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4.ドワーフという人たち②

 久遠は身体を風に晒して、夜の街の空を音もなく駆け抜ける。


 話が大分ややこしくなって来た。


 ディスカウの奥さんであるゲルダがセルピナに届ける料理を作っている間、ドワーフたちに聞いたところによると、どうやらこの街には、魔石や鉄などの地下資源、ドワーフの金属加工産業など、領主がまだ掌握出来ていない手付かずの利権がゴロゴロ転がっているようだった。


 特に『おおよそ無限機関』に使われている魔石は、街全体の動力源となる強力なもので、これを兵器利用出来れば莫大な戦果が期待出来る。


 セルピナの亡くなった父親であるジョバンニ・バティスタ・ペルゴレージと、先代領主との間で交わされた何らかの契約が、こうした利権を手に入れるのに役に立つか、あるいは邪魔なのではないか、というのが古賀の見立てだった。


 そして契約の効力を発揮するにも、契約そのものを破棄するにも、何か鍵になるものがあって、その鍵を握っているのがセルピナだ。少なくとも領主はそう考えているのではないか。


 塀を飛び越え、欄干をよじ登り、屋根を転がり、パイプの上を渡りながら、「苦手だなあ、こういう話」と久遠は呟く。頭がこんがらがってくる。こういう時には身体を動かすのが一番だ。


 セルピナが隠れている空き家のすぐ隣の屋根に着くと、久遠は張り出した庇の縁まで出て、窓を軽く2回叩いた。


「退屈過ぎて死にそうだったよ」窓を開けるなりセルピナは嬉しそうに言った。


「ごめんね。時間がかかっちゃって」


 久遠は腰に提げたエルフの魔法の革袋から、布の包みを取り出した。中にはベーコンとチーズを挟んだパンが入っている。


「ありがとう。お腹がペコペコだった」


 階下に降りると、窓を閉め切った部屋は蝋燭が一つきり、それ以外に彼らを照らすものはなかった。


 街はごうん、ごうんと絶えず唸っていたが、昼間はその合いの手を打つように聴こえていた槌や歯車の音は、夜が更けるにつれその数を減じて、やがて一つ残らず消え去った。


「ディスカウのところで、色々話を聞いてきたよ。どうやら君のお父さんは、ドワーフの王様候補だったみたいだね。この街の利権について先代の領主と何か約束していて、その鍵を君が握っているんじゃないかって、人間の領主は考えているみたい」


「だったら、そう言えばいいのにね」


「確かに」と久遠は首を傾げた。セルピナの話によれば、憲兵は、領主が彼女をお嫁さんにしたがっていると言ったはずだ。


 目的を隠すにせよ、彼女の父と先代領主との間に交わされた契約の鍵を手に入れようという意図から考えると、憲兵の言い分は、単に回りくどいというよりは、やや的外れといった方が近いように思える。


「どうあれ、私の父と先代の約束? その内容が分かれば状況は変わるってことだね」そう言って、セルピナは腕を組み、考え込んだ。長いまつ毛が雛鳥のくちばしのようにぱちぱちと瞬く。


「どう? なんか、心当たりある?」


「父が死んだのは、大分前だからねえ。正直あんまり」そう言いながら、セルピナはゲルダが作ってくれたパンの包みを開く。


 久遠も真似るように、パンの包みを開ける。ベーコンの香ばしい匂いが鼻腔に届いて、急に空腹を感じた。思ってみれば、彼女は両親を亡くしていると聞いたが、それ以上のことはほとんど知らない。


 セルピナは口にパンを頬張ったまま、うんうんと頷いた。


 食事が済むと、セルピナは久遠の上着を脱がせ、その破れた裾を縫ってくれた。その間、2人は互いのことについて話した。


「この街の真ん中にある『おおよそ無限機関』の地下に、大きな魔石鉱があるのさ。ここでは質の良い魔石がとれるんだ」と彼女は説明した。彼女はそこの鉱夫(婦?)なのだという。


 魔石を掘ったり、加工したりすることは、ドワーフの重要な産業の一つであるらしかった。優れた腕力と鉱物の加工技術を持つドワーフは、硬い岩盤を砕いて魔石や鉄鉱石を掘り出し、色々な道具や機械を作る。


