9.ドワーフとその友人のための国ウルカヌス、そしてその王
ドワーフの街は更けきった夜の闇の中に、ひっそりと静まり返って佇んでいる。
けたたましく唸りを上げていた巨大な装置は、やがて深い微睡の底に沈んでいくように、その声を減じて、やがて、呼吸を止めた。
ディートリヒ・フィッシャー・ディスカウを筆頭とした技術者の一団が、これから交わされる重要な交渉のために、装置の稼働を停止させたものである。
街の中心部、その巨大な装置の足下には、百人から成る領主の兵が息巻いて、ドワーフたちを、ひいては彼らの暮らす街そのものを睨みつけていた。
中世ヨーロッパの歴史を見れば、ノルマン・コンクエストに参加した兵員が約7000、第1回十字軍のアスカロン攻撃軍が約11000、アザンクールの戦いが英仏両軍合わせて約27000と言われているが、これらは最大級の事例であり、地方領主や土豪が日常的に経験した戦闘は、100名を超えることすら珍しかったと言われる。
従って、子爵の出した百に及ぶ兵員は、子爵の強い憤りと、彼の動員力を誇示するものと見て間違いなさそうだった。
「騎士ならば、騎士の礼を尽くすべし」という書簡を、ドワーフは矢文として後堂に放たせていた。
通常、騎士同士の戦いにおいては、戦いに先立ってまず通告状を送らなければならないという決まりがある。この矢文は、通告状発布におけるドワーフ流の作法のようなものだった。
「ワシらドワーフは、これより始まる戦いの成り行きを、選帝侯国全土へ通達すべく、すでに使者を放っておる」ヘルマン・プライは(彼はドワーフの中では抜きん出て弁の立つ男であるらしい)領主の騎士たちに対し、そう告げた。
正式な手続きを経ずウルカヌスを支配する領主の無法を、選帝侯領全土に晒す準備があるという牽制である。
プライは続ける。「いやしくも、この神聖ユピテル帝国に連なるメルクリウスの騎士たる者が、法の定めも弁えず領民への狼藉を働いたばかりか、あまつさえそれすら我らの返り討ちにおうて、ここまでのこのこ追いすがる羽目になったという恥は、我らも同じ領邦盟主を頂く者として、衆目に憚られる汚辱である。
ついては、此度、我らがウルカヌスのドワーフの主張を貴殿らが聞き入れるならば、我らは四方に放った使者を呼び戻し、此度の顛末を内々に収める用意がある。
そうでないならば、騎士の礼を尽くして剣を抜かれよ。我らドワーフ3000の戦斧が、尋常にお相手仕る」
領主はこれを受けて、隣に侍する兵の1人に顎で指図する。
戦の先触れと見えるその兵は、1枚の書状を広げて胸を反らし、高らかとそれを読み上げた。
「ウルカヌス領は、神聖なる帝国の侵し難き法に基づき、正式な手続きをもって、マルス伯よりその守護を任ぜられた、エウジェリオ・スカルピア子爵の領地である。
従って、子爵と貴様らとの関係は、領主と領民であるという以外の何者でもなく、また貴様らは騎士ではない。
騎士の礼とは、誉高き騎士に対する相互の敬意に基づくものであり、騎士ですらない貴様らに、その理屈は当てはまらない。
貴様らの行いは反乱であり、我らの行いはその平定である」
これを聞いたドワーフは、「何が誉れだ」「俺たちに勝ってから言え」と騎士たちを口々に罵り、気炎を吐く。
「ちょっと待って下さい」と、その横あいから駆け付ける馬に乗り、口を挟む者があった。
ひょろりと背の高い、痩せ型の男である。ドワーフの駆る馬の背に必死の体でしがみつく様は情けないものだったが、馬から降りると背筋を伸ばし、一転、有能な知的労働者の風格を露わにした。
「何用か」と子爵の部下が厳しく問うた。その男が人間であることに、一抹の懸念を抱いたものと見える。
「このウルカヌスの統治につき、この街のドワーフ諸兄と子爵の両人に対してお耳に入れなければならないことが御座います」と男は恭しく言う。口ぶりといい、仕草といい、また濃緑のジュストコールの貴族的な着こなしといい、通り一遍の者ではないという雰囲気に飲まれて、騎士たちはその者の次の言を待つ。
「申し遅れました。何しろ、すわ刃を交えんという火急の折につき、ご容赦願いたい。
私は、ユピテル教皇聖下に代わり、メルクリウス正教会より免許状を賜っております『公証人』ヴィクトル・ルスティグと申す者で御座います。
このほど、ウルカヌスのドワーフと、その領主とされる、子爵エウジェリオ・スカルピア卿の……」
「領主と『される』とは如何なることか!」と騎士の1人が怒声を上げる。
「その由は追って」とヴィクトル・ルスティグこと、古賀 敏景は、極めて平板な言い方で言った。あくまで中立な立場であることを示すためである。「まず前提として、ご確認申し上げたい。
