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7.進撃! フルアーマー後堂!

 集落の境界から出て北へ、30分ほどだろうか、森の木々をかき分け歩いた先に、沼があった。


 ルサルカの部下が示したいくつかの沼の内、後堂が第一の候補として選んだものである。


 村は南方向から、傭兵(あるいは野盗)の襲撃を受けていた。が、これはエルフの弓兵で対処が可能な程度の勢力だった。傭兵たちの間に混乱があったにせよ、トロルのように強力な攻撃手段があることを考えると、出し惜しみの感は拭えない。


 とすれば、主攻は逆方向、北から来ると考えるべきだ。


 先程聞いた野盗の話では、傭兵たちは混乱を極め、魔物どもに追い立てられて、集落の南にたどり着いたという。古賀の詐欺のせいで、当初の想定から大幅に減少したであろう戦力を、南に集中させたという考え方も出来るが……、と後堂は沼に近付きながら考えた。


 月の光を澱んだ水面が鈍く照り返している。


「ハズレか?」と呟いたが、その次の瞬間に、後堂は身構えた。


 沼を囲む木々が影を落とす水面から、沼の縁を掴んでいる無数の手を見たからである。その手は沼の縁から次々に這い出し、やがてその手の主たちが頭を出す。


 体格にはそれなりに自信のある後堂よりもさらに大きい手の指には、猛禽類に似た爪が生えていたが、そこから這い出した手の主は、滑稽なほど小さかった。


 手と足と、頭だけが人間の大人よりやや大きいくらいだが、身体はその半分程度しかない。顔の中でも鼻だけが、さらに突き出すように大きく垂れ下がった鷲鼻で、老婆のように背は曲がり、また肌には縦横に皺が走っている。片手には棒切れ、あるいは鉈、あるいは手斧を握っている。


「不っ細工だなてめえら。親玉はどこだ?」と尋ねるも、返事はない。代わりに、豚のように鼻をならし、目の前の後堂をどう扱うか考えているようだった。


 後堂は、沼のすぐ近くまで近付くと、目についた1人(1匹?)を、沼の中へ蹴落とした。澱んだ水面が飛沫を上げ、水紋が広がる。「魔族は沼から魔物を呼び出す」リズの言う通りなら、コイツらがそうだろう。


 それを合図にいきり立ったその奇怪な生き物が、次々と耳を突くような金切り声を上げた。


「待て!」と藪の中から声が響いた。若い女の声だ。「貴様、オーガか? 何故私の邪魔をする」


「それ、前にも聞かれたんだが、俺はオーガなのか?」と後堂は聞き返した。


「え? いや、知るか!」藪の中から、苛立つような声が寒々しく響いた。待ちぼうけを食っている小さな怪物たちが、戸惑うようにして首を傾げたり、お互いに顔を見合ったりしている。


 久遠の話によれば、オーガというのは大男の怪物なのだという。


 後堂の身長は188センチ、日本人の中では飛び抜けて高いと言っても良かったが、世の中には2メートルを超える者もいるし、世界で一番高いというオランダの平均身長は184センチ程度、そこから見れば、人間であることを疑われるほど高いとは言えないはずだ。


「そんな藪の中にいねえで出てこいよ」後堂は声のする藪に向けて怒鳴った。


「嫌だ!」


「いや、お前、嫌だじゃなくてよ。話が進まねえだろう」


「お前は私の可愛いゴブリンを、足蹴にしただろう!」と藪の中の女は後堂を非難した。どうやら、この背が低く醜い生き物は、ゴブリンというらしい。


「ええ……可愛いかあ? 価値観が違うなあ」と後堂は戸惑いながら、「いや、それは悪かった。そういうことなら。何にしても、お前らが、ここに魔物を呼んでることで、エルフの連中がえらく迷惑してる」と説明した。