 ただし、魔石鉱のあるこの街の地下には魔物も住み着いているため、彼女は鉱夫であると同時に戦士でもある。


「危険な仕事だ」と久遠は言った。


「まあ、ケガは多いね。ただ、アタシの掘った魔石が街で人の役に立ってるってのは、悪い気分じゃない」


 久遠は人の役に立つ気分というのを想像しようと努力したが、うまく出来なかった。


 彼はあまりそういうことを考えない。


 驚いたことに、セルピナは、自分の年齢を知らなかった。ドワーフには年齢を数える習慣が無いためだ。また、そのために、歳上を敬うという文化が無い。


 ディスカウに比べて奥さんのゲルダは大分歳が若いようだったし、またプライとディスカウの間にも実はかなりの年齢差があるらしかったが、夫妻がかかあ天下であったり(ドワーフの夫婦はそういう形態をとることが多い)、プライとディスカウが仲の良い友だちだったりすることは、どうやら彼らのそういう無頓着さが根底にあるようだった。


 久遠は、自分の故郷や生い立ち、生業などについて、セルピナが尋ねてくることを危惧していたが、彼女はそういうことにはほとんど触れなかった。彼は生まれながら、旅から旅への生活だったと自らの半生を説明した。それは嘘ではなかった。


 セルピナは好きな景色や食べ物、色、匂い、女性のタイプ、とにかく久遠の好きなものを聞きたがった。


 久遠はその一つ一つに、明確な答えを持っていたわけではなかったが、そのことがかえって、2人の会話を親密なものにした。


「ディスカウとゲルダみたいな夫婦、僕ちょっと憧れるな」と久遠は言った。


「あそこは本当に仲良しだ」セルピナも愉快そうにうなずく。


 ディスカウにはおっちょっこちょいなところがあって、度々ゲルダに大きな声で叱られるが、そういう時も、彼女の口元や目尻には優しい微笑が隠し難く滲んでいて、「でも、そういう所がカワイイ」と顔に書いてあるのだという。そして決まって、「バカだね」と呟くのだ。


「ドワーフの女は力も強いが気も強いからね。夫婦や恋人の間でも喧嘩が絶えない。ディスカウみたいに、最初から尻に敷かれるつもりでいるくらいが丁度いいのかもね」


「街で一番の職人なのに?」


「夫婦のこととは別の問題だよ。それに、ゲルダだって街で一番の料理上手だ」


「確かに」久遠は口の中に残るサンドイッチの余韻を味わいながら同意した。猪の首を片手で折ると聞いた時には、どんな大味な料理を出してくるのかと慄いたが、ベーコンとチーズだけというシンプルで大きなサンドイッチを最後まで飽きさせない腕前がある。


「アンタ、どこかに落ち着くつもりはないのかい?」


「良い人がいればなあ、考えちゃうなあ」と久遠はしみじみ言った。


 セルピナは久遠の上着の裾が縫い終わると、糸を切って広げて見せた。


「あんまり上手じゃないけどさ」


「ありがとう。十分だよ」


 上着の裾は、よく見ると破れたところが少し詰まっているようにも見えたが、遠目からは分からないくらいだった。


「それから……」セルピナはポケットから宝石のようなものを取り出した。それは、翡翠のような淡い緑色の石に、革の紐を通したペンダントだった。「あんまり退屈だったからね、作ったんだ」セルピナはそう言って、久遠の首にそれをかけた。


「とてもきれいだ」久遠はその石を蝋燭の火に照らした。


「アタシが採った魔石だよ。身体を守ってくれる」


 今までこの世界で見てきた物事を思い返せば、これもただの縁起物や厄除けの範囲には収まるまいと思ったが、その魔石は身に付ける者を害するエネルギーに対して、常に逆方向に働く力場を生じるのだという。


「ありがとう。大事にする」久遠はそう言って、ペンダントをシャツの襟の中に隠した。「じゃあ、また来るね」


「待ってる」そう言ったセルピナの声に名残惜しさが混じっているのを聞くと、久遠もまた、言い様のない離れ難さに足の運びが鈍った。


「なんだか不思議だ。今日会ったばかりとは思えない」


「アタシは、自分の好きなことを楽しんでる男が好きだ。それも、優しくて、ちょっと抜けてるくらいだとなおいい。例えば、上着の裾をどこかに引っ掛けちゃうような」セルピナはそう言って、久遠の頭に掌を乗せた。彼女の掌は分厚くて大きかったが、彼の柔らかい髪を撫でる仕草は優しかった。