スカルピア卿、また、ドワーフ諸氏、共に神聖皇帝とその神聖なる帝国の家臣、領民として、帝国領土の法と秩序を守り、その平和と安寧とに殉ずる意志をお持ちである。このことに相違御座いませんか」
「無論である」と子爵が直接答え、またドワーフたちも頷いた。
「結構。その上で、この戦の性質が、騎士がその権利と名誉を守るための私闘であるにせよ、反乱とその平定であるにせよ、帝国臣民の剣を執る由は、即ち正義に拠らねばならない。
ではその正義とは何か、それは一つに名誉であり、一つに秩序であり、また平和であり、愛であり、信仰であり、忠誠であり……数え切れない尺度の中で、これらを体系として定めた『法』の遵守であります。
そして、『法』の遵守とは、これによって定められた正式な手続きの履行と言い換えて宜しい。そのことについても、異論は御座いませんね」
古賀は両者が頷くのを確認し、懐から一枚の書状を広げて掲げた。
「これは、私の師である公証人ジャコモ・プッチーニが、教皇聖下より賜ったその職責と職権において公正と認めた、領地の譲渡に関する証書です」
「譲渡だと!」領主は目を丸くして、その書状に食い入る。その目に、公証人の印を見せつけるようにして、再び高く書状を掲げ、古賀はその文面を読み上げた。
「ウルカヌス子爵マリオ・カヴァラドッシは、自身の所領であるウルカヌスにつき、その主たる住人であるドワーフ族に、次の通り譲渡するものとする。
1.統一歴1263年1月1日を以て、『ウルカヌス子爵領』は、『ドワーフとその友人のための国ウルカヌス(以下、ウルカヌスと称する)』と、名称を改めるものとする。
2.ウルカヌスの領民たるドワーフ族は、従前、当該領地子爵が有していたものと同様の範囲において、不輸不入権、及び自治権を有するものとし、その住民の認めるドワーフの王が、これを代理するものとする。ドワーフの王は玉璽を以ってその王たる地位の証とする。
3.上記第2項につき、ウルカヌスのドワーフ王に空位がある場合、従前の当該領地子爵、及びその後任として任ぜられた者(以下、従前子爵等とする)が統治権を代理するものとする。但し、この際、統治を代理する子爵に関し、その方針が、ドワーフ王が空位となる前の統治方針を、大きく逸脱することが明らかである場合、領民は、子爵の統治につき拒否権を有する。
4.従前子爵等は、ウルカヌスの産業について、その維持および発展、特に交易路の確保、適正な価格の設定、顧客獲得に協力する義務を負う。
5.上記第4項の定めるところにより、従前子爵等がその義務を果たす限り、従前子爵等はウルカヌスの製造業・魔石採掘業によって生じた果実(製品、及び魔石)につき、取引の優先権を有するものとする。
6.従前のウルカヌス子爵と、領地を譲渡されたウルカヌスのドワーフは、互いに善良な友人として振舞い、一方に苦難があれば一方がこれを助け、一方に豊かな実りあれば、一方にこれを分け与え、喜びも苦しみも分かち合いながら、帝国領土の平和を願い、またこれに寄与するために努力するものとする。
特に、上等な酒類が入手された場合には、これを進んで振る舞う義務を負う」
古賀はここまで読み上げると、ふう、と息を吐いた。そして、ドワーフの中に、すすり泣きをする者が数名いることに驚いて、しかしそれが表情に出ないように努めた。
「それはあくまで、先代の領主が結んだ契約だろう」と、子爵は反論したが、その顔には明らかな狼狽の色が滲んでいた。
「契約を結んだのは、先代子爵です。しかし、その内容が問題だ。何故なら、あなたは子爵としてこのウルカヌスの『守護を任ぜられた』のであって、『領地の所有権を与えられた』のではないからです。
通常その2つは意味を同じくします。控え目に言っても、そうとらえられる場合が多い。守護を任ぜられた場合、その領地の所有権を与えられたのと同じ効力を発する。しかし、これが既に、『別の誰かのもの』である場合、その限りではありません。
ウルカヌスは1263年1月1日以来、ドワーフのものであり、今や『ウルカヌス子爵領』という土地は、そもそもこの世に存在しないのです。
マルス伯は、先代領主から、彼の持っていないものを取り上げて、それをあなたに手渡したということになる。つまり、あなたはその限りにおいて、何も与えられてはいないのです」
子爵は奥歯を強く噛んで、わなわなと肩を慄かせた。
「待て待て」と騎士の一人が進み出る。久遠を袋叩きにした憲兵たちのリーダーと見られる男である。「ウルカヌスのドワーフ王に空位がある場合、子爵が統治権を代理することになっているはずだ」
