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7.怒れるドワーフ

 ディスカウの家の前には、街中のドワーフが殺到していた。憲兵たちの去ったすぐ後、払暁の螺旋街道は、怒れるドワーフで埋め尽くされている。


 ディスカウは、自分の家の屋根に立ち、大声を張り上げる。手には高く斧を掲げている。


「奴らは勘違いをしておる。ワシらが歯向かいもせん腰抜けじゃと。

 ワシらドワーフは、細かいことにいちいち目くじらを立てん。多少税金が高かろうと、ワシらの物をいくらか欲しがろうと、大概のことには目を瞑ってやる。

 だが、奴らは、ワシらの街の娘を拐い、ワシらの家族を傷付けた。クオンは、ドワーフの娘に惚れ、それがために我が身も顧みず憲兵どもに立ち向かった、ワシらの家族じゃ。

 この上は、手前の糞がどこに行くのかも知らん猿どもに、怒れるドワーフとは如何なるものかを見せてやらねばならん。

 ワシは手前が多少傷付けられようが、街の平和を思えばこそ、勇ましい街の若い衆を宥めてきた。

 セルピナもそうじゃ。父親のペルゴレージ同様、この街の平和を願い、戦う力を蓄えながらも戦いが起きんように心を痛めておった。

 この戦で、ウルカヌス領主を名乗るスカルピアのアホをぶち殺したら、次はマルスが攻めて来るじゃろう。マルスを叩き返せば、次はミネルヴァじゃ。

 知ったことか! 心優しい娘を拐い、クソみたいな戦争にワシらを巻き込まんとするクソ共、皆まとめて便所の穴より深い奈落の底に叩き落としてやる!

 者共! 戦斧(おの)を持て! 目に映るものは皆叩き壊して、奴らを地獄に案内してやるのじゃ!」


 螺旋街道にひしめくドワーフたちの群れが、人とも獣ともつかぬ咆哮を上げる。街の巨大な機械の唸りさえ覆い尽くして、ドワーフたちは吠え荒ぶり、猛り狂った。


 大きな螺旋のうねりとなって腹の底を震わせるその大音声(だいおんじょう)を背に、ディスカウは梯子を下って屋根を降りる。見ようによっては、そのお尻の動きがコミカルだったが、街道で叫びを上げるドワーフたちは気にならないみたいだった。無論、久遠もそうである。


 憲兵たちの袋叩きにあいながら、かすり傷と軽い打撲で済んだのは、セルピナのくれた魔石の加護によるものだという。彼女を必ず救い出す。


「僕も戦うよ」と久遠は言った。「武器が欲しい」


「そうか……」と言いかけたディスカウの肩を後堂が押さえて首を横に振った。


「違うだろ、久遠」と古賀が言う。


「違わない。僕は、ドワーフの街で、ドワーフの料理を食べて、ドワーフの女の子を好きになった。僕はもう、ドワーフだ。みんなと一緒に戦う」


「まあ、そう鼻息を荒げるな」と後堂も久遠をなだめる。


「君がドワーフか人間か、そんなことは大した問題じゃない。だが、君には君の『やり方』ってもんがあるだろう」古賀は自分の皮袋から一枚の紙を取り出して、「時に、私の手元にはこういうものがあるんだが」とそれを広げて見せた。


 建物の間取り図のようである。


「領主館?」


「そう。呆れたことに、連中は領主の館をドワーフに建てさせてる。その図面が残ってた」


 久遠の目の前に後堂の太い人差し指が映った。後堂は財布の紐を引っ掛けるように、その人差し指を曲げた。「囚われのお姫様を盗み出すんだぜ。久遠」


「どんなお宝も目じゃない」古賀が久遠の肩を叩いた。






 久遠は食堂のテーブルに図面を広げて、方向や角度を変えながら、それに見入る。ドワーフは何かにつけていい加減な種族だが、図面だけは正確だ。


 平面図と立面図から梁や柱の位置を読み、侵入ルートや身を隠せそうな場所を想像する。見張りを置くならどこか、屋敷の主人はどこにいるか、そして宝の在り処は。


「ディスカウさん、先代の領主とはかなり仲が良かったとか」と古賀がディスカウに尋ねた。


 ディスカウは頷いた。「あの男はいい奴じゃった。ただこのご時世に、反戦論者だったからな。失脚してしまいおったが」


 古賀は懐から一冊の手帳を取り出す。「地下室から出てきた手記に、当時の様子が詳しく書かれています」


 ひどく古びたもので、表紙が手垢で汚れている。


「奴はよくここへ来ておった。頭のいい男だったからな。ドワーフの技術を自分の直轄領に流用することを考えとった。結局、金の問題で頓挫したようだが。人間というのは金がなければ物を作らんからな」


