1.働きアリの法則/生粋のドワーフ/野盗
「アル……アレッサンドロ・カリオストロ……」ベッドの中で、裸の女が気怠げに男の名を呼ぶ。今し方目を覚ました所らしい。ウェーブのかかったブロンドの髪が印象的な美しい女だ。
サイド・チェアに腰かけて窓の外を眺めていた男が、その視線を女に向け、手を伸ばすと、女はその手を弱々しく握り、「最高だったわ。アル。すごく良かった」と囁いた。
「私もだよ」と男は答える。
「何考えてたの? エルフの女のこと?」女は男の手の甲に爪を立てた。
「いや、エルフの女性は、あまり欲が無いんだよ。食べ物にも、金にも、男にも。もちろん、例外はあるが。そう、面白いのは、そういう例外的なエルフの女性は、概して私のような優男より、筋肉質な大男の方を好んだということだ。そういうわけで、私はエルフの女性と関係を持つことは無かった。もっとも、私はもっと情熱的な女性が好みだ。例えば……」
「私のような?」
「その通り」
「私、あなたのホラ話大好きよ。悪徳商人から大金を騙し取る話とか、人間の男の子をドワーフの王様にする話とか」
男は笑って女の頭を撫でる。
「だって、夢があるもの。世間じゃ不景気だとか、戦争だとか、私、もううんざりだわ。みんな、真面目な顔で本当の話なんかするのはやめて、夢のような嘘の話をすべきなのよ」
「そう。それが分かる人が、世の中には少なすぎる。ところで、君はなぜ、私の話が嘘だと?」
「だって、あなたが本当に悪徳商人から大金を騙し取ったなら、こうして安宿に泊まって、こそこそ貴族の使用人に手をつけたりするはずないわ。何か、面白い言い訳があるのかしら。夢のある言い訳が」
「そうだな……では、『働きアリの法則』ってご存知かな?」男は女の唇に指を這わせた。
「いいえ、知らないわ」
「アリは群れで食べ物を巣に集めるわけだけど、実に80パーセントの食べ物が、働きアリの中でもよく働く2割によって集められる。残りの20パーセントの食べ物を集めてくるのは、そこそこ働く6割の働きアリだ。残りの2割はどうしたかというと、サボっている」
「それは、『働きアリ』とは言えないわね。『怠けアリ』とでも呼ぶべき? あるいは、『アレッサンドロ・カリオストロ蟻』?」
「なるほど。では、群れの中から、私のようにサボっている2割を集めて新しい群れを作るとどうなるか」
「その中の2割がよく働き始める? 6割はそこそこ。そうでなければ法則とはいえないわ」
「その通り。君は実に聡明だ。では、同じ群の中で、何らかの事情から『怠け者アリ』が働き始めたらどうなるだろう。それも、とても一生懸命、勤勉に働き始めたとしたら」
「ほかのアリが怠け始める?」
「残念。だが、これはまだ誰にも発見されていない法則だからね。知っているのは世界で私だけだ。不正解でも君の名誉は傷付かない」
「正解は?」
「『世の中が、ひっくり返る』のさ。大金持ちの商人は獄中に引っ越し、乱暴者が優しくなって、泥棒の青年が王になる」
「嘘付きも正直者に?」
「それはまだ証明されていない。何しろ、嘘つきの怠け者を働かせるには、『幾ばくか』というより少し多めのお金が必要だ。人間の場合ね」
「じゃあ、貴方はなかなか働き始められないわけね。世の中はひっくり返らない」
「その逆だ。よく働いて世の中をひっくり返すために、今はお金を投資してるわけ」
「それは楽しみだわ。早晩、女たらしも誠実になったりするのかしら」
「残念だが、そこだけはどんなに世界が形を変えようと、ひっくり返ることはない」
「しょうがない男」と女はため息を吐く素振りで戯けて見せた。
◇
◇
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「王様」
ウルカヌス城、王の居室にノックも断りもなく入ってきたドワーフのヘルマン・プライは、ウルカヌス王シンタ・クオンに声をかけた。
「ノックくらいはしてくれてもいいと思うんだ。王妃とイチャイチャしてる時もあるからさ」とクオンが言うと、隣にいた王妃セルピナが、王の背中をしたたか叩いた。
領主館を取り壊し、その敷地に城を建てるのに、彼らは1年半の歳月をかけたが、これはこの世界の一般的な建築技術の水準から言うと驚くべき速さだった。
さらに驚くべきことは、彼らがコンクリートで建物を造る技術を持っていたことだ。この城も鉄骨鉄筋コンクリート造の極めて堅牢な外壁に固められている。
その代わりというべきか、ドワーフたちには意匠を凝らすという感覚がほとんど無い。内も外もコンクリート打ちっぱなしの無骨な造りで、何か装飾があるべきではないかとクオンが意見しても、ドワーフたちは首を傾げるばかりだった。
「テルミヌスでまた小競り合いだ。全く、しょうがねえな。お陰で、マリオ・カヴァラドッシから届くはずだった小麦やらなんやらが大分遅れそうだ」
「こちらから送ったものは届いてる?」
「ああ、そこは問題ない」
「ならまずは良かった。セレスのエルフたちに、空間魔法で輸送を手伝ってもらえないか掛け合ってみるよ」
「それは助かる。連中とは、何となく馬が合わなくてな」
「分かってる。何か手土産があればいいけど」