「その通りです。仰る通り。ウルカヌスのドワーフに空位がある場合。しかし、現在、ドワーフの王は空位ではない」
そう言って、古賀はドワーフたちの群がる人だかりの奥を、手で示した。
彼が示す先にいるのは、ドワーフにしては背が高く、そして痩せた、人間にしては背が低く、特に痩せても太ってもいない、童顔で頬の丸い男だった。
「シンタ・クオン伯、こちらへ!」と古賀は高らかに声を張り上げた。
久遠はその指示に従って、ドワーフの人だかりを分け決然と前へ出る。
「馬鹿な! 人間ではないか!」と子爵が喚く。子爵は久遠が、彼の頭を瓦でしたたか殴りつけた男だとは気付いていないらしかった。「しかも子どもだ」
「彼はこれで大人なのです。そしてドワーフだ。背の低い太った人が必ずしもドワーフでないように、背が高く痩せている人が人間だとも限らない。そもそも、ドワーフを定義付ける、明確な基準などこの世に存在しません。人間もまたそうであるように」古賀は愉快そうにそう言うと、久遠に向かって尋ねた。「あなたはドワーフで相違ありませんね」
「その通り。僕は、ドワーフの街でドワーフの飯を食べ、ドワーフの女の子を愛するドワーフだ」久遠は胸を張って言った。
「結構。エルフであるか、ドワーフであるか、人間であるかなどということは、あくまでその自認によるところに過ぎません。ただし、王は別だ。法に定められた形式に則らなければならない。そして、その形式は、この公正証書に明記されている」
子爵はその言葉に勢いを得て「その通りだ。形式。形式だ。王が王と証されるためには、当然相応のレガリアが……」と捲し立てる途中、はたと気付いたように、懐をまさぐった。
「子爵の仰る通り、証書には、玉璽を以って王の証とするとあります。それは、神聖ユピテル帝国の前身である古代クロノス帝国の時代に、その領邦国家であったウルカヌスのドワーフ王が代々受け継いで来た由緒正しい玉璽です。クオン伯、例の『筐』を」
久遠は腰の道具袋から『筐』を取り出して、古賀に手渡した。子爵の頭を瓦で殴ったその隙に、子爵の懐からスッたものである。金属で出来た手のひら大の、立方体の箱で、全ての面に幾何学模様の溝が刻まれている。
「貴様! 何故その『筐』を……」子爵が噛み付くように喚くのを、古賀は横目に睨んだ。
「これは、異なことを。これはドワーフ族が代々受け継いで来たものですよ? まるで、貴方の手にあることが当然のように仰いますが、何かその理由が?」
子爵は答えなかった。それも当然である。これはセルピナの父、ペルゴレージが亡くなった時、その遺品から盗まれたものなのだから。
「ではクオン伯」と、古賀はその『筐』を久遠に返す。「『玉璽を持つ』ということは、単にそれのみを意味するのではありません。この『筐』を開けることが出来る、そのことを以て、王の証とするのです」
久遠は『筐』の表面の細工を一通り眺めると、その表面に組まれている板をパズルのようにずらし、またはめて、一枚一枚操作していった。これは日本の伝統工芸である寄木細工の『秘密箱』と同じ仕組みのものだ。
その箱は、間もなく蓋を開け、中からは、象牙で彫られた玉璽が取り出される。
ドワーフと子爵麾下の騎士たち、双方からどよめきが起こる。
「これで、クオン伯がウルカヌス王であることを証するレガリアを持つことがはっきり致しました。そしてもう一つ。証書にはこうもあります。『その住民の認める』と。ウルカヌスのドワーフ諸氏に問う。彼、シンタ・クオン伯を、王と認めますか?」
古賀がそう言い終わるか終わらない内に、螺旋街道を埋め尽くすドワーフの群れから万雷の拍手と歓声が、夜の闇を破るような勢いで沸き起こった。
「宜しい! ではこれを以て、公証人ヴィクトル・ルスティグは、シンタ・クオンを王と認め、然るべき手続きをとる」
古賀は高らかに宣言したが、子爵は冷ややかな視線を彼に投げ、そしてやはり、その眼差しに似つかわしい、冷ややかな声で言った。
「ルスティグ卿、一つ、卿には忘れていることがある」子爵は片手で百からいる部下たちに合図を送る。子爵に率いられた騎士たちが、剣の柄に手をかける。「私が百を超える騎士を伴ってここにいるということだ」
「それは、帝国の法を破り、その定めに基づく正式な手続きを反故にする意志をお持ちだということで宜しいですか」と古賀は問う。
「正式な手続き?」子爵は嘲笑した。「とんと記憶にない。それを証明する書面も、レガリアも、公証人も、ドワーフの王も、ここには始めから何もありはしなかった」
兵たちの長が剣を抜き、夜空を突くように掲げた。「総員、抜剣!」




