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3.ドワーフという人たち①

 久遠がセルピナを連れて逃げ隠れしている間、古賀と後堂、そしてドワーフのヘルマン・プライとディートリヒ・フィッシャー・ディスカウたちに起こった出来事は概ね次のようなことだった。


 セルピナを見失った憲兵たちの一部は、街で最も顔が利くというディスカウの家へ向かった。ディスカウはその時、セルピナと憲兵たちとの間で起こった逃走劇を知らなかったし、そもそも憲兵を嫌っていたから、単に知らないと言うよりやや強い態度で彼らの尋問を跳ね除けた。


 彼らの間にはどうやら別の問題もあったらしく、その尋問は間もなく口論に発展、憲兵がその地位と横柄さに任せて刃を抜くのにもそれほど時間はかからなかった。


 そんなこととも知らぬプライが、呑気にディスカウの元を訪ねたのは丁度その時だった。


 憲兵の1人がディスカウの喉元に切っ先を突きつけ、他の憲兵たちも刃を抜き払っている。そこで咄嗟の判断をはたらかせたのは古賀だった。


 ドワーフと憲兵との間に戦闘が起きれば、事は余計面倒になると考えた古賀は、後堂に合図してプライを殴らせ、ドワーフとは無関係の盗賊を演じた。


 問題は、その盗賊団の名称である。


「そこで、どうして僕の名前を使うワケ?」と久遠は抗議した。


「いやあ、語感がいいだろ。『クオン盗賊団』」古賀は涼しい顔で言う。


 つまり古賀は、興奮した憲兵たちに通常の交渉が通用しないと判断、偶然そこに『クオン盗賊団』なる強盗が押し入り、盗賊団一の腕利きである後堂が憲兵を一人残らずノックアウト、金品を持ち去った、といういささか苦しいシナリオで、憲兵たちを追い払ったわけである。


「それ、またすぐ来るでしょ」と久遠は唇を尖らせた。


「状況が切迫してたからね。それに、案外そうはならないんじゃないかと私は考えている」古賀は、ドワーフの老人に目を向ける。もっとも、顔の半分を濃く長い髭に覆われた顔は、年齢だとか顔貌の判別を難しくしていたが、プライの髭が淡い栗色であるのに対し、真っ白な髭を豊かに蓄えていることが、彼が老人であり、ディートリヒ・フィッシャー・ディスカウであることを辛うじて明らかにしていた。


「喉元に切っ先を突きつけられて身動(みじろ)ぎ一つしねえってのは、簡単なことじゃねえ」と後堂も肯く。


「エルフの姫様が、人間の街を一つ燃やしたそうじゃな」とその老人は言った。


「正確には、城砦です。幸い、籠城の備えをしていなかった領主は、城砦に市民を匿っておらず、エルフたちの唐突な報復攻撃は、城砦に控えていた領主と駐屯兵だけをきれいに焼き払った」古賀は補足してから続けた。「電話やネットの無い世界では、情報の伝達速度は人間の移動速度に依存する。つまり、いくつかの農村で道草を食っていた我々がここに着く少し前に、この辺りにもその情報が流れていた」


「要するに、今まで雑に扱ってきた連中が、実は怒らすととんでもねえ奴らだったってことを、この辺りの人間は思い知ったわけだ」後堂が付け加える。


「当然、エルフだけじゃない、ドワーフも実はそうなんじゃないかと人間たちは考えるだろう。しかし、頭の足りない支配者は、そうした脅威を圧政によって押さえ込もうとする。

 これは悪手だ。そのことを誰よりも敏感に感じているのは、他ならぬ現場の憲兵たちだろう。まして、測量技師のプライさんは、あわや後堂に一発入れかけ、鍛治職人のディスカウさんは、自分に向いた刃に瞬きもしない。ディスカウさんの奥様は、猪の首を片手で折るとか。つまり、ここでは女性も含めて、いわば国民皆兵だということだ。

 戦う義務と権利を、騎士だの貴族だのという身分で制限している社会は、市民一人一人が戦士であるという社会にはまず敵わない。これは単純に数の問題だ」


 と、そこで後堂がううん、と唸った。「そうか?」


 そりゃ、アンタはそう思うでしょうね、と久遠は半ば呆れた視線を後堂に向けた。武装した憲兵を3人、あっという間に素手で叩きのめす男は例外だ。


「もちろん、寡兵が大軍を破る例もあるにはある。コルテスは600人でアステカ帝国1000万人を、ピサロは200人でインカ帝国2000万人を滅ぼした。

 ただ、これは、鉄製の刀剣や、銃、馬、稠密で不潔な都市で丹精込めて育てられた天然痘やインフルエンザといった病原体、そういうものを征服者たちが持ち込んでいて、対する南米の国家は布の鎧に棍棒、そして彼らは文字も、馬のような騎乗する動物も、ヨーロッパの疫病に対する抗体も持っていなかったからだ。

