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2.トロル

「近くまで連れて行け」後堂が手綱を取り馬車を走らせると、古賀と久遠は激しく抵抗した。


 ルサルカは近くの木の枝に手をかけると、そのまま飛び上がって枝に乗り、また次の枝、次の枝へと、風の中を泳ぐように飛び移って馬車を先導する。驚く程身軽な動きだ。


「ちょっと待って。一旦ストップ!」と久遠が身も世もなく叫ぶ。


「作戦! 作戦を考えよう!」と古賀も続く。


 どうせ怖気付いているだけだと踏んだ後堂は、そのまま馬を走らせた。


 彼ら2人を安全な場所まで運んでやる余裕は無さそうだったし、何より後堂は2人に配慮することが億劫だった。


「分かった! じゃあ、そのままでいいから聞いて! 気になってたことがあるんだ!」久遠が馬車の荷台から声を上げるのに耳をそばだてると、それを合図に久遠は声を潜めた。「エルフの女の子たちについてなんだけど……、あんなエロい格好する必要ある?」


「それだ」「まずはそれ」後堂と古賀も一様に同意した。


 ルサルカはどうやらこの一帯を巡回警備する兵士であるらしかったが、心臓を守る目的であろう革の胸当はほとんどブラジャーに近く、胸の谷間が大きく露出していた。膝の上までの長いブーツは、下草で肌を傷付けることを嫌ってのものだろうが、腰鎧の隙間から太腿の肌がのぞいているし、胴鎧と呼べるようなものが無く、腹部は覆われていない。つまり、ほとんど裸の上から硬めの下着を付けているような状態で、どう好意的に見ても、戦闘で身を守るのに十分とは思えなかった。


「しかも不思議なことに、どう角度を工夫しても、肝心な所は見えない」後堂は奥歯を噛み締めた。


「工夫したんだ」と久遠が意外そうに言う。


「まあ、我々も男だからな」と古賀が同調した。


 がさがさと木の葉の揺れる音がして、見上げると、何人ものエルフの女が太く高い樹木の枝を飛び移り、馬車を追い抜いて行った。


「ああっ! マズいぞ後堂。女の子が一人怪我をしたようだ」前方を見ていた古賀が声を上げる。


「ほら、後堂さん。出番だ」と久遠が手振りで合図した。


「多少なり、手助けしようという気はねえのか」後堂は古賀たちに問いかける。


「人には得手不得手がある。私は魔物と戦うことが不得手だ」と古賀が答えると、「僕も」と久遠が同調した。


「魔物と戦ったことがあるかのような言い草だ」後堂は呆れて言う。


「失敗してもまたチャレンジする機会があるならやってみてもいいが、命というのは一つきりだからね。こういう場合はプロに任せておいた方がいい」


「お前らマジで……」と呟いた時、一際大きな咆哮が聞こえて、怯えた馬が足を止めた。


 生い茂る木々の間に、女たちが飛び交っているのが見える。倒れた太い朽木の根本に、逃げ遅れた少女が足を挟まれているらしい。女たちがそこに群がって朽木を持ち上げようとしているが、他の倒木に引っかかってうまく持ち上げられないらしかった。


 その奥にいる生き物に、後堂は顔をしかめた。「でけえな」


 目測でも丈は2メートルを優に超え、熊のように太い四肢を持っているが、毛はなく、象のような艶のない灰色の皮膚はかなり分厚いらしい。エルフたちの放った矢が何本か刺さっているが、どれもその動きを封じるほど深く突き立つことはなかったと見える。


