見えますか?」と古賀が微笑むと、少女はみるみる表情を緩めてそのパンに手を伸ばしたが、途中でハッとその手を止めた。


「待て、金は取らんと言え」


 これまでのやり取りで、「私が奢るとまでは言ってない」などとやられることを懸念したのであろう。少女は警戒心に満ちた視線を古賀に向ける。


 古賀は声を上げて笑った。「いいですとも。ここは私の奢りです。お代は結構」と言うのを念入りに確認してから、少女はそのパンにかぶり付いた。


「美味しいな! カリオストロ卿!」と歓声に近い声を上げる。


「それは良かった」


 少女が食事を平らげるのを見届けると、「ああ、美味しかった。ごちそうさまでした」と満面の笑みを浮かべる少女に、古賀は尋ねた。


「さて、それで、この私に一体どういう御用向きですかな。マルス伯領姫、ヒルデガルト・キルヒナー・ヴォルフ殿下」


 少女の大きな目が一層大きく見開かれるのと同時に、一斉に衆目が集まる。


「なっ……何を申しておる! ちょっと、こっちに来い!」と少女は立ち上がって古賀の袖を引っ張った。


 驚いた給仕娘が「あっ、ちょっと、お代を……」と慌てて言うので、古賀は懐から1枚の金貨を投げた。


「残りは君へのチップだ。可愛らしいお嬢さん」


「いえ……こんなに、頂けません」と娘が頬を赤らめながら言う。


「どうしてもと言うなら、通りの角に宿をとっている。いつでも歓迎するよ」


 少女が古賀の脛を蹴った。「何だお前! 女たらしか!」


「何も、蹴ることはないでしょう」と古賀は脛をさする。


「いいから、こっちに来い! バカ!」


 少女に袖を引かれて、彼らは路地裏を細い方、細い方へと入って行った。


 ある程度人目につかぬと見たところで、古賀は「この辺でいいでしょう。そもそも、これでは『これから秘密の話をしますよ』と吹聴して回るようなものだ」と言った。


 少女は当たりを見回す。


「全然、違うけどな! 私は、姫なんかじゃないが! なぜ、あんな大勢の前で、名前を出す!」


「そりゃあ、その慌てっぷりを見たかったからですよ。私と商人が、丁度、行方不明のマルス伯領姫の話をした直後に、ウエスタ陥落の詳細な説明までして頂いて、これでは余程勘の鈍い者でもそれと気付く。そういう詳細な情報にアクセス出来る立場にいる、行方不明の女の子。『語るに落ちる』とは、そういうことを言うのです。

 貴方が普段、豊かな食事で十分な栄養を採っていることは、その肌艶に出ている。貧しい少女を装うなら、肌や唇の血色を隠すべきだ」


「まさか、私の可愛さが、こんな形でアダになるとは……」マルス伯領姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフは唸った。


「さて、あなたは自分が姫なんかじゃないと仰ったが、果たして嘘つきはどちらですかな。是非貴方の口から、はっきりとお聞かせ願いたいものだ」


「はー? 私がヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフですけど? 城を抜け出して、平民のフリをしてましたけど? それの何が悪いんですかー!」


「自分を棚に上げて、他人を嘘つき呼ばわりしたことでしょう」と古賀は自分を棚に上げて言った。


「へー! それで? 私にどうしてほしいのだ? 金なぞもっとらんぞ! 謝って欲しいのか? すまんすまん! ほら、謝ったぞ」ヒルデガルドは開き直ってふんぞり返る。


 子どもというのは、これだから、と古賀はため息をついた。「声をかけたからには、用件がおありでしょう。私の答えは決まっていますが。『そいつは無理な相談です』私はそう答えて、この会話は終わりだ。

 あとはお互い、今日の出会いなど忘れて、またいつも通りの日常に戻ればいい。これはいわば、そのための儀式だ。仰いなさい」


「そうはいかんな」ヒルデガルドは片手を腰に当て、もう片方の腕を真っ直ぐ伸ばして古賀を指差した。「お前には、私をここから連れ去ってもらう」


「そいつは無理な相談だ」と古賀は予定通りそう答えて、その場を立ち去ろうとしたが、ヒルデガルドはその袖を掴んで引き留めた。


「まあまあ、一度話だけでも聞くが良い。お前にもそう悪い話ではないぞ」


「ほう。貴族令嬢誘拐の嫌疑で地の果てまで追い回されるリスクと釣り合うだけのメリットがあるなら、是非お聞かせ願いたいものですな」と古賀は皮肉のつもりで言ったが、彼女はそれを額面通り受け取ったものとみえ、自慢げに胸を張った。


