6.Love the way you lie
「──それでね、そのゴドーさんっていうのが、エルフに鎧を造ってもらったんだけど、それがまた、なんていうか、派手でさ。僕可笑しくって。でもディスカウ爺さんの造ったのは、似合ってたな。無骨で、ゴドーさんのキャラにもピッタリって感じで……」
久遠は自分の心の中に、勇気の欠片を探しながら、他愛もない話を続けた。
「その胸当てと手甲も、ディスカウの爺さんに?」とセルピナは、真新しい久遠の胸当てを指して言った。ディスカウは、久遠にも胸当てと手甲を作ってくれていた。地下室を片付けた礼だという。
「うん。どうかな。お洒落でするものじゃないとは思うんだけど。嬉しくって。変じゃない?」
「似合ってる。でも……」とセルピナは俯く。薄くなった月の光がその顔に影を落とした。「そんなものがなくても安心して歩ける世の中になれば良いのにね」
「セルピナも魔物と戦ってる」
「アンタは戦士じゃない」
「でも、本当に欲しいもののためなら、僕は危険にも足を踏み入れるよ。ずっとそうしてきた。戦わないけどね。隠れたり逃げたりしながら、欲しいものを手に入れるんだ。僕はそういうやり方があってもいいって思ってる」
「クオン盗賊団?」とからかうように、セルピナは笑う。
「セルピナ、聞いてくれる?」
「何でも言ってよ。私はアンタのことを知りたい」
久遠は強く拳を握って自分を勇気付けた。夜は白み始めている。
「僕、泥棒なんだ」
「それは、どういう意味で?」
「本当に、ただ、そのままの意味で。人から盗んだお金で生活してる」
「じゃあ、盗賊団っていうのは、方便じゃなかったってこと?」
「いや、僕だけだ。彼らとは、たまたま、同じ故郷からここに流れ着いた」
「じゃあ、この街でも盗みを?」
「ううん。プライやディスカウやゲルダが親切にしてくれたから、そんな必要はなかったし、僕は盗む相手を選ぶんだ」
「例えば、悪人から盗むとか?」
「そう。でもそれは、正義のためじゃない。悪党は金を身近に隠すし、盗まれても訴えられないからだ」
「どうしてそのことを、私に?」
「僕は、セルピナのことが、好きだ。だから、嘘を吐いたままでいたくなかった。例えば、これでセルピナが、僕のことを憲兵に突き出したとしても、嘘を吐いたままでいるよりずっといいって思ったんだ」
「私は、人が人を好きになる時って、何か理由が必要なんだと思ってた。顔がいいとか、自分に何をしてくれたとか、匂いが好きとか。でも、そういうことじゃなかったみたいだ」
「僕も同じだ。初めて会った時から、セルピナのことが好きだった。理由なんて、別になかった」
「私もアンタが好き。アンタが泥棒でも、嘘つきでも好きだ。参っちゃうよ。きっと、アンタが私を傷付けたら、私はその傷付け方を好きになるし、アンタが私を騙したら、アンタの嘘が好きになる」
窓の外、そのわずかな隙間の向こうに見えた空は、明るく白み始めていた。
もう、悪党の時間は終わる。
「僕は、泥棒をやめようと思ってる」久遠はセルピナの顔を真っ直ぐに見つめた。「この生き方に後悔しているわけじゃないんだ。やりたいようにやって、行きたいところに行き、欲しいものを手に入れる。僕はそういう生き方が好きだった。
でも、このまま君と一緒になるわけにはいかない。僕はセルピナが好きだ。だから、セルピナのためなら、そういうものは全部捨てたって構わない」
「もう……」セルピナは呆れたように、腕を組んだ。「バカだね……」
そう言って顔を背けた彼女の頬は赤かった。
久遠は恐る恐る手を伸ばし、そっと、彼女の頬に触れた。
その時である。唐突にバタバタと駆け寄ってくる無数の足音が、窓の外、横道の路地裏からたったと思うと、この空き家の階下、扉を蹴破る音がけたたましく響く。
「何?」久遠は一瞬訳も分からず立ち尽くしたが、階段を駆け上がる足音にその主が何者であるかを理解した。憲兵だ。
不意に強い衝撃を受けて久遠は突き飛ばされたのだと気付く。セルピナが彼を両手で押したのだ。
「クオン、逃げな」
「ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージの娘、セルピナ。連行する」憲兵の1人がそう叫んだ。
