10.旅が終わる時
結論から言えば、スカルピアの手勢と、ウルカヌスのドワーフとの間に、戦いは起こらなかった。
抜剣した兵長が、瞬く間に子爵を取り押さえたからである。その部下である兵士たちも、兵長に対する忠誠が子爵に対するそれよりはるかに上回っていたものとみえ、これに異を唱える者はいなかった。
「3000のドワーフに、100人そこそこで勝てるわけねえだろ。アホか。アンタ1人で戦いな」と兵長は吐き捨てた。後で分かったことだが、この兵長は、子爵の拙速に過ぎる挙兵に愛想を尽かし、最初から頃合いを見て離脱する腹積りだったらしい。
この兵長もまた、ウルカヌス王の妃候補であるセルピナを拉致し、あまつさえ手を上げた責で、示談の条件として後堂との一騎討ちを強いられ、当然完膚なきまでに叩きのめされることとなったが、子爵に従って無謀な戦いを挑むことと比べれば、賢明な判断だったと言える。
以後、古賀の仲介(その手段には当然いくつかの詐術や書類の偽造も含まれる)により、ウルカヌスはシンタ・クオン伯を王とするドワーフの自治国家として認められ、メルクリウス選帝侯国の領邦国家となった。
スカルピア子爵は身代金と引き換えに直轄領へ送還され、交易は断絶したが、代わりに先代の領主であった、マリオ・カヴァラドッシ子爵直轄領との間に交易が再開することとなった。
驚くべきはその手続きのスピードで、古賀は電話もメールも無いこの世界で、これらの手続きをわずか一週間の間にやってのけ、スカルピアの身代金の一部をその懐に収めた。
「随分不機嫌だな。大分儲かったろう」と後堂は尋ねた。
「『相手が戦わずに金だけ置いて逃げていった』君で例えるならそういう感じかな。久遠で言うと、『金庫の鍵が開いていた』」
「なるほど。まあ、分からんこともない」
無血で明け渡された領主館の庭園で、彼らはグラスを傾けていた。『ドワーフとその友人のための国ウルカヌス』建国記念式典である。
庭園にはおよそ三千のドワーフが詰めかけ、肉だ酒だと大騒ぎを演じ、時折豪快な笑い声がそこかしこであがる。
「今回の案件は、我々の身分以外はほとんど真実だけで成り立っている。こういうのは本来、私の仕事じゃないんだよ」
「嘘が吐けねえとストレス感じんのか?」
「そういうわけじゃないんだが、やってることが普通の給与所得者と変わらないからね。書面にちょっとした誤魔化しを混えることも含めて。
自分で物語を創造していく楽しみっていうのかなあ、私の仕事の魅力はそこだと思っている。
今回は厳然たる事実に従って、至極真っ当な主張をし、それに足りない僅かなパーツをちょちょいと都合したに過ぎない」
「僅かなパーツってのは、異世界から来た人間にドワーフの王様を騙らせることも含まれるのか?」
「もちろん。人間だのドワーフだのということは、大した問題じゃない。帝国の法律に則った正式な手続きの要件は全て満たしてるからね。おかげで、近傍の大領地マルス伯領が、手も口も挟む余地がないときてる」
「面白味に欠けるってか?」
「それ」と古賀は人差し指を後堂に向ける。
「だが、お前のデマカセで泥棒の久遠は王様になった。ホラ吹き冥利に尽きるってヤツじゃねえのか?」
「確かに、久遠は……」と言いかけた時、屋敷の扉が開いた。
領主館に詰めかけたドワーフたちから、地鳴りのような歓声が上がる。
「ああ、アイツはこれで、あがりだ」後堂はグラスを煽ってから笑った。
◇
◇
◇
屋敷の大きな鉄扉が開くと、庭園から注がれる沢山の視線に、久遠は怯んだ。
「スゴいことになっちまったね。ついこの前まで私、泥棒の嫁になる覚悟してたってのにさ」とセルピナが言う。
「いいいいや、僕は、今までと、なな何にも、か、変わらないけど……」
これまでずっと、日陰に生きてきたのだ。喝采と共に迎え入れられる経験など、あろうはずもない。
「口調とセリフが全然合ってないよ。もう、しっかりしな!」口ごもる久遠の背中を、セルピナは平手でしたたか叩いた。「バカだね……」
ヘルマン・プライが朗々とした大音声で歌い上げる。
「この佳き日、我らが『ドワーフとその友人のための国ウルカヌス』に、新しい王を迎え入れる式典を開けたこと、誠に嬉しく思う。
我らが家族にして友人、シンタ・クオンは、遥か彼方の大陸より、大洋を越えてこの地に降り立った、新しいドワーフである。
我らが国、新しいウルカヌスに相応しき王だ。我々ドワーフは王の家族、王の友人として、新王の即位を心より歓迎し、新しい国の平和に身骨を捧ぐことを約するものである。
まあ、とはいえ、ワシが堅苦しい文句を並べても仕方あるまい。我らが新たな王に、お言葉を頂戴するとしよう」プライはそう言って、久遠に目配せをした。「あとは、好きに話せ」
セルピナが久遠の背中を押す。
「僕は……」久遠は、ちょうど背中を押されて2、3歩つまずくように踏み出す歩調と同じような調子で、喉の奥からついて出た言葉を、そのまま話した。
「僕は、多分、長い旅をしていた。まあ、その……色んな意味で。僕は今まで、どこかにたどり着こうとはしていなかったし、帰るべき場所もなかった。