 短くて太い2本の脚で立ち、背が丸く曲がっている。身体を滅茶苦茶によじって暴れる隙に覗き見えた顔貌は人の形に近かったが、顔の皮膚が変に弛んで醜い。


 腰にぼろ布の腰巻のようなものを巻いている他に身につけているものはなく、武器も持っていない。ただ力任せに腕や脚を振り回し、その怪力で周囲の樹木をなぎ倒している。


 エルフたちは少女の方から怪物の気を逸らすように、反対側から矢を射って挑発している。


 後堂は馬を降り、少女の足を挟んでいる朽木の根本まで走ると、周りの女たちを押しのけて朽木の幹に腕をかけた。


「隙間を作る。その子を引っ張れ」そう言って力を込めると、朽木がわずかに持ち上がった。


「抜けた!」とエルフの兵隊の一人が歓声をあげた。


「喜ぶのはまだ早えだろう。あのデカブツを何とかしねえとな」


「トロルだ」とまた別の女が教えた。「皮膚が厚くてウチらの矢が刺さらない」


「あんなの、この辺に出たことない」と兵隊の一人が嘆いたが、その頭上から、厳しく声をかけたのはルサルカである。


「弱音を吐くのは後だ! 何としてもここを食い止める!」


「隊長……」と兵隊は縋るように、その声の主に答えた。


 後堂は倒木を跨いで進み出た。「お前ら今から矢を射つな。俺にあたる。それから、鉈でも斧でも何でもいい。なんか武器を寄越せ」


「弓矢ならあるが」とルサルカは言った。


「駄目だ。あの皮膚は抜けねえ」


「取ってくる」と兵隊の一人が言った。


「今無えのかよ」


「我々は弓と魔法で戦う種族だ」


「いいっつうの、そういうの。ナイフくらい持っとけ。近付かれたらどうすんだよ。大体、その魔法ってのはいつ使うんだ」


「ここであの怪物を倒すほどの魔法を使えば、この森もただでは済まない」


「クソが。全部裏目じゃねえか」と後堂はため息をついてから、笑った。「しかし、あんたらにあのデカブツと戦う気概があるのは分かった。そういうのは嫌いじゃねえ。馬車の荷台で震えてる俺の連れよりずっと上等だ」


 後堂は足元に拳大の石があるのを見つけると、それを握って力一杯投げた。それは鈍い音を立てて目の前のトロルとかいう怪物の頭に当たり、そのままぼとりと落ちた。


 手足を振り回して暴れていたトロルは、頭を押さえて動きを止めると、振り返って後堂を睨む。近付いてみると、遠目に見るよりさらに大きい。


「癇癪起こしたガキみてえに、ただ暴れ回ったってしょうがねえだろう。俺と勝負しろ」


 後堂の言葉が通じたかは定かでない(そもそも言葉を理解するだけの知性が無いように見える)が、トロルは振り上げた拳を後堂目掛けて振り下ろした。後堂は大股に一歩前へ踏み込んで懐に入り、その拳を躱すと、トロルの股間を蹴り上げた。


 相手の足が短いために、その蹴りは腰巻の上から期待した通りの威力で股間を捉えたが、想像していた感触が無かった。


 トロルはただ蹴られた不快感だけを顔に浮かべて後堂を蹴飛ばそうと足を上げる。


「お前……、女なのか?」後堂はそう言って身を翻し、その蹴りを躱した。トロルは答えない。


「トロルのような魔物は、その……、そういうアレが、無い!」ルサルカが木陰から声をあげた。


「じゃあ、その腰巻は何を隠してんだよ!」と吐き捨てて、後堂は間合いを取る。


 後堂も190センチに迫る長身だが、背を丸めた状態でも1メートル近い身長差がある。蹴り上げた感触から言えば、体重差は倍以上ありそうだ。加えて相手には矢も通さない分厚い皮膚と、朽木程度なら一振りでなぎ倒す怪力、そしてそれを支える強靭な筋肉がある。


 金的は考えうる限り最も有効な対抗手段だった。これが効かないとなると、あとは目突きか、それとも喉か……、とそう思案を巡らせる間にも、トロルは大振りに拳を叩きつける。


 後堂は身を躱しながら、苛立つトロルの膝を二度三度と蹴った。受けてはいけない。相手は木の幹を片手でひしゃぎ、地面を抉る剛力である。まともに受けては骨の一本や二本では済まないかもしれない。横薙ぎの腕を潜って二度、振り下ろす手のひらを避けてまた三度と、後堂はトロルの膝を蹴り続ける。


 トレーラーの分厚いタイヤを蹴るように、まるで手応えがない。


「やべえな、これ……」後ろに飛んで間合いを切ると、後堂は呟いた。何処から出てきたのか分からない苦笑いが、口の端から漏れる。


「根性だ! 後堂!」と背後から声が聞こえた。古賀だ。


「技が縮こまってるよ、後堂さん! 思い切って! ハイキック!」と久遠が指示を出す。


「勝手なことばっか言いやがって。お前ら、ちょっとくらい、一人に任せて申し訳ねえなとは思わねえのかよ」と後堂は苦笑した。クソの役にも立たないセコンドだ。


 そうする間にも、トロルは間合いを詰めてくる。と、後堂はその歩みが先と比べてやや遅いことに気が付いた。蹴られ続けた脚に違和感を感じているのだ。見ると、後堂が執拗に蹴った右膝の内側が、赤く腫れ始めている。


 格闘技経験者は素人を相手にする場合「ローキックで一撃だ」というようなことをよく言う。これは、大技を出すまでもないという以上に、「ローキックが有効だ」という意味である。上半身に対するそれより警戒心が薄く、また防御に技術が必要だという二点において。