 翻ってこの街は、金属の採掘から加工までをワンストップで担う、金属工業を主幹産業とする、いわば大陸の武器庫だ。市民一人一人に戦士としての素養があるばかりか、最新の武器が行き渡る。

 この街の人口は3000人。内、半分以上が戦える。せいぜい100人いれば良い方という地方領主のお抱え騎士が、少々剣のお稽古を積んだところでどうにかなる数じゃない」


「ええと……つまり?」と久遠は腕を組んで首を傾げた。


「憲兵たちの目線から見れば、今回の出来事は、『よく分からないことが起こった』としか説明出来ないはずだ。彼らには、今回の出来事を、ドワーフたちの反乱なのか、盗賊の襲撃なのか、解釈する時間が必要だ。そして、ドワーフたちの反乱ととらえたとして、これを鎮圧するにはさらに準備の期間が必要になる。

 それまでの間、彼らはこのドワーフたちの街をみだりに刺激出来ない」


「話の腰を折って悪いんじゃが」と、ディートリヒ・フィッシャー・ディスカウは自分の家の食卓を囲む3人の人間を訝しげに見回した。「アンタら、誰じゃ?」


 電話? ネット? アステカ帝国? 聴き慣れない言葉が飛び交ったことはドワーフたちを戸惑わせたらしい。そもそもディスカウには事情が全く伝わっていない。


 久遠と後堂は古賀に視線を送る。ほら、何か適当に説明をつけろ。


 古賀はため息を吐いた。「私はオーストリア・ハンガリー帝国の貿易商、ヴィクトル・ルスティグと申します。大きい方は、護衛のキトラ・ゴドー。小さい方──おっと、我々の中ではということです。──は、シンタ・クオン、小間使いです」


 誰が小間使いだ、と久遠は喉元まで出かかったのを押し込めた。後堂は護衛と紹介されることに慣れたのか、少しつまらなそうな顔をしたが、文句は言わなかった。


「聞いたことのない国だ。オーストリア・ハンガリー帝国?」ディスカウが怪訝そうにする。


「ええ。ごもっともです。我々は大洋を超えて遥か西の大陸から来ましたから」


「大洋を超えて?」とプライが声を上げる。「ワシらの技術でも不可能だ。今のところはな」


 「今のところ」という言葉に、彼らのプライドが見え隠れする。


 ディスカウもこれには興味を示したらしい。「船はどこにある? 見たいのう」と前のめりになる。


「残念ですが、嵐で難破したのです。我々がこの大陸に辿り着いたのは、全くの偶然でした。海に投げ出された我々3人が、無事に流れ着いたのも、ほとんど奇跡と言っていいでしょう。船や船員たちがどうなったのか、今となっては知る術もありません」


「それは大儀だったのう」ディスカウの表情に同情の色がこもった。


 よくこれだけのデタラメが、次から次へと湧くものだ、と久遠は感心する。


「この際ですから、この大陸の旅路で見聞したものを本にでもまとめて、一発当てるつもりです」と古賀は微笑んだ。


 ディスカウの表情も緩む。「さすが人間。商魂たくましいのう」


「人間の取り柄など、そのくらいでしょう」


「それで、セルピナはどうなった?」とプライが心配そうに尋ねた。


「今は空き家に隠れてる。自分の家は危険だからね。それで、彼女に食べ物や日用品を届けたいんだけど……」


 と、久遠が言った時、玄関が開くなり、雷鳴のような怒声が食卓に響き渡った。「何だい、また、こんなに散らかして!」


 四十格好のドワーフの女性だ。ドワーフらしく背の低い、ぼってりとした体躯をしているが、顔の造形は美人と言ってよかった。気の強そうな目で、射抜くようにディスカウを睨む。


「違うんじゃ。ゲルダ」ディスカウは言い訳がましく肩をすくめた。


 改めて部屋の中を見渡すと、後堂と憲兵との間に起こった戦闘の跡が部屋中に刻まれている。食器は割れて床に散らばり、調度には刀傷が刻まれ、壁に掛けた燭台が疲れ果てたように傾いている。奥さんが腹を立てるのも無理はない。


 プライがことの次第を説明すると、ゲルダは少々落ち着いたが、ディスカウは縮こまったままだった。


 ゲルダはディスカウの奥さんで、ディスカウはゲルダに全く頭が上がらないらしい。


「そうか。それは悪かったね。こんなでも、私の大事な夫だ。助けてくれてありがとう」とゲルダはディスカウの肩に手を置いて言った。「それで、セルピナが追われてるって? 何故」


