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4.森の民①

「ゴドー卿、お加減は」


 女の部屋というのは大概そうだが、その日招かれたルサルカの家も、例に漏れず正体の知れない良い匂いがした。


「お陰さんで。元々、寝たきりになるような怪我じゃねえ」


 後堂は丸太をくり抜いた椅子に腰を下ろして、折れた肋骨のあたりをさすった。すり潰した薬草を湿布にして巻き付けられているせいで、ごろごろした異物感があるが、お陰で腫れも痛みも大分落ち着いていた。


「辺境伯領姫カテリーナ殿下が卿にご挨拶をしたいと申しておられたが、生憎、復興に忙しく、殿下に代わってお詫びと、お礼を申し上げる」


「やめてくれ。堅苦しいやりとりは苦痛だ。アバラが折れるよりもな。

 アンタらは俺に飯を食わせた。俺は見帰りに化け物を殺した。それだけだ。

 それより、リズってガキが毎日来るんだが」


「ふふっ」とルサルカは笑った。「リズは可愛いだろう」


「いや、そうじゃなくてよ」


 後堂は苦情を言ったつもりだったが、ルサルカにはそう伝わらなかったらしい。特段子ども嫌いというわけでもないが、扱い方が分からない。毎日自分の気が向いた時間にやってきて、後堂の膝に乗り、ひとしきりその日あった出来事を喋って帰っていく。


「リズは卿に恩を感じておるのだ。その日あった面白い話をして、彼女なりに卿への恩に報いようとしている。どうか、しばらくそばに置いてやってもらえないか」


「まあ、飯と宿がタダだと思えばな……」そのうちおもちゃでも与えておけば、勝手に遊んで帰っていくだろう、と後堂は考えた。


 後堂にはこの集落について、気に入っている点がいくつかあった。女しかいない上に、美人揃いだということ、飯が美味いこと、そして何より、おおらかで、自然に生活していることだ。


『辺境伯領姫』だとか、『警邏小隊長』だとかいう役回りがあるのを見る限り、身分制はあるようだったが、彼女たちの生活の様子は、かつて後堂が身を置いていた社会のように建前だけの平等をむやみに取り繕うよりは、よほど自然に見えた。


 彼女たちは、この森で狩猟採集を中心とした生活を営んでいる。木の実や山菜を採り、鹿や猪を狩って食べるが、プロメテウスの漁村と大きく違うのは、調味料が充実していることである。


 どうやらエルフの集落というのはこの森に限らず、世界中に少数ずつ点在しているらしく、そうしたエルフ独自の交易ネットワークがあって、南からは香辛料が、東からは大豆を発酵させた味噌や醤油のようなものが手に入る一方、この森にほど近い山には岩塩鉱があり、また海に近いので魚醤やオイスターソースも作られる。


「卿らをもてなしたのは森だ。我々は森の恵みを、形を変えて運んだのに過ぎない。そもそも、卿の怪我は、我々の責任だ」


「俺が怪我をしたのは、俺の腕が足りなかったからだ」


「生身でトロルの相手を出来る者など、そういるものではない。卿はさぞ名のある武人とお見受けする」


「買い被りだ」と言いいかけたのを遮って、古賀が口を挟んだ。


「さすがお目が高い。仰る通り、彼は、我がポヤイス領では屈指の武人です。祖国においても幾多の戦いで目覚ましい武功を挙げ、こと勇猛さにおいて右に出る者はありません」両手を広げ、まるで自分の開発した画期的な商品を紹介するように言う。


 後堂はこの時久しぶりに、古賀が『ポヤイス』とかいう間抜けな名前を付けられた土地の領主、『グレガー・マクレガー卿』なる人物を名乗っていたのだということを思い出した。


 それから古賀は、対比をつけるようにわざとらしく声をひそめて見せた。「ところで、今回の件、トロルの出現についてですが、滅多にないことのようで。何かお心当たりが?」


 何か一儲けする算段でも立てようというのか、あるいは既に立っているのか、古賀の芝居がかった口ぶりに、後堂は内心眉をひそめた。


「マイヤ海を越えて南の大陸、いわゆる魔界と呼ばれる地には、あのような大型の魔物も多いと聞く。魔界は魔族たちの領分だ。

 卿ら人間が馬を乗りこなすように、我らエルフが鳥や蝶を遣いにするように、魔界に住む魔族は魔物を飼い慣らし、使役する。

 トロルのように大型の魔物がこの地に放たれたということは、魔族の介入があったと考えるべきだろう」


「おお、らしくなってきたじゃん」久遠が感嘆の声を漏らした。


「実はトロルが現れるより前に、小型の魔物による組織的な襲撃があった。卿らと出会った際にバタついていたのはそのためだ。それも含めて何者かの手引きがあったと考えている」