「え……そうなのか?」


 後堂は、一体自分が何をしているのか、よく分からなくなってきていたが、藪の中の女も、自分の置かれている状況がよく分かっていないみたいだった。


「ちょっと、お前、一回出てこい。顔も見せないでお前、話辛くてしょうがねえ」


「そういう、命令するみたいな言い方をするな! 優しく言え!」


 クソ……何だコイツ。「出ておいで。怖くないから」


「嘘だ! お前、さては人間だろう。大きめの。大きい人間の男が、トロルを倒したと聞いたぞ。人間は、魔族を悪者扱いするから嫌いだ!」


「いやお前、あんなでけえの寄越したら、みんな困るだろうが。エルフの連中には怪我人だって出たし、家が壊れた奴だっているんだ。好き嫌いとは別の問題だろ」


「え……本当?」藪から聞こえてくる声から急に、震えに近い不安の響きが混じり始めた。


「いいからお前、一回顔見せろって」


「そんなに私の顔が見たいのか? お前、もしかして、私のこと好きなのか?」


 後堂は流石にやや苛立った。「この、ゴブリンってのか? 一旦、こいつらみんな沼に蹴落としていいか?」


「やめろ! 一旦ってなんだ! どうしてそんなことをするんだ!」


「いや、お前が出て来るならやめておくが」


「悪党め!」と藪の中から罵りの声が響いたが、ゴブリンたちは呑気なもので、長話にも飽きたらしく、座り込んだり、何か手遊びのようなものを始めたりしている。後堂はその姿に愛嬌のようなものを感じ始めていた。


「いや、とにかく一回話そうぜ。お互いに誤解があるんだよ」と後堂は言ったが、しばらく考え込むような沈黙があった後、藪の中の女は決心したらしく、きっぱりした調子で叫んだ。


「騙されないぞ! 人間! ゴブリンたち! そいつをやっつけろ!」


 それを聞くが早いか、ゴブリンは一斉に立ち上がり、後堂に飛びかかった。正面に飛びつこうとする一匹を払い除け、足下の1匹を蹴り飛ばす。しかし何せ数が多い。ざっと見たところでも30匹は固い。


 背に張り付いたのを掴み、脇にしがみつこうとするのを避けている間に、足元に5、6匹が群がっている。


「クソ、なんか情が移って殺して辛え……」しかし、エルフの里を思えば、そうも言っていられない。後堂は腰の段平を抜いた。分厚い刀身が月光を照り返して鈍色に閃く。


 途端に群がっていたゴブリンたちが飛び退く。それどころか、腰を抜かし、先ほどの野盗のようにじりじり尻を引きずって後退りするものさえいた。


「こら、ゴブリンたち! 逃げたらダメだ! 辛いことや怖いことから逃げてばかりいたら、いつまで経ってもそのままだぞ!」藪の中から檄が飛ぶ。


「だったらお前が戦えよ!」と後堂は怒鳴った。


 ゴブリンたちは逃げようか進もうか迷うような足を止めて、うんうんと頷いた。


「だって、私そういうのじゃないし……」と藪から聞こえてきた時、後堂は兜を脱いで地面に叩きつけた。鉄の兜がひしゃげる。


「お前ら、どけ」と言うと、そのままゴブリンたちの中をかき分けて、森の中、声のする方へと突き進んだ。


 女がひっ、と悲鳴を上げるのにも構わず、沼の西側、藪の中へ分け入る。


 下草の長く伸びた茂みの中に、女はうずくまって隠れていた。「大きい! 怖い!」と女は後堂を見上げて改めて悲鳴を上げる。


 後堂は女の奥襟を引っ掴んで持ち上げた。思いの外背が高い。170センチ台後半はある。襟を掴んだ拍子に被っていたフードが脱げ落ちると、頭には羊のように渦を巻く角が生えていた。


「てめえだって、女にしちゃそこそこデケえじゃねえか」何より胸が大きい。が、後堂は首を横に振って気を取り直した。「俺はな、お前みてえに安全圏からごちゃごちゃ偉そうなこと抜かす奴が一番嫌いなんだよ。

 あのゴブリンたちを帰せ。さもねえと、その角へし折るぞ。関係ねえからな。男とか女とか」


 角の生えた女は、首が取れるほど激しく頷いて、ゴブリンたちに、「魔界へ帰れ」と命じた。ゴブリンたちは、めいめい、呆れたようにため息を吐いたり、やれやれといった風に腕を広げたりしながら、沼の中へ、列を作って帰って行った。