「何か考えておこう。そうそう、手土産といえば、先日ゴドー卿がフラッと来て、酒を置いてったぞ」
「後堂さんが? 僕のとこにも顔出してってくれればいいのに」
「王と顔見知りと知れると、色々面倒もあるんだろう」
「冷たいなあ……」
「それで、ゴドー卿によれば、マルスとミネルバはまだしばらく膠着状態だという話だ。小さい砦の取り合いで、大きな会戦はなさそうだ」
「そもそも、何をそんなに揉めてるんだっけ?」
「前の選帝侯が、跡継ぎを残さず死んだからだな。選帝侯といえば、このメルクリウス選帝侯国の王様だ。そこで、次の選帝侯を選ばにゃならんわけだが、悪いことにその資格を持つのが2人いた。
それがマルス伯エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフと、ミネルバ伯ルイ・マルシャンだ。まあ、厳密に言やあ、スノッリ辺境伯なんかも資格があるんだろうが、あれはエルフだしな。そういうことには関心がない。
それで、ワシにはよう分からん感覚だが、今この神聖ユピテル帝国の王様、神聖皇帝が空位にある中、選帝侯の椅子の価値は途方もなく高いんだそうだ。皇帝を決める選挙の投票権があるからだと」
「なるほど。分からん!」クオンは放り投げるように両手を挙げた。「王様になりたい2人が、直接ジャンケンか何かで決めればいいのに」
「王様、お前さんはつくづくドワーフだな」
「バカだねえ」と王妃がため息をついたが、その口元には笑みが溢れていた。
◇
◇
◇
「お頭、来ましたぜ」と手下の1人が言った。その視線の先には遠く、馬を駆る兵士たち、数はおよそ30といったところか、街道に土煙を上げ、手に手に打物をかざして迫って来る。
「お前その喋り方、下っ端くせえからやめろっつったろ」ゴドーは苦笑いして苦言を呈した。
「性分ってのは抜けねえもんです」と手下も苦笑する。
大きく実って重たげに身をもたげている麦穂が、折からの風に揺れる。藁葺き屋根の粗末な木造家屋が並ぶ、長閑な農村である。近隣の小さな砦が陥されたため、今まさに略奪の憂き目に遭おうとしていることを除けば。
村の長老だか村長だか、すっかり白くなった髪の毛をハゲ上がった額の上に心許なく風にそよがしている初老の男が、不安げに尋ねた。
「この村を、救って下さるので?」
ゴドーは声を上げて笑う。「悪いが、俺たちは野盗だ。誰かを救ったりはしない。向こうの方が金を持ってそうだから、あっちを襲って奪おうってだけだ。逆ならアンタらを襲ったって構わなかった。
ただ俺は、悪党なりの筋は通す。アンタらが俺たちと一緒にあの連中と戦うってんなら、働きに応じて相応の分け前はやる。集会所に集まって議論をしている暇はねえ。今すぐ決めろ」
そう言い終わらないうちに、村の若い衆は手に手に鍬や鋤といった農具を握り、一団の殺気を放って集まっていた。
「ほら、若い衆は戦うつもりらしいぜ。てめえらの村はてめえらで守る。その気概があるようだ。俺ぁそういうのは嫌いじゃねえ」ゴドーは右手を掲げて声を張り上げた。「弓構え! 馬を狙え! 的も動くぞ! 先を狙え!」
四方の藪から、弦を引き絞る音が聞こえる。「放て!」とゴドーが右手を振り下ろすと弓返りの音と共に、びょうびょうと風を切って夥しい矢が迫り来る騎兵に襲い掛かった。
一方的に農村を蹂躙する腹積りだったミネルバの騎兵たちは、藪に潜んだ伏兵から思いもかけず射掛けられた矢に、まず肝を破られた。
テルミヌスの砦を落とした彼らは、マルスの残党を狩り、その所領の村々を蹂躙する勝者であるとの自負を持っていた。もはや命を賭けて戦う覚悟などはとうに失せ、金と女に目の眩んだ欲望の奴隷である。前衛の騎馬が立て続けに倒れた時点で、脆くも恐慌に陥り、後続はやにわに馬首を巡らし、敗走の姿勢を見せた。
そこに、「退路を塞げ! 一人もここから逃すな!」村の方角から獣の咆哮にも似た叫びが聞こえ、肩を慄かせながら振り返ると、黒鹿毛の三才駒と見える、逞しい駿馬に跨った大男が、分厚い板金鎧に木漏れ日を照り返し、ものものしい鉾を頭上に掲げてまっしぐらに衝いて出る。
それに応えるように、藪の中から雷鳴のような掛け声が上がった。藪に潜んでいた伏兵たちが、弓を剣や戦斧に持ち替えて、一斉に躍り出たのである。
「マルスの残党か?」「いや、統制が取れすぎている!」「新手だ!」などと言い合っている間にも、馬は新たな矢や投石に苛まれ、騎兵たちは次々に落馬する。
その様を隊の中央で見ていた男が、兵たちを大声で叱りつけた。
「怯むな! 隊を組め! 数ではこちらに分があるぞ!」
ところが次の瞬間、村から駆け出して来た大男の鉾がその隊長の首に迫り、咄嗟に差し込んだ槍の柄もろとも馬の上から叩き落とした。
「数では分があるって?」男は馬上から、落馬した隊長を罵るように嘲笑った。
すると、それに続いて地鳴りのような足音とともに、鍬や鋤を手に執った農民どもが、言葉にならぬ叫びをあげながら一心不乱に押し寄せて来る。
「待て! 待て! 殺すな!」と隊長は叫んだ。
すでに藪から飛び出した伏兵たちと、落馬した騎兵たちの間では、前も後ろも分からない乱戦が演じられている。
馬上の男は鉾を掲げて合図した。
「殺すか殺さねえかは、てめえの態度次第だ」