「行きたい所へ行き、やりたいことをやって、欲しいものを手に入れる」久遠はこの街の機械の唸りに紛れるような、小さな声で呟いた。


「え?」とセルピナは聞き返したが、久遠はそれに答えなかった。




 ◇


 ◇


 ◇




 ディスカウの家に戻った時、古賀と後堂はぐったりと疲れ切っていた。


「ひでえもんだ」後堂はうんざりした様子で、2階の空き部屋に敷いた寝床の上に寝転がった。床に(わら)を敷いて、その上から布を一枚掛けただけの簡素な寝床である。ドワーフは酒を飲むことと物を作ることを生活の中心に置く。住居の快適さにはあまり関心がないようだった。


 プロメテウスの漁村で街灯に使われていたのと同じものであろう、光る魔石のランタンが、彼らの疲労と倦怠とを、いやに明るく照らしている。


 ディートリヒ・フィッシャー・ディスカウの地下室というのは、彼の研究室らしかった。


 どうやらディスカウは研究や設計に熱中するあまり、描いた図面や読んだ資料を片っ端から床に放るようだった。必要なものこそ取っておくが、そうでなかった資料や失敗した図面が床に溜まり、それを踏みつけにしてさらにその上から図面や資料を投げるということの積み重ねが、床一面を覆い隠しているのだという。


「だがまあ、面白いものも色々ある」古賀も疲労の色を浮かべながら、自分を励ますように言うと、枕元に置いた道具袋に手を入れた。


 そこから一枚の図面を取り出して、寝床の上に広げる。


 3人の悪党は寝床に寝転がったまま図面に頭を寄せる。


 それはどうやら地図のようだった。地形や道路、主要な施設や街の境界が詳細に記されていて、以前野盗から奪ったものに比べ、段違いに正確であることが期待出来る。


「ドワーフは巨大な下水道をこの一帯に張り巡らせるほどの技術を持っている。当然、正確な測量技術もあるわけだ」と古賀が地図に見入る。


 地図の左上には、『メルクリウス選帝侯国』と書かれている。


 その地図を見る限り、彼らは南北に長い半島のような地形を、東から西へ移動していたようである。


 プロメテウスの漁村から街道を逸れると、北に広がるノルド大森林、そのほとんどがスノッリ辺境伯領であることが示され、その南側にセレスの集落がある。さらに南に出て街道に戻り、西へ西へと進んだ先にウルカヌスがあった。


 どうやら小競り合いをしているらしいということで、たびたび話題に挙がるマルス伯領とミネルバ伯領という2つの領地は、いずれも彼らが移動してきたルートより北にあった。


 ミネルバが北東、マルスが北西にある。なるほど、自分たちが戦に直接巻き込まれることがなかったのはそのためだ。


 しかし、その影響はそこかしこで見られた。プロメテウスでは小麦の流通が戦争を口実に制限されていた。戦争に使うためにエルフの集落は狙われ、ドワーフたちの街もその利権が奪われようとしている。


「今の領主、スカルピアってのはどこにいるの?」久遠は古賀に聞いた。


「街の北東に領主館があるそうだ」


「取り敢えず、この領地からその領主を追い出せば、この街の問題は解決するってことでいいよね」


「まあ、向こうが自発的に善政を敷く期待を捨てればそうなるな」古賀はそんな期待が初めからないことを前提としたような態度で言った。


「ちょっと待て。俺ぁ、ここで武具が手に入ればそれでいい。ドワーフと領主のイザコザに首を突っ込む理由はねえ」と後堂が遮った。「ただし、この状況を見た時に、一つだけ俺が協力する可能性のある展開がある」


「それは?」久遠は続きを促した。


「お前があの、セルピナって女に惚れてる場合だ」


「何でさ」久遠は呆然とした。何を言っているのかこの人は。


「俺はな、恋バナが超好きだ」後堂はごく平凡なことを言うような調子で言う。


「似合わなすぎて吐きそう」

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