 ルサルカの説明するところによると、この世界には、一般的な動植物とは区別される、『魔物』と呼ばれる生き物が大なり小なり全域に分布するらしい。


 魔物には様々な種類があって、動植物を模したようなもの、人の形に近いもの、また何にも似ていないもの、色々いるらしいが、彼女たち曰く、総じて『生命の循環の外にあるもの』ということである。後堂がトロルの股間を蹴った時、その股の間にあるべきものが無かった。それらの生き物は有性生殖をしないということだ。


 また、魔物は物を食わない。彼らの口はもっぱら威嚇と殺戮のために用いられる。


 しかし彼女たちエルフは、そうした魔物を狩る時でさえ、一種の敬意を持って接するようだった。魔物の肉は食えないが、皮は(なめ)して丈夫な靴や革鎧になるし、腱は強い弓の弦になる。


 つまりこれまで、彼女たちにとって魔物を狩ることは闘争ではなく、いわば生産活動、あるいは文化活動の一つだったのである。


 しかし、トロルの襲来を含む今回の戦闘は、もっぱら生存を賭けた闘争に他ならなかった。


「なるほど。魔物を手引きしている者がいるとして、その目的は?」と古賀は聞いた。


 その魔族というのが、この集落に魔物をけしかけたとして、どこを見ても鬱蒼と茂る木々以外に何もないような土地に、得るべきものがあるようには思われない。


 ルサルカは一瞬躊躇して、「分からない」と答え、それから付け足した。「森の恵みは豊かだ。我々にとっては。だが、エルフでない種族は、この森の豊かさにそれほど価値を見出さないということも我々は知っている」


「では、森の恵み以外に、彼らにとって何か価値のあるものを、あなたたちは持っている」古賀が鋭くそう言うと、ルサルカは眉を下げた。


「マクレガー卿、詮索は勘弁してくれ。私は嘘や隠し事がとても苦手だ」


 ルサルカの困ったような声を聞くと、後堂は腹の底から笑いがこみ上げて、ついには折れた肋骨も顧みず声を上げた。「マクレガー卿、残念なことに、お前の権謀術数も、エルフには通じねえらしいぞ」


 古賀はさもお手上げというふうに両手を広げて苦笑する。


 プロメテウスでの立ち回りを見れば、古賀の詐欺師としての腕前は、素人の後堂にも相当なものと見えた。だが、彼の得意とするのは、他人の嘘の裏を読み、その裏に隠された欲につけ込むことだ。「秘密はあるが、聞いてくれるな」と真正面から言われてしまえば、手立てがないらしい。


 後堂にはそれが愉快だった。


「俺たちは、ここ数日の飯と寝床の礼をすべきだ。それが筋ってもんだろう」


「つまり、この村に魔物をけしかけてるヤツを見つけて、とっちめる?」と久遠が聞いてきたので、後堂はうなずいた。


 古賀が難しい顔をする。


「何、別にお前らに戦えというわけじゃない。その点は俺が請け負うさ。ただ、『自分が誰と喧嘩しているのか知ることは重要だ』だろ?」後堂は古賀の顔を覗き込んだ。確かに、と古賀はうなずく。「お前らにはそれを探ってもらう」


「卿には、敵の姿が見えているのか」とルサルカが尋ねる。


「さあ、さっぱりだ。俺たちはこの界隈の事情については何も知らねえ。ただ、その連中が次にしようとすることは見当がつく。

 今回、奴らがやったのは、威力偵察だ。魔物をけしかけ、エルフを結界の外に引きずり出し、戦い方や装備を観察する。トロルを投入して結界の一部を破壊し、村の地理もいくらか把握しただろう。侵入経路も確保した。