久遠はある種の怒りを感じて、飛びかかるようにセルピナの腕を掴んだ。
「僕をナメるな。一緒にだ」
セルピナの手を引き、駆け出す。
「逃げるぞ! 回り込め!」憲兵が叫ぶ。
久遠はフックを窓の外に投げる。フックが頭上を縦横に走るパイプの一つを飛び越えると、器用にロープを繰り、フックに絡ませそのまま滑るようにパイプの上まで登った。近くの屋根に飛び移り、足場のある適当な欄干にフックをかけ直して、窓から手の届く位置にロープを垂らす。
「登って!」とセルピナに言う。
辻々から足音と怒声に近い声が湧く。「逃すな!」
セルピナがしがみ付くロープを、久遠は両手で掴み、腕も千切れよとばかりに力を込めて引く。ドワーフは重い。しかし相手が女性である場合、それを声に出すべきではない。
セルピナも必死にロープを手繰り、欄干に手を掛ける。久遠は彼女の手を掴み、奥歯を食いしばって彼女を引き上げた。
「ドワーフの脚じゃ、逃げきれない。私が足止めするから」とセルピナは言う。
「セルピナ、僕を説得しようとしても無駄だ。僕は1人じゃ逃げない」
「アンタには関わりのないことなんだ。巻き添えに出来ない」
「そう。僕には関係ない。この街で何が起こっていようと、君の立場がどうであろうと、そんなの知らない。僕は君を連れて逃げる」
そう言って、久遠はまたセルピナの手を握り、引いた。が、その手は深く地中に根を張った大木のように、ピクリとも動かない。次の瞬間、今度は反対に、強く引っ張られて久遠はセルピナに抱き寄せられた。
「魔石鉱の坑夫は、魔物と戦いながら人間に反抗する訓練をしていた。私はそのリーダーの娘だ」
「亡くなったお父さんが?」
「ああ。私はただ、その娘だってだけなのにね。私にも、領主や憲兵が何を考えてるのかは分からない。ただ、連中は私を捕まえようとしていて、私といればあんたも捕まるのは確かだ」
そう言うとセルピナは、久遠の胸ぐらを掴み、そのまま片手で放り投げた。
その腕力に感心する暇もなく、久遠の身体は宙を舞い、そのまま二軒先の屋根の上に背中から落ちた。肺の中の空気が空っぽになって、上手く呼吸が出来ない。
霞む視界の端で、セルピナは屋根から飛び降りた。強く地面を踏む音がして、それから彼女の叫びが聴こえる。
「ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージが一人娘、セルピナ・ペルゴレージはここだ!」
やめろ、セルピナ、と叫びたかったが、声が出なかった。屋根の上を這い、彼女の声を追って地上を見下ろす。
ドワーフの街が目を覚まし、何事かと窓や戸口が次々に開いた。
螺旋街道に出たセルピナを追って、憲兵たちが殺到する。
窓や戸口から次々に罵声が響く。「ドワーフの街で何をしとるか!」「自分の土地へ帰れ、人間ども!」
憲兵の一人が手を打って、声を上げた。「よく聞け! ウルカヌスは、次期選帝侯であらせられる、マルス伯の縁者、スカルピア子爵の領地である。
この街の技術の供出を拒む貴様らに、金納をもってこれに代えるとする、寛大なる処置にすら反抗し、地下で武装をしておる事実も子爵は見抜いておられる。
ただし、スカルピア子爵は寛大なお方であり、またこの娘をいたく気に入っておられる。ドワーフにしては、見れた女だとな。
従って、この娘を婚約者として招かれた。黙って見ておれば、悪いようにはならん」
「無理矢理拐って、何が婚約者だ!」「エロ貴族が! 帰れ!」ドワーフの住人たちは次々に罵声を浴びせながら、街道に出る。
「アンタたち! 手を出すんじゃないよ!」とセルピナは叫んだ。
久遠は震える膝を拳で叩く。
奥歯を食いしばると、そのまま足音を忍ばせて、パイプを渡り、セルピナのいる街道の頭上まで出た。
憲兵たちは頭上の久遠に気付いていない。
声を張り上げて講釈を垂れていた憲兵が、ため息をついた。