「そのようですね。ここにも書かれている」そう言って、古賀は手帳のページを繰り、その中の一節を読み上げた。


「ドワーフの社会と人間社会の決定的な違いを一つ挙げるとすれば、彼らはあらゆる労務につき、必ずしも相当の対価を求めないということである。


 彼らにとって、物を作る、あるいは直すということは、例えば人間が歌を歌い、踊りを踊るような、文化活動や自己表現に近いものである。


 これは人間の職工にもしばしば見られる気質ではあるが、ドワーフの場合、その度合いが極端であり、彼らにとっての『適正な労働の報酬』は、『その時自分が必要としているもの』を上回ることはない。


 そして、彼らの生産力は、一般的な水準で生計を維持するのに必要な賃金をはるかに上回る。


 『ドワーフの技術を我が領に持ち帰り、これを再現することは、物理的には可能であっても、経済的には不可能である』私がそう結論付けた、最大の理由はこれであった。


 彼らドワーフの社会構造(あるいは世界観と言い換えてもよい)を端的に表現するとすれば、『能力に応じて働き、必要に応じて受け取る』とでもいうべきものである。


 これを人間社会で実現するためには、我々人間は、我々が当然と考える一つの観念を、完全に捨て去らなければならない。つまり、『正当な権利は保全されるべき』という考え方である。


 彼らに『権利』という概念は無く、しかしそれがゆえに、自ら欲するあらゆる権利を有している。彼らの欲する権利とは、最低限の生計の維持を除けば、『好きなものを、好きなように作る』というものであり、その『好きなもの』とは使い手の役に立つものであって、『好きなように』とは使い手の役に立つようにということである。


 即ち、この点において、権利と義務はその境目を無くし、権利という概念はその意味を失うこととなる。


 これは、少なくとも現在の時点において、人間には実現の不可能な精神性であると言わざるを得ない」


「こいつ、お前に似てるな」と後堂が言った。「要するに、同じもんを人間に作らせたら、どエラい金が掛かるってことだろ。長えんだよ」


 古賀は頷きながらもまた別のページを開いて、「私が気になったのは、このウルカヌスの統治に関する、彼の考えだ」と切り出した。


「今のは前置きだったってこと?」図面を読みながら片手間に聞いていた久遠もさすがにこれには呆れて声を上げた。


 古賀はそれには答えず、手記を読み上げる。


「ドワーフは社会を維持するということに、あまり関心を払わない。なぜならば、彼らは彼らの社会を維持することに、あまり多くの労力を必要としないためである。


 人間にとって、社会の維持とは、言い換えれば正当な権利義務の保全である。人間社会においては、正当な債権債務が滞りなく履行されている状態をもって、『社会が維持されている』ということができる。しかし、我々人間は常に、『債務はより少なく、債権はより多く』ありたいと願っており、『時々』というにはやや多い頻度で、『そのためには他人の権利を害しても構わない』とさえ考え、また事実そのように振る舞う。


 これによって、我々人間は、他ならぬ我々自身の手によって、社会の維持を妨げるのである。


 従って、社会の維持をあずかる者は、このことを承知の上で、我々人間自身を律する仕組みを作り上げることが求められる。


 一方、ドワーフは『権利』という概念を持たないために、そうした社会維持に労力を払う必要がない。権利義務を記録する必要がなく、『誰がいつ生まれ、誰に何を譲り、あるいは受け取り、誰と婚姻し、何人の子供を産み、どこへ行き、いつ死んだか』ということの全てが、当事者同士の了解で足る。


 ドワーフのこうした気質は、人間社会とは相入れないものであり、また人間の手によるドワーフの統治を極めて困難にする。


 彼らが統治者に求めるものは、たった2つのことである。


 1つには、彼らが生活し、物を作ることを妨げないこと、出来れば、その手助けになること。もう1つには、親密であることである。


 友人として考えるならば、彼らほど付き合いやすい人たちは、そういるものではない。ただし、人間の一領地として考えるならば、彼らほど統治しにくい種族もまた、存在しないと言える。


 戸籍がなく、帳簿を付けず、農耕をせず、年齢や出来高や金貨の枚数を数えないという点において、彼らは極めて統治の困難な種族であると言わざるを得ない」


 喋ることを仕事にする者特有の、よく通る声を聞いているうち、気付けば久遠は図面を見ていた視線をその声の主に向けていた。


「人間とドワーフの違いはよく分かった。お前がそのことに関心をもっていることも。確かに、学者じゃなくても興味深い話だとは思うが、それは今言わなきゃいけないことか?」と後堂は言う。全くの正論だ。