「カッティングの練習をしておくべきだったな」後堂は地面の土を手のひらにすくい、トロルの顔目掛けて投げつけた。


 反射的に目を守ろうとするトロルの懐に入り、腫れている右膝の内側に強烈な下段回し蹴りを入れる。耳をつんざくようなけたたましい咆哮をあげて、トロルは膝をついた。やはり膝は限界に達していたのだ。奥歯が軋むほど強く噛み締めて、うずくまろうとするトロルの左目を、左の貫手で突き上げると、間髪入れずに腰をコンパクトに回して右拳を喉に食い込ませる。引き抜いた左手に体液の感触があった。片目は潰した。


 ふと風を感じた方に眼球を動かそうとした刹那、本能的に受けの構えをとった右肘に、激しい衝撃が走った。


────ただ今をもちまして、重力の方向はこちらに変更となりました────とでも言うような唐突さで、後堂の足は地面を離れ、落下するような速度で左に飛ぶ。その先の木の幹に後堂は受け身をとったが、叩きつけられた脇腹に骨の軋む感触がした。


 木の肌に身体を擦って、地面に落ちる。重力はやはりいつもの方向に落ち着いたらしい。結構。それなら世界は平和だ。


 怒り狂った怪物が、自分を平手で払い飛ばしたのだと理解したのは、その後のことだった。


「玉なし野郎が、危ねえだろ。俺が弱かったら死んでたぞ」苦痛に顔をしかめながら、喘ぎ喘ぎ吐き捨てる。


「ゴドー!」と女の呼ぶ声がした。ルサルカの部下の1人だ。風を切って投げつけられる何かが、後堂の頬をかすめて木の幹に突き刺さる。鉈だ。


「コントロール……」と後堂は文句を言うのを途中でやめて、頬の皮膚に小さな切り傷をつけたその刃物を幹から引き抜いて立ち上がった。


 怒り狂ったトロルの拳が、鼻先まで迫っていた。後堂は身体をひねり、鉈を振るう。その刃先はトロルの首に突き立った。


「ハイキックだな。久遠」首の鉈を引き抜こうとするトロルの手の上から、右上段回し蹴りで久遠のリクエストに応える。肉同士のぶつかり合う鈍い音が、しかしけたたましく木立の間を響いていった。その回転のまま左足で飛び、胴を回してその踵を同じ場所に叩きつけた。深く食い込んだ鉈に怯んだのか、トロルは間の抜けた声を漏らした。


 力任せに鉈を引き抜いたトロルの首の切り口から、赤黒い血液が吹き出る。二度に渡る後堂の蹴りは、鉈をその頸動脈にまで届かせていた。


 トロルは一度仰け反ると、膝を落としてうずくまり、そのまま動かなくなった。


 間合いを切った後堂の足元まで、トロルの血は血溜まりを作った。


 はぁ、とため息をついた瞬間に、激しい痛みを感じて後堂もその場にうずくまった。アドレナリンが切れたのだ。


「クッソ……、これ、折れてるだろ……」トロルの平手を受けた時、自分の肘の食い込んだ右の肋骨が、木の幹に叩きつけられた次の瞬間に、反対側の肋骨が、それぞれ折れていた。


 バタバタと駆け寄る足音がする。


「ナイスファイト!」と古賀が詐欺師とは思えないような底抜けに明るい声で言う。


「うるせえよバカ……。アバラが折れてんだっつうの……」浅い呼吸の合間に滲み出るような声で後堂は言った。


「アバラって、『チッ……アバラがイっちまったぜ(ニヤリ)』って感じじゃないの普通」と久遠はこともなげに後堂を見下ろす。


「お前……、マジで……、そんなワケねえだろ……」


「まあ、痛みを我慢出来る度合いには個人差があるからね」と久遠が呆れ半分に慰めてくる。


「試しに……お前のアバラも……へし折ってやろうか……」


 などとやっている間に、担架を抱えたエルフの女たちが駆け寄って来た。


「ゴドー様!」とその内の一人が声を上げる。


「露骨に敬ってくるな」


「御礼はまた改めて、まずは手当を。お怪我はどちらですか」と女の一人が後堂の頭に手を添えた。悪くない気分だ。


「おそらく左右の肋骨が一本ずつ。どっちも一番下だ」


「そんな怪我で、済むものなのですか……」エルフの女は信じられないという風に目を丸くする。


 地面に寝転がって見回すと、エルフの美しい女たちが自分を取り囲んでいた。


「うわ……ハーレムじゃん……」と久遠がうらめしそうに漏らす。


「いい男の条件は、左右対象だ」後堂は折れた肋骨のあたりを押さえて、慣用的表現でなく、本当の意味で、苦し紛れに笑った。

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[良い点] 自分の肘で肋骨が折れたところ [一言] バトルシーン上手ですよね
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