 次に連中がやるべきことは、持ち帰った情報をもとに作戦を立て、ここに攻め込むことだ。結界の復旧が終わる前にな。

 つまり、ここ数日のうちに、直接の侵攻があるはずだ」


「後堂さんは、軍事評論家なの?」と久遠がからかうように言う。


「『戦う』ということに、多少のノウハウがあるだけだ」そうでなければとっくに死んでいた。彼がこれまでしてきたのは、そういう生き方だ。


 ルサルカは、顔を青くして、言葉を失っている。


「敵は軍隊か」と古賀が代弁する様に呟いた。


「いや、おそらく違う」後堂は椅子の背もたれに体重を預けて脚を組んだ。


 ルサルカ、久遠、古賀の3人は揃って疑問の視線を後堂に向ける。


「あのトロルってのはお世辞にも、自由自在にコントロール出来る便利な生物兵器でもなければ、目的を冷徹に達成出来る優秀な兵士でもねえ。せいぜい、味方に攻撃しないように躾けるくらいが関の山だろう。

 結界の破壊を目的にするなら、いささか不確実だ。俺ならトロルを陽動にして、結界の破壊は自分でやる。

 あんた達エルフもその辺は考えて、周辺の捜索にあたったはずだ。だが、この辺りで魔物をけしかけた張本人は見つけられなかった」


 ルサルカはうなずいた。


「作戦の確実性より、正体を隠すことを優先した」と久遠が言う。


「よほどの恥ずかしがり屋ってんでもなければ、そういうことになる。

 正体を隠す理由で、考えられるのは2つだ。

 一つには、

・攻撃する正当な理由がない。

 この村を攻撃したことが世間にバレて、文句を言われるくらいで済むならいいだろうが、逆に自分たちが袋叩きにあうような場合だ。少なくとも俺の目から見る限り、ここの連中は開戦の言いがかりをつけられるには大人しすぎる。

 もう一つは、

・第三者ヅラで戦後処理に介入したい。

 あくまで攻撃とは無関係を装って、叩きのめされたこの村に手を差し伸べる(てい)で利権を握ろうとするなら、万が一にも自分たちが村を襲った張本人だとバレるわけにはいかねえ」


「だが、直接の侵攻があるのではないのか?」とルサルカは言った。


「ああ。軍事的には直接侵攻だ。剣と槍を抱えてやって来る。だが、実際に来るのはこの村を狙う張本人じゃなく、下請けだ」


「なるほど……」古賀は大きく息を吸い込んでから、口の端を持ち上げた。


「え、どういうこと?」と久遠が首を傾げる。


「ここに来る途中にいただろう。量的にも質的にも、満足のいくもんじゃなかったが、俺たちはそいつらにもご馳走になった」


「ああ……!」と久遠は膝を打つ。「野盗の人たち!」


「彼らは作戦待機中だったわけだ。道理で、食い詰め者にしては金を持っていた」古賀が得心いったというふうにうなずく。「確かに、中世ヨーロッパでは、傭兵と盗賊はほとんど変わりがなかった。戦のない間、大人しくしていたのは、貴族と上手く付き合っていたごく一部の世渡り上手だけで、他は専ら略奪に勤しんでいたと言われる」


「とにかく」後堂は長くなりそうな古賀の話をさえぎって、中世ヨーロッパ? と首を傾げるルサルカにも、気にするな、という風に片手で合図する。「とにかく、これは俺の頭の中で考えただけの話だ。『自分の目で見てもいないことを知った気になるな』ってのが、一つの教訓らしいからな。実際どの程度この推理が正しいのか、確認する必要はある。だが、俺の考えた通りなら、各々やるべきことは決まってる」


 もちろん、この村を陥すために金を握らされた野盗というのは、道中後堂がぶちのめした5人だけではないはずだ。こうした連中は金で転ぶが、優秀な詐欺師が味方にいれば、金をかけずに買収することもできるかもしれない。


「あれ……、僕の役目は?」と久遠が不安そうに言った。物を盗むのに長けた奴の使い所はこの状況ではほとんど無い。


「次の貢献度チェックが楽しみだぜ」


「結構、根に持つなあ」久遠は肩を竦める。


 後堂は鼻で笑って、久遠から目を離すと、ルサルカに尋ねた。「ところで、子どものおもちゃはどこで手に入る?」

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