「あれはペルゴレージの娘じゃからな」とディスカウが答える。


「ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ。セルピナの死んだ父親だ」とプライが付け加えた。


「つまり、セルピナさんは、この街の重要人物の娘さんだと?」と古賀が尋ねると、ディスカウは首を縦に振った。


「人間たちにとってはな」ディスカウはどういう順序で説明すべきか迷うように、空中に目を泳がせてから、話し始めた。「まず、このウルカヌスというのは、ドワーフが古くから住んどった土地じゃが、領主だとか、王様だとかいう者が、何百年もおらんかった。

 そんなものになりたがる奴がおらんからだ。

 ワシらドワーフは、人間のようにそこが誰の土地かということにあまり拘ったりしない。だから、ただ、住んどる所で自由に過ごせて、必要なものが手に入ればそれで構わんのだ。

 ところが人間というのは、何かにつけて、それは誰の物か、そこは誰の土地かということを始終気にしておるじゃろう」


 ディスカウは久遠たち3人の顔を見比べた。「そして誰のものでもないならば自分のものにしようとする」


「まあ、確かに」と久遠はうなずいた。誰かのものである場合にも、盗んで自分のものにすることがよくある。


「このウルカヌスには王様がおらんかったから、人間の貴族、誰それのもんだと始めおった。

 ワシらは別にそれでも構わんかった。奴らはワシらを追い出そうとしたわけではなかったし、税金というのか? 幾らか金を払えば、人間の領地と交易するのにもある程度役に立っておったからじゃ。

 それに、代々、ここの領主になるのはいい奴が多かった。ワシの爺の代も、親父の代も、人間とは割と良くやっとった。

 基本的に、人間というのは自分の糞がどこに行くのかも知らんだろう。この辺り一帯の地下を流れる下水道を人間の街や村にも通して、都度保守管理しとるのもワシらじゃ。

 代わりに人間は、ワシらに畑で作った野菜だの豚だの牛の乳だのを分ける。そうやって回っとった。

 ところが、ここ最近、新しい領主、スカルピアってのが来て、そうはいかなくなった。

 スカルピアは、やれ税を増やすだの、あれを作れだのこれを作れだのとめちゃくちゃ言いよる。

 ワシらは元々、好きで物を作っておる。アンタら人間だって、歌を歌ったり踊りを踊ったりするだろう。それと同じようなもんじゃ。

 無理矢理好きでもないもんを作れと言われても、当然気が乗らん。それを領主の権限だとか何とかで無理強いしはじめたのじゃ。

 まあ、そういう奴もそのうち出てくるじゃろうとは思っとったらから、ドワーフの中でも王様を決めたらどうじゃという話は、これまでも度々持ち上がった。その時、毎度一番の候補に挙がるのがセルピナの父、ペルゴレージじゃった。アイツはドワーフとは思えんくらい几帳面で、色んなことを考えとったし、人間たちとの交渉ごとはアイツがおらんと始まらんかった」


「じゃあ、セルピナはドワーフのお姫様?」


「いや、結局ペルゴレージも根はドワーフじゃ。王様になんぞなりたくなかったんじゃろう。その話は流れた。先代の領主との間で何かやり取りもあったようじゃが、詳しくは知らん」


「それは何か、重要なやり取りだったのでは?」古賀はドワーフたちを見回したが、誰もそれに対する答えを持っていなかった。「ペルゴレージの娘、セルピナを捕らえることで、この街における彼らの権利を拡大出来るか、あるいは、損失を防げる。人間たちはそう考えているのかも」


「何か手がかりになりそうなものは無いの?」久遠は尋ねた。


 ディスカウは腕を組んで、うーん、と唸った後、「この家の地下はワシの研究室じゃ。『おおよそ無限機関』の設計もそこでやった。先代の領主は時々訪ねて来て、ウチの地下で書き物をしとったから、帳面が残っとる」と言ったが、あまり気の進む様子ではなかった。


「何か問題が?」


「まあ、失くした、という言い方も出来る」


「他にはどんな言い方が出来るの?」と久遠は尋ねたが、ディスカウはそれには答えなかった。


「この人、めちゃくちゃ散らかすんだよ」と妻のゲルダが代わりにため息を吐く。「あそこから物を探し出すなんて、森に落とした金貨を一枚探すようなもんさ」


 ゲルダはそれから、「もう、バカだね……」と呟いたが、不思議と、あまり怒っているようには見えなかった。


「つまり、それは我々が、散らかった地下室から帳面を探す必要があると、そういうことかな?」と古賀は首を傾げた。


 久遠はそれを聞いて、とびきりのアイデアを思いついた。「僕、セルピナに食事を届けに行って来るね」


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