「お前を、“本物の”貴族にしてやる。それも、このマルス伯領の跡取りだ」


「意味が、よく分かりませんな」と言いつつ、古賀は目尻に一瞬の引き攣れを感じた。


 少女はワンピースの襟口に手を突っ込み、中から1つのバッジを取り出して古賀に見せた。「これは、お前の鞄から拝借したものだ。マルスの騎士勲章。それなりの戦功を立てねば手に入らんものだ。そして、お前の鞄にはミネルヴァの勲章もあった。

 どう考えたって正当な手段で手に入れたものではあるまい。これは、詐欺の小道具だな?」


 ほう、と古賀は感心してうなずいた。なかなか抜け目ない。


「そうだとして、どうするおつもりで?」


「何、簡単な話だろう。この私と結婚するということだ。それはつまり、このマルス伯領の継承者、ひいては次期メルクリウス選帝侯の継承者となるということだ」


「有難いお話ですが、まるで興味がありませんな。そもそも、マルス伯が次期選帝侯と決まったわけではない。それはミネルヴァに勝てばの話で、別の第三者の可能性だってある」


「第三者?」とヒルデガルドは首を傾げる。無理もない。この界隈では、次期選帝侯はマルスかミネルヴァの二択というのが常識だ。


「さあ、誰とは言いませんが、メルクリウスの諸侯は何も2人だけではないということです」


「まあ、わずかにせよ、可能性があるのは認めよう。だが、仮にそうだとしても、このマルスの領主で、この私の夫だ。何の不満がある」


 古賀ははっきりと相手に聞こえるようにため息をついた。「姫様、失礼ですが、貴方はお子様だ。百歩譲って私がその立場になりたがっていたとしても、周りから変な目で見られるでしょう」


「何だ、私が子どもだと、そんなことを気にしておったのか。安心めされよ。元よりこれだけ可愛いのにも関わらず、あと3年もすれば、ナイス・バディになる予定だ。

 さっきの喫茶店の給仕娘など片手で捻る美貌が約束されておる」


「へえ。それはそれは」


「何だお前、信じておらんな。今に見ておれ。いずれにせよ、私はお前について行くと決めたからな。そうと決めたら逃がさんぞ。私は脚が速い。口うるさい侍女も、私には追いつけんのだ。お前が逃げてもすぐに捕まえてやるぞ」


 古賀は、路地裏の壁に手を付いて、彼女に迫った。「いいかい、お姫様、よく聞きな。貴方が、いかにやんごとなきご身分であろうと、子どもには手に負えない事柄ってものがあるのさ。関わるべきじゃない大人もね。私は、そういう大人の一人だ。分かったら、城に帰って紅茶でもすすってな」


 路地裏に乾いた音が響いた。マルス伯領姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフが、古賀の横面を張ったのである。


「勝手に私を測るな。私は、この領地から戦を無くす。そのために必要ならば、何だって、誰だって、それこそ私が女で、子どもであるならば、女で子どもであるということさえ利用して、必ずやり遂げる覚悟だ。

 今の私には、お前のような嘘つきの力が必要だと判断した。上手な嘘のつき方を私に教えろ」


「覚悟……覚悟ねぇ……」と古賀は少し思案を巡らして、それから尋ねた。「そこまで言うなら、マルス伯領姫とかいう大層なご身分と、立派なお城を捨てる覚悟もあるんだろうな」


「無論だ。私の目的は2つ。マルスの民が戦争などという馬鹿馬鹿しい騒ぎで傷付かぬこと、そして、私自身が自由であることだ」


 顔をしかめながら、古賀は言った。


「なら、その貴族的な言い回しを改めろ。ここで騒がれてもかなわん。ついて来るなら勝手にすれば良い。だが、私に誠意や親切さを期待するなよ。何せ私は、ご想像通りの悪党だ。機会さえあればいつでも裏切る。それだけは、肝に銘じておくんだな」


 古賀は(きびす)を巡らせ、元来た路地の先を見通すと、その後ろからついて来る、マルス伯領姫ヒルデガルド・キルヒナー・ヴォルフの足音を聞きながら、人知れずほくそ笑んだ。

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