「いや、今のはほんの前置きだ」と古賀は涼しい顔で言う。


「まだ前置きなの?」久遠は辟易した。


 彼は長話をすることで、人をおちょくるようなところがある。


「先代の領主は、ドワーフの統治は人間のやり方でやるのは困難だと考えていた。そればかりか、このウルカヌスはドワーフ自身の手で統治されるべきだと考えていたんだ。

 ドワーフが度々王様を決めようと話し合いを持ったのは、彼の勧めがあったからですね?」古賀はディスカウをうかがう。


「その通りじゃ。しかし、誰もやりたがらんかった」


「そのことに、先代の領主は頭を悩ませていた。セルピナの父であるペルゴレージとも、頻繁に意見を交換したらしい。ペルゴレージはドワーフにしてはかなり几帳面で、人間との橋渡しを期待されていたが、魔石鉱の採掘を指揮するのに手一杯で、街の統治など考えられる状態ではなかった。

 しかも悪いことに、ドワーフの持つ魔石採掘や工業といった利権が、マルスの別の貴族の目につくことになった。これを知ったペルゴレージは、反マルスに先鋭化していき、先代領主との交流も疎遠になっていった。

 本題はここからだが、先代領主はこの時一つのアイデアを思いついた。それは、ウルカヌスの統治権を代理のものとし、ウルカヌスに然るべきドワーフの統治者が現れた場合には、統治権をその者に譲る代わり、魔石や工業製品の取引について優先権を得るという約束だ。

 ロクに帳簿もつけない人たちに税金を課して取り立てるより、ドワーフの作る質のいい製品を安く大量に取引出来るほうが、ずっと儲かる。それが出来るくらい自分とドワーフは親密だという自信もあっただろう」


「つまり、その約束を担保する書面が何処かにあるってこと?」久遠は古賀に詰め寄った。


「いや、書面はすでに目処がついてる。問題となるのはレガリアだ」


「レガリア?」と久遠が首を傾げる。


「そう。例えば王冠や錫杖(しゃくじょう)玉璽(ぎょくじ)のような、王であることを証明する物だ。ときに久遠、こういう『(はこ)』があったら、君は開けられるか?」古賀はそう言って、また一つの図面を胸ポケットから取り出した。


 久遠はその図面を広げて眺める。手のひら大の、小さな箱の設計図らしい。


「鍵の掛かった『筐』、しかし、鍵穴はどこにもない」古賀は言った。


「何だそりゃ、とんちか?」後堂も横から図面を覗き込むが、何がなんだか分からないといった風に腕を組む。


 久遠はその構造に一通り目を通すと、言った。「僕に開けられない鍵はない。鍵穴なんてなくてもね」


「その言葉を待っていた。その筐の設計者こそ、ジョン・バティスタ・ペルゴレージだ。私は一つ読み違いをしていた。君の恋人は、契約の鍵だったのではない。レガリアの鍵だったんだ。しかし、連中もまた読み違えている。こちらに、どんな鍵でも開けられる魔法の合鍵があるということを。君が盗むべきものは2つだ。一つは、囚われのお姫様。もう一つは、その筐だ」


「だが、結局ドワーフに王がいなけりゃ一緒だろ?」と後堂が顔をしかめた。


 古賀は愉快そうに、ほくそ笑んだ。悪巧みの顔である。「私に、一つとっておきのアイデアがある」




 ◇


 ◇


 ◇




 夕方、3人の悪党は、段取りについて確認する。


「明日の日の出がリミットだ」と後堂が言った。ディスカウの甲冑を着込み、腰の剣に手をあてる。「それまでに合図がなければ、ここは戦場になる。もっとも、そこから先こそ俺の領分だ。他人のものに手を出すとどういう目にあうか、とっくり教えてやるだけの準備は出来てる。今朝からこの日暮れまで、これだけの準備を整えたドワーフたちの士気の高さには恐れ入るぜ」


「他人のものに手を出すという点では、我々もあまり、とやかく言える立場じゃないけどね」今朝から教会へ行っていた古賀が、そう言って手に持った書状を掲げる。「こちらも準備は整った。明日の払暁(ふつぎょう)、一発勝負だ。それまでに人質のセルピナが解放されていることが、成功の鍵になる。後は、私の策が上手くいくことを祈ってくれ」


 西の空は赤々と燃えながら、ウルカヌスの街を照らしていた。浅い眠りにつく獣の寝息のような街の唸りが、その眠りを妨げる者に怒りを吐き出すように、一層強く咆哮をあげた。


 久遠は強く拳を握る。


 彼女を救うためなら、僕は悪党で構わない。


 ここから先は悪党の時間だ。

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