そのことは僕にとって悪いことではなかったけど、セルピナと出会った時、ディスカウが家族だと言ってくれた時、みんなと一緒に戦う決意を決めた時、スカルピアたちを追い払った時、そういう瞬間の一つ一つが、僕を変えてしまった。ここがきっと、僕の家で、帰るべき場所で、たどり着いた先だ。どうやら、そういうことみたいだ」
ドワーフたちから歓声があがる。久遠には何が彼らをそんなに喜ばせたのか分からなかったが、彼らはそういう人たちなのだということも知らないではなかった。
「それで、僕は王様になったわけだけど、だからといって、何かをどうにかしようと思っているわけじゃない。ウルカヌスのみんなは、今まで通り、行きたいところに行き、食べたいものを食べ、作りたいものを作るといい。
それが誰かに邪魔されそうになった時、僕はみんなと一緒にどうしたらいいか考える。王様っていうのがそれでいいのかは分からないけど、僕は僕でやりたいようにやる。それがみんなのためになっている限りは、僕たちの間に義務も権利もありはしないと思うから。
僕が今までしてきた旅に、何かテーマのようなものがあるとすれば、それは『自由』だ。僕は王様だけど自由であるべきだし、みんなも国民だけど自由であるべきだ。
多分、国が国として成り立っていることと、すべての国民が本当に自由であることを両立出来るのは、僕たちドワーフをおいて他にはいない。
僕はこれまで、行きたい所へ行き、やりたいことをやり、欲しいものを手に入れるつもりで旅をしてきたけれども、これまで自分が手に入れたものの中で、今でも本当に失いたくないと思えるようなものなんてほとんどなかった。
今、僕はこの国の家族、僕の奥さんになってくれるセルピナ、そういう人たちを絶対に失いたくないと思ってる。それって、僕には多分、生まれて初めてのことだ」
久遠がそう言い終わるか終わらないうちに、セルピナは驚くべき腕力で久遠を抱き寄せ、唇を奪った。屋敷の土地を埋め尽くすようなドワーフたちから稲妻のような拍手が轟き、地鳴りのような喝采が響き渡る。
「その、それで……ごめん、セルピナ、ちょっと、後で」と久遠が苦笑いしながら言うと、セルピナは追い打ちとばかりに頬にキスをした。
「愛してる」
「僕もだ」とセルピナの耳元に囁いて、また正面を見る。「きっと、そういう、失いたくないものが出来た時、僕らの旅は終わるんだ。僕の友人、人間にしてはちょっと不真面目で、ズルくて、女たらしな僕の友人たちにも、きっとそういうものがいつか、出来ると信じてる」
久遠はそう言いながら、庭園を見渡したが、そこに古賀と後堂の姿は見当たらなかった。
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◇
◇
「なかなか、堂に入った演説だった」古賀は慣れない手綱を握りながら言った。鞍と鎧をドワーフに見繕ってもらい、やっと馬に乗れるようにはなったものの、それでも足元は覚束ない。
「ああ。泥棒だとは思えねえ」と後堂も別の馬の背から肯く。
市門を抜けた彼らの背中には、まだ屋敷の喧騒が、手に取れるようにはっきりと聞こえていた。
「立場が人を作る。彼はもう、王様なんだろう」
「人間の性根ってのは、そう簡単に変わらねえよ。あいつはあれで、なかなかの悪党だ」
「それは、王様であることと必ずしも矛盾しない」
「それもそうだな。王様の地位も、嫁さんも、あいつが自分の手で盗み取ったものだ。俺たちは多少その手伝いをしたに過ぎねえ。
で? お前はこれからどうするよ」と後堂は尋ねて、つまらなそうに掌を見た。
「彼の言葉を引用すれば、私の旅はまだ続いている。君もそうだろう」
「まあな。俺の場合、何か欲しいもんがあるわけじゃねえし、これからもそうだろう。気に入らねえ奴をブチのめしながら、スカッと生きて、死ぬだけだ。それに必要なだけの金が有ればなおいいって話だが、思えば最初の街でぶんどった金がありゃ、派手に遊ぶにしたってしばらく不自由はねえだろう」
「どうだかね。せいぜいタチの悪い詐欺師や泥棒に用心することだ」
「俺の金に手をつけるような奴がいりゃ、地獄の果てまで追いかけ回してブチのめしてやるさ」
「怖い怖い」
「そういやお前、まだ札束は持ってんのか?」と悟堂は尋ねた。かつての世界で、彼らがマフィアのボスからちょろまかした札束のことである。
「元の世界に帰らないとも限らんしね」古賀は懐から、日本円の札束を取り出して見せる。後堂の上着の内ポケットに入っているのと同じものだ。
その時丁度、街道は二手に分かれていた。
「まあ、何にしても、3人ってのは今にして思えば絶妙なバランスだった。それより多いと邪魔くせえし、かといって男2人は気持ち悪い」
「気が合うね。私もそう思っていたところだ」
2人はウルカヌスで得た地図を広げ、コインを投げてそれぞれの行先を決めた。
「じゃあ、また」と古賀が手を挙げると、後堂もそれに応えた。
統一歴1270年秋、メルクリウス継承戦争と呼ばれる選帝侯国の覇権を巡る争いが、激化の様相を見せ始めた頃のことである。
いやに澄んで高い空に、一筋の雲が、炎のように赤くたなびいていた。