「憎めねえ連中じゃねえか。大事にしてやれよ」と言ってから、後堂は言いようのない脱力感を覚えてその場に蹲み込んだ。一体俺は、何をしているのだ。 


「殴らないで」と女が言う。


「もういいよ。殴らねえよ」


「本当? 角も折らない?」


「折らねえ折らねえ。で? お前は一体、何しに来たんだよ」と後堂は尋ねた。


「人間が、魔族に意地悪をするから、困らせてやろうって」


「誰が?」


「ベリト様だ」と角女は自慢げに言う。


「そのベリト様が誰か説明しろよ。大体、世の中、話が拗れるのはいつだって、説明不足、確認不足が原因だ」


「お前、もしかして、結構賢いのか?」


「お前よりはな」


「アグラット・バット・マハラトだ」と角女は言った。


「何が?」


「名前に決まってるだろう!『お前』って言うな!」


 自分だって言ってるだろ、と言いかけたが、時間の無駄だと思いやめた。


「で? バグラッ……アッ……何て?」


「『アグラット・バット・マハラト』だ。『アグ』でいいぞ」


「ああ、そうか。アグ。で、結局誰なんだよ、そのベリト様ってのは」


「魔界の公爵閣下だろうが。全く、物を知らん奴だ」


 こいつ、マジで……と奥襟を掴む手に力がこもったが、後堂はグッと堪えて話の続きを促した。


 アグラット・バット・マハラト(愛称はアグ)の説明によると、魔界の公爵であるベリトは、同時に優れた軍略家でもあるらしい。過去には人間との度重なる戦争においていくつもの輝かしい武勲を挙げたが、昨今では魔界でも戦争を忌避する論調が大勢を占めており、バリバリのタカ派である公爵は地位を著しく下げていた。


 そこに来て、この界隈でにわかに戦の匂いが立ち始めたことを、いち早く察知した公爵は、その混乱に乗じて派兵しようと兵を募ったが、魔界における嫌戦的なムードは公爵の認識を遥かに上回っていた。


 兵はわずかにしか集まらず、それに絶望した公爵は、魔界を出て、人間の社会で傭兵として生きることとなったそうである。


 ただ、アグの語り口は、終始子どもの喧嘩くらいの軽さがあった。


「つまり、悲劇の英雄ベリト様の右腕として白羽の矢が立ったのが、この私というわけだ。公爵は、『魔族が牙を抜かれるとは情けない』と嘆いておられた。この私を見習えばよいとな」アグは後ろ襟を掴まれたまま胸を張る。


「いや、お前、茂みに隠れて腰抜かしてただろうが」


「違うぞ!」とアグは慌てて取り繕うように言った。「これは作戦なのだ。私は男を惑わす、かのサキュバス族の戦士だからな。公爵は、『お前と話していると、相手は時間を無駄にすることになる』と私のことを褒めて下さるのだ」


「じゃあ、お前は足止めか?」突然の戦慄が後堂を襲った。「クソっ! 効果テキメンじゃねえか!」


 激しい物音が、遠く後方に響く。


「ふふん。恐れ入ったか」と再び偉そうにするアグの襟を引っ張ると、首に食い込んだらしく苦情を漏らした。


「いいから、お前ちょっとついて来い。お前らが攻めてるのはエルフの集落だ」


「お前、さっきもそう言っていたな。どういうことだ? 公爵は人間を困らせると仰っておられた。エルフだったらおかしいだろう。人間の戦いに関係ないからな。迷惑をかけるのは、悪いことだ」


「これから連れてってやる。お前ポンコツだから、多分、騙されてんだよ。そのベリトだかって奴に」


「そんな訳があるまい。私はベリト様の右腕だぞ」


「だったら、自分の目で確かめてみればいいだろう。騙されてなかったら、それはそれで、ちゃんと分かって良かったって話じゃねえか」


「え……、でも……」とアグは不安そうな表情を見せる。「ベリト様が本当に、私を騙してたらどうしよう……」


「知らねえよ。俺ならお前みたいなポンコツ、右腕になんかしねえからな。つーか、そのベリトって奴、相当キレるぜ。俺がお前みたいな話の通じねえポンコツとぶち当たると、ついつい話し込んじまうのもお見通しってことか?」


「ポンコツじゃないもん……」アグはいじけて唇を尖らせる。


「『ないもん』じゃねえよバカ」


「なあ、本当に、私が攻めていたのはエルフの集落なのか?」


「だから、そうだっつってんだろ」


 これからそこへ行くのだということが、疑いようのない裏付けだということを、アグも理解し始めたらしい。


「エルフに会ったら、謝った方がいいと思う?」


「当たり前だろバカ! てか、お前みてえなのと喋ってて足止め食ったなんて、マジで立つ瀬無えのはこっちなんだよ、クソが。『主攻は北だ』みてえなこと、知った風な口で言っちまって、どうすんだよ。

 俺はお前の魔物と死闘を演じて帰って来たフリすっから、お前ちょっと話合わせろよ」


「うん。分かった」とアグは言った。


「あと、お前な、サキュバスっつったか? 男を惑わすって?」


「うん。そうだぞ」


「絶対やり方間違ってっからな!」後堂は強い口調で言った。本当に、これだけは強く言っておかねばならない。

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[良い点] 作者さんのこういう掛け合い好き
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