「あのなあ、お前ら、よく考えろよ。さっきは堅苦しい言い方をしたから、勘違いしたかもしれねえが、俺はあまり真面目な憲兵じゃねえ。その代わり多少融通は効く。ドワーフの反乱があれば、当然俺たちは戦わなきゃならん。そのドサクサで、うっかりこの娘を殺しちまったとしても、そんなことはこのご時世じゃよくある話だ。そういう融通を効かせなくて済むとありがたいがな。
いいか? ここで戦えばお互い無事じゃ済まねえ。この娘はそうならないように、大人しく俺たちについて来るって言ってんだよ。良い話じゃねえか。
子爵も、この娘がいれば、お前らの反抗的な態度にも、お目こぼし下さるらしいぜ。俺個人としちゃ、どうかと思うけどよ。色んな意味で」
「卑怯者!」セルピナは憲兵の顔に唾を吐く。
憲兵はそれを手で拭うと、平手でセルピナの頬をしたたか打った。
街の辻々から一層の罵声が飛び交うが、そこから踏み出す者はない。
ドワーフが戦う姿勢を見せるならば、セルピナを殺すと言っているのだ。
久遠はパイプを飛び降りた。下にいた憲兵の一人を踏みつける。首をおかしな方向に曲げた憲兵はそのまま崩れるように倒れ、足場を失った久遠も折り重なって倒れ込む。
混乱して列を乱す憲兵たちの輪を逃れようと、身体を起こしかけた久遠の背中は上から踏みつけられた。無数の足に蹴り付けられ、口の中や鼻の奥から血の味と匂いがする。
顔だの腹だの場所を選ばず憲兵たちは久遠を踏みつける。
「やめろ!」とセルピナの叫びが聞こえるが、憲兵たちに囲まれて、彼女の姿は見えない。
「お前、ディスカウのところにいたっていう、盗人か?」憲兵の長と見える男が久遠を見下しながら、手を伸ばして久遠の髪を掴んだ。
「セルピナを放せ」と久遠は言う。
「お前、話聞いてねえのかよ」憲兵は久遠に顔を近付けて、小声で囁いた。「この娘は子爵のお手つきになるんだ。まあ、実際は人質だろうな。娘の安全を担保に、この街の真ん中にある機関を掌握する」
「戦争するなら、お前らで勝手にやってろよ。彼女やこの街を巻き込むな」久遠は憲兵を睨む。
「分かってねえな。戦争ってのは嵐みてえなもんだ。一旦始まっちまえば、誰が巻き込まれるかなんて、コントロール出来る奴はいねえ。始めた当人でさえな」
「ドワーフたちが、黙って従うとでも思ってるのか」
「さあね。黙って寄越すモン寄越しゃ、それに越したこたぁねえが、そうでないなら街ごと潰すだけだ。これはもうウチの領地だけの話じゃないんでね」そう言って、憲兵は放り投げるように掴んだ髪を離し、そのまま仰向けに倒れる久遠を見下した。「お前、ディスカウと繋がってんなら、あのジジイに言っとけ。のらりくらりでいつまでも煙に巻けると思うなってよ」
「クオン!」セルピナが久遠の元に駆け出そうとしたが、周りの憲兵がそれを3人がかりで押さえつけた。
「僕は平気だよ」と久遠は言って、それから、声を出さずに口を動かした。
必ず助けに行く。
馬車が街道を駆けて、近くに停まった。それとほぼ同じくして、憲兵たちが慌ただしく身構え、そのうちの1人が声を上げた。
「アイツです!」
声を上げた男の視線の先に目をやると、身の丈190センチはあろうかという大男が、段平を握って駆け寄って来る。
「久遠!」
「後堂さん……」
「退くぞ」と憲兵の長が指示すると、憲兵たちは馬車にセルピナを無理やり押し込んで、自身もその馬車に乗り込んだ。「やべぇやべぇ。たまにいるからな。馬鹿みてえに強えのが。相手にするな」と呟きながら、馭者に馬車を出せと命じる。
後堂の足でも全速で駆けていく馬車には追いつかない。
後堂は久遠を担ぎ上げ、呆れたように言った。「バカかよ。あの人数の兵隊に敵うわけねえだろ」
「セルピナが拐われた」
「見りゃ分かる」
「好きに生きる……」と久遠は呟いた。「行きたい所に行って、やりたいことをやる」
「ああ」後堂は静かに応えた。「そして、欲しいものを手に入れる」
「鎧、カッコいいね」
「ああ、甲冑もそうだが、中に着込んだ服、アラクネっつったか? 蜘蛛の魔物から採った糸で出来た布は鎖帷子より軽くて丈夫、刃も通さねえんだと」
「後堂さん、僕には今、やりたいことがある。後堂さんは、次にしたいこと、決まってる?」後堂の肩に担がれたまま、久遠はそう尋ねた。
「別に。付き合ってやってもいいぜ。多分、古賀もそう言うだろう」




